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江戸の「金」と「銀」の空間(その五) [金と銀の空間]

(その五) 抱一の「銀」(紅白梅図屏風)と蕪村の影

紅白梅図屏風.jpg

酒井抱一「紅白梅図屏風」六曲一双 紙本銀地着色 各一五二・五×三一九・六cm
出光美術館蔵
【『光琳百図』に掲載された金地『紅白梅図屏風』を参考にしているが、白梅の瀟洒な造形などには抱一の生き生きとした解釈があふれている。屏風は折り畳むと互いに接触し、長い時を経るとその接触面に顔料痕跡がつく。本図の顔料痕は通常とは逆の面にあるため、当初は裏絵として今とは逆に折り畳まれていたようだ。表絵は光琳の金地の作品だったのだろうか。】
(『別冊太陽 酒井抱一 江戸琳派の粋人』所収「抱一と銀(宗像晋作稿)」)

 上記の解説文の「当初は裏絵として今とは逆に折り畳まれていたようだ。表絵は光琳の金地の作品だったのだろうか」と、ここにも、抱一は、「金」の「表絵」に対して、「銀」の「裏絵」を以て、丁度、俳諧(連句)用語ですると、「反転」(「反転法」による「反転」)させているということになろう。
 この「反転の法」というのは、抱一が追慕する蕉門筆頭格の俳人、「江戸座の創始者・宝井其角」が、その『句兄弟』で編み出したところのもので、これを多用した俳人の筆頭こそ、「芭蕉に帰れ」の「中興俳諧」の祖の一人になっている、「与謝蕪村」その人である。
 そもそも、抱一は、俳号を「白鳧(フ)・濤花、後に杜陵(綾)」と称し、宝井其角を祖とする江戸座(馬場存義門)の俳人で、文化九年(一八一二)には自撰句集『屠龍之技』を刊行している。
 また、文化三年(一八〇六)には、抱一は追慕する宝井其角の百回忌にあたって、其角の肖像(百幅)を描き、そこに其角の句を付け知人に配っているのである。これが一つの契機になって、まもなく迎える光琳の百回忌を大々的に興行することと結びついて行くこととなる。
 これらのことについては、次のアドレスで触れている。

http://yahan.blog.so-net.ne.jp/2018-01-22

 そこで、下記のとおり、画・俳二道を究めた「与謝蕪村」と「江戸琳派の創始者・酒井抱一」とは、「画」の面においては「南画」と「琳派」と違いはあるが、「俳」の世界においては、「宝井其角」に通ずる「江戸座」の俳人として、同一門の俳人ということになろう。

【 抱一の「略年譜」(『別冊太陽 酒井抱一 江戸琳派の粋人』所収)の「安永六年(一七七七)十七歳」に、「六月一日、抱一元服、この頃、馬場存義に入門し俳諧をはじめる。九月十八日、忠以の長男忠道が出生し、抱一の仮養子願いが取り下げられる」とあり、浮世絵と共に、抱一は、早い時期から、俳諧の世界に足を踏み入れていたということになる。
 この略年譜に出て来る馬場存義(一七〇三~一七八二)は、蕉門の筆頭格・宝井其角の江戸座の流れを継承する代表的な宗匠で、恐らく、俳号・銀鵝(ぎんが)、茶号・宗雅(しゅうが)を有する、第二代姫路藩主、第十六代雅楽頭、抱一の兄の酒井家の嫡男・忠以(ただざね)との縁に繋がる、謂わば、酒井家サロン・サークル・グループの一人であったのであろう。
 この抱一と関係の深い存義(初号=康里、別号=李井庵・古来庵・有無庵等)は、蕪村の師の夜半亭一世(夜半亭宋阿)・早野巴人と深い関係にあり、両者は、其角門で、巴人は存義の、其角門の兄弟子という関係にある。
 それだけではなく、この蕪村の師の巴人が没した後の「夜半亭俳諧」というのは、実質的に、この其角門の弟弟子にあたる存義が引き継いでいるという関係にある。】
抱一の「略年譜」(『別冊太陽 酒井抱一 江戸琳派の粋人』所収)の「安永六年(一七七七)十七歳」に、「六月一日、抱一元服、この頃、馬場存義に入門し俳諧をはじめる。九月十八日、忠以の長男忠道が出生し、抱一の仮養子願いが取り下げられる」とあり、浮世絵と共に、抱一は、早い時期から、俳諧の世界に足を踏み入れていたということになる。
 この略年譜に出て来る馬場存義(一七〇三~一七八二)は、蕉門の筆頭格・宝井其角の江戸座の流れを継承する代表的な宗匠で、恐らく、俳号・銀鵝(ぎんが)、茶号・宗雅(しゅうが)を有する、第二代姫路藩主、第十六代雅楽頭、抱一の兄の酒井家の嫡男・忠以(ただざね)との縁に繋がる、謂わば、酒井家サロン・サークル・グループの一人であったのであろう。
 この抱一と関係の深い存義(初号=康里、別号=李井庵・古来庵・有無庵等)は、蕪村の師の夜半亭一世(夜半亭宋阿)・早野巴人と深い関係にあり、両者は、其角門で、巴人は存義の、其角門の兄弟子という関係にある。
 それだけではなく、この蕪村の師の巴人が没した後の「夜半亭俳諧」というのは、実質的に、この其角門の弟弟子にあたる存義が引き継いでいるという関係にある。 】

 さて、与謝蕪村の、俳人としてのスタートとは、寛保四年(延享元年=一七四四、二十九歳、)の『宇都宮歳旦帖』に於いてであるが、画人としてのスタートは、それに前後しての、次の「結城・弘経寺」での、「梅花図(墨梅図)」などが挙げられよう。

墨梅図.jpg

蕪村筆「梅花図(墨花図)」紙本墨画淡彩(元襖絵四面=捲り画四枚) 各一三七・五×七一・五cm  弘経寺蔵

 上記の、二十歳代の「梅花図(墨梅図)」以来、どれほどの、このような画題を、蕪村が制作したものなのかどうか、もはや、例えば、『蕪村全集第六巻 絵画・遺墨(尾形仂・佐々木丞平)・岡田彰子編)』を丹念に見ただけでも、想像を絶するものがある。
 そして、その頂点が、次の、安永七年(一七七八、六十三歳)以降の作とされている晩年の「白梅紅梅図」ということになろう。
 そして、これは、蕪村にしては珍しく、「金(ゴールド)」の「紅白梅図」で、この蕪村の、「金(ゴールド)」に対峙出来る、「銀(シルバー)」のものは、冒頭の抱一の「「紅白梅図屏風」以外には見出し難いであろう。

城梅紅梅図.jpg

与謝蕪村「白梅紅梅図」四曲一隻屏風(襖四枚改装) 一六七・五×二八六・〇cm
款「夜半翁写於京華楼上」 印「謝春星」(白文方印) 「謝長庚」(白文方印)
角屋保存会蔵
 ↑
http://archive.fo/3etH5#selection-229.0-564.1
 ↓
美の巨人たち 与謝蕪村『紅白梅図屏風』 2014.04.26

角屋さんはこの建物そのものが重要文化財。
一歩中へ入れば意匠をこらし贅の限りを尽くした設え。
扇の間には天井一面に見事な扇絵が貼りめぐらされています。
この角屋さんに謎めいた作品があるのです。
作者は与謝蕪村。
江戸中期に京都で活躍した文人画の巨人です。
それがこちら。
黄金を背景に怪しげな幹がうねるように伸びています。
あっ梅が咲いている。
江戸寛永年間よりこの地で店を構えていた角屋は粋な旦那衆が集まるサロンのような場所でした。
では今日の作品が描かれた230年ほど前にタイムスリップした気分でご覧いただきましょう。
縦167センチ横286センチ。
4曲の屏風です。
これもまた…。
金箔地に描かれているのは4本の梅の木。
隣同士の木々が重なり合い複雑な構図になっています。
根元から四方に分かれた幹は朦朧としてまるで影絵のよう。
対照的にそこから伸びる枝は鋭く確かな筆致で描かれています。
その枝先で咲き誇る可憐な白梅。
一輪一輪おしべやめしべ赤褐色の萼まで丁寧に描きこまれているのです。
金地に映える白梅の白。
とその傍らにまだつぼみの紅梅が1本だけ。
白と赤の絶妙なバランス。
その幻想的な描写のなかにほのかな梅の薫り。
与謝蕪村の住居跡があります。
彼が生きた18世紀の京都はまさにルネサンスのような時代でした。
強烈な個性を持った絵師たちが同じ時代同じ街で腕を競い合っていたのです。
ですからこんな人がいたかもしれませんよ。
はぁ…またやられてもうた。
わては絵師の先生方に御用を聞いて回る商人なんです。
もともとは岩絵具をお売りしてたんですがやれ筆を持ってこい!紙を持ってこい!といつの間にか…。
絵師の先生方を相手の商売っちゅうんはホンマ大変ですわ。
曾我蕭白先生のお宅にお代をいただきにうかがったんですがもぬけの殻。
いつもの放浪癖ですわ。
また踏み倒されてしまいました。
ほな行ってくるわ。
今日は蕪村先生のところへ御用を伺いに行きます。
蕪村先生は小さな長屋に奥様とかわいいお嬢さんと慎ましく暮らしてはります。
お人柄はいいんですがものすごいこだわりがおありで筆や刷毛そして紙や墨にもこだわりはります。
どの紙にどの筆を使ってどういうふうに描いたらいいのか。
まるで何かの実験をしてはるみたいですわ。
でも先生の絵には不思議な魅力がありますな。
近所にお住まいの円山応挙先生の絵はまるで本物というかそれ以上に迫力があります。
蕪村先生の絵は簡単に描いてはるように見えますがちゃんと雰囲気を掴んではってそれでいて絵に温かみがあるっちゅうか心の奥のほうがほんわかしますのや。
だからわて蕪村先生のお宅に伺うのがいつも楽しみなんですわ。
旦那様!はいはい!大変です!どないしたんや?七之助!若冲様が久しぶりに鶏が描きたいとおっしゃられてもういつもムチャばっかりおっしゃるんやから。
こないなところにおるかいな!ほらほら!鶏や鶏や!与謝蕪村は絵の世界を遊ぶように旅した人です。
心のおもむくままに新しい画風を追い求めました。
最後までこだわったのは質感と光。
今日の作品にもそれが色濃く反映されています。
ところが謎も多いのです。
なぜ金箔を選んだのか?なぜ梅だったのか?なぜ幹がぼんやりとしていて枝はくっきりと描かれているのか。
白梅は満開なのになぜ紅梅はつぼみなのか。
その一つひとつを検証していくと蕪村の恐るべき狙いが見えてきたのです。
それはいったい何か?与謝蕪村の代表作『夜色楼台図』は日本美術史上初めて描かれた都市の夜景です。
夜の雪の中窓にほんのり差された朱色は行灯の光です。
微細な光が織り成す人々の営みの寂寥とぬくもり。
そう今日の作品にも巧みな光の表現が隠されているのです。
与謝蕪村は松尾芭蕉小林一茶と並ぶ江戸時代を代表する俳人です。
絵師の道を志したのは旅の僧として長い漂泊の日々を送っていた20代後半の頃だといわれています。
蕪村には絵の師匠はいません。
やまと絵や中国画古今東西の名画を模倣し独学で自らの画風を築き上げていきます。
そのなかでとりわけ強く興味を引かれたのが多様な筆致の表現でした。
擦れた筆のままスーッと描くとそれは厳しく険しい山肌となり。
輪郭を描かずただ墨の点を重ねていくと幽玄な山の佇まいに。
下敷きを敷かずに畳の上で直接描くと浮かび上がった畳目はゴツゴツとした岩肌へと変貌を遂げます。
蕪村は…。
蕪村にとって不自由さこそが新たな世界の発見でした。
40歳を過ぎた頃蕪村は京に移り妻をめとりささやかな家庭を持ったのです。
先生のこだわりは半端じゃありません。
以前こんな話を聞いたことがあります。
あるとき先生が突然富くじを買ってきたことがあったそうです。
不思議に思ったお弟子さんが当たったら何に使うのかと尋ねたところ先生はどうしても絖張りで屏風を描きたいからそれを買いたいとおっしゃったそうです。
絖というのは独特な光沢のある絹糸で織られた生地でとても高価なんですわ。
不憫に思ったんかそれ以来お弟子さんたちがお金を出し合って高価な画材を先生に提供するようになったそうです。
蕪村は描く紙や生地がもつ光沢や質感までも自分の表現に取り込んでいきます。
そんななか出会ったのです。
魅力的で不自由な素材に。
旦那様大変です!どないしたんや?蕪村様が金箔が欲しいっておっしゃってます。
蕪村様が金箔を?今日の作品…。
金箔地に4本の梅の木が描かれています。
幹は朦朧としていてまるで影絵のよう。
対照的に枝はくっきりと墨で描かれています。
これには理由があるのですがそれはまたのちほど。
白梅の花びらには胡粉を。
紅梅には臙脂が使われています。
金箔と墨は決して相性はよくありません。
そのまま描くと表面の油分が墨を弾いてしまうからです。
蕪村はこの不自由な金箔のどこに惹かれたのか?っていうところに蕪村のこだわりがあると思われるんですけれども1つには…。
1つにはそこに白梅を描いたということも。
白い梅の花を白い紙に描くと墨で輪郭線をとっていくだけになるんですけれども…。
まるで梅林にいるような雰囲気がかもし出されるんですね。
蕪村は白梅の優美ではかなげな白をより生かすために不自由な金箔を選んだのかもしれません。
与謝蕪村は60歳を過ぎてなお独自の画風を突き詰めていきます。
風雨に立ち向かう鳶と降りしきる雪に耐え忍ぶ2羽の烏。
雪は塗り残しという技法で描かれています。
ひと粒ひと粒の不規則な形が舞い落ちる動き反射する光の揺らめきまでも感じさせます。
これは冬の富士を描いた作品。
視線を右から左へ動かしていくとなぜか左端の松林だけが薄く描かれています。
実はこれ時雨です。
蕪村は濃淡を使って突如降り出した通り雨を表現したのです。
見逃してしまいそうな繊細な光。
まるで西洋の印象派のように蕪村は光を自在に描こうとしたのです。
金箔の注文をいただいてしばらくしたある晩。
わて蕪村先生のお宅に伺ったんです。
そしたら…。
暗い部屋の中に白い梅の花が
230年ほど前の夜は今よりもっと深いものだったでしょう。
描かれた当時の光のもとではどう見えるのか?そうこの絵はわずかな光のなかで向き合ってこそ本当の意図がわかるのです。
果たして蕪村の狙いとは何か?京都にある北野天満宮は梅の名所です。
見頃の時期には境内に植えられた1,500本もの梅が咲き乱れます。
俳人でもあった蕪村は多くの梅の句を詠んでいます。
今日の作品もまた梅です。
与謝蕪村はこの絵にどんな思いを込めたのか。
さてこんな実験をしてみました。
作品が描かれた当時の夜の灯りで照らすと果たしてこの絵はどう見えるのか?江戸時代の灯りといえば当然ロウソクですが残念ながら重要文化財の建物内では火気厳禁。
そこでなるべく照明を離し可能なかぎり光量を落として撮影しました。
光源を離し光量を落としていくと…。
どうですわかりますか?サイズを変えてもう一度。
ほら白梅の花が浮かび上がってきました。
2つを並べてみるとその違いは歴然。
おそらく鮮やかな白梅の白を強調するために紅梅はつぼみでなければならなかったのでしょう。
その幻想的な画面からはほのかな梅の香り。
幹のもやもやっとした感じ…。
それに対して非常に鋭い枝。
下からの光に照らされてるような感覚じゃないかと思うんですよね。
提灯の灯りで夜の梅を見れば枝と花に光が当たり幹の部分はぼんやりと見えたのでしょう。
ほんのりと灯りに照らされた夜の梅。
その艶やかさと儚さ。
与謝蕪村光の集大成。
絵師の先生いうんは皆さん生き方も描きはる絵もさまざまですな。
応挙先生はほとんど画風は変えはりまへん。
それに対して蕪村先生はいろいろな絵を描きはります。
なんか頭の中で旅してはるみたいや。
花に例えたら応挙先生の絵は桜やな。
華やかでっしゃろ。
蕪村先生はやっぱ梅やな。
渋いっちゅうんかどこか哀愁がありますな。
旦那様大変です!応挙様が今度は幽霊を描きたいって。
どこにいるんでしょう?もう知らんがな!旦那様!応挙様がお待ちですって…。
旦那様!今日の作品を描いた3年後の冬蕪村はこの世を去りました。
辞世の句もまた梅。
春の訪れを告げるように鮮やかに咲き誇っています。
金箔に映える白梅の花。
その傍らにはまだつぼみの紅梅。
光の中で漂う梅のほのかな香り。
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