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光琳・乾山そして蕪村」周辺覚書(その二十四) [光琳・乾山・蕪村]

その二十四 乾山の「禊図屏風」

乾山禊図.jpg

A Shinto ceremony  → 禊図屏風 (フリーア美術館蔵)
Type  Screen (two-panel) 二曲一隻
Maker(s) Artist: Attributed to Ogata Kenzan (1663-1743) 尾形乾山
Historical period(s) Edo period, 1615-1868
Medium  Color on paper  紙本着色
Dimension(s) H x W: 173.5 x 177 cm (68 5/16 x 69 11/16 in)

(メモ)

一 乾山の作品としては、二曲一隻の屏風画として大作である。落款はないが、右の端に下記の朱印(「深省」)が押されていて、乾山作というのが分かる。

乾山禊図二.jpg

二 原題は「A Shinto ceremony」(神道儀式)だが、下記の「禊図」(光琳筆)を念頭に置いたもので、「禊図屏風」として置きたい。 

光琳禊図.jpg

尾形光琳筆「禊図」 一幅 紙本着色 畠山記念館蔵
九七・〇×四二・六㎝
【『伊勢物語』六十五段禊を絵画化したもの。人物のポーズと配置は、宗達も利用した『異本伊勢物語絵巻』(鎌倉時代末の作か)を踏襲するが、縦長の拡幅画の画面に合わせて、水流を光琳好みの意匠化された形に変え、狩野派風の樹木を添えている。 】(『もっと知りたい 尾形光琳(仲町啓子著)』)

三 上記の解説文の『伊勢物語』(六十五段)の絵画化というのは、『異本伊勢物語絵巻』との関連に焦点を当てたものであるが、上記の光琳の「禊図」は、「家隆禊図」と言われ、次の解説文の方が分かり易い。

【 この図は藤原家隆(一一五八~一二三七)の「風そよぐならの小川の夕暮にみそぎぞ夏のしるしなりける」の歌意を描いたもので「家隆禊図」ともいわれる。左下に暢達(ちょうたつ)した線にまかせて、簡潔に水流の一部を表わし、流れに対して三人の人物が飄逸な姿で描かれ、色調は初夏のすがすがしさを思わせる。「法橋光琳」の落款、「道崇」の方印がある。 】(『創立百年記念特別展 琳派(東京国立博物館編)』所収「作品解説131」)

四 『伊勢物語』の川は、「恋せじと御手洗河にせしみそぎ神はうけずもなりにけるかな」の「御手洗川(みたらしがわ)」(神社の近くを流れていて、参拝人が口をすすぎ手を洗い清める川)だが、これが家隆の川は、「風そよぐならの小川の夕暮にみそぎぞ夏のしるしなりける」で、「奈良の小川」ではなく、「京都の上賀茂神社境内の楢の木の下を流れている御手洗川」ということになる。光琳画の「禊図」の右端上部に描かれている「狩野派流の樹木」は、その「楢の木」ということになる。

五 そして、冒頭の乾山の「禊図屏風」では、左隻に、光琳が描く「楢の木」を配して、右隻には、「蛇籠」(護岸・水流制御などに使う円筒形に編んだかごに石を詰めたもの)などを配して、遠く、江戸にあって、京都の上賀茂神社の「六月の禊」などに思いを馳せての作と解したい。 

六 この右隻の「蛇籠」などについては、下記のアドレスの「武蔵野隅田川図乱箱」の「蛇籠」などが思い起こされてくる。

http://yahan.blog.so-net.ne.jp/2018-06-02

(参考)伊勢物語絵巻六五段(在原なりける男)

宗達禊図.jpg


http://ise-monogatari.hix05.com/4/ise-065.arihara.html

むかし、おほやけおぼして使う給ふ女の、色ゆるされたるありけり。大御息所とていますがりけるいとこなりけり。殿上にさぶらひける在原なりける男の、まだいと若かりけるを、この女あひしりたりけり。男、女方ゆるされたりければ、女のある所に来てむかひをりければ、女、いとかたはなり、身も亡びなむ、かくなせそ、といひければ、
  思ふにはしのぶることぞ負けにける逢ふにしかへばさもあらばあれ
といひて曹司におり給へれば、例の、この御曹司には、人の見るをも知らでのぼりゐければ、この女、思ひわびて里へゆく。
されば、何のよきことと思ひて、いき通ひければ、皆人聞きて笑ひけり。つとめて主殿司の見るに、沓はとりて、奥になげ入れてのぼりぬ。
かくかたはにしつつありわたるに、身もいたづらになりぬべければ、つひにほろびぬべしとて、この男、いかにせむ、わがかかる心やめたまへ、と仏神にも申しけれど、いやまさりにのみおぼえつつ、なほわりなく恋しうのみおぼえければ、陰陽師、神巫よびて、恋せじといふ祓への具してなむいきける。祓へけるままに、いとど悲しきこと数まさりて、ありしよりけに恋しくのみおぼえければ、
  恋せじと御手洗河にせしみそぎ神はうけずもなりにけるかな
といひてなむいにける。
この帝は、顔かたちよくおはしまして、仏の御名を御心に入れて、御声はいと尊くて申し給ふを聞きて、女はいたう泣きけり。かかる君に仕うまつらで、宿世つたなく、悲しきこと、このをとこにほだされて、とてなむ泣きける。かかるほどに、帝きこしめしつけて、このをとこをば流しつかはしてければ、この女のいとこの御息所、女をばまかでさせて、蔵にこめてしをりたまうければ、蔵にこもりて泣く。
  海人の刈る藻にすむ虫のわれからと音をこそ泣かめ世をば恨みじ
と泣きをれば、このをとこ、人の国より夜ごとに来つつ、笛をいとおもしろく吹きて、声はをかしうてぞ、あはれに歌ひける。かかれば、この女は蔵にこもりながら、それにぞあなるとは聞けど、あひ見るべきにもあらでなむありける。
  さりともと思ふらむこそ悲しけれあるにもあらぬ身をしらずして
と思ひ居り。をとこは、女しあはねば、かくし歩きつつ、人の国に歩きて、かくうたふ。
  いたづらにゆきては来ぬるものゆゑに見まくほしさに誘はれつつ
水の尾の御時なるべし。大御息所も染殿の后なり。五条の后とも。
(現代語訳)
昔、天皇が御寵愛になって召しつかわれた女で、禁色を許された者があった。大御息所としておいでになられたお方の従妹であった。殿上に仕えていた在原という男で、まだたいそう若かった者を、この女は愛人にしていた。男は、宮殿内の女房の詰所に出入りを許されていたので、女のところに来て向かい合って座っていたところ、女が、とてもみっともない、身の破滅になりますから、そんなことはやめなさい、と言ったので、男は
  あなたを思う心に忍ぶ心が負けてしまいました、あなたに会える喜びにかえられれば、どうなってもよいのです
と読んだ。(そして女が)曹司に下ると、例の男は、この曹司に、人目を憚らずについて来たので、この女は、困り果てて実家に帰ったのだった。
すると(男は)、なんと都合のよいことだと思って、(女の実家に)通って行ったので、人々が聞きつけて笑ったのであった。朝方に、主殿司がその様子を見ると、男は靴を手に取って、それを沓脱の奥に投げ入れて昇殿したのだった。
このように見苦しいことをしながら過ごしているうちに、これでは自分もだめになってしまって、遂には破滅してしまうだろうからとて、この男は、どうしよう、このようにはやる心を静めて下さいと神仏に御願い申し上げたが、いよいよ思いが募るのを覚えて、やはりやたらと恋しいとのみ思えたので、陰陽師や神巫を呼んで、恋せじというおはらいの道具を持参して(川へ)いったのだった。しかし、お祓いをするにつけても、ますますいとしいと思う心が募って来て、もとよりもいっそう恋しく思われたので、(男は)
  恋をすまいと御手洗河にしたみそぎを、神は受け入れては下さいませんでした
と読んで、立ち去ったのだった。
この時の帝は、顔かたちが美しくいらして、仏の名号をお心にかけられ、お声もたいそう尊く念仏を唱えられるので、それを聞いて、女はひどく泣いた。このような尊い君におつかいせずに、宿世つたなく悲しいことに、この男にほだされてしまった、といって泣いたのだった。そのうちに、帝が事情をお知りになって、この男をば流罪になさったので、この女の従姉の御息所が女を呼びつけて、蔵に閉じ込めてしまった。それで女は、蔵にこもって泣いたのだった。そして、歌うには
  海人の刈る藻に住む虫のワレカラのように、声を立てて泣きましょう、世の中を恨むことなどしないで
するとこの男は、他国より夜毎にやってきては、笛をたいそう上手に吹いて、美しい声で、哀れげに歌ったのだった。それで、女は蔵にこもりながら、男がそこにいるらしいと思いつつ聞いていたが、互いにあうこともならなかったのだった。そこで女は、
  あの方がいつかは会えると思っていらっしゃるようなのが悲しい、生きているかわからぬようなわが身の境遇を知らないままに
と思っていたのだった。男の方は、女があってくれないので、このように笛を吹いて他国を歩きながら、次のように歌うのであった。
  会えると思って行っては空しくもどってくるのだが、それは会いたい思いに誘われてのことなのだ
水の尾帝の次代のことであろう。大御息所というのも染殿の后のことだと言われている。あるいは五条の后とも言われている。

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