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「風神雷神図」幻想(その二十) [風神雷神]

(その二十) 光琳の「金」(風神雷神図)と抱一の「銀」(夏秋草図)、そして、其一の「金」(白椿図)と「銀」(芒野図)の世界

 一橋一位殿御頼認上
 二枚折屏風一隻下絵 銀地
       雷神  夏艸雨
 光琳筆 表    裏 
       風神  秋艸風
   文政四年辛巳十一月九日出来 差出

一 上記は抱一筆「夏秋草図屏風」の裏面に貼付されていた文書の内容である。
二 この文書により、抱一の「夏秋草屏風」は、一橋一位殿(一橋治済=はるさだ)の依頼により制作したことが分かる。また、光琳の「風神雷神図屏風」の、「雷神」の裏面に「夏草雨」が、そして、「風神」の裏面に「秋草風」が配して制作したと、抱一の趣向が記されている(現在は別々の屏風に仕立て直されている)。
三 この光琳の「風神雷神図」(表)と、抱一の「夏秋草図(裏)」とを、抱一の「夏秋草図」(裏)を前面にして、「表」と「裏」とを表示すると、次のとおりとなる。

夏秋草図屏風(風神雷神図との関連).jpg

上段(表) 尾形光琳筆「風神雷神図屏風」(二曲一双) 東京国立博物館蔵
下段(裏) 酒井抱一筆「夏秋草図屏風」(二曲一双)  東京国立博物館蔵

 抱一が、「光琳百回忌」の法要を営んだのは、文化十二年(一八一五、五十五歳)の時、それから六年後の文政四年(一八二一、六十一歳)の時に、上記の「夏秋草図屏風」(「下絵」と「本図」)が完成したということになる。
 十一代将軍徳川家斉の父にあたる一橋治斎は、この前年に、古希を迎え、朝廷から従一位に任ぜられ最高位に上り詰めた。また、その翌年には、家斉の息女喜代姫と、酒井家十八代忠実の子、注学との婚約が成立し、将軍家と姫路酒井家の婚儀が整ったという時代史的背景がある。
 さらに付け加えるならば、この年(文政四年)は旱魃に見舞われた年で、抱一が、この「夏秋草図屏風」を手掛けたのは、風神雷神に雨乞いの祈りを託したものという説もあるようである((『別冊太陽 酒井抱一 江戸の粋人(仲町啓子監修)所収「江戸風流を描く(岡野智子稿)」)。
 その上で、光琳の「風神雷神図屏風」が、一橋徳川家にあったものなのか、それとも、抱一が探し出したものなのかどうかは定かではない。確かに言えることは、光琳の「風神雷神図屏風」の裏面、確実に、抱一が、この「夏秋草屏風図」描いたということなのである。
 そして、光琳の「風神雷神図屏風」が、金(ゴールド)の世界に、抱一の「夏秋草図屏風」は、銀(シルバー)の世界をもって対峙させたということなのである。
 この抱一の、銀(シルバー)の世界は、光琳の、金(ゴールド)の世界への「挑戦」であると共に、光琳を敬慕する抱一の、限りない「オマージュ」(敬意を表しての作品)的「裏絵」(「表絵」に呼応する「裏絵」)という趣向を有するものなのであろう。
 そして、この抱一の、金(ゴールド)の「表絵」に呼応する、銀(シルバー)の「裏絵」の世界は、抱一の継承者の鈴木其一に、見事に引き継がれて行くのである。
 その象徴的な作品が、次の其一の、「金」(白椿図)と「銀」(芒野図)との世界ということになる。

其一・白椿.jpg

Camellias (one of a pair with F1974.35) → 白椿(フリーア美術館蔵)
Type Screen (two-panel) → 二曲一双
Maker(s) Artist: Suzuki Kiitsu 鈴木其一 (1796-1858)
Historical period(s) Edo period, 19th century
School Rinpa School
Medium Ink, color, and gold on paper
Dimension(s) H x W: 152 x 167.6 cm (59 13/16 x 66 in)

其一・芒野.jpg

Autumn Grass → 芒野(フリーア美術館蔵)
Type Screen (two-panel) → 二曲一双
Maker(s) Artist: Suzuki Kiitsu 鈴木其一 (1796-1858)
Historical period(s) Edo period, 19th century
Medium Ink and silver on paper
Dimension(s) H x W: 152 x 167.6 cm (59 13/16 x 66 in)
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