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醍醐寺などでの宗達(その八・「光広賛の「関屋図」屏風」) [宗達と光広]

その八 「関屋図屏風」(俵屋宗達筆・烏丸光広賛・六曲一隻)周辺

関屋図屏風・光広.jpg

A図「関屋図屏風(俵屋宗達筆・烏丸光広賛)」( 六曲一隻 紙本金地着色  九五・五×二七三・〇㎝ 東京国立博物館蔵 国宝)
https://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=ja&webView=null&content_base_id=100349&content_part_id=000&conten
【 『源氏物語』の「関屋」を絵画化したもの。図上に烏丸光広(1579~1638)が「関屋」の一節と自詠の和歌を書きつけている。光源氏が石山詣の途中、逢坂の関でかつての恋人空蝉(うつせみ)の一行と出会う場面で、絵は背景を一切省いた金地に、源氏らに道を譲るために牛車を止めて待つ空蝉の一行のみを描く。(以下、略) 】

 この宗達と光広とのコンビの「賛」の「関屋図(俵屋宗達筆・烏丸光広賛)」( 六曲一隻 紙本金地着色屏風)について、前回、次の三つのストーリーがイメージとして浮かび上がってきた。

(再掲)

【 (登場人物)

光る源氏→ 殿 (二十九歳?)
空蝉→  帚木・女君(伊予介の後妻)
伊予介→ 常陸守・常陸(空蝉の夫)
小君→  右衛門佐・佐(空蝉の弟)
紀伊守→ 河内守・守(伊予介の子)
紀伊守の弟→右近衛尉(伊予介の子、光源氏の従者?)         】  

(第一ストーリー=「牛車」に乗っているのは「光源氏」)

第一扇→「小君」に託した「空蝉」の対応を「光源氏」は待ちくたびれている。
第二・三扇→「空蝉」一行から従者の一人が来たようだが「あれは誰か」?
第四・五扇→「空蝉」の夫「常陸守」か? 「光源氏」の出迎えに参上したか?
第六扇→丸ごと「余白」で、後のストーリーは『源氏物語』(「関屋」)を参照されたい。

(第二ストーリー=「牛車」に乗っているのは「空蝉」)

第一・二・三扇→「空蝉」は「光源氏」との再会を逡巡している。
第四・五扇→「空蝉」は「光源氏」の従者(右近衛尉?)に「光源氏」への伝言を依頼?
第六扇→後のストーリーは『源氏物語』(「関屋」)を参照されたい。

(第三ストーリー=「牛車」に乗っているのは「空蝉と「常陸守」」、そして、第五扇の「髭の人物」は「常陸守」の次男「右近衛尉」と、その「右近近衛尉」を仮の姿とする「大納言・烏丸光広」)

第一扇→牛車の中の「空蝉と夫の常陸守」は「光源氏」一行が通過するのを待ちくたびれて
いる(眠っている従者が示唆している)。
第二扇→「空蝉」の弟の「「小君」(右衛門佐)は、「光源氏」一行が来たらどう挨拶するか、  
    あれこれ思案している(三人の人物の一番上の人物?)。
第三扇→「空蝉」を懸想している「河内守(常陸守の長子)」は、親父(常陸守)似の弟「光源
氏」の使者となっている実弟の「右近衛尉」(第五扇の人物)のを見詰めている(第二扇の「右衛門佐」の前の人物?)
第四扇→「空蝉」の使者(「空蝉」の化身?)が、「光源氏」の使者・「右近衛尉」(この賛を書
いた「大納言・烏丸光広」の化身?)に、一部終始を伝えている。
第五扇→(第三扇上部余白)から(第五扇上部)にかけて、「空蝉」の使者(「空蝉」の化身?)が、
「光源氏」の使者・「右近衛尉」(この賛を書いた(「大納言・烏丸光広」の化身?)への伝言の内容が、下記のとおり光広が賛(散らし書き)をしている。

(第三扇上部余白)
うち出
(第四扇上部余白)

はまくるほど

殿は
粟田山
こえたまひ

行と
来と
せきとめ
がたき
(第五扇上部余白)
なみだをや
関の清水と
人は
みるらん

第六扇→第六扇一面が余白で、 ここに、「光源氏」の使者・「右近衛尉」(「大納言・烏丸
光広」の化身?)が、「光源氏」に伝えること約し、その「空蝉」の贈歌に対し、「大納言・烏丸光広」が、次のとおりの賛(答歌)を散らし書きしている。

みぎのこゝろをよみて
かきつく(花押)
をぐるまのえにしは
あれなとしへつゝ
又あふみちに
ゆくも
かへるも         】

 この三つのストーリーで、何かが足りないと、どうにも不満であったのだが、それは、前回の最初の疑問の、【「牛車」に「空蝉」が乗っているにしては、この「牛車」の従者は皆男衆ばかりという感じである。】については、何ら応えていないということに気がついた。上記の第一ストーリーと第三ストーリーとをドッキングしたような、次の第四ストーリーである。

(第四ストーリー=「牛車」に乗っているのは「光源氏」、そして、第五扇の「山羊髭の人物」は、空蝉の夫の「常陸守」(その化身の「大納言・烏丸光広」との一人二役)

第一扇→「小君」(右衛門佐)に託した「空蝉」の対応を「光源氏」一行は待ちくたびれている(眠っている従者が示唆している)。

第二・三扇→「空蝉」一行から従者の一人が来たようだが「あれは誰か」?
      第二扇の上部の公家=頭中将(故「葵上」の兄)
      第三扇の上部の公家=右近衛尉(「常陸守」の次子・光源氏の従者)

第四・五扇→「空蝉」の夫「常陸守」か? 「光源氏」の出迎えに参上したか?
      第四扇の若き近仕=童随身の一人(勅旨により「光源氏」仕える童)
      第五扇の山羊髭の公家=常陸守(「空蝉」の夫)

第六扇→一面の余白に「常陸守」に扮した「大納言・烏丸光広」が「空蝉」の和歌などを
     賛(散らし書き書き)する。

関屋図屏風一.jpg

B図「関屋澪標図屏風(俵屋宗達筆)」の「関屋図屏風」

澪標図屏風.jpg

C図「関屋澪標図屏風(俵屋宗達筆)」の「澪標図屏風」

関屋図屏風・光広.jpg

A図「関屋図屏風(俵屋宗達筆・烏丸光広賛)」

 ここで、この三枚の屏風図(B図・C図・A図)との関係を、屏風の「右隻・左隻」と、屏風の「表・裏」との視野から、次のような関係として捉えると、宗達が、この三枚の屏風図を描いた視点の一つというのが見えて来る。
 まず、B図とC図とは、「関屋澪標図屏風(俵屋宗達筆)」の「B図=右隻」と「C図=左隻」という「六曲一双」形式の「屏風図」ということになる。

関屋澪標図屏風.jpg

「関屋澪標図屏風(俵屋宗達筆)」(右隻=B図・左隻=C図)

 そして、A図は、この「左隻=C図」に連なるのではなく、この「左隻=C図」の背面の「裏」に描かれている、「表=C図=澪標図」と「裏=A図=関屋図」あるいは「表=B図=関屋図」と「裏=A図=関屋図」という二通りの見方である。この二通り見方のうち、「表=C図=澪標図」と「裏=A図=関屋図」とすると、次のようなことが浮かび上がってくる。

(表)

澪標図屏風.jpg

C図「関屋澪標図屏風(俵屋宗達筆)」の「澪標図屏風」

(裏)

関屋図屏風・光広.jpg

A図「関屋図屏風(俵屋宗達筆・烏丸光広賛)」

一 C図の第四扇の中央に描かれている「光源氏」の「牛車」の前に伺候している「摂津国・国守?」(「住吉大社のある摂津の国守」)が「立っている」のに対して、A図の「第五扇」の中央に描かれて「山羊髭の公家?」(「空蝉」の夫の「常陸守」?)は「座っている」(A図の「摂津守?」からC図の「常陸守?」を連想させ、その両者を「立つ」と「座す」との「対照的関係」で描こうとしている。

二 C図の第二・三扇に描かれている「光源氏」一行の従者は「立ち姿勢」の者が多いのだが、それに対して、A図の「光源氏」の一行の従者は「座す姿勢」と、ここでも、同じ従者を描くにも、これまた「対照的関係」で描こうとしている。

三 何よりも、C図が『源氏物語』の「関屋澪標図屏風」として、先行する、その関連の様々な「大和絵」風の作品の図様をアレンジしながら、「人物と景物」の織り成す「絵巻」(ストーリー化)の世界を現出したのに対して、A図では、簡素な「シテ(「常陸守?」の背後に控える空白の「空蝉」)」と「ワキ(童の背後に控える「牛車の中の光源氏)」と「ツレ(「光源氏」の従者)だけの簡素且つ象徴的な「能」の世界のような雰囲気を醸し出している。

 これを、「表=B図=関屋図」と「裏=A図=関屋図」とすると、次のようなことが指摘できる。

(表)

関屋図屏風一.jpg

B図「関屋澪標図屏風(俵屋宗達筆)」の「関屋図屏風」

(裏)

関屋図屏風・光広.jpg

A図「関屋図屏風(俵屋宗達筆・烏丸光広賛)」

一 B図の第四扇に描かれている立姿勢の「関守?」が、A図の「第五扇」の中央に描かれて「山羊髭の公家?」(「空蝉」の夫の「常陸守」?)となり、その座している「常陸守?」が、「光源氏と空蝉」との再会を「関守」(通行を差し止める役)するように描かれていて、これまた面白い。

二 B図の第二・三扇に描かれている「光源氏」の一行は、その牛車の牛が「前へ前へ」と進む姿勢のように「動的」なのに対して、A図の「光源氏」の一行の従者は、その第一扇の「眠っている従者」のように「静的」な雰囲気で、これまた「対照的関係」で描こうとしてことを強調している。

三 B図の第二扇の「童」(勅旨により「光源氏」仕える「童随身」の一人)が、A図の第四扇に登場し、あたかも、「シテ(「常陸守?」の背後に控える空白の「空蝉」)」と「ワキ(童の背後に控える「牛車の中の光源氏)」との「ワキ」を演ずるようで、極めて面白い。それを援護射撃するように、第二扇の「妻折傘」(貴人や高僧へ差し掛けるための傘)を持った従者だけが立ち姿勢で、それは、この第四扇の「童」に、その「妻折傘」をかざすためなら、これは、見事という以外にない。

四 B図の第三扇の「小君」(右衛門佐、「空蝉」の弟)が、A図の第二扇の「座して思案している公家(従者)?」と衣装が同じようで、そう解すると、上記の第四ストーリーの「第二扇の上部の公家=頭中将(故「葵上」の兄)」よりも、『源氏物語』(第十六帖「関屋」)の登場人物からすると、スムースという印象で無くもない。

五 そして、【A図では、簡素な「シテ(「常陸守?」の背後に控える空白の「空蝉」)」と「ワキ(童の背後に控える「牛車の中の光源氏)」と「ツレ(「光源氏」の従者)だけの簡素且つ象徴的な「能」の世界のような雰囲気を醸し出している。】という、先の「表=C図=澪標図」とした場合(その「三」)は、いささかも変わりはない。

六 さらに、A図の第六扇一面全部が空白であることは、「第五扇」の中央に描かれて「山羊髭の公家?」(「空蝉」の夫の「常陸守」?)の背後に、B図の第五・六扇の上部に描かれている「空蝉」の牛車とその「空蝉」一行(下記「拡大図」)が待機していることを暗示していて、なおさら、「シテ(「常陸守?」の背後に控える空白の「空蝉」)」と「ワキ(童の背後に控える「牛車の中の光源氏)」との、このA図の第四・五扇の場面が活きて来る。

関屋図屏風・空蝉一行.jpg

B図「関屋澪標図屏風(俵屋宗達筆)」の「関屋図屏風」(第五・六扇拡大図)

 ここまで来て、下記のアドレスの、次の「各隻の並べ方については『複数の解釈が可能な屏風』として差し支えない」ということの一端が明瞭となってきた。

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2021-02-14

【 この「関屋澪標図屏風」は、画面向って右に「関屋」の隻、左に「澪標」の隻を並べて鑑賞するのが一般的である。これは右隻の落款が右端、左隻の落款が左端に位置することで、「六曲一双」の屏風としては、それが自然であろうという程度の確然としたものではない。
 現に、『源氏物語』の順序からしても、「澪標」(第十四帖)、「関屋」(第十六帖)と、右隻に「澪標」、左隻に「関屋」が自然で、落款が中央に集まるのは、同じ六曲一双の「雲龍図屏風」(フリーア美術館)があり問題にならないとし、各隻の並べ方については「複数の解釈が可能な屏風」として差し支えないようである(「俵屋宗達『関屋澪標図屏風』をめぐるネットワーク」)→(『近世京都画壇のネットワーク 注文主と絵師(五十嵐公一著・吉川弘文館)』p26~)。 】

 と同時に、これまでの、「絵巻」(ストーリー化)の世界の、「第一ストーリー」から「第四ストーリー」との「右から左へ」の世界と、「裏と表」の「反転」の世界との、この二つの世界を、これらの「宗達と光広」の「コラボ(協同・共同)」的な作品が教示して呉れている思いを深くする。


(参考) 『源氏物語絵巻』「関屋」段を読み解く(倉田実稿)周辺

関屋図・錦織.jpg

「山口伊太郎遺作 源氏物語錦織絵巻」の「関屋」
http://izucul.cocolog-nifty.com/balance/2009/05/post-166d.html
【徳川美と五島美にある‘源氏物語絵巻’(19場面)を織りで表現しようと思い立ったのは西陣織作家、山口伊太郎(1901~2007)。1970年からはじめ、第4巻が08年にできあがり、37年かけてようやく完成させた。山口は07年に105歳で亡くなったので、最後の織りは見届けられなかったが、職人たちに指示をして天国へ旅立った。】

https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/emaki23

 上記のアドレスの「『源氏物語絵巻』「関屋」段を読み解く(倉田実稿)」は、「関屋澪標図屏風(俵屋宗達筆)」(静嘉堂文庫美術館蔵・国宝)や「関屋図屏風(俵屋宗達筆・烏丸光広賛)」(東京国立博物館蔵・国宝)を理解する上で、その周辺の基調的なデータが満載している。
 その要点を、上記に関連することだけを、掲載して置きたい。

関屋図・原典.jpg

【人物:[ア]・[カ]牛飼 [イ]・[ウ]立烏帽子狩衣姿の前駆(さき・ぜんく) [エ]随身 [オ]傘持ちの従者 [キ]常陸介一行 [ク]・[ケ]・[コ]警護の供人
事物:①・⑤・⑥牛車 ②・⑧胡簶(やなぐい) ③・⑦弓 ④袋に入れた妻折傘 ⑨行縢(むかばき) ⑩荷馬
景色:Ⓐ琵琶湖 Ⓑ打出の浜(うちでのはま) Ⓒ筧(かけい) Ⓓ鳥居 Ⓔ道祖神の祠

絵巻の場面 「関屋」の段は現存する『源氏物語絵巻』で唯一の風景描写になっていますが、剥落が多く原画では細部がはっきりしません。しかし、それでも人々や牛車、あるいは関山(逢坂の関付近の山)などがそれとなく分かりますので、読み解いていきましょう。

 この場面は、願果しに石山詣でに出掛ける光源氏一行と、常陸国から上京してきた空蝉一行が、逢坂の関で偶然にすれ違ったことを描いています。画面は、北側から眺めた景色になります。画面右側が京で、やってきたのが光源氏と供人たち、左側が東になり空蝉一行が京を目指しています。空蝉は夫が常陸介として赴任した際に同行し、任期が終わって京に戻るところでした。なお、原画でははっきりしませんが、画面左角がⒶ琵琶湖で、湖岸はⒷ打出の浜になります。

 光源氏の一行 まず光源氏一行を見ることにしましょう。光源氏の姿は描かれていませんが、[ア]牛飼のいる①牛車に乗っているようです。騎乗する[イ][ウ]立烏帽子狩衣姿は前駆(行列の先導)の者、②胡簶を背負い、③弓を持つのは[エ]随身です。徒歩の者もいて、[オ]右端の者は④袋に入れた妻折傘を持っています。かなりの人数でやって来ていますね。光源氏が須磨・明石から帰京した翌年になり、内大臣になった威勢の表現にもなっています。

 空蝉の一行 空蝉の姿も描かれていませんが、やはり[カ]牛飼の付く⑤牛車に乗っています。復元画によりますと牛車に女房装束の裾先を出して飾りとする「出衣(いだしぎぬ)」があり、女車になっています。空蝉が乗車していることになります。

 常陸介・空蝉の一行も多人数になっています。物語には、「類ひろく(常陸介の親類が多く)」、「車十ばかり」であったとされています。牛車は⑥もう一両見え、[キ]徒歩の者、 [ク][ケ][コ]騎乗の者が何人も見えます。騎乗の者は⑦弓と⑧胡簶を持っていますので警護役になります。画面左上の[コ]騎乗する者には⑨行縢も認められます。また、打出の浜あたりには⑩荷を積んだ馬が三頭描かれています。これも常陸介一行でしょう。受領として任地で蓄財した富を積んでいると思われます。この地方の富は京に入り、受領たちの任官運動の一環として公卿たちに献上されることになります。光源氏の権勢も、豊かな受領の富が支えていることを暗示しているのかもしれません。

 逢坂の関の風物 続いて逢坂の関を暗示するものがあるかどうか確認してみましょう。物語にも「関屋」という語が使用されていますが、画面に関所らしいものは描かれていません。しかし、逢坂の関に付属するものが認められるようです。画面右端を見てください。

 Ⓒ筧が認められますね。これは当時あった「関の清水」の表現のようです。物語では空蝉が心ひそかに詠んだ独詠歌にこの「清水」が使用されていました。

 また、Ⓓ鳥居とⒺ祠も描かれています。これを琵琶湖寄りにある「関蝉丸神社」とする説もありますが、位置的に見て国境に置かれた道祖神の祠などでしょう。逢坂の関の存在と少なからず関係しているわけです。

 関山の景色 さらに景色を見ましょう。関山の形はどうでしょうか。峰を高く描いた山々が描かれていますね。この山容は実景ではありません。峰を高く描くのは、唐絵(からえ。中国風の絵)に多く認められますので、その様式によっているのです。雄大な山間の景色を描こうとした際に、おのずと唐絵の技法に寄り添ったということでしょう。

 画面の趣向 最後に画面の趣向と思われる点を考えておきましょう。『源氏物語絵巻』でありながら、光源氏も空蝉もその姿が描かれていないことです。それは絵師が物語の世界における二人の関係性をきちんと読み解いていたからだと思われます。物語では、光源氏の車は簾を下したまま空蝉の車とすれ違っています。顔を合わせたり、言葉を交わしたりなどはしていません。二人の関係は光源氏十七才の折に遡りますが、空蝉と強引に契りを交わしただけで終わりました。文のやり取りはその後あったものの、二人の関係は秘め事なのでした。逢坂の関で、偶然にすれ違っても、挨拶を交わすことなどできません。物語では、衛門佐(えもんのすけ)になっている空蝉の弟(小君)に、関迎えに来ましたとの伝言を託したとありますが、絵巻には描かれていないようです。秘めた二人の関係だからこそ、その姿を描かないようにしたのだと思われます。なお、空蝉はこの後出家し、光源氏の庇護を受けるようになるのは後年のことになります。  】
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yahantei

 なかなか先へ進まない。何時もは、課題はそのままにして先へ進むのだが、この「関屋澪標図屏風」関連は、もう少し周辺を探索したい。
 「山口伊太郎遺作 源氏物語錦織絵巻」は、随分前に、京都かどこかで見た記憶がある。その図録の『源氏物語錦織絵巻』(2008)というのが出てきた。この「関屋」は、最後の第四巻で「蓬生・関屋・柏木1・2・3・横笛」で、中でも、この「関屋」は、まさに、「至芸の極致」という感じであった。
 今回、その「関屋」を、「『源氏物語絵巻』「関屋」段を読み解く(倉田実稿)」を足掛かり見て行くと、いろいろと思い当ることがあった。
 亡くなった知人の借用物の「円地文子訳源氏物語」の何巻かが、手つかずのまま出てきた。その巻三(須磨・明石・澪標・蓬生・関屋・絵合・松風)は、実に分かりやすい。『源氏物語』に散りばめられている、どうにも、分けの分からない「和歌」の数々が、一行」の訳で、該当頁の欄外に、※で青インキで細字で表示されるには驚いた。

 あの技巧のかたまりのような空蝉の和歌も、一行である。

「行くと来とせき止めがたき涙をや
   絶えぬ清水と人は見るらむ   空蝉 」

※行き来につけて堰きとめがたい涙も、絶えぬ逢坂の関の清水と人は見るのであろうか。(円地文子訳)

 今回は、「円地文子・山口伊太郎・倉田実」の労作に、いろいろと思いあたることが多い。



by yahantei (2021-02-22 16:36) 

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