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江戸絵画(「金」と「銀」と「墨」)の空間(その五 [金と銀と墨の空間]

(その五)俵屋宗達画・本阿弥光悦書「花卉摺絵新古今集和歌巻」

花卉摺絵新古今.jpg


本阿弥光悦書「花卉摺絵新古今集和歌巻」(「竹図」・部分図)
時代 桃山~江戸時代(17世紀)
素材・技法 紙本木版金銀泥摺・墨書 一巻
サイズ   34.1×全長 907.0㎝
(MOA美術館蔵)

http://www.moaart.or.jp/?collections=048

【金銀泥(きんぎんでい)を用いて梅・藤・竹・勺薬(しゃくやく)・蔦の下絵を反復して摺り上げた版画下絵の料紙に、『新古今和歌集』の恋歌二十一首を選んで散らし書きした一巻である。全長九メートルにおよぶもので、巻末に篆書(てんしょ)体で「光悦」の黒印が捺されている。きわめて良質の料紙で、紙背には、伝統的な図様の松葉文様が見られ、紙継ぎ部分には、「紙師宗二」の縫合印が捺されている。大胆な構成による下絵に光悦の巧みな運筆が見事にマッチし、その書画一体の構成は独自の趣きのあるものとなっている。雲母(きら)などで文様を摺った料紙は、中国からの舶来品として平安時代すでに愛好されていたが、その美意識を当世風に再興させた光悦の斬新で洗練された感覚が、下絵の金銀泥絵に見られる。書風は、筆線の濃淡や太細の変化が著しく、装飾的である。】

 上記の解説の「作者名」には、「本阿弥光悦書」とあり、「俵屋宗達画」は明記されていない。そして、解説文中に、「紙師宗二」の名が出てくる。この「紙師宗二」は、鷹ケ峯の光悦村(芸術村)の住人で、光悦周辺の工匠の一人なのであろう。
 そして、題名の「花卉摺絵新古今和歌巻」の「摺絵」の二字が入っている。この「料紙」に描かれている「竹」図は、肉筆画ではなく版画(「金銀泥摺」)なのである(「料紙」などについては末尾の「参考」に解説文などを引用している)。
 また、この題名の「花卉摺絵新古今和歌巻」の「花卉」とあるのは、「梅・藤・竹・芍薬・蔦」の㈤種類の植物が描かれているからで、上記は、そのうちの「竹」図ということになる。
 この版画の「竹」図と、前回の肉筆の「四季草花下絵和歌巻」の「竹」図(部分・拡大図)とを見比べて分かるように、この種の「金銀泥下絵和歌巻」においては、その下絵の肉筆ものと版画ものとを区別して、「肉筆もの=「宗達」、「版画もの=宗達?」という区分けは、やや、杓子定規的なものということについては、前回で触れた。
 それよりも、前回に触れた、光悦の書がある「金銀泥下絵和歌巻」の下絵は、「俵屋宗達画」として、その宗達の「画」と光悦の「書」の、当代一流の「書家」と「絵師」との「コラボレーション」(「響き合い」)が、これらの「金銀泥下絵和歌巻」だと解したいのである。

花卉に蝶摺絵.jpg

下絵・俵屋宗達、書・本阿弥光悦 「花卉に蝶摺絵新古今集和歌巻」(一部)
桃山時代末期~江戸時代初期・17世紀初頭 岡田美術館蔵
「一巻 紙本金銀泥摺絵墨書 三三・三×九㈣一・七㎝」→http://www.okada-museum.com/collection/japanese_painting/japanese_painting04.html

http://salonofvertigo.blogspot.com/2015/02/rimpa.html

【光悦と宗達の作品もいくつか展示されていて、中でも白眉は完本の「花卉に蝶摺絵新古今集和歌巻」。今に残る光悦の書の巻物はほとんどが断簡で、巻物として完全な形で残っているのは4本しかないそうです。宗達がデザインした色変わりの綺麗な料紙の上に流麗で美しい光悦の書。うっとりするほどの逸品です。】

 この「花卉に蝶摺絵新古今集和歌巻」(岡田美術館蔵)も摺絵(金銀泥摺)なのである。しかし、冒頭の「花卉摺絵新古今集和歌巻」(MOA美術館蔵)に比して、こちらは、「下絵・俵屋宗達、書・本阿弥光悦」と、俵屋宗達の名が表示されている。表示の仕方としては、「書家」と「絵師」との「コラボレーション」(「響き合い」)という視点から、こちらの方をとりたい。

(参考)

「花卉摺絵新古今集和歌巻」と尾形光琳

http://cca-kitakyushu.org/event_book/20151128/3/

【さらに、光悦書の巻物作品で《花卉摺絵新古今集和歌巻》というのがあります。梅、藤の花、竹、芍薬、蔦の5種類の植物が巻物の下絵にあらわされ、その上に書が描かれています。この植物の模様も木版で、木版に金や銀を塗り、紙に押してあります。藤の部分などは同じ版木を何度も使って、連続模様が作られています。同様の金銀泥摺りの巻物は人気があったらしく、かなりの数の作品が伝わっています。あるいは、尾形家にもあったんじゃないか。そして光悦謡本の雲母摺りに関心を寄せていた光琳は、こういう金銀泥摺りの巻物における版木の使用、連続模様の視覚的効果にも興味を持っていたのではないか。】

料紙(りょうし)

【 書きものをするための紙。平安時代に上流社会で多くの紙が消費されるようになると、料紙は詩歌を美しく書くため、さらに紙質が重んじられるようになり、美意識の対象となった。なかでも奈良時代からの染め紙は色紙(しきし)として形式化され、美しくしかも薄く漉(す)ける流し漉きの技法と染色技術が組み合わさって、打曇(うちぐもり)(内曇)、飛雲(とびくも)、羅文紙(らもんし)などの漉き模様紙や、金、銀の砂子(すなご)、切箔(きりはく)、野毛(のげ)などによる加工紙、また墨流(すみなが)し、切り継(つ)ぎ、破り継ぎ、重ね継ぎなどの技法による継ぎ紙など、多種多様の料紙が工芸美術として発達した。これらは書道の発展とも関連して、現在までに多くの傑作が残されている。[町田誠之] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ) 】

(追記)

花卉摺絵古今.jpg

「花卉摺絵古今集和歌巻」(出光美術館)寛永5年(1628)1巻 縦33.7 横465.3
〔墨書〕(上略) 寛永五年八月日 鷹峯山大虚庵 歳七十有一
(下絵・俵屋宗達、書・本阿弥光悦)

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