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雨華庵の四季(その十八) [雨華庵の四季]

その十八「冬(四)」

花鳥図巻冬四.jpg

酒井抱一筆『四季花鳥図巻(上=春夏・下=秋冬)』「冬(四)」東京国立博物館蔵
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0035829

花鳥図巻冬四拡大.jpg

同上:部分拡大図

 酒井抱一筆『四季花鳥図巻(上=春夏・下=秋冬)』)の、その「上・下」の最終を飾るものである。雪を被った梅の木の背後に、雪除けの菰(こも)かぶりの「水仙」が鮮やかに描かれている。その左脇に、「文化戊寅晩春 抱一暉真写之」の隷書による署名と、「雨華」(朱文内鼎方印)「文詮」(朱文瓢印)が捺されている。
 この「文化戊寅」は、改元されて「文政元年」(一八一九)、抱一、五十八歳の時である。この年の「年譜」(『酒井抱一と江戸琳派の全貌(求龍堂)』所収)に、「四月、酒井鶯蒲を妙華尼(小鶯女史)の養子とする。唯信寺と号す」とある。
 「水仙花」は晩冬の季語で、「雪中花」の異称もあり、その異称は、雪の残る寒さの中に春の訪れを告げる花ということで、この上記図中の前図で紹介した「雪中鶯」「雪中梅」と三幅対という趣を有している。
 しかし、「雪中鶯」「雪中梅」は、『万葉集』以来の和歌・連歌で詠み継がれてきた、季題・季語の頂点に位置するような詠題であるのに比して、この「雪中花」の異称を有する「水仙花」が登場するのは、近世の俳諧(連句・発句=俳句)時代以降という、極めて新しい詠題ということになる。
 ちなみに、『万葉集』で詠まれている花木・草花は、「梅(九十七)・萩(九十四)、橘(四十五)、桜(三十八)、撫子(二十)、卯の花(十七)、藤(十三)、山吹(十二)、尾花・女郎花・菖蒲(七)、百合(六)」の順(上位十位)となっている『花 美への行動と日本文化(西山松之助著・NHKブックス))。
 『古今集』では、「桜、梅、女郎花、菊、萩、山吹、橘、藤袴、花薄、撫子」の順で、『源氏物語』『枕草子』では、「木の花は、紅梅・桜・藤・橘・梨・桐・楝(あふち)、草の花は、撫子・女郎花・桔梗・朝顔・苅萱・菊・壺菫・竜胆・かまつか・かにひ・萩・夕顔」などで盛んに「歌合せ」が興じられているとの記述がなされている(『西山・前掲書』)。
 ここで、スタート時点に戻って、この『四季花鳥図巻(上=春夏・下=秋冬)』の全絵図を見て行くと、「花木・草花」関連のものは、上記の『万葉集』『古今集』『源氏物語』『枕草子』などに顔を出している、所謂、「和歌・連歌」以来の景物という印象が強いのだが、この最終ゴール地点の、この「水仙花・雪中花」は、所謂、次の時代の新しい「俳諧(連句・発句=俳句)」の、その夜明けを告げるような景物という印象を深くする。

【 「絵画の世界」山根有三氏(美術史学者)
奈良時代の絵には花や草木がない。平安の大和絵には四季にわたる草花が描かれたが、それらを主題にした絵は工芸品の模様のほかにはない。鎌倉末期から室町にかけて漢画の影響による「花鳥画」が現れた。水墨画が入ってきたことによって、日本の自然観も変化も生じ、松の枝ぶりのよさに対する目は、宋元水墨画によって開かれたといってよい。安土桃山時代には花鳥画から花木図が独立し、絢爛たる花の饗宴・美しい色の乱舞する明るく健康な世界が現出した。桃山の武将たちは、松・檜・桜などの大木も、町衆たちは草花を愛した。宗達は町衆で彼ほど多くの草花を描いた者はいない。彼は草花と遊んだ。しかし、光琳は自然を深く鋭い目で観察し、それを組合わせる構成のきびしさをもっていた。情趣や季節感も失いたくないが、光琳のきびしさをもちたい。  】
(『西山・前掲書』所収「花と日本文化」)

四季屏風冬拡大.png

酒井抱一筆「四季花鳥図屏風(左隻部分拡大図)」六曲一双 陽明文庫蔵
文化十三年(一八一六)
【「文化丙子晩冬抱一写鶯邨書房」と三行にわたる大きな落款、その書きぶりからも、光琳百回忌から一年、抱一は五十六歳、大きな晴れの機会を得て決定的な型を打ち出そうとした感がある。各種の箔や砂子で複雑な輝きをつくる金地に制度の高い鮮烈な色彩が冴え、各所に効果的に配された白色などは眩しいほどである。  】
(『酒井抱一と江戸琳派の全貌(求龍社)』所収「図版解説(松尾知子稿))

 ここに、『四季花鳥図巻』最終ゴール地点の「水仙花・雪中花」が描かれている。この「水仙」の手前と左側の藪柑子に配した、雪を被った土坡は、宗達の土坡の応用であろう。そして、雪に覆われた藪柑子の上に描かれているの「白梅と鶯」、その左方の「枯れた榛(はしばみ)」、また、水仙の後ろの「流水」、その上方の、秋の景の「篠竹・葛・河骨・沢瀉」などは、光琳(そして、宗達)の応用なのであろう。
 ここで、前掲の「花と日本の文化」の「絵画の世界」(山根有三稿)の「宗達は町衆で彼ほど多くの草花を描いた者はいない。彼は草花と遊んだ。しかし、光琳は自然を深く鋭い目で観察し、それを組合わせる構成のきびしさをもっていた。情趣や季節感も失いたくないが、光琳のきびしさをもちたい」を、それを心底深く実践した人こそ酒井抱一ということになろう。そして、抱一は、宗達・光琳の「日本の花鳥の世界」に、新たなる、「水仙の世界」、即ち、宗達・光琳等々の「和歌・連歌」以来の世界に、新しい「俳諧(連句・発句=俳句)」の、その夜明けを告げるような世界を切り拓いていったということになる。

水仙(晩冬・「水仙花・雪中花・野水仙」)「ヒガンバナ科の多年草。花の中央には副花冠という部分が襟のように環状に立つ。ラッパ形のもの、八重のものなどがあり、すがすがしい芳香をもつ。」
 初雪や水仙の葉のたわむまで     芭蕉「あつめ句」
 水仙や白き障子のとも映り       芭蕉 「笈日記」
 その匂ひ桃より白し水仙花      芭蕉 「笈日記」
 水仙に狐遊ぶや宵月夜        蕪村 「五車反故」
 水仙や美人かうべをいたむらし    蕪村 「蕪村句集」
 水仙や鵙の草ぐき花咲ぬ       蕪村 「蕪村句集」
 水仙や寒き都のこゝかしこ      蕪村 「蕪村句集」
 水仙や花やが宿の持仏堂       蕪村 「夜半叟句集」

(参考)

新元号「令和」に由来する『万葉集巻五』「梅花の歌三十二首 序を并せたり」(全文・全句)
  (『対訳古典シリーズ万葉集(上)桜井満訳注・旺文社』)

天平二年の正月の十三日に、帥(そち)の老の宅へあつまりて、宴会(うたげ)を申(ひら)きき。
時に、初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(ふん)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香を薫らす。しかのみにあらず、曙(あけぼの)の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きぬがさ)を傾(かたぶ)け、夕の岫(くき)に霜結び、鶏はうすものに封(と)ぢられて林に迷ふ。庭には舞う新蝶(しんてふ)あり、空には帰る故雁(こがん)あり。
ここに、天を蓋(やね)とし、地を坐(しきゐ)とし、膝を促(ちかづ)け觴(さかづき)を飛ばす。言(こと)を一室の裏(うち)に忘れ、衿(きん)を煙霞(えんか)の外に聞く。淡然(たんぜん)に自らを放(ほしいまま)にし、快然(くわいぜん)に自ら足る。
若し翰苑(かんえん)にあらずは、何を以て情(こころ)をのべむ。詩に落梅の篇を紀(しる)す。古と今とそれ何ぞ異ならむ。宜しく園の梅を賦(ふ)して、いささかに短詠(たんえい)を成すべし。

八一五 正月(むつき)立ち春の来たらばかくしこそ梅を招きつつ楽しき終へめ(大弐紀卿)
八一六 梅の花今咲けるごと散り過ぎずわが家(へ)の園にありこせぬかも(少弐小野大夫)
八一七 梅の花咲きたる園の青柳はかづらにすべくなりにけらずや(少弐粟大夫)
八一八 春さればまづ咲くやどの梅の花ひとり見つつや春日暮らさむ(筑前守山上大夫)
八一九 世の中は恋繁しゑやかくしあらば梅の花にもならましものを(豊後守大伴大夫】
八二〇 梅の花 今盛りなり思ふどちかざしにしてな今盛りなり(筑後守葛井大夫)
八二一 青柳 梅との花を折りかざし飲みての後は散りぬともよし(笠沙弥)
※※八二二  わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも (主人=大伴旅人)
※八二三  梅の花 散らくはいづくしかすがにこの基の山に雪は降りつつ(大監伴氏百代)
※八二四  梅の花 散らまく惜しみわが園の竹の林にうぐひす鳴くも(少監阿氏奥島)
八二五   梅の花咲きたる園の青柳をかづらにしつつ遊び暮らさな(少監土氏百村)
八二六   うちなびく春の柳とわがやどの梅の花とをいかにかわかむ(大典史氏大原)
※八二七  春されば木末隠れてうぐひすぞ鳴きて去ぬなる梅が下枝に(少典山氏若麻呂)
八二八  人ごとに折りかざしつつ遊べどもいやめづらしき梅の花かも(大判事丹氏麻呂)
八二九 梅の花 咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべくなりにてあらずや(薬師張氏福子)
八三〇 万代に年は来経とも梅の花絶ゆることなく咲きわたるべし(筑前介佐氏子首)
八三一 春なればうべも咲きたる梅の花 君を思ふと夜眠も寝なくに(壱岐守板氏安麻呂)
八三二 梅の花 折りてかざせる諸人は今日の間は楽しくあるべし(神司荒氏稲布)
八三三 毎年に春の来たらばかくしこそ梅をかざして楽しく飲まめ(大令史野氏宿奈麻呂)
八三四 梅の花今盛りなり百鳥の声の恋しき春来たるらし(少令史田氏肥人)
八三五 春さらば逢はむと思ひし梅の花今日の遊びに相見つるかも(薬師高氏義通)
八三六 梅の花手折りかざして遊べども飽き足らぬ日は日にしありけり(陰陽師礒氏法麿)
※八三七 春の野に鳴くやうぐひす馴けむとわが家の園に梅が花咲く(算師志氏大道)
※八三八 梅の花散りまがひたる岡べにはうぐひす鳴くも春かたまけて(大隅目榎氏鉢麿)
※八三九 春の野に霧立ちわたり降る雪と人の見るまで梅の花散る(筑前目田氏真上)
八四〇 春柳 かづらに折りし梅の花誰か浮かべし酒杯の上に(壱岐目村氏彼方)
※八四一 うぐひすの音聞くなへに梅の花 我家の園に咲きて散る見ゆ(対馬目高氏老)
※八四二 わがやどの梅の下枝に遊びつつ鶯鳴くも散らまく惜しみ(薩摩目高氏海人)
八四三 梅の花折りかざしつつ諸人の遊ぶを見れば都しぞ思ふ (土師氏御道)
※八四四 妹が家に雪かも降ると見るまでにここだもまがふ梅の花かも【小野氏国堅】
※八四五 鶯の待ちかてにせし梅が花散らずありこそ思ふ子がため(筑前掾門氏石足)
(注 上記の※は、「旅人の歌=※※」と「雪・鶯が詠出されている歌=※」)
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