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町物(京都・江戸)と浮世絵(その十二 鈴木其一筆「抱一上人像」など) [洛東遺芳館]

(その十二) 鈴木其一筆「抱一上人像」など

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鈴木其一筆「抱一上人像」 一幅 絹本着色 八九・五×三一・六cm 個人蔵

「抱一は文政十一年(一八二八)十一月二十九日に亡くなった。その尊像は、翌年四月に鶯蒲が二幅を描いたことや、孤邨も手掛けていたこと(『抱一上人真蹟鏡』所収)が知られている。また抱一の孫弟子野崎真一による肖像画もある。円窓の中に師の面影を描く。鶯蒲作は面長で痩せたイメージに描かれるが、其一本は全体に丸味を帯びた容姿である。其一はこの時期「亀田鵬斎像」(個人蔵)などを手掛けおり、肖像画には強いこだわりをもっていたことと思われる。「噲々其一謹写」と書かれた署名からも、師への崇敬の念が伝わってくる。角ばった頭の形や衣服の描写は、抱一の「其角像」(個人蔵)に通じるものがあり、あるいは抱一が敬愛した其角のイメージも重ねられているのかも知れない。」
(『鈴木其一 江戸琳派の旗手』所収「作品解説(岡野智子稿)」)

 酒井抱一の一番弟子の鈴木其一の、この「抱一上人像」は「洛東遺芳館蔵」ではなく、「個人蔵」である。抱一と其一の作品は、京都では「細見美術館蔵」のものが多いのだが、「洛東遺芳館蔵」の其一作品として、「三社図」(『鈴木其一 江戸琳派の旗手』所収「作品90」)などがある。
 冒頭の作品解説にある「亀田鵬斎像」(鈴木抱一筆)は、サントリー美術館などで開催された「鈴木其一 江戸琳派の旗手」展(2016/9/10~10/30)には出品されていなかった。
 その作品は、次のものなのかも知れない(「補記一」)。

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「亀田鵬斎像」(鈴木其一筆か?) 

 「下谷の三幅対」の、酒井抱一と亀田鵬斎との、その肖像らしきものを見て来ると、もう一人の「谷文晁」(自画像)も併載して置きたくなる。
「文晁年譜」(『日本の美術№257 谷文晁』所収)の「享和元年(一八〇一)四十歳」の項に「三月二カ月前没した木村蒹葭堂(67)の肖像を描く(款記)。五月鵬斎、抱一と共に常陸国若芝金龍寺に遊び江月洞文筆蘇東坡像を模写、後その複写を二人に贈る(相見香雨集二)。」とある。下記の「谷文晁」(自画像)は、その頃のものである。

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谷文晁筆「谷文晁(自画像)」 近世名家肖像図巻(谷文晁筆)・東京国立博物館

 また、「文晁年譜」(『日本の美術№257 谷文晁』所収)の「文化十二年(一八一五)五十三歳」の項に、「十月中屋六右衛門隠宅における酒合戦に、抱一、鵬斎、南畝等と参加(後水鳥記)。『酒合戦』描く。」とある。
 この文晁が描いた「酒合戦」における「酒井抱一像(抱一上人像)」は、次のもの(中央の僧体の人物)なのかも知れない(補記二)。

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谷文晁筆(?)「抱一上人像(?)」(中央の僧体の人物)

補記一 亀田鵬斎について

http://sawarabi.a.la9.jp/040725isasaramai/kamedabousai.htm

補記二 酒合戦 →  ミュージアム巡り 江戸のレシピ 街談文々集要

http://blog.goo.ne.jp/shiotetsu_2011/e/d8038e593ad23653fc66cc14623c4b37

補記三 酒合戦 → 千住宿

http://www.wikiwand.com/ja/千住宿

(抜粋)
千住酒合戦
千住酒合戦とは、文化12年(1815年)10月21日、千住宿の飛脚問屋の中屋六衛門の六十の祝いとして催された。現在の千住一丁目にあった飛脚宿であり、会場を中屋とした。 審査員として、下谷の三福対である江戸琳派の祖の酒井抱一、絵師の谷文晁、儒学者・書家の亀田鵬斎の他、絵師谷文一、戯作者の太田南畝など、著名人が招かれた。酒合戦の時には、看板に「不許悪客下戸理窟入菴門」と掲げられた。この酒合戦は競飲会であり、厳島杯(5合)、鎌倉杯(7合)、江島杯(1升)、万寿無量杯(1升5合)、緑毛亀杯(2升5合)、丹頂鶴杯(3升)などの大杯を用いた。亀田鵬斎の序文(『高陽闘飲序』)によれば、参加者は100余名、左右に分かれた二人が相対するように呑み比べが行われた、1人ずつ左右から出て杯をあけ、記録係がこれを記録した。
千住酒合戦に関する記録は多数あり、『高陽闘飲図巻』:『高陽闘飲序』亀田鵬斎、『後水鳥記』 谷文一・大田南畝、『擁書漫筆』三 小山田与清(高田與清)、『酒合戦番付』、『千住酒合戦』(木版)、そして『街談文々集要』(万延元年(1860年)序)石塚重兵衛(号:豊芥子)などがある。


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