芦雪あれこれ(瀑布図) [芦雪]
その七 瀑布図
芦雪の「瀑布図」は何点かある。その代表的なものとして、『江戸の絵を楽しむ(榊原悟著)』では、「那智滝図」(サンフランシスコ・アジア美術館蔵)を挙げている。それは、「縦に『ひらく『演出』」の中の、「『大・小』対比の演出」の中である。
芦雪筆「那智滝図」(サンフランシスコ・アジア美術館蔵)
一六九・二×四八・六cm.
この「那智滝図」のサイズの「一六九・二×四八・六cm」は、ほぼ大人の等身大の天地である。実際の那智の滝は、その滝壺までの落差は「一三三m」、落ち口の幅は「一三m」、そして、一段の滝としての落差は日本第一の名瀑である。
この芦雪の「那智滝図」の縦の長さの「一六九・二cm」で、実際の「那智の滝」の滝壺までの落差「一三三m」を現出させるための「空間マジック」は、一番最下部の滝壺の手前の左脇「四阿」近辺に施されている。その四阿の右下に、杖を右手に笠を被った巡礼者が、滝を仰ぎ見ているのが描かれており、この人(「小」)と滝(「大」)との対比が、すなわち、芦雪の巧妙な「空間マジック」「造形の魔術」「視覚トリック」だというのである(『江戸の絵を楽しむ(榊原悟著)』『日本絵画のあそび(榊原悟著)』)。
この本図の左下の、四阿と巡礼者、その前に広がる余白(流れ落ちる膨大な滝の落下と滝壺から吹き上がる水煙等々)を部分図として掲出すると、次の図のとおりである。
芦雪筆「那智滝図」「部分図」(サンフランシスコ・アジア美術館蔵)
さて、この芦雪の「那智滝図」に施した「『大・小』対比の演出」の企みの背景には、芦雪の師の応挙が、安永元年(一七七二)、四十歳の時に制作した、空前絶後の大きさを誇る「大瀑布図」(三六二・八×一四四・五cm)が見え隠れしているように思われる。
新潟日報 (2012年9月28日掲載)
円山応挙の「大瀑布図」の展示作業
上記は、平成二十四年(二〇一二)に新潟県歴史博物館で開催された「若冲・応挙の至宝-京都相国寺と金閣・銀閣 名宝展-」の展示作業を、「新潟日報」が掲載したものである。
この「新潟日報」のスナップ写真が、応挙の「大瀑布図」の空前絶後の大きさと、そして、この「大瀑布図」に隠された、芦雪の企みと根っ子が同じところの「空間マジック」を伝えるのに、最も適切な一枚のように思われる。
まず、この作品の大きさは、これを展示する人(二人)と比較してみると、いかに大きいかが一目瞭然となる。
そして、この作品の展示に当たって大事な所は、天井から壁面に沿ってぶら下げて、床に達したら、その床の面に伸ばして、丁度、壁面と床との「L字」型に展示するように細工が施されているようなのである。
すなわち、滝の部分は垂直に、滝壺の部分は水平になる。すなわち、これは応挙の「空間マジック」ということになる。
そもそも、この応挙の作品は、応挙の良き理解者で最大の支援者であった円満院祐常(近江円満院三十七世、関白二条吉忠の三男)が、円満院の池に滝がないので、応挙に描かせ、池の上に懸けたとも、池に面した書院の長押に懸けたともいわれている。すなわち、この作品は、現実の庭の景色と一体化させて見ることを前提にして制作されている。
すなわち、応挙の、この作品は、あくまでも、対象を「実物大」に描くというのが基本で、その「空間マジック」も、垂直方向と水平方向との二次元的な限定的なものであった。
しかし、芦雪の「空間マジック」は、垂直方向の一次元的な世界に、「実物大」ではなく、
「『大・小』対比の演出」によって、多種多様な「無限的空間」を生み出すという、「造形の魔術」「視覚トリック」が施されているということになる。
芦雪が、応挙門に入った年次は定かではないが、芦雪の応挙門でのデビューは、安永七年(一七七八)、二十五歳の「東山名所風俗図」であった。応挙が、この「大瀑布図」を手掛けていた頃に、芦雪が応挙門に入っていたかどうかは不明であるが、芦雪が、この応挙の「大瀑布図」に大きな影響を受けていたことは、想像するに難くない。
事実、芦雪は、「実物大」を主題にしての、篠竹一本を、縦一五五・八cm、横一一・三cmの、縦・横の比率が「一四対一」という、極端に細長い画面に描いている(『竹に月図)。
芦雪に関する口碑はいろいろあり、「芦雪は応挙を試すようなことをして破門された」とかいわれているが、「実際のところはそうした形跡はない」し、応挙没後も円山家との交流は保たれ、「芦雪がその生涯にわたって応挙との関係を失うことがなかった」(『日本の美術八長沢芦雪№219宮沢新一編』)ということは、特記して置く必要があろう。
また、芦雪の、寛政十一年(一七九九・四十六歳)の、大阪での客死に関連して、自殺・毒殺・困窮による縊死とかといわれているが、これも、「もし、縊死が事実なら、困窮のためではなく、絵筆が握れなくなった、というような事情が想像される」(『前掲書・宮沢新一編)と、その真相は、巷間に伝来されていることを鵜呑みにするのは危険のように思われる。
芦雪の「瀑布図」は何点かある。その代表的なものとして、『江戸の絵を楽しむ(榊原悟著)』では、「那智滝図」(サンフランシスコ・アジア美術館蔵)を挙げている。それは、「縦に『ひらく『演出』」の中の、「『大・小』対比の演出」の中である。
芦雪筆「那智滝図」(サンフランシスコ・アジア美術館蔵)
一六九・二×四八・六cm.
この「那智滝図」のサイズの「一六九・二×四八・六cm」は、ほぼ大人の等身大の天地である。実際の那智の滝は、その滝壺までの落差は「一三三m」、落ち口の幅は「一三m」、そして、一段の滝としての落差は日本第一の名瀑である。
この芦雪の「那智滝図」の縦の長さの「一六九・二cm」で、実際の「那智の滝」の滝壺までの落差「一三三m」を現出させるための「空間マジック」は、一番最下部の滝壺の手前の左脇「四阿」近辺に施されている。その四阿の右下に、杖を右手に笠を被った巡礼者が、滝を仰ぎ見ているのが描かれており、この人(「小」)と滝(「大」)との対比が、すなわち、芦雪の巧妙な「空間マジック」「造形の魔術」「視覚トリック」だというのである(『江戸の絵を楽しむ(榊原悟著)』『日本絵画のあそび(榊原悟著)』)。
この本図の左下の、四阿と巡礼者、その前に広がる余白(流れ落ちる膨大な滝の落下と滝壺から吹き上がる水煙等々)を部分図として掲出すると、次の図のとおりである。
芦雪筆「那智滝図」「部分図」(サンフランシスコ・アジア美術館蔵)
さて、この芦雪の「那智滝図」に施した「『大・小』対比の演出」の企みの背景には、芦雪の師の応挙が、安永元年(一七七二)、四十歳の時に制作した、空前絶後の大きさを誇る「大瀑布図」(三六二・八×一四四・五cm)が見え隠れしているように思われる。
新潟日報 (2012年9月28日掲載)
円山応挙の「大瀑布図」の展示作業
上記は、平成二十四年(二〇一二)に新潟県歴史博物館で開催された「若冲・応挙の至宝-京都相国寺と金閣・銀閣 名宝展-」の展示作業を、「新潟日報」が掲載したものである。
この「新潟日報」のスナップ写真が、応挙の「大瀑布図」の空前絶後の大きさと、そして、この「大瀑布図」に隠された、芦雪の企みと根っ子が同じところの「空間マジック」を伝えるのに、最も適切な一枚のように思われる。
まず、この作品の大きさは、これを展示する人(二人)と比較してみると、いかに大きいかが一目瞭然となる。
そして、この作品の展示に当たって大事な所は、天井から壁面に沿ってぶら下げて、床に達したら、その床の面に伸ばして、丁度、壁面と床との「L字」型に展示するように細工が施されているようなのである。
すなわち、滝の部分は垂直に、滝壺の部分は水平になる。すなわち、これは応挙の「空間マジック」ということになる。
そもそも、この応挙の作品は、応挙の良き理解者で最大の支援者であった円満院祐常(近江円満院三十七世、関白二条吉忠の三男)が、円満院の池に滝がないので、応挙に描かせ、池の上に懸けたとも、池に面した書院の長押に懸けたともいわれている。すなわち、この作品は、現実の庭の景色と一体化させて見ることを前提にして制作されている。
すなわち、応挙の、この作品は、あくまでも、対象を「実物大」に描くというのが基本で、その「空間マジック」も、垂直方向と水平方向との二次元的な限定的なものであった。
しかし、芦雪の「空間マジック」は、垂直方向の一次元的な世界に、「実物大」ではなく、
「『大・小』対比の演出」によって、多種多様な「無限的空間」を生み出すという、「造形の魔術」「視覚トリック」が施されているということになる。
芦雪が、応挙門に入った年次は定かではないが、芦雪の応挙門でのデビューは、安永七年(一七七八)、二十五歳の「東山名所風俗図」であった。応挙が、この「大瀑布図」を手掛けていた頃に、芦雪が応挙門に入っていたかどうかは不明であるが、芦雪が、この応挙の「大瀑布図」に大きな影響を受けていたことは、想像するに難くない。
事実、芦雪は、「実物大」を主題にしての、篠竹一本を、縦一五五・八cm、横一一・三cmの、縦・横の比率が「一四対一」という、極端に細長い画面に描いている(『竹に月図)。
芦雪に関する口碑はいろいろあり、「芦雪は応挙を試すようなことをして破門された」とかいわれているが、「実際のところはそうした形跡はない」し、応挙没後も円山家との交流は保たれ、「芦雪がその生涯にわたって応挙との関係を失うことがなかった」(『日本の美術八長沢芦雪№219宮沢新一編』)ということは、特記して置く必要があろう。
また、芦雪の、寛政十一年(一七九九・四十六歳)の、大阪での客死に関連して、自殺・毒殺・困窮による縊死とかといわれているが、これも、「もし、縊死が事実なら、困窮のためではなく、絵筆が握れなくなった、というような事情が想像される」(『前掲書・宮沢新一編)と、その真相は、巷間に伝来されていることを鵜呑みにするのは危険のように思われる。
昨日は御教示ありがとうございましたm(__)m
しかし、想像以上に、深いですね^_^;
芦雪は小説よりも映画の方が適してるのかも^_^;
「大仏殿炎上図」は迫力あるシーンになりそう(^^)
by middrinn (2017-09-13 12:41)
「170912読んだ本&買った本」を日々更新しているmiddrinnさんのコメント、司馬さんも「芦雪」を取り上げているようで、そのうちに、小説ならず「映画化」(テレビ化)されると凄い感じですね。
「大仏殿炎上図」など、サイズが分からなかったものが、分かりましたので、記して置きました。
芦雪の作品は、その作品の「サイズ」というのが、一つのポイントになって来ると思います。
by yahantei (2017-09-13 16:42)