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「光琳・乾山そして蕪村」周辺覚書(その十五) [光琳・乾山・蕪村]

その十五 乾山の「絵画八」(「茄子図」)

乾山・茄子図.jpg

尾形乾山筆「茄子図」一幅 紙本墨色 福岡市美術館蔵(松永コレクション)
二〇・〇×二七・五㎝ 「省(花押)」

https://artsandculture.google.com/asset/茄子図/IgE4VP8xzNkYqg?hl=ja

【一口茄子とでもいえそうな可愛らしいのが三つ。それだけを水墨で描いている。茄子の素朴な描写や用墨法には、すさまじいばかりの魄力と水々しい潤いがある。乾山自筆の賛は「なれ茄子(なすび)なれなれ茄子なるならば ならねば棚の押絵ともなれ」と読める。落款には印の代わりに花押を書いており、よほど磊落な気持でこの作品を描いたのであろう。】(『創立百年記念特別展 琳派(東京国立博物館編)』)

 「茄子」を描いた水墨画というよりも、「書の人」乾山の見事な和歌(狂歌の類いか?)の散らし書きの「書」が主体のものという雰囲気である。
乾山の書体には、「光悦風」「張即之風」「定家風」「普段の走り書きの書体」とかに分けられ、この和歌の散らし書きは、「乾山の定家風書体」(根津美術館蔵)のもののようである(『光琳・乾山の真髄をよむ(住友慎一著)』)。
 次の「兼好法師図」の書体も、その「定家風書体」のものであろう。

乾山・兼好法師図.jpg

尾形乾山筆 「兼好法師図」 一幅 紙本墨色  梅澤記念館蔵
【 兼好法師が粗末な庵で読書しています。筆使いはいかにも素人風ですが、遁世者の精神をダイレクトに表すような描写です。兼好作の画中の和歌は、隠棲したつもりの場所が依然、憂き世であることを詠むもの。江戸生活に対する乾山自身の不本意な思いも投影されているかもしれません。乾山の絵画はしばしば、自らの境遇や内面が反映しているように感じられます。】

http://www.nezu-muse.or.jp/jp/nezunet/nezunet_page87.html


 この「兼好法師図」の和歌(『兼好法師集』)は、次のものであろう(新千載集初出)。

すめば又 うき世なりけり よそながら 思ひしままの 山里もがな (新千載2106)

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/kenkou.html

学問は.jpg

蕪村筆「『学問は』句賛自画像」 一幅 紙本墨画淡彩
二八・七×二一・五㎝  柿衛文庫蔵
「書窓懶眠 学問は尻からぬけるほたるかな 蕪村 (趙)(大居)」
【句の成立は明和八年と推定。「懶眠」は怠惰なものうい眠りの意。蛍は尻ばかり光らせていることに言いかける。ユーモラスな句に、心地よく眠る蕪村自身とおぼしき人物を描く。新出作品 】(『没後二二〇年蕪村(逸翁美術館・柿衛文庫編)』)

(メモ)

一 この蕪村の「『学問は』自画賛」、もう一つのものがあって、『東と西の蕪村(佐野市立吉沢記念美術館編)』に出品されていた、下記のものがある。

 「学問は」自画賛 紙本墨画淡彩 一幅 八七・二×二七・〇㎝ 個人蔵

二 そこには、「書窓懶眠といふ題を/探りて麦林の句法に倣ふ」との前書きが付与されている。麦林は中川乙由(一六七五~一七三九)の別号で、彼を中心に伊勢蕉門は「麦林派」と呼ばれ、平俗な作風を展開した。蛍の光を集めて夜も学問に励んだ故事(「蛍雪の功」)
と、諺(「尻から抜ける」=聞いてもすぐ忘れる)とを踏まえた句である。

三 この蕪村の自画賛と、上記の乾山の「兼好法師図」とが、同じような雰囲気を有している。どちらも、自画像という趣きで、どちらも、隠士的な「籠り居の詩人」(『与謝蕪村の小さな世界(芳賀徹著)』)という風情である。

 冬ごもり妻にも子にもかくれん坊 (明和七年=一七七〇、蕪村=五十五歳)
 居眠りて我にかくれん冬ごもり (安永四年=一七七五、蕪村=六十歳)
 冬ごもり仏にうときこころかな  (安永三年=一七七四、蕪村=五十九歳)

 この「冬ごもり仏にうときこころかな」の句は、兼好法師の「後の世のこと心に忘れず、仏の道疎からぬ、心憎し」(『徒然草四段』)を踏まえている。

四 冒頭の乾山の、「なれ茄子(なすび)なれなれ茄子なるならば ならねば棚の押絵ともなれ」も、これまた、兼好法師好きの、「隠士・籠り居の詩人」の、「京兆逸民・乾山」と、「名を沽(う)りて俗を引く逸民・蕪村」の、その真底に居する自画像と解して差し支えなかろう。
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