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抱一筆『集外三十六歌仙図画帖』周辺(その十二) [三十六歌仙]

その十一 宗養(宗羪)と北条氏康

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抱一筆『集外三十六歌仙図画帖』所収「十二 宗養」(姫路市立美術館蔵)
https://jmapps.ne.jp/hmgsbj/det.html?data_id=1480

北条氏康.jpg

抱一筆『集外三十六歌仙図画帖』所収「三十 北条氏康」(姫路市立美術館蔵)
https://jmapps.ne.jp/hmgsbj/det.html?data_id=1500


(歌合)

歌人(左方十二) 宗養(宗羪)
歌題 旅泊霰
和歌 風まぜにあられたばしるささ枕 ゆめもむすばぬ旅寝わびしき
歌人概要  連歌師宗牧の子宗養か。

歌人(右方三十) 北条氏康
歌題 閑居
和歌 中々にきよめぬ庭はちりもなし かぜにまかする山の下庵
歌人概要 戦国期の武将、小田原城主  

(歌人周辺)

谷宗養(たにそうよう)生年:大永6(1526)  没年:永禄6.11.18(1563.12.3)

 戦国時代の連歌師。無為,半松斎とも号す。連歌界の実力者である谷宗牧の子で,天文11(1542)年には連歌論の『当風連歌秘事』を父から与えられており,後継者たるべく育てられた。宗牧が死に臨んで古今伝授の相伝文書が入った箱に辞世歌を添え,近衛稙家に宗養の庇護を頼んだことは有名である。
 宗牧時代からの有力連歌師寿慶,里村昌休が没した天文20年代(1551~55)には連歌界の第一人者となり,近衛稙家,三条西公条,三好長慶らと交際するも早世した。著書に昌休と共著の『連歌天水抄』などがあるが,宗養独自の連歌論と呼べるものはほとんどない。<参考文献>木藤才蔵『連歌史論考』下  (伊藤伸江)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典につい

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/ujiyasu.html


北条氏康(ほうじょううじやす) 永正十二~元亀二(1515-1571)

 相摸小田原城主。氏綱の嫡男。母は伊豆の地侍朝倉氏の娘。氏政・氏照の父。天文十年(1541)、父が没し、家督を継ぐ。同十四年、今川義元と合戦するが、武田信玄の仲介により和睦。同十二年、上杉憲政を上野国平井城に攻め、上杉氏の所領を併合する。同二十三年、駿河国善徳寺で武田信玄・今川義元と会し、同盟を締結、関東での地位を確立した。同年、下総の古河城を攻略し、足利晴氏を放逐。弘治二年(1556)、相模に進攻した安房の里見義弘を城ヶ島に迎え撃つ。
 永禄二年(1559)、嫡子氏政に家督を譲る。永禄四年(1561)、上杉謙信に小田原を攻められるが、籠城して撤退に追い込んだ。翌年、信玄と組んで太田資正の松山城を陥落させる。同七年、里見義弘を国府台に破る。武田氏の今川氏攻略によって三国同盟が破れたのちは謙信と和睦する。
 元亀二年(1571)十月、氏政を常陸の佐竹義重に出陣させた後、病没。五十七歳。墓所は箱根の早雲寺。民政にも手腕を発揮し、和歌など文事にも優れた。

(宗養と北条氏康)

 宗養は、戦国時代の連歌師。当時の連歌界の第一人者の宗牧の後継子で、若くして連歌界の第一人者になったが、三十八歳の若さで夭逝した。
 北条氏康も、宗養と同時代の戦国時代の小田原城主で武将。父の氏綱は「二世氏綱君は父(北条早雲)のあとをよく守って後嗣としての功があった」との名君。氏綱は若い氏康の器量を心配して、死の直前の天文10年(1541年)5月に氏康に対して5か条の訓戒状を伝えている。
「5か条の訓戒状」(要旨)

一、大将から侍にいたるまで、義を大事にすること。たとえ義に違い、国を切り取ることができても、後世の恥辱を受けるであろう。
一、侍から農民にいたるまで、全てに慈しむこと。人に捨てるようなものはいない。
一、驕らずへつらわず、その身の分限を守るをよしとすべし。
一、倹約に勤めて重視すべし。
一、いつも勝利していると、驕りが生まれ、敵を侮ったり、不行儀なことがあるので注意すべし。

(北条氏康の一句)

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/ujiyasu.html

雪折の竹の下道ふみわけてすぐなる跡を世々に知らせむ(『戦国時代和歌集』)

【通釈】雪の重さで折れる竹の下を通る道を踏み分けて、まっすぐ歩んで来た足跡を、後の世の人々に知らせよう。
【補記】「すぐなる跡」とは、誠心を尽した己が人生の行跡を言う。川田順編『戦国時代和歌集』より。同書によれば『武林拾葉』に「竹のした」と題して出ているという。
【本歌】後鳥羽院「新古今集」
奥山のおどろが下もふみわけて道ある代ぞと人に知らせん

(「バーチャル歌合」(「三好長慶」対「毛利元就」)

歌人(左方十二) 宗養(宗羪)
歌題 旅泊霰
和歌 風まぜにあられたばしるささ枕 ゆめもむすばぬ旅寝わびしき

歌人(右方三十) 北条氏康
歌題 閑居
和歌 中々にきよめぬ庭はちりもなし かぜにまかする山の下庵

(判詞=宗偽) 

「左方」の歌、「旅泊霰」の題を得て、上の句の「風まぜにあられたばしるささ枕」の「あられたばしるささ枕」、下の句の「ゆめもむすばぬ旅寝わびしき」の「ゆめもむすばぬ」は秀抜である。「右方」の歌、「閑居」の題にて、上の句の「中々にきよめぬ庭はちりもなし」の嘱目の景を、下の句の「かぜにまかする山の下庵」の「かぜにまかする」と、「閑居」の心象の景へと転じたのは秀抜である。依って、「持」(引き分け)とす。

(参考)→(集外三十六歌仙 / 後水尾の上皇 [編]) → 早稲田図書館蔵(雲英文庫)

http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko31/bunko31_e0028/index.html

宗養二.jpg

宗養(宗羪)(狩野蓮長画)

北条氏康二.jpg

北条氏康(狩野蓮長画)
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