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「風神雷神図」幻想(その十五) [風神雷神]

(その十五)其一の「風神雷神図襖絵」

其一・風神.jpg

鈴木其一「風神雷神図襖」(右四面)
八面 絹本着色 各一六八・〇×一一五・・五cm 江戸時代後期
東京冨士美術館蔵

其一・雷神.jpg

鈴木其一「風神雷神図襖」(左四面)
八面 絹本着色 各一六八・〇×一一五・・五cm 江戸時代後期
東京冨士美術館蔵

【 宗達、光琳、抱一という琳派の先達たちによって受け継がれてきた風神雷神という画題を、其一は屏風ではなく襖の大画面に移し替えた。元は二曲一双の屏風から、それぞれ左右に余白を加えた襖八面に画面が拡張されている。制作された当初は風神と雷神が襖絵の表裏を成していたという。絹地の上に、滲みを利かせた黒雲を描くが、風神を載せる雲は下から勢いよく噴き上げる風を感じさせ、対する雷神は取り囲む黒雲は、いかにも稲光が走りそうな雨をはらんだ雲にみえる。風神雷神の姿や形を含め、抱一が編んだ『光琳百図』後編下冊の「風神雷神図」を明らかに下敷きにした構図といえるが、失敗をゆるされない墨の濃淡の滲みによって、爽快なまでにダイナミックな天空の描写が実現している。「祝琳斎其一」の署名と「噲々」(朱文円印)によって、其一の四十代前半頃の作と推定される。 】
(『鈴木其一 江戸琳派の旗手』所収「作品解説(石田佳也稿)」)

 ここで、抱一の「略年譜」(『別冊太陽 江戸琳派の粋人 酒井抱一(仲町啓子監修)』所収)により、「光琳百回忌」「光琳百図」関連などを抜粋して、若干の其一との関連や説明書き(※印)を施して置きたい。

文化三年(一八〇六) 抱一=四十六歳 二月二十九日、宝井其角百回忌に際し、其角の肖像百幅を制作。※其一=十一歳 ※抱一が「光琳百回忌」を発起する切っ掛けは、この其角百回忌と関連があるとされている。
文化十年(一八一三) 抱一=五十三歳 「緒方流略印譜」刊行。鈴木其一、抱一の内弟子となる。※其一=十八歳 
文化十二年(一八一五) 抱一=五十五歳 六月二日、光琳百回忌。大塚村で法要を営み、付近の寺で光琳遺墨展を開催。『緒方流略印譜』『光琳百図』を刊行(※「光琳遺墨展」記念配り本として刊行。『光琳百図』は前編二冊=上・下のみ)。※其一=二十歳
文政三年(一八二〇) 抱一=六十歳 光琳墓碑(妙願寺)の修築完成。其一、雨華庵の西隣に住む。※其一=二十五歳
文政四年(一八二一) 抱一=六十一歳 一橋治斎発注による「夏秋草図屏風」下絵または本図の制作に着手(※「夏秋草図屏風」は、光琳の「風神雷神図屏風」の裏面に描かれている)。※其一=二十六歳
文政九年(一八二六) 抱一=六十五歳 『光琳百図』後編(上・下)刊行。※其一=三十一歳(※抱一の「風神雷神図屏風」は、文化十二年=一八一五~文政九年=一八二六の頃の作か? また、其一の「風神雷神図襖絵」は、天保六年=一八三五=四十歳~天保十一年=一八三九=四十五歳の頃の作か?)。

 上記の「略年譜」の関連で、「宝井其角百回忌」については、次のアドレスで先に若干触れている。

http://yahan.blog.so-et.ne.jp/search/?keyword=%E5%85%B6%E8%A7%92%E7%99%BE%E5%9B%9E%E5%BF%8C

 また、抱一の「夏秋草図屏風」と光琳の「風神雷神図屏風」との関連についても、次のアドレスで先に若干触れている。

http://yahan.blog.so-net.ne.jp/search/?keyword=%E5%A4%8F%E7%A7%8B%E8%8D%89%E5%9B%B3%E5%B1%8F%E9%A2%A8

 ここで、確認をして置きたいことは、「宗達と光琳」とは、何らの師弟の関係は無い。また、「光琳と抱一」とも、これまた、何らの師弟の関係は無い。これらの関係は、「光琳は宗達の大ファン」、「抱一は光琳の大ファン」で、ある時期から「光琳は宗達を目標」とし、「抱一は光琳を目標」としていたと、単純に割り切った方が、それぞれの関係がすっきりして来るであろう。
 その上で、「抱一と其一」とは、師弟の関係にあり、文化十年(一八一三)、抱一=五十三歳、其一=十八歳の時に、其一が抱一の内弟子になって以来、文政十一年(一八二八)に抱一が没する(抱一=六十八歳、其一=三十三歳)迄、其一は、抱一の傍らに控えていて、その片腕になっていたということなのである。
 すなわち、上記の抱一の「略年譜」中の、「光琳百回忌」『光琳百図』前編(上・下二冊)、後編(上・下二冊)も、さらに、光琳の「風神雷神図屏風」の裏面に描いた、抱一の最高傑作の「夏秋草図屏風」も、その比重の差はあれ、何らかの意味で、抱一の愛弟子・其一が、老齢に近い抱一の手足となっていたことは、当時の、絵師の工房の実態からして、それほど違和感を抱くこともなかろう。
 すなわち、冒頭に掲げた、其一、四十歳代前半の作とされている、この「風神雷神図襖絵」(全八面・絹本着色)は、これまでの、「金地着色」の、金箔(ゴールド)の「宗達→光琳→抱一」の「風神雷神図屏風」に対する、アンチ「金(ゴールド)・屏風」、そして、抱一が、光琳の「風神雷神図屏風」の裏面に展開した、「銀(シルバー)・屏風」的世界を意図しての、襖地(白・鼠色の絹地)に水墨画(墨の滲みを利かせての黒雲)的世界のものと指摘することが出来よう。
 この其一の「風神雷神図襖絵」は、抱一が「夏秋草図屏風」で展開した、光琳の「金(ゴールド)」に比しての「銀(シルバー)、さらに、光琳の「風神」に「風に靡く秋草」、そして、「雷神」に「夕立にしなだれる夏草」を配したように、其一は、師・抱一の「風神」に「秋の風雲」、そして、師・抱一の「雷神」に、「夏の雨雲」を配していると解したいのである。

夏秋草図屏風(風神雷神図との関連).jpg 

上段(表) 尾形光琳筆「風神雷神図屏風」(二曲一双) 東京国立博物館蔵
下段(裏) 酒井抱一筆「夏秋草図屏風」(二曲一双)  東京国立博物館蔵



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