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酒井抱一の「綺麗さび」の世界(四) [抱一の「綺麗さび」]

その四  「扇面散図屏風」(抱一筆)

抱一・扇面散図屏風.jpg

酒井抱一筆「扇面散図屏風」(二曲一隻? 北野美術館蔵) → A図

http://kitano-museum.or.jp/collection/arts/429/

 『琳派五・総合(紫紅社刊)』所収「作品解説(三十四)」に、下記の二曲一双の「扇面散図屏風」(酒井抱一筆)が紹介されている。

抱一・扇面散図屏風二.jpg

酒井抱一筆「扇面散図屏風」(二曲一双 絹本著色 各隻一七〇・一×一七九・〇cm 落款「抱一筆(左隻)」 印「文詮」朱方印(左隻) 個人蔵 )→ B図

 この両図(A図とB図)を見比べていくと、二曲一隻(A図)と二曲一双(B図)とは、同じような構図で、同じような図柄なのだが、その仕上げの形式から必然的に相違しているのが明瞭となってくる。
 まず、流水(A図一・二扇)は、(B図=右隻一・二扇と左隻一扇)と右隻と左隻との繋がっている。同様に、(B図=右隻二扇と左隻一扇)とが繋がっているように、両隻に跨っての扇面画の描写になっている。
 そして、これらは、屏風に扇子(扇面画)そのものを貼付したものではなく、これらの扇子(全開・半開・全閉・正面・逆さ・横向き・斜め向き等々)は全て手描きのものなのであろう。
 この種のものには、「扇面散貼付」屏風と「扇面散図」屏風とがあり、前者は扇面画を貼付して仕上げたもの、後者は画中画のように扇面画を手描きして仕上げたものとがある。上記の二図(A図・B図)は、「扇面散貼付屏風」ではなく、「扇面散図屏風」で、扇面画を貼付して仕上げたものではなかろう。
 これらの「扇面屏風」というのは、俵屋宗達(宗達派の「伊年」印)以来、「宗達→光琳→抱一」の、琳派の主要なレパートリー(得意とする分野)の一つで、多種多様なものを目にするが、例えば、扇面画を貼付して、その「扇骨」などは手描きしたものなど、その制作時には、どのような仕上げのものであったかは、判然としないものが多い。
 ここで、改めて両図(A図とB図)を見ていくと、次のようなことが見えてくる。

一 この両図(A図とB図)とも、全体的(流水図・扇面画等)に、光琳風で、例えば、前回紹介した「扇面雑画(一)・白梅図」(「扇面雑画(六十面)の一面」)などとは、異質の世界という印象を深くする。
二 この両図(A図とB図)の「流水図」とその「(各)扇面画」の描写だけを見ても、抱一の光琳画の縮図帖ともいうべき『光琳百図』などを念頭に置いてのものというのは一目瞭然であろう。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/850491


抱一・光琳百図・扇面画.jpg

国立国会図書館デジタルコレクション『光琳百図』(23/89)

三 抱一が、光琳百回忌の法会を修し、『光琳百図』を刊行と合わせ「光琳遺墨展」を開催したのは、文化十二年(一八一五)、五十五歳のときであった。この「光琳遺墨展」には、抱一が各所蔵者から借り受けたものなど、光琳の作品が四十二点陳列されている。その中に、「扇面十枚」が、その出品目録に収載されている(『抱一派花鳥画譜三(紫紅社)』所収「本文・図版解説(中村渓男稿)」)。上記の『光琳百図』の扇面画の幾つかは、その「光琳遺墨展」も陳列されたのであろう。

四 この光琳百回忌のイベントが開催された文化十二年(一八一五)当時、抱一の付人で門弟の鈴木蠣潭(二十四歳)、そして、蠣潭没後、抱一の付人となる鈴木其一(二十歳、十八歳のとき内弟子となる)は、抱一の傍らにあって、抱一の画業を陰に陽に支えたのであろう。

五 抱一の「扇面屏風」は、この種の「扇面散図屏風」よりも「扇面散貼付屏風」(各扇面画に落款が施されている)の方が点数は多いと思われるが、抱一(雨華庵一世)没後、雨華庵二世を継受する酒井鶯蒲(抱一没年時、二十一歳)に、「扇面散図屏風」(二曲一隻・東京国立博物館蔵)があり、抱一から鶯蒲へ、この種のものが継受されていることの一端が知られてくる。

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