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蕪村・百川・若冲そして月渓らの「芭蕉翁像」(その九)  [芭蕉翁像]

(その九)許六に倣った全身像の「芭蕉翁図」(蕪村筆)

許六倣芭蕉像.jpg
『蕪村展(茨城県立歴史館 1997)』)所収「44芭蕉翁図」(蕪村筆) 

 平成九年(一九九七)十月十日から十一月十三日に茨城県立歴史館で開催された特別展「蕪村展」で、蕪村が渇望した百川筆「芭蕉翁像(「七〇 参考 芭蕉翁像 彭城百川筆 紙本墨画 )が初公開された、その図録中に、それと並列して、この「四四 芭蕉翁図」が収載されている。

 その作品解説は次のとおりである

[ 蕪村は、多くの芭蕉翁図を描いたようで、『蕪村事典』(桜楓社) によれば、それらの総数十二点にも及ぶ。これは、蕪村の芭蕉翁図中最も優れた作品である。賛中の「これは五老井か図せる蕉翁の像なり」の五老井とは、森川許六のこと。芭蕉門下の俳人で、狩野派の画技にすぐれ、信頼に足る芭蕉画像を遺したという。その許六の芭蕉翁像に倣ったとあるから、芭蕉の風貌をよく伝える作品ということになる。なおこの作品については、「芭蕉翁図」について(一〇二頁)と、彭城百川が描く芭蕉翁像(七〇)も、併せて参照されたい。百川の描く僧衣をまとった芭蕉翁像に対し、蕪村は、唐服姿の芭蕉像を描いた。ついでながら、本作品とは顔の向きとその風貌のみを異なにし、他の構成をほぼ同じくする作品、「芭蕉翁立像図」(逸翁美術館蔵)が伝わることを付記しておきたい。  ]

 この「作品解説」中の「『芭蕉翁図』について(一〇二頁)」は、「結城下館時代の蕪村について二、三」(茨城県立歴史館学芸員 北畠健稿)の「『芭蕉翁図』について」で、その内容は次のとおりである。

[ (前略) 蕪村書簡に、「愚老むかし関東に於て、許六が画の肖像に素堂の賛有之物を見申候 厳然たる真蹟 伝来正きものに候 其像之面相は 杉風が画たる像とは大同小異有之候 許六が画たるも 翁現世の時之画と相見え候 杉風・許六二画の内、いづれが真にせまり候や 無覚束候 愚老が今写する所は、右二子の画たる像を参合して写出候 (略) 」
と記されている。
 ここで言う関東とは、江戸のことか、あるいは江戸以外の関東のことか分からないが、とにかく、関東において見た「芭蕉翁像」の記憶を基にして、今、自分の芭蕉翁像を描くという、非常に興味深い内容である。「芭蕉翁像」といえば、百川が描いた「芭蕉翁像」のことがよく取り沙汰されるが、蕪村は、許六の、さらには杉風の作品をも念頭において、「芭蕉翁像」を制作していたのである。許六は、最も信頼に足る「芭蕉翁像」を遺したことでも知られているから、その意味でも、蕪村の「芭蕉翁像」を再考して見る必要があるように思われる。また、関東時代にこのような優れた作品に接し、いよいよ、画嚢を豊かにしていたことをも窺わせる書簡ではある。 ]

 ここに引用されている蕪村書簡は、安永末年(一七八〇)から天明三年(一七八三)の間と推定される、大津の俳人、(伊東)子謙宛てのものであるが、この書簡に出て来る「許六が画の肖像に素堂の賛有之物」は、現存していないようである(『蕪村書簡集(大谷篤蔵・藤田真一校注)』)。
 また、「作品解説」中の、「本作品とは顔の向きとその風貌のみを異なにし、他の構成をほぼ同じくする作品、『芭蕉翁立像図』(逸翁美術館蔵)が伝わる」とされているが、この逸翁美術館蔵の「芭蕉翁立像図」は、次回(その十)で取り上げるが、細長い杖を片手に抱えている旅姿の芭蕉像で、この許六に倣ったとされる全身像の「芭蕉翁図」とは、「ほぼ構成を同じくする」ということについては、否定的に解したい。
 ただ、賛の前書きと発句とは同じであるが、この許六に倣ったとされる「芭蕉翁図」は、その後書きに、「これは五老井か図せる蕉翁の像なり/句は めい月や池をくりて終夜 也/それを坐右の銘の句に書かへ侍る」とあり(逸翁美術館蔵「芭蕉翁立像図」には無い)、この後書きに、蕪村特有の「遊び心」が見え隠れしているということを付記しておきたい。
 それは、蕪村の、この画を描いた許六と、それに賛をした素堂への挨拶句的なことと捩り句的なこととを包含した賛のように理解をしたいのである。
 すなわち、「芭蕉翁の高弟・許六先生が描いた空を見上げている『芭蕉翁図』に、翁の盟友・素堂先生が、名月を見ていると解して、『めい月や池をめぐりてよもすがら』の賛をしているが、私(蕪村)は、この許六先生の『芭蕉翁図』に、素堂先生の名月ならず、翁の『座右之銘/人の短をいふことなかれ/おのれが長を説ことなかれの』の前書きがある『もの云へば唇寒し秋の風』の句を、その前書きともども、この図の賛にしたい。その心は、この翁は、『よけいなことをしゃべっている』わいと、ただ、『秋風が吹いて、唇が寒々としている』だけなのです・・・、と、『どうでしょうか、みなさん』・・・」と、其角→巴人→蕪村に連なる「江戸座」の、夜半亭蕪村の賛のように解したいのである。

 なお、『蕪村全集六絵画・遺墨(佐々木承平他編)』に、「92『芭蕉像』画賛」で、次のとおり紹介されている。

紙本墨画 一幅半切 一三六・〇×三五・〇cm
款 「蕪村写」
印 「謝長庚」「春星氏」(白文連印)
賛  人の短をいふことなかれ
   おのれか長を説ことなかれ
  もの云へは唇寒し秋風
   これは五老井か図せる蕉翁の像なり
   句は めい月や池をめくりて終夜 也
   それを坐右の銘の句に書かへ侍る
『蕪村遺方』



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