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芦雪あれこれ(大仏殿炎上) [芦雪]

その六 大仏殿炎上

 「大仏殿」というと、奈良東大寺のそれが思い起こされるが、芦雪が描く「大仏殿炎上図」(個人蔵)は、京都・東山の方広寺の金堂(大仏殿)である。この方広寺の大仏は、豊臣家の滅亡の歴史を象徴するかのような、数奇な運命を辿る。
 豊臣秀吉の創建だが、慶長元年(一五九六)の畿内を襲った大地震で倒壊、それを秀頼がブロンズ製で再建に着手したが、工事中の火災などでの曲折を経て、慶長十九年(一六一四)に完成。後は開眼供養と堂供養を待つだけとなったが、有名な「方広寺鐘銘事件」が起き、落慶は中止。その後も、寛文二年(一六六二)に再び震災で倒壊、そして、寛政十年(一七九八)七月一日に、落雷により焼失してしまうのである。
 この時の炎上の様子を描いたのが、下記の「大仏殿炎上図」である。落款に「即席漫写
芦雪 印」があり、芦雪は眼前で燃え盛る大仏殿を実際に見ながら、「即席」で「漫写」(一気呵成の自在な筆遣いで写す)したのであろう。
 空高く噴き上げる紅蓮の炎と煙に「畳目」が写っている。さらに、この落款は「墨と朱とを使い分け、あたかもこれらの文字が、大仏殿から立ちのぼる炎に照らし出されていいるかのようにも見え」、「神技とでもいうべきか。毘首羯磨(ビシュカツマ=帝釈天の眷属、細工物、建築をつかさどる天神)もかくや、と思わせる筆の冴えである」(『江戸の絵を楽しむ(榊原悟著)』)と称賛されているのである。
 この作品は、芦雪が亡くなる一年前の、四十六歳の時のものである。「白象黒牛図屏風」(六曲一双)が「屏風画」とすると、こちらは「掛幅画(掛軸)」ということになる。
『江戸の絵を楽しむ(榊原悟著)』では、「縦に『ひらく』演出」と題して、この作品を取り上げ、そこで、「掛緒を掛けて軸を回転させながら下方へ下げていくことで」、「変化のドラマ」が生じ、「画面を『ひらく』にしたがって、一瞬、人魂とも、焚き火の煙とも見えたものが、じつは巨大な火の粉であり」、その最下部の二層の甍(小さく描かれた『大仏殿』と「楼門」)の炎上が、「同じ『かたち』でありながら、それが表す(意味)を劇的に変化」させているというのである。
 そして、これらを、「見事な『造形の魔術』」として、それを成し遂げた芦雪を、上述の「毘首羯磨(ビシュカツマ=帝釈天の眷属、細工物、建築をつかさどる天神)」との称賛に繋げているのである。

芦雪・炎上.jpg

芦雪筆「大仏殿炎上図」紙本淡彩 一幅(個人蔵)
一二〇・五×五六・二cm
寛政十年(一七九八)作

コメント(8) 
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コメント 8

middrinn

掛け軸ならでは、ですね(゚o゚;)
枠に張られたキャンバスに描く
西洋画では出来ない仕掛けですね(^^)
by middrinn (2017-09-11 17:28) 

yahantei

この炎上する「畳目」というのは、何か背骨のようで、芦雪の「即席漫写」ということと、この「畳目」は、「どうにも魅惑的ですね」。
「小説若冲」とかは目にしますが、「小説芦雪」の場合は、この「大仏殿炎上図」は避けて通れない感じですね。
by yahantei (2017-09-11 19:25) 

middrinn

私事ですが、先日の健診で見た、
胸のレントゲン写真の湾曲した背骨を連想^_^;
それにしても、おそらくは美術館などでの展示だと、
「縦に『ひらく』演出」が味わえませんね^_^;
by middrinn (2017-09-12 09:28) 

yahantei

こういう趣向は美術館で実感するのは無理な点があるかも知れませんね。しかし、この「縦」の方向(掛軸もの)と「横」の方向(屏風もの)との「鑑賞視点」というのは、無意識のうちに、やっていることで、
芦雪の場合は、それを逆手に取って、利用しているということを感じますね。この「畳目」も、その効果を十分に知っていて、それを巧みに、応用している感じを受けますね。

by yahantei (2017-09-12 13:47) 

千

筆書きで草書の為に、非常に紛らわしいのですが、落款署名の文字は、私には、「即席傍写 蘆雪」の様に読めてしまいます。
蘆雪の他の作品を見ても、「謾写」等と書かれた作品は、幾つか見られますが、「漫写」の表現は見られません。
専門家の解説でも「即席漫写 蘆雪」と読まれている物が、複数有る事を存じてはいますが、疑問に感じていました。
by 千 (2021-08-31 16:01) 

yahantei

どうも恐縮です。「即席漫写 蘆雪」は、「解説文」のものを「漫然」と写したようです。「謾写」という言葉は知りませんでした。ありがとうございました。「即席傍写」とは、「傍ら」で写したということでしょうか? ただ、「外」でスケッチしたのではなく、「畳のある部屋」ではスケッチしたのでしょうか?
いろいろと、ご教示など願います。気が付かず、返信が遅れました。あしからず願います。


by yahantei (2021-09-07 13:29) 

千

前置きもないコメントでしたのに、ご返信ありがとうございます。
火災の起きた方広寺は、芦雪の住居と思われる場所から、南南東に、鴨川を挟んで、約1キロ半程度と、近かった様ですので、場合によっては、自宅から(障害物も少なく?)直接眺める事が出来たと考えられますが、今更、検証は出来ないでしょう。
芦雪は、他の多くの作品を見ても、落款表記には拘りがあった様ですので、私は(読み間違いの可能性も否定は出来ませんが)、恐ろしい大火災を眺めつつ、傍らの画用紙に描いたと考えるのが、素直な解釈なのだろうと考えています。
ですから、おそらく「解説書」での勘違いだろと思っています。

また、渇筆で、下敷きの畳目の縞を活かす表現手法は、それ以前の絵師にも、意図的に使われていた様ですが、創始者は誰だったのでしょうね。(芦雪は、先達の技をよく研究していた様です)
by 千 (2021-09-12 10:52) 

yahantei

 よく理解できました。《「即席」で「漫写」(一気呵成の自在な筆遣いで写す)》というのは、この「慢写」は、この時の、「芦雪」には、そぐわない感ですね。「畳目」も偶然のものではなく、「渇筆で、下敷きの畳目の縞を活かす表現手法は、それ以前の絵師にも、意図的に使われていた様です」とは、「目にウロコ」という感じです。ありがとうございました。「俳諧・文芸」ものは、好きなのですが、「絵画・造形」は、好きだけど、「不似合い」のものと敬遠していて、「八十路」を過ぎて、この頃、「いくらか、見えてきた感じです。」 いろいろと、ご教示方願います。丁度、岩佐又兵衛の「舟木本」と「豊国祭礼図」のところですので、「即席傍写」使わせていただきます。
by yahantei (2021-09-13 16:40) 

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