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「風神雷神図」幻想(その十一) [風神雷神]

(その十一)宗達の「風神雷神図屏風」

宗達 風神雷神図.jpg

俵屋宗達「風神雷神図屏風」二曲一双 紙本金地着色 建仁寺蔵(京都国立博物館に寄託)
寛永年間頃(十七世紀前半)作 各一五四・五 × 一六九・八 cm

 北斎の「雷神図」そして「風神図」を見て、しかる後、この「風神雷神図」で最も高名な宗達の、この「風神雷神図屏風(国宝)」に接すると、北斎の「風神図」・「雷神図」の、言葉を拒否するような「凄み」が、この宗達の「風神図」・「雷神図」では、その欠片も見出せないということを思い知る。

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北斎「風神図」

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宗達「風神図」

 上記の「北斎」の内へと志向する「孤愁」の「風神図」に比して、「宗達」の外へと志向する、例えば、「舞え舞え蝸牛、舞はぬものならば、馬の子や牛の子に蹴させてん」(『梁塵秘抄』)と囃し立てているような、そんな「遊び」の「風神図」という印象が浮かんで来る。

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北斎「雷神図」

 この「北斎」の「暗夜」のうちに「悶え狂い、乱打する雷神図」に比して、次の宗達の「雷神図」は、これまた、「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん」『梁塵秘抄』)と、そんな囃し立てているような、そんな「遊び」の「雷神図」という印象が、どうして拭えないのである。
 と同時に、しみじみと、宗達の時代(「十七世紀前半」)と、北斎の時代(「十八世紀後半)との、その異同とを実感するのである。

風鈴雷神図二.jpg


宗達「雷神図」


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