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江戸の「金」と「銀」の空間(その四) [金と銀の空間]

(その四) 抱一の「銀」(波図屏風)と宗達・光琳・北斎の影

抱一・波図屏風.jpg

酒井抱一筆「波図屏風」六曲一双 紙本銀地墨画着色 各一六九・八×三六九・〇cm
文化十二年(一八一五)頃 静嘉堂文庫美術館
【銀箔地に大きな筆で一気呵成に怒涛を描ききった力強さが抱一のイメージを一新させる大作である。光琳の「波一色の屏風」を見て「あまりに見事」だったので自分も写してみた「少々自慢心」の作であると、抱一の作品に対する肉声が伝わって貴重な手紙が付属して伝来している。宛先は姫路藩家老の本多大夫とされ、もともと草花絵の注文を受けていたらしい。光琳百回忌の目前に光琳画に出会い、本図の制作時期もその頃に位置づけうる。抱一の光琳が受容としても記念的意義のある作品である。 】
(『別冊太陽 酒井抱一 江戸琳派の粋人』所収「作品解説(松尾知子稿)」)

 この「作品解説」の「光琳の『波一色の屏風』」というのは、次の「波波濤図」(メトロポリタン美術館蔵)を指しているのであろう。

波濤図屏風.jpg

尾形光琳筆「波濤図屏風」二曲一隻 一四六・六×一六五・四cm メトロポリタン美術館蔵
【荒海の波濤を描く。波濤の形状や、波濤をかたどる二本の墨線の表現は、宗達風の「雲龍図屏風」(フーリア美術館蔵)に学んだものである。宗達作品は六曲一双屏風で、波が外へゆったりと広がり出るように表されるが、光琳は二曲一隻屏風に変更し、画面の中心へと波が引き込まれるような求心的な構図としている。「法橋光琳」の署名は、宝永二年(一七〇五)の「四季草花図巻」に近く、印章も同様に朱文円印「道崇」が押されており、江戸滞在時の制作とされる。意思をもって動くような波の表現には、光琳が江戸で勉強した雪村作品の影響も指摘される。退色のために重たく沈鬱な印象を受けるが、本来は金地に群青が映え、うねり立つ波を豪華に表した作品であったと思われる。 】
(『別冊太陽 尾形光琳 琳派の立役者』所収「作品解説(宮崎もも稿)」)

 上記の「宗達風の『雲龍図屏風』(フーリア美術館蔵)」(部分図)は、次のものである。

宗達・龍と波.jpg

宗達筆『雲龍図屏風』(フーリア美術館蔵)」(部分図)

 この、宗達筆『雲龍図屏風』(フーリア美術館蔵)」については、下記のアドレスで触れている。

http://yahan.blog.so-net.ne.jp/2018-04-15-1

 ここで、上記の「作品解説(宮崎もも稿)」中の、この光琳の作品は、「本来は金地に群青が映え、うねり立つ波を豪華に表した作品であったと思われる」の、この「群青」ということに注目したいのである。

 すなわち、尾形光琳筆「波濤図屏風」は、抱一の数々の「銀(シルバー)の波濤図」を誕生させ、同時に、抱一と同世代の北斎の、数々の「群青(ベルリン藍=ベロ藍)の波濤図」を生み出したと解したいのである。

神奈川沖浪裏.jpg

北斎筆「神奈川沖浪裏」 横大判錦絵 二六・四×三八・一cm メトロポリタン美術館蔵 
天保一~五(一八三〇~三四)
【房総から江戸に鮮魚を運ぶ船を押送船というが、それが荷を降ろしての帰り、神奈川沖にさしかかった時の情景と想起される。波頭の猛々しさと波の奏でる響きをこれほど見事に表現した作品を他に知らない。俗に「大波」また「浪裏」といわれている。】
(『別冊太陽 北斎 生誕二五〇年記念 決定版』所収「作品解説(浅野秀剛稿)」)
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