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蕪村の花押(その五) [蕪村]

蕪村の花押(その五)

膳.jpg
「諸家寄合膳」(二十枚)のうちの「蕪村筆・翁自画賛」=A

『生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村(サントリー美術館・MIHO MUSEUM編)』所収「作品解説(3)」では、「画面左に杖を持った二人の人物を簡単な筆づかいで描く。右上に三行で『嵯峨へ帰る 人はいつこの 花にくれし』という発句を書く。『蕪村』という署名花押を書く」とある。

 この花押は、蕪村が、宝暦六年(一七五六)の丹後時代から常用している花押と明らかに相違している。
 蕪村の常用の花押については、『人物叢書 与謝蕪村(田中善信著)』では、「嘯山宛の手紙に、蕪村常用の、独特の形をした花押が書かれている(挿図の『花鳥篇』序参照)。かつてこの花押は、矢を半分にしたもので矢半(夜半)の洒落だといわれていたが、岡田利兵衛氏のように、夜半亭を継承する以前にこの花押が用いられているから、従来の説は誤りである(『俳画の美』)。岡田氏は『村』から作った花押だというが、私には槌の形に見える。花押の作り方としては異例だが、これは槌を図案化したものではなかろうか」と記されている。
 同書では、『花鳥篇』序(天理大学付属天理図書館蔵)のものの花押を例示し、別の「蕪村の大黒天図」に関連して、俵の上に乗り木槌を持った「大黒天図(中村家像)」を挿図として掲載している。

 この蕪村常用の花押について、これまでに掲載したものを、ここに併載して置きたい。

書簡A.png
蕪村書簡(三宅嘯山宛て、宝暦七年(一七五七))=B

絵図A.png
蕪村挿絵図(『はなしあいて』所収「蕪村山水略図」)=C

蕪村静御前.jpg
蕪村筆 静御前図自画賛(「生誕三百年同い年の天才絵師 若冲と蕪村」作品21) =D

 上記(B・C・D)の花押は、拡大すると、凡そ次のようなものである。

蕪村花押 .jpg
「蕪村の署名・花押」=E

冒頭の「蕪村筆・翁自画賛」=Aと、この「蕪村の署名・花押」=Eとを比較すると、署名はともかくとして、花押は似ても非なるものの印象が拭えないのである。
ここで、いわゆる「真贋」とかを話題にするというよりは、この二様の違う、蕪村の花押を、鑑識や鑑定の世界での、「これならとおる」(「見解は分かれるが、多くの人を納得させられる」)のようなものが見いだせないかという、そんな難問題への、無謀な謎解きをしたいというのが、その真相なのである。
 しかし、この謎解きに入る前に、「蕪村筆・翁自画賛」=Aに、「三行で書かれている発句」の「嵯峨へ帰る 人はいつこの 花にくれし」(安永九年・一七八〇作)に併記して、「筏士(いかだし)のみのやあらしの花衣」の「自画賛」があり、そこに、「酔蕪村 三本樹井筒屋楼上において写」と落款して、そこに花押(Eと同種の花押)が押されている。
 すなわち、「蕪村筆・翁自画賛」=Aと、極めて関連の深い「自画賛」が別に現存し、そこに花押(Eと同種)があり、さらに、この謎解きは複雑な形相を呈して来るのである。
そして、あろうことか、こちらの「筏士(いかだし)のみのやあらしの花衣」の「自画賛」には、寺村百池の詳細な箱書きがあり、それに加えて、月渓(呉春)筆の「自画賛」もあるようで、どうにも整理の仕様がないような複雑な問題が内在しているのである。
 今回は、百池の箱書きのある「自画賛」を、『蕪村全集一 発句』の、その頭注より拡大して掲載をして置きたい。

蕪村花衣.jpg
 蕪村筆「筏士自画賛」(百池の箱書きあり、花押=Eと同種)

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