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江戸の「金」と「銀」の空間(その十一) [金と銀の空間]

江戸の「金」と「銀」の空間(その十一)

(その十一)光琳の「金と銀(縮図)」(『光琳新撰百図下』所収「松島図屏風」)

新撰百図㈠.jpg

(『光琳新撰百図下』所収「松島図屏風」29/38)

新撰百図二.jpg

(『光琳新撰百図下』所収「松島図屏風」30/38)

 上記は、抱一が編んだ『光琳百図』ではなく、抱一の高弟・池田孤邨が編んだ『光琳新撰百図』所収「松島図屏風」のものである。
 この池田孤邨のプロフィールは次の通りである。

【  池田孤邨(孤村)   没年:慶応2.2.13(1866.3.29) 生年:享和1(1801)
江戸後期の画家。名は三信、字は周二、号は蓮菴、煉心窟、旧松道人など。越後(新潟県)に生まれ、若いころに江戸に出て酒井抱一の弟子となる。画風は琳派にとどまらず広範なものを学んで変化に富む。元治1(1864)年に抱一の『光琳百図』にならって『光琳新撰百図』を、慶応1(1865)年に抱一を顕彰した『抱一上人真蹟鏡』を刊行する。琳派の伝統をやや繊弱に受け継いだマンネリ化した作品もあるが、代表作「檜林図屏風」(バークコレクション)には近代日本画を予告する新鮮な内容がみられる。<参考文献>村重寧・小林忠編『琳派』
(仲町啓子稿) 】『朝日日本歴史人物事典』

 上記の作者紹介中の「檜林図屏風」(バークコレクション)は、下記のものである。

水墨画㈠.gif

池田孤邨「檜図屏風」紙本墨画 二曲一隻 ㈠五〇・六×㈠六〇・二cm
メトロポリタン美術館蔵 バークコレクション
【 紙の素地に水墨のみで檜の樹林が描かれる。墨の濃淡で檜の幹、細やかな葉を表わし、静寂な世界が広がっている。檜の樹林は宗達以来の琳派の画題で、光琳画にもあったことが『光琳百図』後編・上からも知られる。其一がこれを大胆にアレンジした「三十六歌仙・檜図屏風」や「夏秋渓流図屏風」があるが、孤邨は全く異なる情趣的な捉え方を試みている。 】 (『江戸琳派の美 抱一・其一とその系脈(岡野昌子監修)』所収「作品解説(岡野昌子稿)」)

 江戸琳派の創始者・酒井抱一が、文政十一年(㈠八二八)没した後、「江戸琳派」には、抱一の名跡を守る「雨華庵(うげあん)」(二代「鶯蒲(おうほ)」・三代「鶯㈠(おういつ)・四代道一(どういつ ))の流れ、抱一の一番弟子の「其一(きいつ)」の流れ、そして、その他の「池田孤邨他の抱一門の流れ」の、三つの支流に分かれて行くこととなる。
 そういう三つの流れの中で、抱一が編んだ『光琳百図』に続く、(『光琳新撰百図』を編んだ、抱一の一番弟子の其一と並び称せられる「池田孤邨」という存在は、単に、「江戸琳派」という関連だけではなく、上記の「檜図屏風」の如く、江戸後期の「水墨画」の名手として、「装飾画(金・銀・濃彩)」と「水墨画(水・墨・淡彩)」との、その止揚を試みた画人という観点でも、異彩を放っている。
 そして、「金(ゴールド)」「銀(シルバー)」の世界が、公的な「晴(ハレ)」の空間(「客間的」空間)とすると、「水墨(モノクロ)の世界」は、私的な「褻(ケ)」の空間(「居間的」空間)」という印象を深くする。
 ここで、これまでの「江戸の『金』と『銀』の空間」を、「江戸絵画(『金』と『銀』と『墨』)の空間」とネーミングを変更し、また、これまで「江戸時代(前期・中期・後期)」を中心としてきたが、長谷川等伯らの「桃山時代」まで、範囲を広げて行くこととする。

『光琳新撰百図下』所収「松島図屏風」

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/850483
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