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狩野永納筆「新三十六人歌合画帖」(その一) [三十六歌仙]

その一 後鳥羽院と式子内親王

永納・後鳥羽院.jpg

狩野永納筆「新三十六歌仙画帖(後鳥羽院)」(東京国立博物館蔵)各22.4×19.0
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0056391

永納・式子内親王.jpg

狩野永納筆「新三十六歌仙画帖(式子内親王)」(東京国立博物館蔵)各22.4×19.0
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0056392

左方一 後鳥羽院

http://www.ikm-art.jp/degitalmuseum/num/001/0010676000.html

龍田山(姫)かぜのしらべも聲たてつ/あきや来ぬらん岡のべの松

右方一 式子内親王

http://www.ikm-art.jp/degitalmuseum/num/001/0010677000.html

ながむれば衣手涼し久堅の/あまのかはらの秋のゆふ暮


(狩野探幽本)

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2019-11-23

後鳥羽院.jpg

狩野探幽筆「新三十六歌仙画帖(左方一・後鳥羽院)」(東京国立博物館蔵)各33.5×26.1
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0009394

式子内親王.jpg

狩野探幽筆「新三十六歌仙画帖(右方一・式子内親王)」(東京国立博物館蔵)各33.5×26.1
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0009412

(探幽本と永納本周辺メモ)

一六四四(寛文四)探幽=六十三歳
九月十八日 鷹司信子が徳川綱吉に輿入れし、探幽、調度品として「新三十六歌仙図帖」を描くか。(『新潮日本美術文庫7狩野探幽』「年表(安村敏信)」)
※ この年、永納は三十三歳の頃で、永納は探幽の次の世代に属するが、所謂、永納(京狩野)本は、探幽(江戸狩野)本の、その「新三十六歌仙画帖」(伝本など)を基礎にしての制作と解すべきなのであろう。しかし、全面的な「模写絵」というよりも、それを基調として、所々に永納色の「新三十六歌仙」への再構成の意図というのも読み取れる。

(参考)

狩野永納(かのうえいのう) 没年:元禄10.3.7(1697.4.27) 生年:寛永8(1631)
江戸前期の画家。名は吉信、字は伯受、別号は一陽斎、、岳、素絢軒、山静など。通称は縫殿助。京都の人。狩野山雪の長男。はじめ父から画法を学び、のちに狩野安信についたと伝えられる。代表作に「賀茂競馬図屏風」(東京国立博物館蔵)、「四季花鳥図屏風」(ボストン美術館蔵)などがある。父ゆずりの学究肌で、画業のかたわら古画の研究にはげみ、また鑑識にも精通していた。元禄6(1693)年『本朝画史』5巻を刊行。これはわが国最初のまとまった画人伝の編述を企画した山雪の遺稿を受け継いで完成したもので、日本絵画史の研究上、重要な基礎資料のひとつとなっている。67歳で没し,京都の泉涌寺に葬られた。<参考文献>土居次義『近世日本絵画の研究』、榊原悟「一変狩野氏」(『古美術』96号)
(河野元昭) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について

400年近く画壇を支配! 華麗なる狩野一族の大プロジェクト 

https://crea.bunshun.jp/articles/-/1942?page=2

京狩野のやまと絵について(日並彩乃)

file:///C:/Users/yahan/AppData/Local/Packages/Microsoft.MicrosoftEdge_8wekyb3d8bbwe/TempState/Downloads/KU-1100-20131201-05%20(1).pdf

フェリス女学院大学蔵『新三十六歌仙画帖』

https://www.library.ferris.ac.jp/lib-sin36/sin36list.html

後鳥羽院.jpg

式子内親王.jpg
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