SSブログ

琳派とその周辺(その十二)池田孤邨「隅田川遠望図(酒井抱一賛)」 [琳派とその周辺]

(その十二)池田孤邨筆「隅田川遠望図」(酒井抱一賛)

孤邨・隅田川遠望図.jpg

池田孤邨筆「隅田川遠望図」(酒井抱一賛)一幅 絹本淡彩色 文政九年(一八二六)
五五・五×一〇七・六㎝ 江戸東京博物館蔵
【 抱一は、夕暮れ時の舟中で酒肴を愉しんだ孤邨らの隅田川周遊を、中国北宋の文人・蘇東坡が詠んだ「赤壁賦」に見立てた。自らは参加できなかったものの、気持ちの赴くまま、末尾に「くれぬ間に 月は懸れり 冬木立」の一句を詠じている。 】
(『別冊太陽 江戸琳派の美』所収「江戸琳派における師弟の合作(久保田佐知恵稿)」)

 池田孤邨が、この隅田川遠望図」を描いた文政九年(一八二六)は、孤邨、二十四歳のときで、抱一は六十六歳になっている。その抱一の賛には、「冨士有り、筑波あり、観音精舎のかねの声は漣波に響き、今戸の瓦やく烟、水鳥の魚鱗鶴翼に飛廻るは、筆頭にも尽かたきを、門人孤邨が一紙のうちに写して」と、隅田川近郊の見どころを一つ一つ丁寧に取り上げて、その趣を巧みに表現した孤邨の画技を褒め称えているようである(「久保田・前掲稿」)。
 そして、その最後に、「くれぬ間に 月は懸れり 冬木立」の一句で、この賛を結んでいる。この二年後に、抱一は亡くなっており、孤邨にとっては、老師・抱一の、この情の細やかな賛は、終生の忘れ得ざるものとなったことであろう。

  くれぬ間に 月は懸かれり 冬木立  抱一

 この抱一の一句は、上記の「隅田川遠望図」上の、右側の孤邨の落款が記載してある、「冬木立と人影」、そして、遠くに「筑波」が見えるあたりを一句にしたのであろう。

広重・筑波.jpg

安藤広重 「名所江戸百景 隅田川水神の森真崎」(満開となった桜の花。遠方に隅田川、筑波山を望む。) (「太田記念美術館」蔵)

(追記一) 抱一の「賛」の全文は次のとおりである。

 是歳丙戌冬十一月桐生の竹渓
 貞助周二の二子をともなひ墨水
 舟を泛夕日の斜ならんとするに
 猶綾瀬に逆のほり舟中使者
 有美酒有網を挙れハ巨□
 細鱗の魚を得陸を招けは
 □□葡萄の酒傍らに奉る
 嗚呼吾都会の楽ミ何そ蘇子か
 赤壁の遊ひに異ならんや
 冨士有筑波有観音精舎の
 かねの聲は漣波に響き 今戸
 の瓦やく烟水鳥の魚鱗鶴翼に
 飛廻るは草頭にも盡
 かたきを門人孤邨か
 一紙のうちに冩して予に
 此遊ひを記せよといふ予
 その日の逍遥に
 もれたるも名残なく
 其意にまかせて
 俳諧の一句を吃く
  くれぬ間に
   月は懸れり
    冬木立
 抱一漫題「雨華菴」(朱文扇印)「文詮」(朱文瓢印) 

 孤邨の落款は、「蓮葊孤邨筆」の署名と「穐信」(朱文重郭印)である。なお、抱一の「賛」中の、「竹渓」は、桐生の「書上(かきあげ)竹渓」(絹の買次商・書上家の次男)で、市川米庵にも学ぶ文化人という。桐生は佐羽淡斎を通じて抱一とは関わりの深いところで、抱一を慕う者が多かったようである。
(『酒井抱一と江戸琳派の全貌(松尾知子・岡野智子編)』所収「作品解説115(岡野智子稿)」)

(追記二) 抱一にも、隅田川と今戸の瓦焼の窯、そして、筑波遠望を描いた屏風絵がある。

酒井抱一筆「隅田川窯場図屏風」(六曲一双) DIC川村美術館蔵

http://houitu.com/houitu1.htm

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:アート

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。