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芦雪あれこれ(群龍図) [芦雪]

その二 群龍図 

群龍図1.jpg
芦雪筆「群龍図」・ 寛政年間(一八世紀末)・ 絹本墨画金泥・大原美術館蔵
一四一・六×一三二・七cm

 芦雪は、丹波篠山の生まれ、幼少のとき、淀藩の足軽長沢家の養子になったと伝わる。二十代で円山応挙門に入り、京都に移住して応挙門で頭角を現して来る。天明六年(一七八六)の暮れから翌年にかけて南紀各地を回り、無量寺・草堂寺・成就寺等で襖絵や屏風絵を描く。四十歳頃から広島に滞在して厳島神社に「山姥図」を奉納。大胆奇抜な発想と自由闊達な筆さばきで異能ぶりを発揮した。四十六歳で大阪の地で客死する。門人の芦州が跡を継いだ。
 芦雪の「龍」といえば、串本・無量寺の「龍虎図襖」(龍・襖六面、虎・襖四面)、松江・西光寺の「龍図」(襖八面)が名高いが、それに匹敵するのは、この「群龍図」であろう。
何匹居るかは不明だが、いろいろに形を変えて、これだけの「龍」を描くということは、芦雪というのは、師の応挙を凌ぐものがあろう。

芦雪・龍・無量寺.jpg

無量寺の「龍虎図襖」(龍・襖六面、虎・襖四面)のうち「龍」(四面)

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西光寺の「龍図」(襖八面)のうちの四面

芦雪・龍・西光寺2.jpg

西光寺の「龍図」(襖八面)のうちの四面

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