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「光琳・乾山そして蕪村」周辺覚書(その十三) [光琳・乾山・蕪村]

その十三 乾山の「絵画六」(「紅葉図」)

乾山紅葉図.jpg

尾形乾山筆「紅葉図」 紙本着色 一幅 三〇・五四×四三・一cm
「紫翠深省・『霊海』朱文方印」 MIHO MUSEUM蔵
【『新古今和歌集』源信明の「ほのほのと有明の月のつきかけに紅葉吹おろす山おろしの風」を散らし書きし、その歌意と同じように月夜に山の紅葉が舞い落ちている。光琳波模様の川面に散った紅葉の様子は錦を折ったようで、乾山の意匠の豊かさをいかんなく発揮している。歌と絵が渾然一体となり、文人乾山の雅味あふれる一作である。】(『尾形乾山開窯三〇〇年・京焼の系譜「乾山と京のやきもの」展』)

光琳躑躅図.jpg

尾形光琳筆「躑躅図」 一幅 絹本着色 三九・三×六〇・七cm 
畠山美術館蔵 重要文化財

https://www.ebara.co.jp/csr/hatakeyama/colle008.html

【「たらし込み」で描かれた土坡と流水のほとりに、鮮やかな紅色の躑躅が空に向かって枝を伸ばす。その手前に、白い躑躅がひっそりと咲く姿が、また対照的で美しい。流水を挟んで左右に大小の土坡も配しており、本図は小品ながらも、このような形や色彩の対比が見事に計算されている。まるで箱庭でもみるかのようにすべてが縮小された作品には、洗練された意匠感覚が反映されている。作者の尾形光琳(1658~1716)は江戸時代中期に絵師として活躍した。】

 この光琳の「躑躅図」について、「この大胆なタッチは、雪舟筆と伝える発墨山水画によくみうけるもの。宝永五年(一七〇八)の光琳書状によると、毎日雪舟の絵を模写しているとあるから、光琳が雪舟風発墨山水画から学んだのは確かであろう」(『原色日本美術14 宗達と光琳(山根有三著)』の「作品解説87」)と、光琳の小品中の傑作画として、夙に知られているものの一つである。
 冒頭の乾山の「紅葉図」は、この光琳の「躑躅図」を念頭に置いてのものであろう。そして、光琳の「躑躅図」は、宗達の「たらし込み」を意識してのものとも思われる。その宗達の「たらし込み」は、次の「犬図」などで、夙に知られているものである。

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俵屋宗達筆「犬図」 一幅 紙本墨画 九〇・二四×四四・六cm
個人蔵 (宗達法橋 対青軒印)

 この宗達の「たらし込み」の犬は、光琳・乾山の次の時代の京都画壇の立役者・円山応挙に、即興的に引き継がれて行く。下記は、その応挙の「たらし込み」の犬で、その応挙の画に、「己か身の闇より吼て夜半の秋 蕪村」と賛をしたのは、与謝蕪村その人である。

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蕪村賛・応挙画「己が身の・黒犬図」 紙本墨画 一幅
一九・六×二六・八cm 個人蔵

 ここに来て、冒頭の乾山の「紅葉図」の書画一体の世界は、「光琳と乾山」のコラボレーション(共同)の世界であり、そして、その背後には、「宗達と光悦」との、そのコラボレーションの世界が横たわっていることを思い知る。
 そして、その、一時代を画した、「宗達・光悦」、そして、「光琳・乾山」のコラボレーションの世界は、江戸中期の京都画壇に燦然と輝いた、写生派の巨匠・応挙と文人画の樹立者・蕪村、さらには、その時代に共に切磋琢磨した、「若冲・大雅・蕭白・芦雪・呉春」等々の、コラボレーションの世界でもある。
 さらに、特記して置きたいことは、冒頭の文人・乾山の、この書画一体の世界は、画(絵画)・俳(詩)二道を究めた、次の時代の郷愁の詩人・与謝蕪村の、その世界とすこぶる近い世界のものということを付け加えて置きたい。
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