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「光琳・乾山そして蕪村」周辺覚書(その二十三) [光琳・乾山・蕪村]

その二十三 乾山の「竹図」

乾山竹一.jpg

尾形乾山筆「竹図」 一幅 紙本墨画 個人蔵 三〇・一×四三・三㎝
【 竹や笹も乾山の好画題で、絵画よりも銹絵染付の角皿や小向付が一般的である。大小の竹、それに笹葉を濃淡で描き分けて奥行きを表している。絵賛の「冷淡古人風」と落款が本紙の半分を領し、画賛を自負した乾山らしい一作である。本幅には古筆了意の模本も添っており、伝来の確かさがうかがわれる。 】(『尾形乾山開窯三〇〇年・京焼の系譜「乾山と京のやきもの」展』所収「作品解説一六六」)

(メモ)

一 落款の、「八十一写」から、乾山が没する寛保三年(一七四三)の作ということになる。この落款「紫翠深省(次の二字=「個事」=「居士」の意か?)八十一写」の、その「深省」の次の二字(「個事」のように読める)が「居士」の当て字と解すると、乾山は亡くなる最晩年まで、黄檗宗の独照性円より授かった、禅号の「霊海」の、その在家僧(居士)という意識を持ち続けていたということになる。

二 「冷淡古人風」の「四字」の賛の「古人風」というのは、乾山その人に焦点を当てて、その「古人」(古人・故人・旧人)とは、乾山の無二の家兄・尾形光琳その人と解したい。
その上で、「冷淡」とは、「苦しんだり悩んだりしないで、『見たまま・感じたまま』を、率直に表現する」、その「古人・光琳」の「画風」に因っているという意に解したい。

三 ずばり、上記の乾山の「竹図」は、次の光琳画・乾山書の「銹絵竹図角皿」の光琳の画「竹図」を、見本にして、その賛のとおり、「古人風(光琳風)」に「冷(感情をたかぶらせない)・淡(かざらず)」に、描いたというのであろう。

 乾山竹二.jpg

光琳画・乾山書「銹絵竹図角皿」H-2.8 D-22 W-21.9 出光美術館蔵

http://www.miho.or.jp/booth/html/artcon/00004464.htm

この乾山の賛「雨洗娟々浄(雨娟々ト浄ヲ洗イ)/風吹細々香(風細々ト香ヲ吹ク)」は、杜甫の『杜少陵集』(巻十四)に、その由来があるようである。上記の乾山の「竹図」(掛幅)は、寛保三年(一七四二)、八十一歳の亡くなる最晩年(江戸在住)のものであるが、光琳画・乾山書「銹絵竹図角皿」は、正徳二年(一七一二、光琳、五十五歳、乾山、五十歳)、「鳴滝の乾山窯を廃し、二条寺町西入ル丁子屋町へ移り、焼物商売を始める」の、それ以前の「鳴滝時代」か、それ以降の「二条丁子屋町時代」かの、「京都時代」の作ということになる。その「京都時代」の落款は、「乾山陶隠深省」で、この「陶隠」の「陶」は、「陶工」、そして、「隠」は「隠士・隠民」(逸民・逸士)を意味しているのであろう。
 
四 光琳には、乾山の賛の「冷淡(古人風)」の水墨画がある。次の「竹虎図」などが、それに当たる。そして、この「竹虎図」の「竹」の描写も、冒頭の乾山の「竹図」と同一世界のものであろう。

光琳竹虎図.jpg

尾形光琳筆「竹虎図」 紙本墨画 28.3×39.0cm 江戸時代(18世紀) 京都国立博物館蔵 A甲539 落款「青々光琳」 印章「方祝」

http://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item09.html

著色の花鳥図や草花図などを描く時の光琳には、どこかしら肩肘張ったように見受けられる場合があるが、墨画に関してはまことに軽妙で、親しみ易い作品が多い。その代表作品が「維摩図」と本図である。竹林を背景にちんまりと腰をおろした虎は、いたずらっ子のようなやんちゃな眼をして横を睨む。中国画の影響を受けた狩野山楽などの「龍虎図」が、強烈な力と力の対決の場面に仕上げているのに比すれば、これはもはや戯画とでも称すべき画風であって、本図が対幅であったとすれば、龍もまた愛くるしい龍であるに違いない。それにしても戯画を描くということは、画家の自由性を物語って余りある。
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