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「風神雷神図」幻想(その十) [風神雷神]

(その十)北斎の「風神図」・「雷神図」

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北斎「風神図」(落款「八十五老卍筆」 印章「冨士型」) 弘化元年(一八四四) 個人蔵

【よく知られてる俵屋宗達筆「風神雷神図屏風」では、風神は風をはらんだ布を手にしているが、本図ではまるで風呂敷包みを肩にかけているようである。雲の上に浮かび、風に頭髪を吹かれて鑑賞者をうかがうように見つめる表情は、どこか寂しげである。威勢を放つ「雷神図」(注・フリーア美術館蔵)とは、また別な魅力に溢れている。天空を自在に駆け巡る神というよりも、多分に人間臭くて親しみを感じるさせる佳品である。 】
(『北斎肉筆画の世界(宝島社=内藤正人監修)』所収「作品解説(樋口一貴稿)」)

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北斎筆「雷神図」(一部・拡大)フリーア美術館蔵(「オープンF|S」)
署名「八十八老卍筆」 印章「百」 弘化四年(一八四七)

【 墨のぼかしを利かせた暗雲の中から赤黒い体躯、牙を見せた雷神が現れる。撥を振り、太鼓を連打して、稲妻を轟かせているのであろうが、恐ろしさや神々しさは感じられない。その姿が北斎の絵手本でよく見かける、踊り稽古などの人物描写ほ彷彿とさせるせいであろうか。天衣の翻りと相まって、天空を軽やかに舞うかのように見える。すべての描写を仕上げ後、最後の最後に墨の飛沫と、赤いレザービームの雷光を走らせたようである。こうした狂いのない大胆さが北斎ならではある。 】
(『北斎肉筆画の世界(宝島社=内藤正人監修)』所収「作品解説(加藤陽介稿)」)

 この「雷神図」(フリーア美術館蔵)に比して、冒頭の「風神図」(個人蔵)は、鬼というよりも苦悩の表情の、前に紹介した暁斎の「貧乏神」が連想されて来る。

http://yahan.blog.so-net.ne.jp/2018-03-26
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暁斎「貧乏神図」一幅 紙本着色 明治十九年(一八八六) 福富太郎コレクション資料室蔵 一〇二・五×二九・七cm 

 しかし、ここで改めて、「雷神図」と「風神図」とを見て行くと、これは、いわゆる、「阿吽(あうん)」の「阿」は「口を開いて」の「雷神図」、そして、「吽」は「口を閉じて」の「風神図」という、そもそも「風神雷神図」の意味するところものを、北斎は描いているという思いが増大して来る。
 そして、この「阿」の動的な「雷神図」というのは、古来、様々な「雷神図」があるが、この「吽」の静的な「風神図」というのは、「鬼ではなく人間そのものである」という、この「風神図」の凄さに、今更ながらに、北斎の一面を思い知るのである。
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