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「風神雷神図」幻想(その四) [風神雷神]

暁斎の「鍾馗図」と「雷神図」

鍾馗一.jpg

暁斎「鬼碁打図(おにのごうちず)」絹本着色 明治十ニ年(一八二九)または十八年(一八八五)以降 一二八・八×五五・一cm 東京国立博物館蔵
【鬼たちが碁打ちに興じているくつろぎの場に、鍾馗が剣をかざし、今まさに乱入しようとしているところを描く。本来鍾馗は邪悪な鬼を退治してくれる正義の味方であるが、ここでは職権を乱用する明治政府の官憲に見立てられているかのようだ。煙管をくわえて相手の一手をじっと見つめる鬼の目は真剣で、観戦する鬼も対局に集中し、乱入しようとする鍾馗に全く気づいていない。本図を見た人は、鬼たち逃げろ、と鬼を応援したに違いない。】
『別冊太陽 河鍋暁斎 奇想の天才絵師(安村敏信監修)』所収「作品解説(安村敏信稿)」

 この「鬼たち逃げろ」の、「逃げ惑う鬼たち」の図もある。

鍾馗二.jpg

暁斎「鍾馗ニ鬼図」双幅 絹本着色 明治四年(一八七一)以降
各一七一・五×八四・七cm 板橋区立美術館蔵
【鍾馗は中国の故事に現われる神で、疫鬼を退け魔を除くという。日本では五月幟に描くほか、朱で描いたものは疱瘡除けになるとされる。暁斎も得意の画題として力強い鍾馗を度々描いているが、本図は縦が一七〇cm以上という大画面の傑作である。暁斎は、力強く肥痩の強い墨線や岸壁の皺法など、伝統的な狩野派の筆法を自在に用いている。とはいえ、本図の眼目は鍾馗ではなく、左幅の逃げ惑う鬼たちであろう。本図において、鍾馗は小鬼の生活を脅かす暴れ者でしかないようだ。 】
『別冊太陽 河鍋暁斎 奇想の天才絵師(安村敏信監修)』所収「作品解説(佐々木江里子稿)」

 ここでも、鍾馗は、邪悪な鬼を退治してくれる正義の味方ではなく、「小鬼の生活を脅かす暴れ者でしかない」というのである。この「暴れ者」は、「鬼碁打図」と同じく、「職権を乱用する明治政府の官憲に見立てられている」と、同じような視点ということになろう。
 この「縦が一七〇cm以上という大画面の傑作である」鍾馗に鬼図は、その制作年次が、
明治四年(一八七一)以降ということになると、明治三年(一八七〇・四十歳)時の「筆禍事件」による投獄と、その翌年の、「一月 笞(ち)五十の刑を受けて放免となり、師家の狩野家に引渡される。五~十月、修善寺温泉で静養。沼津の母を訪ねる」などが、その背景となっているのかも知れない。

鍾馗三.jpg

暁斎「崖から鬼を吊るす鍾馗」一幅 紙本淡彩 イスラエル・ゴールドマンコレクション蔵
明治四年(一八七一)以降 

 こうなると、この鍾馗は、正義の味方どころか、弱きものを弄る大魔王のような形相と化して来る。そして、この鬼は、駿河台狩野派に入門した頃、「画鬼、画鬼」と可愛がられて、爾来、そのあだ名の「画鬼」を生涯のあだ名にしている、「画鬼・狂斎(暁斎)」の分身のように思われて来る。
 同時に、やはり、これらの「鍾馗と鬼」図関連のものは、明治三年(一八七〇・四十歳)時の「筆禍事件」による投獄と、その翌年の、「笞(ち)五十の刑を受けた」ことなどが、その背景にあるような印象を深くする。
 この「崖から鬼を吊るす鍾馗」図の他に、「鬼を蹴り上げる鍾馗」図(一幅)もあるが、これらは、同時の頃の作と解したい。
 さて、この「崖から鬼を吊るす鍾馗」と、同一構図のような、次の「雷神図」(河鍋暁斎記念博物館蔵)がある。

雷神図一.jpg

暁斎「風神雷神図」(双幅)のうちの「雷神図」(右幅)絹本着色 河鍋暁斎記念博物館蔵
(他に「風神図(左幅)」) 右110.9×31.9  左111.0×31.9 

 これは、平成二十八年(2016)に、富山県水墨美術館(富山市五福)で開催された「鬼才-河鍋暁斎展 幕末と明治を生きた絵師」で、展示されたものの一つである。この「雷神図」について、次のとおり紹介されている。

【自然現象を神格化した図像は、世界各地で発見されている。風と雷を鬼神として表現した図像で最初期のものは、6世紀の中国・敦煌莫高窟(ばっこうくつ)で発見された。日本では、鎌倉時代から盛んに描かれている。最も有名なのは、江戸時代に俵屋宗達が作った国宝「風神雷神図屏風(びょうぶ)」だろう。
 宗達の屏風では、雷神を左、風神を右に配置しているが、暁斎が学んだ狩野派では逆。本作も左幅に風神、右幅に雷神を描く。
 この雷神は黒々とした暗雲が立ち込める中、海に落とした太鼓を引き上げようと網を下ろす。ユーモアあふれる姿は、民俗絵画の大津絵に影響を受けたとみられる。海の荒々しい波は、左幅の風神によって蹴り立てられたもの。
 風神の姿を見たい向きは会場でぜひ。 】

http://webun.jp/item/7295284

 また、この時に、展示された作品については、次のアドレスで見ることが出来る。

http://www.city.hekinan.aichi.jp/tatsukichimuseum/temporary/pdf/Kyosai-List.pdf

 この紹介記事の「海の荒々しい波は、左幅の風神によって蹴り立てられたもの」というのだが、この「荒々しい波」は、上記の「鍾馗ニ鬼図」の「左幅」の「逃げ惑う鬼」の足元の「波」と類似している。
 とすると、この左幅の「風神図」は、上記に紹介した「鬼」のどれかの風姿で、とにもかくにも、「波」を蹴り立て、宝道具の「風袋」を追うように天空に舞い上がろうとしている、そんな「風神」図なのかも知れない。

(追記)暁斎「風神雷神図」(双幅)のうちの「風神図」(左幅)

暁斎・風神図.jpg

『特別展覧会 没後一二〇年記念 絵画の冒険者 暁斎 近代へ架ける橋(京都国立博物館)』
所収「作品解説35」 暁斎「風神雷神図」(双幅)のうちの「風神図」(左幅)

この「風神」は、宗達画の「雷神のポーズ」で、その視線は、落下先に向けられ、雷神の失態をとがめる表情に描かれている。
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