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「源氏物語画帖(その十一・花散里)」(光吉・長次郎筆:京博本)周辺 [源氏物語画帖]

11 花散里(光吉筆)=(詞)近衛信尹息女太郎(君   源氏25歳夏 
  花散里(長次郎筆)=(詞) 八条宮智仁

光吉・花散里.jpg

A-1図 源氏物語絵色紙帖 花散里 画:土佐光吉
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/511324/2

太郎君・花散里.jpg

A-2図 源氏物語絵色紙帖 花散里 詞:近衛信尹息女太郎(君)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/511324/2

長次郎・花散里.jpg

B-1図 源氏物語絵色紙帖 花散里  画:長次郎
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/580483/1

八条宮・花散里.jpg

B-2図 源氏物語絵色紙帖 花散里 詞:八条宮智仁
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/580483/1


(「近衛信尹息女太郎(君)」書の「詞」=A-2図)

https://matuyonosuke.hatenablog.com/entry/2019/03/12/%E8%8A%B1%E6%95%A3%E9%87%8C_%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%A1%E3%82%8B%E3%81%95%E3%81%A8%E3%80%90%E6%BA%90%E6%B0%8F%E7%89%A9%E8%AA%9E_%E5%8D%81%E4%B8%80%E5%B8%96%E3%80%91

琴を、あづまに調べて、掻き合はせ、にぎははしく弾きなすなり。御耳とまりて、門近なる所なれば、すこし さし出でて見入れたまへば、(第二段 中川の女と和歌を贈答)

1.2.1 琴を、 あづまに調べて、 掻き合はせ、にぎははしく 弾きなすなり。
(琴を東の調べに合わせて、賑やかに弾いているのが聞こえる。)
1.2.2 御耳とまりて、門近なる所なれば、すこし さし出でて見入れたまへば、
(お耳にとまって、門に近い所なので、少し乗り出してお覗き込みなさると、)

(「八条宮智仁」書の「詞」=B-2図)

「をちかへりえぞ忍ばれぬほととぎす ほの語らひし宿の垣根に」
寝殿とおぼしき屋の西の妻に人びとゐたり。先々も聞きし声なれば、声づくりけしきとりて、御消息聞こゆ。若やかなるけしきどもして、おぼめくなるべし。(第二段 中川の女と和歌を贈答)

1.2.3 「をちかへりえぞ忍ばれぬほととぎす ほの語らひし宿の垣根に」
(「昔にたちかえって懐かしく思わずにはいられない、ほととぎすの声だ。かつてわずかに契りを交わしたこの家なので」)
1.2.4 寝殿とおぼしき屋の西の妻に人びとゐたり。先々も聞きし声なれば、 声づくりけしきとりて、御消息聞こゆ。若やかなるけしきどもして、 おぼめくなるべし。
(寝殿と思われる家屋の西の角に女房たちがいた。以前にも聞いた声なので、咳払いをして相手の様子を窺ってから、ご言伝を申し上げる。若々しい女房たちの気配がして、不審に思っているようである。)

(周辺メモ)

http://www.genji-monogatari.net/

第十一帖 花散里
第一章 花散里の物語
  第一段 花散里訪問を決意
  第二段 中川の女と和歌を贈答
(「近衛信尹息女太郎(君)」書の「詞」=B-2図)→ 1.2.1/1.2.2 
(「八条宮智仁」書の「詞」=B-4図) → 1.2.3/1.2.4 
第三段 姉麗景殿女御と昔を語る
  第四段 花散里を訪問

http://e-trans.d2.r-cms.jp/topics_detail31/id=2053

源氏物語と「花散里」(川村清夫稿)

【 光源氏の愛人の中で、花散里は紫上のような美女でもなければ、末摘花のような醜女でもない、普通の容貌の持主であった。ただし温和で、家庭的な性格だったので、光源氏の豪邸六条院が完成してからは、光源氏から紫上に次いで大切にされた。

 「花散里」の帖は、源氏物語の中で最も短い帖であり、最も冗長な帖である「若菜」の帖と好対照である。内容は、光源氏が麗景殿女御のもとを訪問したついでに、その妹である花散里とも会うという状況描写だけで、台詞はほとんど出てこない。ただし末尾に、光源氏の男女交際観が書かれているので、ここにあげておく。

「花散里」の帖の原文は、藤原定家の自筆本である。定家自筆本はこの帖と、「行幸」、「柏木」、「早蕨」、「野分」の5帖しか現存していない。それでは定家自筆本、渋谷栄一の現代語訳、ウェイリーとサイデンステッカーの英訳の順番に見てみよう。

(定家自筆本)かりに見たまふかぎりは、おしなべての際にはあらず、さまざまにつけて、いふかひなしと思さるるはなければにや、憎げなく、我も人も情けを交はしつつ、過ぐしたまふなりけり。それをあいなしと思ふ人は、とにかくに変はるも、「ことわりの、世のさが」と、思ひなしたまふ。

(渋谷現代語訳)かりそめにもお契りになる相手は、皆並々の身分の方ではなく、それぞれにつけて、何の取柄もないとお思いになるような方はいないからだろうか、嫌と思わず、自分も相手も情愛を交わし合いながら、お過ごしになるのであった。それを、つまらないと思う人は、何やかやと心変わりしていくのも、「無理もない、人の世の習いだ」と、しいてお思いになる。

(ウェイリー英訳)Being women of character and position they had no false pride and saw that it was worthwhile to take what they could get. Thus without any ill will on either side concerning the future or the past they would enjoy the pleasure of each other’s company, and so part. However, if by chance anyone resented this kind of treatment and cooled towards him, Genji was never in the least surprised; for though, as far as feelings went, perfectly constant himself, he had long ago learnt that such constancy was very unusual.

(サイデンステッカー英訳) There were no ordinary, common women among those with whom he had had even fleeting affairs, nor were there any among them in whom he could find no merit; and so it was, perhaps, that an easy, casual relationship often proved durable. There were some who changed their minds and went on to other things, but he saw no point in lamenting what was after all the way of the world.

 第1文の前半「かりに見たまふかぎりは、おしなべての際にはあらず、さまざまにつけて、いふかひなしと思さるるはなければにや」に関しては、ウェイリーはBeing women of character and position they had no false pride and saw that it was worthwhile to take what they could get.と、サイデンステッカーはThere were no ordinary, common women among those with whom he had had even fleeting affairs, nor were there any among them in whom he could find no merit.と訳している。

「おしなべての際にはあらず」をウェイリーはwomen of character and positionと、サイデンステッカーはthere were no ordinary, common womenと解釈している。また「いふかひなしと思さるるはなければにや」については、ウェイリーはit was worthwhile to take what they could getと、サイデンステッカーはnor were there any among them in whom he could find no meritととらえている。

第1文の後半「憎げなく、我も人も情けを交はしつつ、過ぐしたまふなりけり」に関しては、ウェイリーはThus without any ill will on either side concerning the future or the past they would enjoy the pleasure of each other’s company, and so part.と、冗漫な訳をしている。他方サイデンステッカーはand so it was, perhaps, that an easy, casual relationship often proved durable.と、訳し足りない。

ウェイリーが「憎げなく」をwithout ill willと、「我も人も情けを交はしつつ」をthey would enjoy the pleasure of each other’s companyと解釈しているのに対して、サイデンステッカーはこれらの部分を訳出せず、そっけなくeasy, casual relationshipにまとめてしまっている。

第2文の前半「それをあいなしと思ふ人は、とにかくに変はるも」については、ウェイリーはif by chance anyone resented this kind of treatment and cooled towards himと、サイデンステッカーはthere were some who changed their minds and went on to other thingsと簡単に訳しているが、「あいなし」の正しい訳語はunattractiveである。

第2文の後半「ことわりの、世のさがと、思ひなしたまふ」に関しては、ウェイリーの訳文はGenji was never in the least surprised; for though, as far as feelings went, perfectly constant himself, he had long ago learnt such constancy was very unusualと冗長で、サイデンステッカーの訳文はbut he saw no point in lamenting what was after all all the way of the worldと簡潔である。キーワードである「ことわりの、世のさが」を、ウェイリーはsuch constancy was very unusual、サイデンステッカーはthe way of the worldと訳しているが、これは後者の方が的確である。

 麗景殿女御と花散里への訪問もつかの間のやすらぎであった。「賢木」の帖で朧月夜との密会の場を右大臣に押さえられた光源氏は、弘徽殿女御の激怒を買って勅勘の身となり、流罪を避けて、須磨から明石へ蟄居することになるのである。 】

(「三藐院ファンタジー」その二)

「A-2図 源氏物語絵色紙帖 花散里 詞:近衛信尹息女太郎(君)」について、『源氏絵の系譜(稲本万里子著・森話社)』では、「力強い書風である。太郎君は、数えで九歳のときに麻疹(ましん)を患っている。容姿に恵まれない末摘花に準(なぞら)えられていたのだろうか」とコメントしている(p67)。
近衛信尹の日記『三藐院記』には、「太郎(君)」に関する記述はない。ただ、その『三藐院記』には、子供について、次の三箇所の記述がある。

【A 今夜、竹、誕ス。男子也。但、即時空。可惜、可嘆。文禄三年(一五九四)七月二十条・信尹三十歳
B 辰下刻(午前九時過ぎ)、女子生。慶長三年(一五九八)五月六日条・信尹三十四歳
C 晴、愛娘ハシカ出。慶長十一年(一六〇六)正月五日条・信尹四十二歳  】(『三藐院 近衛信尹 残された手紙から(前田多美子著)』p166)

Aは、信尹が薩摩の坊津に配流になった三か月後のことで、「竹」は信尹の身辺に仕えた侍女の一人で、後年にも、信尹の書簡などに、その名が記されているようである(『前田・前掲書)。この嬰児は、生まれると直ぐに亡くなり(即時空)、「可惜(惜シム可シ)、可嘆(嘆ク可シ)」。
Bは、生母が不明だが、女子誕生の記述。この女子が「太郎(君)」なのかも知れない。Cでは、この「愛娘(まなむすめ)」が「ハシカ」(麻疹)を患ったという記述で、「恙なく成長していれば、九歳、そして、前年の慶長十年に元服した信尋は、一歳年下の八歳」ということになる(『前田・前掲書)。『稲本・前掲書』では、この『三藐院記』の記述に基づいてのものなのであろう。
 しかし、「花散里」の「画」(B-1図・光吉筆)に対応する「詞」(B-2図・太郎書)のコメントとして、『稲本・前掲書』の、「容姿に恵まれない末摘花に準(なぞら)えられていたのだろうか」は、やや飛躍過ぎという雰囲気で無くもない。
 そして、「花散里は紫上のような美女でもなければ、末摘花のような醜女でもない、普通の容貌の持主であった。ただし温和で、家庭的な性格だった」(「川村・前掲稿」)ということに着目しての、何らかのコメントが付加されるというように解したい。

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2021-04-20

【 4 夕顔(光吉筆)=(詞)飛鳥井雅胤(一五八六~一六五一)(「久翌=光吉」印) 
   (長次郎筆)=(詞)青蓮院尊純(一五九一~一六五三) (「長次郎」墨書)
  5 若紫(光吉筆)=(詞)西洞院時直(一五八四~一六三六) )(「久翌=光吉」印) 
   (長次郎筆)=(詞)青蓮院尊純(一五九一~一六五三) (「長次郎」墨書)
6 末摘花(光吉筆)=(詞)西洞院時直(一五八四~一六三六) )(「久翌=光吉」印)
   (長次郎筆)=(詞)青蓮院尊純(一五九一~一六五三) (「長次郎」墨書) 
10 賢木(光吉筆)=(詞) 八条宮智仁(一五七九~一六二九)※※※)(「久翌=光吉」印)
   (長次郎筆)=(詞)※近衛信尹息女(?~?) (「長次郎」墨書)
11 花散里(光吉筆)=※(詞)近衛信尹息女(?~?) (「久翌=光吉」印) 
(長次郎筆)=(詞)八条宮智仁(一五七九~一六二九) (長次郎墨書) ※※※)
15 蓬生(光吉筆)=(詞)※※近衛信尋(一五九九~一六四九) (「久翌=光吉」印)
(長次郎筆)=(詞)近衛信尹(一五六五~一六一四) (長次郎墨書) ※※※ 】

『源氏物語画帖』(京博本)は、「絵・詞書」ともに五十四枚の画帖である。「1 桐壺(光吉筆)」から「34若菜(上・下) (光吉筆)」までが「光吉筆」で、「35柏木(長次郎筆)」から「48 早蕨(長次郎筆)」までが「長次郎筆」である。そして、「49宿木」から「54夢浮橋」までの六場面は存在しない。この六場面に代わるものとして、上記の「4夕顔・5若紫・6末摘花・10賢木・11花散里・15蓬生」が「光吉筆と長次郎筆」で重複している。
この「49宿木から54夢浮橋」の六画面を外して、代わりに、この「4夕顔・5若紫・6末摘花・10賢木・11花散里・15蓬生」を、何故に重複させて描かせたのであろうかということについて、『源氏絵の系譜(稲本万里子著・森話社)』では、次のように記述している。

【 重複六場面には、光源氏が女性のもとを訪れる場面と、光源氏が女性の姿を垣間見る場面が描かれている。このような情景選択と長次郎の甘く優しい絵の表現から、「邸(やしき)の奥にいて男の訪れを待っていれば、物語のように幸せになることができる」という注文主のメッセージを読み取ることができる(注一)。 
 最後の場面である蓬生の絵(上記の「15蓬生」=後出)を見てみよう。荒れ果てた邸内にいるものの幸福そうな男女の姿を描き、光源氏の訪れによって、ようやく幸せになった末摘花のようすをあらわしている。このような場面で終わらせたのは、鑑賞者の幸せを願う注文主の思いが込められているからであろう。蓬生の詞書筆者は近衛信尹である。信尹は、薫と匂宮というふたりの男性のあいだで揺れた浮舟が、入水を果たせず倒れていたところを横川(よかわ)の僧都に助けられ、出家するという忌むべき場面を避け、娘太郎君のために制作させたのではないだろうか。
(注一)=稲本万里子「京都国立博物館保管「源氏物語画帖」に関する一考察―長次郎による重複六場面をめぐって―」『国華』一二二三、一九九七年九月。
(注二)=武田恒夫「土佐光吉と細画―京都国立博物館源氏物語図帖をめぐって―」『国華』九九六、一九七六年十二月。=この論稿が、《「1 桐壺(光吉筆)」から「34若菜(上・下) (光吉筆)」までが「光吉筆」で、「35柏木(長次郎筆)」から「48 早蕨(長次郎筆)」までが「長次郎筆」である。》ことを明らかにしたもので、(注一)などは、ここからスタートしている。 】(『源氏絵の系譜(稲本万里子著・森話社)』p66)

 ここで、『稲本・前掲書』では、「蓬生の詞書筆者は近衛信尹である。信尹は、薫と匂宮というふたりの男性のあいだで揺れた浮舟が、入水を果たせず倒れていたところを横川(よかわ)の僧都に助けられ、出家するという忌むべき場面を避け、娘太郎君のために制作させたのではないだろうか」という指摘は「是」としても、これは、「※※※信尹(養父)と※※信尋(養子=実子に近い)」との「両者の『詞書』との関係」で、「※※※信尹「実父」と※太郎(君)=実子の愛娘との関係」との「両者の『詞書』との関係」ではない。そして、これらのことから、「太郎(君)=ハシカ(麻疹)=「容姿に恵まれない末摘花に準(なぞら)えられていたのだろうか」のストレートの結び付きは、やはり否定的に解したい。
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yahantei

【4 夕顔(光吉筆)=(詞)飛鳥井雅胤(一五八六~一六五一)(「久翌=光吉」印) 
 (長次郎筆)=(詞)青蓮院尊純(一五九一~一六五三) (「長次郎」墨書)
5 若紫(光吉筆)=(詞)西洞院時直(一五八四~一六三六) )(「久翌=光吉」印) 
 (長次郎筆)=(詞)青蓮院尊純(一五九一~一六五三) (「長次郎」墨書)
6 末摘花(光吉筆)=(詞)西洞院時直(一五八四~一六三六) )(「久翌=光吉」印)
(長次郎筆)=(詞)青蓮院尊純(一五九一~一六五三) (「長次郎」墨書) 
10 賢木(光吉筆)=(詞) 八条宮智仁(一五七九~一六二九)※※※)(「久翌=光吉」印)
(長次郎筆)=(詞)※近衛信尹息女(?~?) (「長次郎」墨書)
11 花散里(光吉筆)=※(詞)近衛信尹息女(?~?) (「久翌=光吉」印) 
長次郎筆)=(詞)八条宮智仁(一五七九~一六二九) (長次郎墨書) ※※※)
15 蓬生(光吉筆)=(詞)※※近衛信尋(一五九九~一六四九) (「久翌=光吉」印)
(長次郎筆)=(詞)近衛信尹(一五六五~一六一四) (長次郎墨書) ※※※ 】



《「49宿木」から「54夢浮橋」までの六場面は存在しない。》のに代わる、上記の「長次郎筆」のの重複する「画題」(夕顔・若紫・末摘花・賢木・花散里・蓬生)を、誰が「選定したのであろうか」(?)



「近衛信尹(一五六五~一六一四) 」が選定したとしても、これは、「青蓮院尊純(一五九一~一六五三)」と「八条宮智仁(一五七九~一六二九)の二人、そして、殊に、この「八条宮智仁(一五七九~一六二九)」の影響は強いように思われる。


by yahantei (2021-05-07 19:06) 

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