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江戸の粋人・酒井抱一の世界(その十二)  [酒井抱一]

その十二 江戸の粋人・抱一の描く「その二 吉原月次風俗図(二月・初午)」

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酒井抱一筆「吉原月次風俗図」(二月「初午」)十二幅うち一幅(旧六曲一双押絵貼屏風) 紙本淡彩 九七・三×二九・二(各幅)落款「抱一書畫一筆」(十二月)他 印章「抱一」朱文方印(十二月)他
【二月(初午)「きさらぎ 初のうま 当社の御額は廣澤老住のくろすけいなりと七字を記せり/青柳や 稲荷の額のあふな文字」と賛があり、「黒助いなり大明神」と墨書した提灯を掛け並べた様が描かれる。黒助稲荷は遊里の繁栄とそこに暮らす人々の幸運を頼む小社であった。】
(『琳派第五巻(監修:村島寧・小林忠、紫紅社)』所収「作品解説(小林忠稿)」)

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(上の図の「上部(賛)」の部分図)

 「吉原月次風俗図」(二月「初午」)の上部に書かれている、この賛が、「きさらぎ 初のうま 当社の御額は 廣澤老住の くろすけいなりと 七字を記せり/青柳や稲荷の額のあふな文字」との抱一の書である。
 そして、この抱一の発句(俳句)、「青柳や稲荷の額のあふな文字」の「おふな(女)文字」というのは、「女性が書いた文字」の意ではなく、その前段の前書きに書かれている、「廣澤老住の『くろすけいなり』」の、「平仮名の文字」の意なのであろう。

【 二月 初午。「伊勢屋いなりに犬の糞」といわれた江戸には稲荷の社が特に多かった。吉原にも四隅に四社の稲荷が祀られ、中でも京町一丁目の隅の九郎助稲荷が繁盛であった。「此夜江戸町一丁め二丁め京丁新丁の通りの中へ、家々の女郎の名を書きつけたる大提灯をともす事おひたゞし、是はいなりへの奉納の為なり、…… 客女郎打まじりさんけいはなはだくんじゆす」(吉原大全) 】
(「国文学解釈と鑑賞:川柳・遊里誌:昭和三八・二」)

吉原図.jpg

『吉原御免状(隆慶一郎著)』
https://choitoko.com/geino/rakugo/post-5241/

 上記の「新吉原見取り図」の左上隅が「黒助(九郎助)稲荷」で、その郭内の四隅には稲荷が祀られている。なお、廓内の「茶屋」は「引手茶屋」、廓外の「編傘茶屋」(顔を隠す編笠を貸していた茶屋」)は「外茶屋」(「水茶屋」「田楽茶屋」「料理茶屋」など)で、廓内の茶屋とは区別される。この廓外の「吉徳稲荷」が明治になって合祀され「吉原神社」となっている。

 初午は角ミつこばかりさわがしい    (『柳多留一七』二三)
 きつねさへしろうとでない所なり    (『柳多留一九』二一)
 九郎介へ化けて出たいの願(がん)ばかり(『柳多留拾遺一四』)
 九郎介を見かぎるような願(がん)ばかり(『柳多留拾遺一四』)
 九郎介はどうぞと思ふ願(がん)ばかり (『柳多留拾遺一四』)
 九郎介へ代句だらけの絵馬の上     (『柳多留初編』二)

 この「黒助(九郎助)稲荷」は「縁結び」の稲荷として知られ、また、遊女が「俳句などを奉納した」句なども見られる。

  青柳や稲荷の額のあふな文字  (抱一)

 この抱一の句の「あふな(女)文字」にも、吉原の遊女たちの「願(がん)掛け」の、その「願(がん)」が聞き入れられるようにとの意を含ませての、抱一の視点のようにも解せられる。また、この「黒助(九郎助)稲荷」も、抱一と小鶯女史との何らかの所縁の深い所なのかも知れない。
 さらに、この「吉原月次風俗図」(二月「初午」)の「平仮名(女文字)」の賛は、その前に書かれている「正月(元旦)」の、次の「隷書体(男文字)」の題字と、いわゆる、連歌・俳諧(連句)上の「四道」(添・随・放・逆)の「逆付け」を踏まえてのような雰囲気も有している。

一月部分図.jpg

「吉原月次風俗図」(正月「元旦」)の題字
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