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抱一筆『集外三十六歌仙図画帖』周辺(その十八) [三十六歌仙]

その十八 木下長嘯子と松永貞徳

木下長嘯子.jpg

抱一筆『集外三十六歌仙図画帖』所収「十八 木下長嘯子」(姫路市立美術館蔵)
https://jmapps.ne.jp/hmgsbj/det.html?data_id=1486

松永貞徳.jpg

抱一筆『集外三十六歌仙図画帖』所収「三十六 松永貞徳」(姫路市立美術館蔵)
https://jmapps.ne.jp/hmgsbj/det.html?data_id=1506

(歌合)

歌人(左方十八) 木下長嘯子
歌題 月思往事
和歌 世々の人の月はながめしかたみぞと おもへばおもへばぬるる袖かな
歌人概要  桃山~江戸前期の武将、歌人

歌人(右方三十六) 松永貞徳
歌題 月
和歌 雲と見えばこよひの月にうからまし よしや吉のの桜なりとも
歌人概要 江戸前期の俳人、歌人  

(歌人周辺)

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tyousyou.html

木下長嘯子(きのしたちょうしょうし)永禄十二~慶安二(1569~1649) 号:挙白堂・天哉翁・夢翁

本名、勝俊。木下家定の嫡男(養子)。豊臣秀吉夫人高台院(北政所ねね)の甥。小早川秀秋の兄。秀吉の愛妾松の丸と先夫武田元明の間の子とする伝もある。歌人木下利玄は次弟利房の末裔。
幼少より秀吉に仕え、天正五年(1587)龍野城主に、文禄三年(1594)若狭小浜城主となる。秀吉没後の慶長五年(1600)、石田三成が挙兵した際には伏見城を守ったが、弟の小早川秀秋らが指揮する西軍に攻められて城を脱出。
 戦後、徳川家康に封地を没収され、剃髪して京都東山の霊山(りょうぜん)に隠居した。本居を挙白堂と名づけ、高台院の庇護のもと風雅を尽くした暮らしを送る。高台院没後は経済的な苦境に陥ったようで、寛永十六年(1639)頃には東山を去り、洛西小塩山の勝持寺の傍に移る。この寺は西行出家の寺である。慶安二年六月十五日、八十一歳で没。
 歌は細川幽斎を師としたが、冷泉流を学び、京極為兼・正徹などに私淑した。寛永以後の地下歌壇では松永貞徳と並称される。中院通勝・冷泉為景・藤原惺窩らと親交があった。門弟に山本春正・打它公軌(うつだきんのり)・岡本宗好などがいる。また下河辺長流ら長嘯子に私淑した歌人は少なくなく、芭蕉ら俳諧師に与えた影響も大きい。他撰の家集『若狭少将勝俊朝臣集』(『長嘯子集』とも)、山本春正ら編の歌文集『挙白集』(校註国歌大系十四・新編国歌大観九などに所収)がある。

松永貞徳(まつながていとく) [生]元亀2(1571).京都 [没]承応2(1653).11.15. 京都

 江戸時代前期の俳人,歌人,歌学者。名,勝熊。別号,逍遊軒,長頭丸,延陀丸,花咲の翁など。連歌師の子として生れ,九条稙通 (たねみち) ,細川幽斎らから和歌,歌学などを,里村紹巴から連歌を学び,一時豊臣秀吉の祐筆となった。貞門俳諧の指導者として,俳諧を全国的に普及させた功績は大きく,松江重頼,野々口立圃,安原貞室,山本西武 (さいむ) ,鶏冠井 (かえでい) 令徳,高瀬梅盛,北村季吟のいわゆる七俳仙をはじめ多数の門人を全国に擁した。
 歌人としては木下長嘯子とともに地下 (じげ) 歌壇の双璧をなし,門下に北村季吟,加藤磐斎,和田以悦,望月長好,深草元政,山本春正らがいる。狂歌作者としても一流であった。俳書に『新増犬筑波集』 (1643) ,『御傘 (ごさん) 』,『紅梅千句』 (55) ,歌集に『逍遊愚抄』 (77) ,歌学書に『九六古新注』 (70) ,『堀川百首肝要抄』 (84) ,狂歌書に『貞徳百首狂歌』 (36成立) などがある。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について

(バーチャル歌合)

歌人(左方十八) 木下長嘯子
歌題 月思往事
和歌 世々の人の月はながめしかたみとぞ おもへばおもへぬるる袖かな(A)
   世々の人の月はながめしかたみぞと おもへばおもへばぬるる袖かな(B)※

歌人(右方三十六) 松永貞徳
歌題 月
和歌 雲と見へずこよひの月にうからまし よしや吉のの桜なりとも (C)
雲と見えばこよひの月にうからまし よしや吉のの桜なりとも (D)※

(「バーチャル歌合」の「判詞=宗偽」の前に)

 上記の、「世々の人の月はながめしかたみとぞ おもへばおもへぬるる袖かな(A)」と「雲と見へずこよひの月にうからまし よしや吉のの桜なりとも(C)」 は、 『酒井抱一と江戸琳派の全貌』所収「酒井抱一筆『集外三十六歌仙』和歌翻刻」をベースにしたものである。
 それに対して、「世々の人の月はながめしかたみぞと おもへばおもへばぬるる袖かな(B)」と「雲と見えばこよひの月にうからまし よしや吉のの桜なりとも(D)」は、「続々群書類従本」による、次のアドレスのものを出典としている。

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/ex36k.html#18

 ここは、上記のアドレスによる、次の二首での「判詞=宗偽」としたい。

   月思往事
世々の人の月はながめしかたみぞと おもへばおもへばぬるる袖かな(B)※
   月
雲と見えばこよひの月にうからまし よしや吉のの桜なりとも   (D)※

(判詞=宗偽)

   月思往事(木下長嘯子)
世々の人の月はながめしかたみぞと おもへばおもへばぬるる袖かな(B)※
   月(松永貞徳)
雲と見えばこよひの月にうからまし よしや吉のの桜なりとも   (D)※

 この二首、「月思往事(木下長嘯子)」((B)※)を「勝」とす。その理由は、「世々の人の」の「字余り」、「おもへばおもへば」の「字余り」の、この「字余り」に、「無限」の「月思往事」が詠出されている。

(「木下長嘯子」の辞世の歌)

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tyousyou.html#LV

 辞世
王公といへども、あさましく人間の煩をばまぬがれず何の益なし。すべて身の生まれ出でざらんには如かじ。まして卑しく貧しからんは言ふに足らず。されば死はめでたきものなり。ふたたびかの古郷にたちかへりて、はじめもなく、をはりもなき楽しびを得る。この楽しみをふかく悟らざる輩、かへりて痛み歎く。をろかならずや。

露の身の消えてもきえぬ置き所草葉のほかにまたもありけり(挙白集)

あとまくらも知らず病み臥せりて、口に出るをふと書きつくる。人わらふべきことなりかし。

【通釈】(文)王や大臣と言えども、浅ましくも人間の煩わしさを免れず、地位などは何の益もない。大体、生まれて来ないのに越したことはあるまい。まして私のように身分卑しく貧しい者は言うまでもない。だから死はめでたいものである。生まれ出た原郷に再び帰って、始まりもなく終りもない楽しみを得る。この楽しみを深く悟らないやからは、かえって嘆き悲しむ。愚かではないだろうか。

(歌)露のようにはかない身が消えても、消えずに残る置き所。草葉のほかにもまたあるのだった。我が袖に置いた涙の露よ。

(文)前後もなく病み臥せって、口をついて出たのをふと書き付けておく。お笑い種にちがいない。

【補記】『挙白集』最終巻(巻十)の巻末に収められた歌文。長嘯子はその後まもなく死去し、遺言に基づき一本の松のもとに葬られたという。

【本歌】殷富門院大輔「時代不同歌合」「続古今集」
きえぬべき露の憂き身のおき所いづれの野辺の草葉なるらん

( 貞徳翁独吟百韻《自註略》 )

暉峻康隆、中村俊定 校注 「連歌俳諧集」日本古典文学全集32 小学館 昭和49年
※=月の定座 ※※=花の定座
http://www.din.or.jp/~mium/lit/Toyo/teitoku.html

(初表)
1 哥(うた)いづれ小町をどりや伊勢踊   秋(踊) 小町・伊勢=女流歌人
2 どこの盆にかをりやるつらゆき      秋(盆) つらゆき=紀貫之(判者)
3 空にしられぬ雪ふるは月夜にて 秋(月夜)「桜ちる木の下風は寒からで空しられぬ雪
ぞふりける」(貫之) ※の「月」の引き上げ
4 いつも寝ざまに出す米の飯(いひ)   雑  山寺の稚児の願い
5 投(なげ)はふる鮨の腹もやあきぬらん 雑  その稚児の「寝ざま」→「腹」
6 桶もちながらころぶあふのき 雑 「鮨」→「桶」「あふのき」= 仰向き
※7 すべるらし水汲(くむ)道ののぼり坂 雑  「ころぶ」→「すべる」
8 滝御らんじにいづる院さま 雑 「すべる」→「御意をすべる」
(初裏)
9   とりあへず天神殿は手向して     雑( 宇多法皇の大和龍門の滝御覧の故事)
10  こゝろしづかに夢想ひらかむ     雑  夢想=夢想開きの連歌会
11  唯たのめふさがりたりと目の薬     雑  目の薬=夢想流の目薬
12  しめぢがはらのたつは座頭ぞ    雑「なほ頼め標茅が原のさせも草わが世の
中にあらん限りは」(新古今二〇)
13  くさびらを喰(くふ)間に杖をたくられて 秋(くさびら) くさびら=茸
14   枝なき椎のなりのあはれさ      秋(椎)  茸(くさびら)→椎
15 しばらるゝ大内山の月のもと      秋(月 ※の月の引き上げ
16  御室の僧や鹿(しし)ねらふらむ     秋(鹿) 僧= 仁和寺の破戒僧
17  恒政は十六のころさかりにて      雑・恋(句意) 仁和寺→平経政
※18うつぶるひ引(ひく)琵琶もなつかし   雑・恋(ふるふ) 経政→琵琶
19 急雨(むらさめ)にあふたやうなる袖の露 雑、恋(袖の露)琵琶→恋の感涙
20 ともに見もどすまきの下道     雑 「露ふかき山わけ衣ほしわびぬ日影す
くなきまきのした道」(寂蓮)
※※21 花かづら根もとをしつた人もなし   春(花かづら) 花の定座。
22 売(うれ)かしとぢた門(かど)の藤なみ   春(藤なみ) 花かづら→藤なみ
(二表)
23 かすんだる大豆(まめ)は馬より高ばりて   春(かすむ) 藤なみ→大豆
24 陣ひやうろう(兵糧)のきれはつる時     雑  大豆高い→兵糧尽きる
25 城よりもあつかひこふはうれしや       雑   落城寸前の和解調停。
26 黒の碁かつと兼てさまうす(申す)      雑  城(白)→黒の碁 
27 文王の世や民にてもしらるらん        雑  文王=周の祖
28 しやれたるほねをとりかくしつゝ       雑  しやれたる=風雨に晒された 
29 あらをしや家に伝(つたふ)る舞(まひ)あふぎ 雑  骨→扇
30 あるゝ鼠をにくむ幸(かふ)わか       雑  扇→幸若舞い
31 浅間しゝ朝倉殿の乱の前           雑  朝倉殿=越前国主朝倉殿
32 木のまるはぎにはく藤袴    秋(藤袴)「朝倉や木の丸殿にわれをれば名のりをしつつゆきはたが子ぞ」(新古今・雑)
33 秋山のしばにんにくの実の匂ひ   秋(秋山) 秋山の柴→にんにくの匂い
34 いろ色鳥の汁のすひくち      秋(色鳥) 実→色鳥 にんにく→吸い口 
※35下戸上戸日の暮よりも月見し   秋(月見) 月の定座。 鳥(酉の時刻)→夕暮
36 哥にはよらぬ人の貧福      雑 「鈍智貧福下戸上戸」(諺)
(二裏)
37 観音の占(うら)や当座の用ならん   雑  人の貧福→観音の占
38 清水坂の辻にまつ袖          雑・恋(まつ袖) 観音→清水坂
39 かつたゐにうはなり打をあつらへて   雑・恋(うはなり打) かつたゐ=乞食
40 ぬれるうるしにまくる小鼓          雑   かつたゐ→漆(予譲の故事)
41 新敷(あたらしき)烏帽子をきねばかなはぬか 雑  漆を塗る→新敷烏帽子
42 童部名(わらべな)ばかり人ぞよびぬる    雑  童部名=元服前の名
43 死に入(いる)や定(さだめ)ておとなことならん 雑  おとなごと=天然痘
44 あたる礫(つぶて)のあいだてなさよ     夏(礫打ち) あいだて=無分別
45 昼中によその木の実をかつ物か        秋(木の実) 礫→木の実
※46つなげる猿にしつけすさまじ         秋(すさまじ) 木の実→猿
47 月影に長き刀のしらはとり         秋(月影)※の月の引き下げ(こぼす)
48 夜やいづなの法(ほふ)のおこなひ      雑 いづなの法=魔術
※※49 からげたる燈心をときてともしけり  雑  花の定座  からげたる=くくった
50 くらきにいるゝ物の本蔵(ほんぐら)  雑 ともし→くらき・物の本(灯のもと)
(三表)
51 奥どのを奥でものしりものをして    雑・恋(奥どの) 奥殿=隠し妻
52 よき酒にてや児(ちご)をたらせる   雑・恋(児) たらせる=たぶらかす
53 鬼なれどしたがへられて大江山   雑  酒・児→大江山(酒典童子が住んでいる)
54 治りかへる御代は一条        雑  御代は一条=一条院の治世
55 物着(つけ)てならぬ座敷の床畳   雑  物着けて=武具類
56 まはり花をば小勢にてさせ      春(花) 花の引き上げ(三裏※※)
57 人のせな渦の霞める浪の舟      春(霞む) 人のせな=人を乗せるな
58 松浦(まつら)が事は長閑くもなし  春(長閑) 松浦が事=舞の「新曲」の人物
59 鰯とはいやしきかへ名のいかならむ  雑・恋(かへ名) 松浦→鰯
60 節分(せちぶん)の夜のまゐる宮方  冬(節分) 節分=鰯を柊にさす夜
61 明年は神よまもらせおはしませ    雑  節分→明年 まゐる(詣いる)→神
62 いつ住吉ぞ名月のかげ   秋(名月) ※の月の引き上げ 住吉」と「月が澄む」
※63露ほどもあやかり度は定家にて 秋(露) 定家=藤原定家 住吉→月→定家
64 内親王とちぎるいく秋      秋(秋) 恋(ちぎる) 定家→内親王
(三裏)
65 待(まち)て居るしるしの杉も長月や   秋(長月)・恋(待つ)「わが庵は三輪の山
もと恋しくはとぶらい来ませ杉立てる門」(古今十八・雑)
66 折を出せかし此の菊のやど        秋(菊) 杉→折 長月→菊
67 見るもたゞ大盃はくるしきに       雑    折→大盃
68 かつやうにせん弓の射こくら       雑 盃→弓(投壺の趣向)こくら=競う
69 うしろよりまゐりて拝む堂の前      雑 堂(三十三間堂)
70 主(しゅう)に先だち腹やきるらむ    雑 腹やきる=切腹す
71 鎌倉の海道遠きさめがゐ(醒ヶ井)に  雑  太平記=北条仲時主従自害→鎌倉街道
72 おとす尺八何としてまし        雑  尺八の曲「海道下り」
73 礼をなす沙門(しゃもん)も公家も手すくみて  雑   沙門=僧侶 
74 仏名(ぶつみやう)の夜ぞいかうあれける    冬(仏名) 仏名=仏名の法会
※75 障碍(しょうげ)をや師走の月の天狗共  冬(師走の月)  障碍=邪魔
76 紅粉(べに)に木の葉の散(ちつ)てまじれる  冬(木の葉) 天狗の活動
※※77もやうよく染(そめ)し小袖を龍田川  雑 龍田川の模様(花の定座の見立て?)
78 りんきいはねど身をなげんとや        雑・恋(悋気) 小袖→死装束
(名残・表)
79 我よめが男の刀ひんぬいて          雑・恋(よめ) 嫁の仕草
80 祝言の夜ぞ酔ぐるひする           雑・恋(祝言) 嫁→祝言
81 生魚を夕食過ぎて精進(しゃうじ)あげ    雑  祝言→精進あげ
82 寺のかへさに呼やあみ引(ひき)       雑  魚→あみ引。精進あげ→寺。
83 難波江のさきに亀井の水をみて        雑  あみ引→難波江。
84 こと浦までも月の遊覧            秋(月) 月の引き上げ
85 秋は唯白き衣裳を表(おもて)ぎに      秋(秋) 表着=晴れ着 
86 いそぐよめり(嫁入)ときくや重陽   秋(重陽)・恋(よめり) よめり=嫁入り
87 たのめたるたのもの比もつい立て   秋(たのも)・恋(たのむ)たのも=田実祝い
88 とらへがたしやかへるかりがね    春(かへるかりがね) 田実祝い→雁
89 生姜手が三へぎと筆に霞せて   春(霞む) 生姜手=生姜のような手  へぎ=剥ぐ
90 余寒(よかん)の時分棗もぞなき 春(余寒) 生姜手=余寒 生姜→棗
※91 薄茶さへ小壷に入れてすきぬらん  雑   棗→茶会(薄茶)
92 こゝろざしせし日よりはらめる    雑・恋(はらめる) 薄茶→数寄者
(名残・裏)
93 文を付る薄のやうになびきゝて 秋(薄)・恋(文を付く) はらめる→なびく
94 鹿もおよばじ妻のかはゆき   秋(鹿)・恋(かはゆき)妻を慕う鹿より妻を慕う
95 漸(やや)寒き比(ころ)はとらする木綿たび  秋(やや寒し)妻に木綿足袋
96 あかゞりあればつかはれぞせぬ     冬(あかがり) 足袋→あかぎれ
97 稲茎は鷹場にわるき花の春  春(花の春)※※の花の引き上げ  あかぎれ→稲茎
98 雪間をしのぐ辺土さぶらひ  春(雪間)  辺土さぶらひ=辺土(東国)の武士
※※99 百姓と富士ぜんぢやうに打交(うちまじり) 雑 「雪間」→「富士山の残雪」
100 をがまれたまふ弥陀の三尊   雑 富士禅定→弥陀三尊(めでたく百韻を治定した)

(参考)→(集外三十六歌仙 / 後水尾の上皇 [編]) → 早稲田図書館蔵(雲英文庫)

http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko31/bunko31_e0028/index.html

木下長嘯子二.jpg

木下長嘯子(狩野蓮長画)

松永貞徳二.jpg

松永貞徳(狩野蓮長画)

(追記一)

 抱一の「松永貞徳」の一句(その周辺)

    辛酉(しんゆう)春興
    今や俳諧峰の如くに起り、
    麻のごとくにみだれ、
    その糸口をしらず。
  貞徳も出(いで)よ長閑(のどけ)き酉のとし(抱一『屠龍之技』「千づかのいね」) 

 抱一の「辛酉春興」、即ち、享和元年(一八〇一)正月、抱一、四十一歳の時の作である。この句は、貞徳の、次の句に唱和したものとされている(『酒井抱一 俳諧と絵画の織りなす抒情(井田太郎著・岩波新書)』)。

  鳳凰(ほうわう)も出(いで)よのどけきとりの年(貞徳『犬子集』)

この貞徳の句は、元和元年(一六一五)の「元和偃武(げんなえんぶ)」、即ち、豊臣氏が大阪夏の陣で滅び、平和な時代が到来してきたことを詠んだ句とされている。
この句が収載されている『犬子集・狗猧集(えのこしゅう)(松江重頼編)』は、室町時代の「俳諧之連歌集」(俳諧集)の『新撰犬菟玖波集(通称:犬菟玖波集)(山崎宗鑑編)』の子になぞられたもので、江戸初期の俳諧の隆盛に対応し、当代(徳川氏の治の平後)の句を中心に編集・刊行(寛永十年・一六三三)されたものである。
内容は、読人不知と一七八人の作者の発句(ほつく)一六五四句、付句(つけく)一〇〇〇組を、五冊一七巻に収録している。主な作者は貞徳・重頼・親重(立圃(りゆうほ)・徳元・慶友らで、作風は縁語・掛詞による〈見立て〉や故事・古典の立入(たちいれ)が主である。
その全貌は、次のアドレスで閲覧することが出来る。

http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/he05/he05_06039/index.html

犬子集.jpg

『狗猧集. 巻第1-17 / 重頼 [編]』  早稲田大学図書館蔵
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he05/he05_06039/he05_06039_0001/he05_06039_0001_p0009.jpg

 上記は、その第一巻(第一冊)の「春上」の貞徳句の一部(五句)で、その配列は次のとおりである。

  霞さへまだらにたつやとらの年    貞徳(丙寅=寛永三年・一六二六作?)
 ※大こくの持(もつ)やつちのえ辰の年 同(戌辰=寛永五年・一六二八作)
  梅も先(まづ)にほひてくるや午の年  同(庚午=寛永七年・一六三〇作?)
  けさたるゝつらゝやよだれうしの年   同(己丑=寛永二年・一六二五作?)
 ※鳳凰も出(いで)よのどけきとりの年  同(辛酉=元和七年・一六二一作)

 上記の二句目(※)は、「戌(つちのえ)辰」で、「寛永五年・一六二八作」、三句目(※)は、冒頭の抱一の句の前書き「辛酉(しんゆう・かのととり)春興/今や俳諧峰の如くに起り/麻のごとくにみだれ/その糸口をしらず」からすると、「元和七年・一六二一作」ということになる。
 この貞徳の五句を見ると、貞徳は「春興」(新年の歌会・句会)の句として、その干支(えと)・十二支(じゅうにし)に関連する句を詠んでいたものと思われる。そして、上記の五句は、元和元年(一六一五)の元和元年(一六一五)の「元和偃武(げんなえんぶ)」以降の、徳川幕藩体制下の平和(パクス・トクガワーナ)の、その「歳旦」(年の初め)の句と理解して差し支えなかろう。
 そして、この「元和偃武(げんなえんぶ)」以降の「貞徳の時代」は、俳諧の祖の「山崎宗鑑・荒木田守武」の時代から、約一世期の戦乱時代を経て、それまでの「連歌の時代」から「俳諧(俳諧之連歌)の時代」へと方向転換する時代をも意味した。即ち、「連歌師」の時代から「俳諧師」の時代への移行である。
 そして、その「貞徳の時代」(江戸初期)から「芭蕉の時代」(江戸中期)を経て「抱一の時代」(江戸後期)になると、抱一の冒頭の句の前書きのとおり、「今や俳諧峰の如くに起り/麻のごとくにみだれ/その糸口をしらず」と、さながら、「貞徳の時代」以前に逆戻りしたような状況を呈する至り、時、あたかも、「享和元年(一八〇一)」の「辛酉」の年で、「元和七年(一六二一)」の「辛酉」の年(一八〇年前)の、貞徳の句に唱和した句が、冒頭の抱一の句なのである。
 ここに、この貞徳と抱一の「辛酉」の句を並列して掲載して置きたい。

 鳳凰も出(いで)よのどけきとりの年(貞徳「元和七年(一六二一)の辛酉」の年)
 貞徳も出(いで)よ長閑き酉のとし (抱一「享和元年(一八〇一)の辛酉」の年)

(追記二)

  抱一の「集外三十六歌仙図画帖」周辺

 抱一の「集外三十六歌仙図画帖」が何時制作されたものなのかは明らかではない。それを知る足掛かりは、この作品の旧蔵者が、「武州行田の豪商大沢永之」であることが、唯一のものなのかも知れない(『酒井抱一と江戸琳派の全貌(求龍堂刊)』所収「酒井抱一筆『集外三十六歌仙図画帖』と『柳花帖』をめぐって(岡野智子稿)」)。
 この「大沢永之」については、「酒井抱一と江戸琳派関係年表(松尾知子編)」(『酒井抱一と江戸琳派の全貌(求龍堂刊)』所収)の、「文化十三年(一八一六)」の項に出てくるが、この「文化十三年(一八一六)」とその翌年の「文化十四(一八一七)」の事項を次に掲げて置きたい。

【文化十三 一八一六 丙子 五十六歳
正月、七世市川団十郎、亀田鵬斎、谷文晁らあつまり、扇の書画して遊ぶ。(句藻「遷鶯)
大沢永之のために「法華経普門品」を書写。永之これを刊行する。
君山君積のために「四季花鳥図屏風」(六曲一双)を描く。『抱一上人真蹟鏡』に掲載。 
▼秋、「柿図屏風」(メトロポリタン美術館蔵)制作。
▼冬、「四季花鳥図屏風」(陽明文庫蔵)制作                 】

文化十四 一八一七 丁丑 五十七歳
元日 百花園にて観梅。
▼二月、『鶯邨画譜』を刊行。加茂季鷹序(前年)、鞠塢題詩。
五月、建部巣兆の句集『曽波可理』に序文を記す。
六月十七日、小鸞女史(御付女中・春篠)剃髪し、妙華尼と名乗る。(御一代)
■六月二十五日、鈴木蠣潭没(二十六歳)。(君山君積宛書簡・御一代は七月没とする)浅草松葉町正法寺(現中野区沼袋)に葬られる。抱一、辞世の句を墓の墓石に記す。(増補略印譜・大観)
鈴木其一(二十二歳)、抱一の媒介で、蠣潭の姉りよと結婚し、鈴木家を継ぐ。抱一の付人となり、下谷金杉石川屋敷に住む。(増補略印譜・大観)
十月十一日、庵居に「雨華庵」の額を掲げる、以来、「雨華」の号を多用する。  】
(『酒井抱一と江戸琳派の全貌(求龍社)』所収「酒井抱一と江戸琳派関係年表(松尾知子編)」)

 この「文化十三年(一八一六)」と「文化十四年(一八一七)は、抱一にとっては、大きな節目の年であった。ここに登場する人物を列挙するだけで、当時の抱一の無二の交遊関係というのが浮かび上がってくる。

「七世市川団十郎・亀田鵬斎・谷文晁・※大沢永之・君山君積・加茂季鷹・佐原鞠塢・建部巣兆・小鸞女史(御付女中・春篠、妙華尼)・鈴木蠣潭・鈴木其一」

 この※印の「大沢永之」について、「抱一上人年譜稿(考)」(『相見香雨集一』所収)で、要約すると、次のように紹介している。

「尾形乾山の『紫翠』を号にしている。武州忍町行田の呉服商。江戸浅草茅町に別業に住し、その荘を『百花潭』と称す。その『百花潭』の額は抱一の書である。文化十年の句藻で、百花潭水楼と題して『折琴よ継三味線よすゝみ舟』の句を詠じている。永之と抱一との交情は頗る厚く、抱一の事業を援けるところ多く、抱一もまた永之の為に製する作品が多い。又、抱一の鑑定に依って蒐集した光琳・乾山の作品を少なからず併蔵している。そして、それらを散せざるなど、稀有の名家である。天保十五年十月没、行年七十五。その妾おきぬも抱一の妾妙華と親しかった。」(「抱一上人年譜稿(考)」での要約(『相見香雨集一』所収)

 この大沢永之は、尾形乾山の号「紫翠」を号にしていたということからしても、抱一との関係は、抱一の尾形光琳百回忌に顕彰活動の「尾形光琳居士一百周諱展覧会」(『光琳百図』『尾形流略印譜』の刊行)を開催した文化十二年(一八一五五)前後が、その一つのピーク時であったことは、想像するに難くない。
 この観点から、「酒井抱一と江戸琳派関係年表(松尾知子編)」(『前掲書・求龍堂刊』)で、「集外三十六歌仙図画帖」(抱一筆)周辺を探ると、次のような事項が浮かび上がって来る。

文化三年(一八〇六)四十六歳 「宝井其角百年忌。肖像百幅を制作」
文化四年(一八〇七)四十七裁 「柿本人麻呂図」制作
文化五年(一八〇八)四十八歳 「俳諧百職人」に俳句と挿絵あり
文化八年(一八一一)五十一歳 千束の大文字楼の別荘にて人丸影供
文化九年(一八一二)五十二歳 自撰句集『屠龍之技』編集・刊行

柿本人麻呂図.jpg

酒井抱一筆「柿本人麻呂図」(京都国立博物館蔵)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/353464
「絹本著色 縦 107.4 cm 横 48.1 cm 1幅 銘文:(絵)なし (賛)「橋千蔭謹書」 (絵)朱文円形「抱一」 (賛)なし 歌聖・柿本人麻呂を描く。
酒井抱一(1761~1828)は姫路城主酒井家の嫡流だが、出家して俳譜と画道に遊んだ。江戸の根岸に雨華庵を結んで、江戸後期文化人の中心的存在として活躍した。尾形光琳を追慕して『光琳百図』等を出版、自らも俳趣味をたっぷり加味した琳派風絵画を描き、江戸琳派を形成した。」

「酒井抱一筆『集外三十六歌仙図画帖』と『柳花帖』をめぐって(岡野智子稿)」)(『酒井抱一と江戸琳派の全貌(求龍堂刊)』所収)では、文政二年(一八一九)の「柳花帖」(姫路美術館蔵)が制作された同時期の作としているのだが、これは、より遡って、文化四年(一八〇七)の、上記の「柿本人麻呂図」を制作した頃に、その萌芽があるものと解したい。
そして、抱一の、この「集外三十六歌仙図画帖」は、寛政九年(一七九七)、抱一、三十七歳時に刊行された『集外三十六歌仙 / 後水尾の上皇 [編]』(原画:狩野蓮長 画:緑毛斎栄保典繁 書:芝江釣叟 序:安田貞雄 跋:稲梁軒風斎<寛政8年>)をベースにしていることは、特記をして置きたい。
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middrinn

抱一の「貞徳も出よ長閑き酉のとし」、その前書きから、〈さながら、「貞徳の時代」
以前に逆戻りしたような状況を呈する〉という件が個人的にはチト興味深いです(^^)
by middrinn (2019-11-20 20:26) 

yahantei

「久富哲雄(全訳注)『おくのほそ道』(講談社学術文庫,1980)」を再読し始めたとか・・・、芭蕉は「貞門派」(松永貞徳の信奉者・京都派)で、西鶴が「芭蕉のは、俳諧ではなく、連歌だ」と、「宗因派」(大阪派)から揶揄しているが、芭蕉は「句詠み派」ではなく「歌詠み派」がリードする必要が大かも。また、そちらで。
by yahantei (2019-11-21 08:45) 

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