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「風神雷神図」幻想(その十八) [風神雷神]

(その十八) 抱一の「雷神風神図扇」

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酒井抱一「風神雷神図扇」の「風神図扇」
紙本着色 二本 各三四・〇×五一・〇cm 太田美術館蔵

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酒井抱一「風神雷神図扇」の「雷神図扇」
紙本着色 二本 各三四・〇×五一・〇cm 太田美術館蔵
【光琳画をもとにして扇に風神と雷神を描き分けた。『光琳百図後編』に掲載された縮図そのものに、二曲屏風の作例より小画面でかえって似ているところがある。また雲の表現や天衣の翻りなど鈴木其一による『風神雷神図襖』にも近い。すでに大作を仕上げていた身に付いた感じがあり、淡い色調が好ましくもある。 】
(『別冊太陽 酒井抱一 江戸の粋人(仲町啓子監修)所収「作品解説(松尾知子稿)」)

 そもそも、琳派の祖の俵屋宗達の「俵屋」は、京都の「絵扇」を中心とする「絵屋」ないし「扇屋」の屋号のようなものであろう。仮名草子『竹斎』に「扇は都たわらやがひかるげんじのゆうがほのまきえぐをあかせてかいたりけり・・・」と、「俵屋の扇」は京都の人気の的であったことが記されている。

宗達・扇面.jpg

伝俵屋宗達「扇面散貼付屏風」 二曲一双 紙本着色 重文 醍醐寺蔵
各 一五七・〇×一六八・〇cm 各扇 上弦 五五・〇~五七・五cm

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尾形光琳「鶴扇」17.9 x 49 cm フリーア美術館蔵
A crane
Type Fan
Maker(s) Artist: Style of Ogata Kōrin 尾形光琳 (1658-1716)
Historical period(s) Edo period, 19th century
School Rinpa School
Medium Ink and color on paper
Dimension(s) H x W (overall): 17.9 x 49 cm (7 1/16 x 19 5/16 in)

 宗達の「俵屋」が扇屋でとすると、光琳の「雁金屋」は呉服商で上層町衆の家柄である。この絵扇の署名は「法橋光琳」で、元禄十四年(一七〇一、四十四歳)に「法橋」に叙されているので、それ以降の作ということになろう。
 元禄八年(一六九五、三十八歳)の「年譜」に、「二条綱平、光琳の絵扇を女院に献上す」とあり、光琳の「絵扇」も、人気が高かったのであろう。
 宗達、そして、光琳の、その「琳派」を承継する、江戸琳派の創始者、酒井抱一もまた、「絵扇」の名手である。
 冒頭の「風神雷神図扇」は、『光琳百図後編』に掲載されている縮図を踏襲しており、それが刊行された文政九年(一八二六、六十六歳)前後の、晩年の作であろうか。こういう小画面のものになると、抱一の瀟洒な画技が実に見応えあるものとなって来る。
 この抱一と北斎とは、全く同時代の二人で、北斎が一歳年上、そして、北斎にも「扇面散図という名品がある。

北斎・扇.jpg

葛飾北斎「扇面散図」絹本着色一幅 五十一・五×七一・四cm 東京国立博物館蔵
署名「九十老人卍筆」 嘉永二年(一八四九)作

 抱一と北斎、抱一は大名家の生まれ、片や、北斎は、武蔵国葛飾の百姓の出、その出生などは雲泥の差がある。しかし、画人としてのスタートは、北斎が、浮世絵師、勝川華章門、そして、抱一もまた、浮世絵師、歌川豊春に師事し、洒落本や美人画などと、浮世絵の世界から出発している。
 爾来、北斎の九十年ら亘る生涯は、まさに、神羅万象、三万点を超える作品を発表し、世界に冠たる「日本最大の浮世絵師・北斎」の名を轟かしているが、抱一もまた、宗達、光琳の切り拓いた、日本画壇の一角を占めた「琳派」の後継者として、さらに、「江戸琳派」の創始者として、その六十八年の生涯は、決して、北斎に一歩も引けを取るものではなかろう。
 と同時に、北斎にしても抱一にしても、屏風絵や大画面の肉筆画に目が奪われがちであるが、こうした、絵扇や扇面画の小画面のものや細密画の世界に、大画面ものに匹敵する凄さというものを実感する。
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