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琳派とその周辺(その十一)池田孤邨「弁財天・波濤図」 [琳派とその周辺]

(その九)池田孤邨筆「弁財天・波濤図」(三幅対)

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池田孤邨筆「弁財天・波濤図」三幅 絹本著色 各九五・七×三二・二㎝ 個人蔵
【 抱一の「妙音天像」を模した弁財天像を中幅に、左右に波濤を配した三幅対。孤邨は慶應二年(一八六六)には没しており、「戌辰春正月」の年紀(戌辰=慶應四年)は後入れの可能性が高い。しかし最晩年の孤邨の卓越した筆致は、波濤図を含め存分に発揮されている。 】
(『酒井抱一と江戸琳派の全貌(松尾知子・岡野智子編)』所収「図版解説271(岡野智子稿)」)

 池田孤邨については、下記のアドレスなどで触れているが、この孤邨「弁財天・波濤図(三幅対)」は、孤邨の最晩年の傑作画の一つであろう。

https://yahan.blog.so-net.ne.jp/2018-05-15

 文政十一年(一八二はち)に六十八歳で亡くなったときに、其一は三十三歳、孤邨は二十八歳、鶯蒲は二十一歳、そして、田中抱二は十七歳であった。孤邨は、其一に次ぐ抱一門の高弟ということになる。
 孤邨が雨華庵に出入りしていることが確認できるのは、文政六年(一八二三)の、孤邨、二十一歳の頃である。その孤邨は、元治元年(一八六四)、六十二歳のときに、『光琳新撰百図』、その翌年の慶應元年(一八六五)に『抱一上人真蹟鏡』を刊行し、その翌年の慶應二年(一八六六)に、六十六年の生涯を閉じている。

孤邨・抱一上人像.jpg

池田孤邨画「等覚院殿御尊影」(「抱一上人肖像図」・『抱一上人真蹟鏡(上)所収・早稲田大学図書館蔵』)
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko06/bunko06_01266/bunko06_01266_0001/bunko06_01266_0001_p0007.jpg

 上記は孤邨が描く「抱一上人肖像図」である。冒頭の「弁財天・波濤図(三幅対)」は、この肖像図を制作していた頃のものと解したい。

(再掲) http://yahan.blog.so-net.ne.jp/2018-05-14

【  池田孤邨(孤村)   没年:慶応2.2.13(1866.3.29) 生年:享和1(1801)
江戸後期の画家。名は三信、字は周二、号は蓮菴、煉心窟、旧松道人など。越後(新潟県)に生まれ、若いころに江戸に出て酒井抱一の弟子となる。画風は琳派にとどまらず広範なものを学んで変化に富む。元治1(1864)年に抱一の『光琳百図』にならって『光琳新撰百図』を、慶応1(1865)年に抱一を顕彰した『抱一上人真蹟鏡』を刊行する。琳派の伝統をやや繊弱に受け継いだマンネリ化した作品もあるが、代表作「檜林図屏風」(バークコレクション)には近代日本画を予告する新鮮な内容がみられる。<参考文献>村重寧・小林忠編『琳派』 (仲町啓子稿) 】『朝日日本歴史人物事典』

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