「光琳・乾山そして蕪村」周辺覚書(その十一) [光琳・乾山・蕪村]
その十一 乾山の「皿二」(「銹絵染付短冊皿」)
乾山作「銹絵十体和歌短冊皿」5客① : 裏 高2.3-2.5_長径23.5-23.7_短径6.7-7.0
(東京国立博物館蔵) → 図A(皿の内側)
乾山作「銹絵十体和歌短冊皿」5客① : 表 高2.3-2.5_長径23.5-23.7_短径6.7-7.0
(東京国立博物館蔵) → 図B(皿の裏面)
↑
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0050564
↓
(注・下記の箱書きの順序に、上記のアドレスの掲載順序を入れ替えしている。)
乾山作「銹絵十体和歌短冊皿」5客② : 裏 高2.3-2.5_長径23.5-23.7_短径6.7-7.0
(東京国立博物館蔵) → 図C(皿の内側)
乾山作「銹絵十体和歌短冊皿」5客② : 表 高2.3-2.5_長径23.5-23.7_短径6.7-7.0
(東京国立博物館蔵) → 図D(皿の裏面)
↑
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0050564
↓
(注・下記の箱書きの順序に、上記のアドレスの掲載順序を入れ替えしている。)
(メモ)
一 上記は、「銹絵染付短冊皿」の箱書きの一つである。この順序に、和歌が十首(図A・図C)と、その裏面にそれぞれの和歌に対応する「和歌十体(定家十体)と署名」(図B・図D)が、乾山の自筆で書かれている(上記のアドレスのものは、「和歌」と「和歌十体」とが対応していないので、この箱書きの順序に一部入れ替えをしている)。
二 上記の「和歌十体」(図B・図D)とそれに対応する和歌(図A・図C))は、次のようなものなのかも知れない。
廻雪体(※幽玄様=ゆうげんよう)
思ひ入るふかき心のたよりまでみしはそれともなき山路かな 藤原秀能 新古今1317
【他出】自讃歌、定家十体(幽玄様)、如願法師集、三五記、東野州聞書、心敬私語、題林抄
高山体(※長高様=ちょうこうよう)
吹き払ふ嵐の後の高根より木の葉曇らで月や出づらむ 宣秋門院丹後 新古今593
【他出】定家十体(長高様・見様)、三十六人歌合(元暦)、三五記、三百六十首和歌、六華集、題林愚抄
至極体(※有心様=うしんよう)
日暮るれば逢ふ人もなしまさき散る峰の嵐の音ばかりして 源俊頼 新古今557
【他出】散木和歌集、和歌一字抄、定家十体(有心様)、詠歌一体、三五記、愚秘抄、愚見抄、桐火桶、六華集、落書露顕、東野州聞書、題林愚抄
美麗体(※麗様=れいよう)
うづら鳴く真野の入江の浜風に尾花なみよる秋の夕暮 源俊頼 金葉239
【他出】散木奇歌集、中古六歌仙、古来風躰抄、無名抄、定家十体(麗様)、定家八代抄、後鳥羽院御口伝、近代秀歌、西行上人談抄、詠歌一体、歌枕名寄、夫木和歌抄、三五記、桐火桶、井蛙抄、落書露顕
秀逸体(※事可然様=ことしかるべきよう)
武蔵野やゆけども秋の果てぞなきいかなる風か末に吹くらむ 源通光 新古今378
【他出】自讃歌、定家十体(事可然様)、新三十六人撰、撰集抄、歌枕名寄、三五記
景曲体(※面白様=おもしろよう)
見せばやな志賀の辛崎麓なる長柄の山の春のけしきを 慈円 新古今1469
濃体(※濃様=のうよう)
ながめわび秋よりほかの宿もがな野にも山にも月やすむらん 式子内親王 (新古今380)
他出】正治初度百首、式子内親王集、三百六十番歌合、自讃歌、定家十体(濃様)、定家八代抄、時代不同歌合、新三十六人撰、三五記、六華集、題林愚抄
見様体(※見様=けんよう)
村雨の露もまだひぬ槙の葉に露たちのぼる秋の夕暮 寂蓮法師 (新古今491)
【他出】寂蓮法師集、自讃歌、定家十体(見様)、定家八代抄、百人一首、三五記
有一節体(※有一節様=ひとふしあるよう)
君いなば月まつとでもながめやらむあづまの方の夕ぐれのそら 西行 (新古今885)
【他出】西行家集、自讃歌、定家十体(有一節様)、歌枕名寄、西行物語、心敬私語
強力体(※拉鬼様=きらつよう)
閨の上にかた枝さしおほひ外面なる葉ひろかしはに霰ふるなり 能因法師 (新古今655)
(注)
1 ※印は、「定家十体」の用例である。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/kagaku/t10t.html
2 「誹諧埋木」の「十体」(「十体」と「三十体」)の関連と用例を参考としている。
http://haikai.jp/guide/saho/saho2_umo.html#10tai
三 この「銹絵十体和歌短冊皿」(十客一組)も、寛保三年(一七四三)、八十一歳の、乾山絶筆の一つと数えて差し支えなかろう。すなわち、乾山の絶筆と目せられるものは、先に紹介した、「十二カ月和歌花鳥図」(十二枚一組の色紙を改装した掛幅)と「武蔵野隅田川図乱箱」(桐の乱箱に描いた「蛇籠図」と「薄図)、そして、この「銹絵十体和歌短冊皿」が、乾山の絶筆三部作ということになろう。
四 その上で、「十二カ月和歌花鳥図」も何種類かの遺作があるように、この「銹絵十体和歌短冊皿」も、何種類かの遺作があるようである。その一つは、下記のアドレスの「湯木美術館蔵」のものである。
www.yuki-museum.or.jp/exhibition/archives/2011_autumn.html
こちらも十客一組ものであるが、そこに記載されている和歌十首は、上記の「東京国立博物館蔵」のものとは、同一ではないようである。
また、下記のアドレスの「静嘉堂文庫美術館蔵」のもので、こちらは、三客一組のようである。
http://blossom-soon.seesaa.net/article/38297156.html
五 上記に詳しく紹介した「東京国立博物館蔵」のものは、下記のアドレスのとおり、「本館 13室 2018年5月22日(火) ~ 2018年6月24日(日)」で、展示されているようである。
http://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=5621
六 また、次のアドレスのとおり、「本館 2室 2018年6月5日(火) ~ 2018年7月8日(日)」で、「国宝 和歌体十種」(壬生忠岑十体)が展示されているようである。
http://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=5366
乾山作「銹絵十体和歌短冊皿」5客① : 裏 高2.3-2.5_長径23.5-23.7_短径6.7-7.0
(東京国立博物館蔵) → 図A(皿の内側)
乾山作「銹絵十体和歌短冊皿」5客① : 表 高2.3-2.5_長径23.5-23.7_短径6.7-7.0
(東京国立博物館蔵) → 図B(皿の裏面)
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http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0050564
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(注・下記の箱書きの順序に、上記のアドレスの掲載順序を入れ替えしている。)
乾山作「銹絵十体和歌短冊皿」5客② : 裏 高2.3-2.5_長径23.5-23.7_短径6.7-7.0
(東京国立博物館蔵) → 図C(皿の内側)
乾山作「銹絵十体和歌短冊皿」5客② : 表 高2.3-2.5_長径23.5-23.7_短径6.7-7.0
(東京国立博物館蔵) → 図D(皿の裏面)
↑
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0050564
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(注・下記の箱書きの順序に、上記のアドレスの掲載順序を入れ替えしている。)
(メモ)
一 上記は、「銹絵染付短冊皿」の箱書きの一つである。この順序に、和歌が十首(図A・図C)と、その裏面にそれぞれの和歌に対応する「和歌十体(定家十体)と署名」(図B・図D)が、乾山の自筆で書かれている(上記のアドレスのものは、「和歌」と「和歌十体」とが対応していないので、この箱書きの順序に一部入れ替えをしている)。
二 上記の「和歌十体」(図B・図D)とそれに対応する和歌(図A・図C))は、次のようなものなのかも知れない。
廻雪体(※幽玄様=ゆうげんよう)
思ひ入るふかき心のたよりまでみしはそれともなき山路かな 藤原秀能 新古今1317
【他出】自讃歌、定家十体(幽玄様)、如願法師集、三五記、東野州聞書、心敬私語、題林抄
高山体(※長高様=ちょうこうよう)
吹き払ふ嵐の後の高根より木の葉曇らで月や出づらむ 宣秋門院丹後 新古今593
【他出】定家十体(長高様・見様)、三十六人歌合(元暦)、三五記、三百六十首和歌、六華集、題林愚抄
至極体(※有心様=うしんよう)
日暮るれば逢ふ人もなしまさき散る峰の嵐の音ばかりして 源俊頼 新古今557
【他出】散木和歌集、和歌一字抄、定家十体(有心様)、詠歌一体、三五記、愚秘抄、愚見抄、桐火桶、六華集、落書露顕、東野州聞書、題林愚抄
美麗体(※麗様=れいよう)
うづら鳴く真野の入江の浜風に尾花なみよる秋の夕暮 源俊頼 金葉239
【他出】散木奇歌集、中古六歌仙、古来風躰抄、無名抄、定家十体(麗様)、定家八代抄、後鳥羽院御口伝、近代秀歌、西行上人談抄、詠歌一体、歌枕名寄、夫木和歌抄、三五記、桐火桶、井蛙抄、落書露顕
秀逸体(※事可然様=ことしかるべきよう)
武蔵野やゆけども秋の果てぞなきいかなる風か末に吹くらむ 源通光 新古今378
【他出】自讃歌、定家十体(事可然様)、新三十六人撰、撰集抄、歌枕名寄、三五記
景曲体(※面白様=おもしろよう)
見せばやな志賀の辛崎麓なる長柄の山の春のけしきを 慈円 新古今1469
濃体(※濃様=のうよう)
ながめわび秋よりほかの宿もがな野にも山にも月やすむらん 式子内親王 (新古今380)
他出】正治初度百首、式子内親王集、三百六十番歌合、自讃歌、定家十体(濃様)、定家八代抄、時代不同歌合、新三十六人撰、三五記、六華集、題林愚抄
見様体(※見様=けんよう)
村雨の露もまだひぬ槙の葉に露たちのぼる秋の夕暮 寂蓮法師 (新古今491)
【他出】寂蓮法師集、自讃歌、定家十体(見様)、定家八代抄、百人一首、三五記
有一節体(※有一節様=ひとふしあるよう)
君いなば月まつとでもながめやらむあづまの方の夕ぐれのそら 西行 (新古今885)
【他出】西行家集、自讃歌、定家十体(有一節様)、歌枕名寄、西行物語、心敬私語
強力体(※拉鬼様=きらつよう)
閨の上にかた枝さしおほひ外面なる葉ひろかしはに霰ふるなり 能因法師 (新古今655)
(注)
1 ※印は、「定家十体」の用例である。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/kagaku/t10t.html
2 「誹諧埋木」の「十体」(「十体」と「三十体」)の関連と用例を参考としている。
http://haikai.jp/guide/saho/saho2_umo.html#10tai
三 この「銹絵十体和歌短冊皿」(十客一組)も、寛保三年(一七四三)、八十一歳の、乾山絶筆の一つと数えて差し支えなかろう。すなわち、乾山の絶筆と目せられるものは、先に紹介した、「十二カ月和歌花鳥図」(十二枚一組の色紙を改装した掛幅)と「武蔵野隅田川図乱箱」(桐の乱箱に描いた「蛇籠図」と「薄図)、そして、この「銹絵十体和歌短冊皿」が、乾山の絶筆三部作ということになろう。
四 その上で、「十二カ月和歌花鳥図」も何種類かの遺作があるように、この「銹絵十体和歌短冊皿」も、何種類かの遺作があるようである。その一つは、下記のアドレスの「湯木美術館蔵」のものである。
www.yuki-museum.or.jp/exhibition/archives/2011_autumn.html
こちらも十客一組ものであるが、そこに記載されている和歌十首は、上記の「東京国立博物館蔵」のものとは、同一ではないようである。
また、下記のアドレスの「静嘉堂文庫美術館蔵」のもので、こちらは、三客一組のようである。
http://blossom-soon.seesaa.net/article/38297156.html
五 上記に詳しく紹介した「東京国立博物館蔵」のものは、下記のアドレスのとおり、「本館 13室 2018年5月22日(火) ~ 2018年6月24日(日)」で、展示されているようである。
http://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=5621
六 また、次のアドレスのとおり、「本館 2室 2018年6月5日(火) ~ 2018年7月8日(日)」で、「国宝 和歌体十種」(壬生忠岑十体)が展示されているようである。
http://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=5366