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醍醐寺などでの宗達(その十一・「光広賛の「関屋澪標図」屏風」) [宗達と光広]

その十一 「関屋澪標図屏風」(俵屋宗達筆・烏丸光広賛・六曲一隻)周辺

関屋澪標図屏風.jpg

A図「関屋澪標図屏風(俵屋宗達筆)」(右隻=A-1図=関屋図・左隻=A-2図=澪標図)
六曲一双 紙本金地着色 各一五二・二×三五五・六㎝ 落款「法橋宗達」 印章「対青軒」朱文円印 国宝 静嘉堂文庫美術館蔵
http://www.seikado.or.jp/collection/painting/002.html

 この「関屋澪標図屏風(俵屋宗達筆)」(六曲一双)は、右隻は「関屋図屏風」、左隻は「澪標図屏風」とするのが通例なのであるが、下記の土佐光吉の「源氏物語図屏風」(B-1図「御幸・浮舟図屏風」・B-2図「)からすると、右隻「澪標図屏風」、左隻「関屋図屏風」と入れ替えた方が、より妥当のようにも思われる。

土佐光吉・源氏物語図屏風右.jpg

B-1図「源氏物語図屏風」(土佐光吉筆・四曲一双・紙本金地著色・各隻 一六六・四×三五五・六㎝・メトロポリタン美術館蔵)の右隻「御幸・浮舟図屏風」
https://global.canon/ja/tsuzuri/works/33.html

源氏物語図屏風.jpg

B-2図「源氏物語図屏風」(土佐光吉筆・四曲一双・紙本金地著色・各隻 一六六・四×三五五・六㎝・メトロポリタン美術館蔵)の左隻「関屋図屏風」
https://global.canon/ja/tsuzuri/works/33.html

 この両者を比較すると、宗達のA-2図は「澪標図屏風」で、『源氏物語』第十四帖「澪標」が原典なのに対して、光吉のB-1図は「御幸・浮舟図屏風」で、『源氏物語』第二十九帖「御幸」と第五十一帖「浮舟」を原典とするもので、似ても非なるものなのである。
 また、宗達のA-2図「関屋図屏風」と、光吉のB-2図「関屋図屏風」とを比較しても、同じ『源氏物語』第十六帖「関屋」を原典としていても、一見すると、これまた、似ても非なるものとの印象を受ける。
 敢えて、両者の類似している箇所などを指摘すると、B-1図「御幸・浮舟図屏風」では、第六扇に描かれている「御舟」が、A-2図の「澪標図」では、第一・二扇に描かれている「屋形船」、そして、B-1図「御幸・浮舟図屏風」の第二扇に描かれている「牛車」とそれを牽く「牛」が、A-1図「関屋図」の第一・二扇に描かれて「牛車」と「牛」と、同じような題材を描いているということが挙げられよう。

光吉・浮舟.jpg

B-1-1図「源氏物語図屏風(土佐光吉筆)」右隻「御幸・浮舟図屏風」(「浮舟」部分拡大図)

宗達・澪標船.jpg

A-2図=澪標図(俵屋宗達筆)」(部分拡大図)

 B-1-1図「御幸・浮舟図屏風」(「浮舟」部分拡大図)の「御舟」の男女二人は、女性は「浮舟」(八の宮の三女)、そして、男性は「薫」(光源氏の子=実の父は柏木)か「匂宮」(今上帝の第三皇子。母は明石中宮=光源氏の長女。母は明石の方)のどちらかで、『源氏物語』第五十一帖「浮舟・第四章・第三段〈宮と浮舟、橘の小島の和歌を詠み交す〉」からすると「匂宮」(兵部卿宮・宮)と解せられる。
 そして、A-2図=澪標図(俵屋宗達筆)」(部分拡大図)の上部の「屋形船」に、「匂宮」の母「明石中宮」(光源氏の長女)を腹に宿している、「匂宮」の祖母に当る「明石の方」が乗っている。

【(『源氏物語』第十四帖「澪標」)=光源氏=二十八歳から二十九歳---(呼称)源氏の君・源氏の大納言・源氏の大殿・大殿・大殿の君・内大臣殿・君

http://james.3zoku.com/genji/genji14.html

14.14 住吉詣で

 その秋、住吉に詣でたまふ。願ども果たしたまふべければ、いかめしき御ありきにて、世の中ゆすりて、上達部、殿上人、我も我もと仕うまつりたまふ。
折しも、かの明石の人、年ごとの例のことにて詣づるを、去年今年は障ることありて、おこたりける、かしこまり取り重ねて、思ひ立ちけり。
 舟にて詣でたり。岸にさし着くるほど、見れば、ののしりて詣でたまふ人のけはひ、渚に満ちて、いつくしき神宝(かみだから)を持て続けたり。楽人、十列(とおずら)など、装束をととのへ、容貌を選びたり。
「誰が詣でたまへるぞ」
と問ふめれば、
「内大臣殿の御願果たしに詣でたまふを、知らぬ人もありけり」

14.15 住吉社頭の盛儀

 御車を遥かに見やれば、なかなか、心やましくて、恋しき御影をもえ見たてまつらず。河原大臣の御例をまねびて、童随身を賜りたまひける、いとをかしげに装束(そうぞ)き、みづら結ひて、 紫裾濃(むらさきすそご)の元結なまめかしう、丈姿ととのひ、うつくしげにて十人、さまことに今めかしう見ゆ。 】

【 (『源氏物語』第五十一帖「浮舟」=薫君=二十六歳十二月から二十七歳---(呼称)右大将・大将殿・大将・殿・君)

http://www.genji-monogatari.net/html/Genji/combined51.4.html#paragraph4.3

4.3.6 宮と浮舟、橘の小島の和歌を詠み交す

 いとはかなげなるものと、明け暮れ見出だす小さき舟に乗りたまひて、さし渡りたまふほど、遥かならむ岸にしも漕ぎ離れたらむやうに心細くおぼえて、つとつきて抱かれたるも、 いとらうたしと思す。

4.3.13  年経とも変はらむものか橘の/ 小島の崎に契る心は   (匂宮)
(何年たとうとも変わりません。橘の小島の崎で約束するわたしの気持ちは)

4.3.14  橘の小島の色は変はらじを/ この浮舟ぞ行方知られぬ  (浮舟)
(橘の小島の色は変わらないでも、この浮舟のようなわたしの身はどこへ行くのやら) 

※6 浮舟と薫の物語 浮舟、右近の姉の悲話から死を願う

6.5.10  波越ゆるころとも知らず末の松 / 待つらむとのみ思ひけるかな (薫)
(「あなたがほかの人を待っているとも知らず、私は待たれているとばかり思っていました」=(『源氏物語巻十円地文子訳』 )

※※7 浮舟の物語 浮舟、匂宮にも逢わず、母へ告別の和歌を詠み残す

7.8.2   後にまたあひ見むことを思はなむ/ この世の夢に心惑はで (浮舟)
(来世で再びお会いすることを思いましょう。この世の夢に迷わないで)       】

御幸・輿拡大.jpg

B-1-2図「源氏物語図屏風(土佐光吉筆)」右隻「御幸・浮舟図屏風」(「輿」部分拡大図)

 B-1-2図「源氏物語図屏風(土佐光吉筆)」右隻「御幸・浮舟図屏風」(「輿」部分拡大図)は、天皇の外出(行幸(ぎょうこう))に使用する、屋形の頂に金色の鳳の形を据えた「鳳輦(ほうれん)・鸞輿(らんよ)」で、『源氏物語』第二十九帖「行幸(ぎょうこう・みゆき)」の原文に照らすと「冷泉帝」(桐壺帝の第十皇子・藤壺中宮と光源氏との不義の子)が乗っているものと解せられる。

【 (『源氏物語』第二十九一帖「行幸」=光源氏=三十六歳十二月から三十七歳---(呼称))
源氏の大臣・太政大臣・六条院・六条の大臣・六条殿・主人の大臣・大臣・大臣の君・殿)

http://www.genji-monogatari.net/html/Genji/combined29.1.html#paragraph1.1

第一章 玉鬘の物語 冷泉帝の大原野行幸
第一段 大原野行幸

1.1.3 行幸といへど、かならずかうしもあらぬを、今日は親王たち、上達部も、皆心ことに、御馬鞍をととのへ、随身、馬副の容貌丈だち、装束を飾りたまうつつ、めづらかにをかし。左右大臣、内大臣、納言より下はた、まして残らず仕うまつりたまへり。 青色の袍、葡萄染の下襲を、殿上人、五位六位まで着たり。 】

行幸・光源氏.jpg

B-1-3図「源氏物語図屏風(土佐光吉筆)」右隻「御幸・浮舟図屏風」(「乗馬」部分拡大図)

 B-1-2図の「冷泉帝」の乗っている「鳳輦・鸞輿」を先導するような、B-1-3図の「御馬鞍に跨った上達部(かんだちめ)=摂政、関白、太政大臣、左大臣、右大臣、内大臣、大納言、中納言、参議、及び三位以上の人の総称」は、「光源氏」なのかも知れない。この「上達部」に、B-1-1図の「匂宮」の紋様入りの白装束を着せると、下記のB-2-1図「源氏物語図屏風(土佐光吉筆)」左隻「関屋図屏風」(「「乗馬」部分拡大図」)の「上達部」と様変わりして、これが「光源氏」なのかも知れない。
光吉・光源氏.jpg

B-2-1図「源氏物語図屏風(土佐光吉筆)」左隻「関屋図屏風」(「「乗馬」部分拡大図」)

光吉・関屋図牛.jpg

B-2-2図「源氏物語図屏風(土佐光吉筆)」左隻「関屋図屏風」(「「牛車」部分拡大図」)

 乗馬している「光源氏」(B-2-1図)の前に、「牛車を牽く牛」(B-2-2図)が描かれている。
この光吉の「牛車を牽く牛」(B-2-2図)を、宗達の「関屋図」(A-1図)では、次のように転用している。

宗達・関屋図部分二.jpg

A-1図=関屋図(俵屋宗達筆)」(部分拡大図)

 この宗達の「牛」(A-1図)と、先の光吉の「牛」(B-2-2図)とを相互に見極めて行くと、両者の差異が歴然として来る。光吉の「牛」(B-2-2図)が無表情なのに対して、宗達の「牛」(A-1図)は、前の人物(空蝉の弟、空蝉の文を持っているか?)に、近寄ろうとしている、その感情を秘めた「牛」の表情なのである。
 この「牛」の表情は、その「牛車」に乗っている「光源氏」の感情の動き(「空蝉」との再会を果たしたい)を如実示している。

関屋澪標図屏風.jpg

A図「関屋澪標図屏風(俵屋宗達筆)」(右隻=A-1図=関屋図・左隻=A-2図=澪標図)

 このA図「関屋澪標図屏風(俵屋宗達筆)」の「右隻=A-1図=関屋図」の主題は、紛れもなく、その第一・二・三扇に描かれている、この「牛車」(光源氏が乗っている)の「牛」(A-1図)なのである。
 そして、この「左隻=A-2図=澪標図」では、その第一扇に描かれている、下記の「明石の方」が乗っている「屋形船」を見送る(再会を果たせず無念のうちに見送る)、この「牛」こそ、謂わば、「光源氏」の化身ともいうべきものであろう。

宗達・澪標船.jpg

A-2図=澪標図(部分拡大図)

宗達・関屋図部分二.jpg

A-1図=関屋図(俵屋宗達筆)」(部分拡大図)

 「宗達マジック・宗達ファンタジー」とは、この「光源氏」を「牛」に化身させるという、「大胆」にして且つ「自由自在・融通無碍」の発想にある。
 それに比して、「光吉マジック・光吉ファンタジー」は、せいぜい、「輿・牛車に乗る光源氏」を「乗馬の光源氏」に変身させる程度の、「実直」にして且つ「変法自強・活用自在」の、その心情にある。

行幸・光源氏.jpg

B-1-3図「源氏物語図屏風(土佐光吉筆)」右隻「御幸・浮舟図屏風」(「乗馬」部分拡大図

光吉・光源氏.jpg

B-2-1図「源氏物語図屏風(土佐光吉筆)」左隻「関屋図屏風」(「「乗馬」部分拡大図」)

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yahantei

 『源氏物語』の「宇治十帖」などは、無縁のものと敬遠していたが、「円地文子訳」を拾い読みしながら、この作者(紫式部)の、構想の雄大さには、「識者の云う通り」という、その一端を垣間見る思いがした。
 アップなどを忘れて、「源氏物語絵巻五十四帖」(別冊太陽)など、これなども、もはや、古典の部類なのであろう。
 それにしても、今回の、【「宗達マジック・宗達ファンタジー」とは、この「光源氏」を「牛」に化身させるという、「大胆」にして且つ「自由自在・融通無碍」の発想にある。
 それに比して、「光吉マジック・光吉ファンタジー」は、せいぜい、「輿・牛車に乗る光源氏」を「乗馬の光源氏」に変身させる程度の、「実直」にして且つ「変法自強・活用自在」の、その心情にある。】は、後日、手入れなどの必要があろう。 
by yahantei (2021-03-09 15:49) 

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