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琳派とその周辺(その四) [琳派とその周辺]

琳派とその周辺(その四)
(その四)中村芳中『光琳画譜』所収「鶴」「落雁」「波千鳥」「鳩と雀」

鶴・落雁・千鳥・鳩雀.jpg

中村芳中画『光琳画譜』所収「鶴」「落雁」「波千鳥」「鳩と雀」
http://kazuhisa.eco.coocan.jp/korin_gafu.htm


【 『光琳画譜』の序跋を見てみると、序文(加藤千蔭)は、「なにはの芳中ゑをこのみて光琳か筆のすさひをまなへり」とあり、跋文(川上不白)は「光琳氏か一風の洒落は、画中の画にして、おかしきことふしふし多」とある。序文の「すさひ」は「手すさび」などというように、「興にまかせてすること」「成りゆきにまかせること」「心のおもむくままにする」という意味を持つ。また跋文では、光琳は「洒落」と表現されており、光琳の絵を、やはり自由な雰囲気を持つ、味のある絵だと当時の人々が感じていたことを指している。「たらし込み」のもつ偶然性や即興感に、当時の光琳イメージが重なるだろう。一方で、本展覧会でも示しているように、意匠としての「光琳」のイメージも大きかった。単純化したモティーフ、例えば梅や松、菊や立葵などの草花や水の文様は、光琳模様として親しまれていたのである。より身近なものとして「光琳」はあったのである。 】
(『光琳を慕う 中村芳中(芸艸社)』所収「芳中画の魅力『光琳風』が示すもの(福井麻純稿)」)

 上記の、「鶴」「落雁」「波千鳥」「鳩と雀」の中で、光琳模様(光琳紋様・光琳文様)の典型的なものは、「波千鳥」である。
 先に、下記のアドレスで、光琳二世こと尾形乾山の「武蔵野隅田川図乱箱」に関しての、「そ内側には桐材の素地に直接『蛇籠に千鳥図』を描き」の「千鳥図」が、この「波千鳥」の背景を成していのである。

https://yahan.blog.so-net.ne.jp/2018-06-02

 さらに、下記のアドレスで、絵師・乾山の後継者と目せられている、光琳三世こと立林何帛(たてばやしかけい)についても触れた。

https://yahan.blog.so-net.ne.jp/2018-06-17

何帛・波千鳥.jpg

立林何帛画「扇面図貼交屏風」(二曲一双)のうち「波千鳥」(扇面図) 各一六㈦・三×一八五・〇㎝ 紙本著色 千葉市美術館蔵 (十八面の一つ) 出典(『光琳を慕う 中村芳中(芸艸社)』)

上記は、光琳三世とも称せられている立林何帛の「波千鳥」(扇面図)である。ここに、間違いなく、「光琳(一世)→乾山(二世)→何帛(三世)」の、その軌跡の跡を探ることが出来る。そして、芳中に、次の二つの「波千鳥」(扇面図)が今に遺されている。

芳中・波千鳥一.jpg

中村芳中画「波千鳥」(扇面図) 紙本著色一面 一七・八×五六・七㎝ 「甍堂」蔵
署名 芳中 「作品解説103(『光琳を慕う 中村芳中(芸艸社)』)」

芳中・波千鳥二.jpg

中村芳中画「波千鳥」(扇面図) → 「扇面貼交屏風(中村芳中画)」(出光美術館蔵)
六曲一双 紙本著色 十二枚の扇面画の一つ。各一三二・六×三五㈣・〇㎝ 「作品解説46(『光琳を慕う 中村芳中(芸艸社)』)」

 すなわち、芳中には、上記の二つの「波千鳥」(扇面図)が、今に遺されている。そして、ここに、謎にみちた、乾山(光琳二世)から光琳三世を継いだともいわれている立林何帛と、酒井抱一と同時代の中村芳中との接点が浮かび上がってくる。

(参考一)上記『光琳画譜』(「金華堂守黒」版)の四図(算用数字は登載番号)

2「鶴」 → 宗達の鶴、光琳の鶴、それは、意匠図案の光琳紋様化を遂げて行く。

鶴.jpg

17「雀と鳩」→ 応挙風の「写生」ではなく、光琳風のデザイン的な「写生」が息吹いている。

鳩と雀.jpg

22「落雁」 → 「瀟湘八景」の古典的画題が、これまた、光琳紋様化を遂げて行く。

落雁.jpg

24「波千鳥」 → この千鳥、この波の紋様化。光琳→乾山→何帛(かけい)と繋がって行く。

波千鳥.jpg

(参考二)立林何帛(たてばやしかけい)
江戸時代中期の画家。名は立徳。号は何帠,金牛道人,喜雨斎。伝記は不明な点が多く,初め加賀の前田家の侍医を務め,のち江戸へ移住し,白井宗謙と改め,鶴岡逸民とも称した。作品に尾形光琳の「方祝」印と類似した印章を用いたため,光琳の弟子とされたこともあるが,元文3(1738)年に尾形乾山から光琳の模写した宗達扇面画を贈られているので,江戸で乾山に絵を習ったと考えられる。主要作品『佐野渡図』『松竹梅図』。

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