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抱一画集『鶯邨画譜』と抱一句集『屠龍之技』(その十一) [『鶯邨画譜』と『屠龍之技』]

その十一 波濤(抱一の「波濤図」周辺) 

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抱一画集『鶯邨画譜』所収「波濤図」(「早稲田大学図書館」蔵)
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/chi04/chi04_00954/chi04_00954.html

 尾形光琳の「波濤図屏風」(二曲一隻・メトロポリタン美術館蔵)、酒井抱一の「波図屏風」(六曲一双・静嘉堂文庫美術館蔵)、俵屋宗達の『雲龍図屏風』(六曲一双・フーリア美術館蔵)」、そして、葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」(横大判錦絵・メトロポリタン美術館蔵)などについて、下記のアドレスで触れた。そのうちの抱一の「波図屏風」と光琳の「波濤図屏風」関連などを再掲して置きたい。

https://yahan.blog.so-net.ne.jp/2018-04-30

(再掲)

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酒井抱一筆「波図屏風」(六曲一双 紙本銀地墨画着色 各一六九・八×三六九・〇cm
文化十二年(一八一五)頃 静嘉堂文庫美術館蔵)
【銀箔地に大きな筆で一気呵成に怒涛を描ききった力強さが抱一のイメージを一新させる大作である。光琳の「波一色の屏風」を見て「あまりに見事」だったので自分も写してみた「少々自慢心」の作であると、抱一の作品に対する肉声が伝わって貴重な手紙が付属して伝来している。宛先は姫路藩家老の本多大夫とされ、もともと草花絵の注文を受けていたらしい。光琳百回忌の目前に光琳画に出会い、本図の制作時期もその頃に位置づけうる。抱一の光琳が受容としても記念的意義のある作品である。 】(『別冊太陽 酒井抱一 江戸琳派の粋人』所収「作品解説(松尾知子稿)」)

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尾形光琳筆「波濤図屏風」(二曲一隻 一四六・六×一六五・四cm メトロポリタン美術館蔵)
【荒海の波濤を描く。波濤の形状や、波濤をかたどる二本の墨線の表現は、宗達風の「雲龍図屏風」(フーリア美術館蔵)に学んだものである。宗達作品は六曲一双屏風で、波が外へゆったりと広がり出るように表されるが、光琳は二曲一隻屏風に変更し、画面の中心へと波が引き込まれるような求心的な構図としている。「法橋光琳」の署名は、宝永二年(一七〇五)の「四季草花図巻」に近く、印章も同様に朱文円印「道崇」が押されており、江戸滞在時の制作とされる。意思をもって動くような波の表現には、光琳が江戸で勉強した雪村作品の影響も指摘される。退色のために重たく沈鬱な印象を受けるが、本来は金地に群青が映え、うねり立つ波を豪華に表した作品であったと思われる。 】(『別冊太陽 尾形光琳 琳派の立役者』所収「作品解説(宮崎もも稿)」)

 この光琳の「波濤図屏風」の解説中の、「波濤をかたどる二本の墨線の表現」というのは、いわゆる、「二管の筆を同時に握って描く『双筆』という中国由来の伝統的な水墨技法」(『鈴木其一 江戸琳派の旗手』所収「其一の波濤図―北斎と共有し、光琳・応挙から得たもの(久保佐知恵稿)」)を指しているのであろう。
 そして、「其一の波濤図―北斎と共有し、光琳・応挙から得たもの(久保佐知恵稿)」のサブタイトルの「北斎と共有し、光琳・応挙から得たもの」というのは、これは、其一よりも、その其一の師の「酒井抱一」に、より冠せられるものという思いを深くする。
 特に、光琳の「波濤図屏風」は、抱一の『光琳百図』に収載されており、抱一、そして、其一の「波濤図」関連のものは、すべからく、ここからスタートしていると解して差し支えなかろう。

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『光琳百図』(酒井抱一編・筆)所収「波濤図」(「ARC浮世絵データベース」)
https://ja.ukiyo-e.org/image/met/DP266705_CRD

 上記の(再掲)の最初に、抱一の「波図屏風」(紙本銀地墨画着色)を掲げたが、抱一には、「銀地」ではなく「金地」の「波図屏風」(二曲一双)もある。

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酒井抱一筆「波図屏風」(二曲一隻・MIHO MUSEUM)
【 光琳の「波図屏風」を見て感銘を受けた抱一だが、本図でき絹地に深い色あいが闇の海を切り取ったかのようで、光琳画の趣を彷彿とさせる。しぶきなどの簡単な描写にも、巧みな筆致が表れ、落款からは、文政後期、晩年の作とみられる。表の緑と裏面は銀地とし、抱一の弟子池田孤邨が千鳥の群れなす図を描いて華やかな風炉先屏風とした。八百善伝来。 】
(『酒井抱一と江戸琳派の全貌』所収「作品解説(松尾知子稿)」)

 この「作品解説」中の裏面に「池田孤邨が千鳥の群れなす図を描いて華やかな風炉先屏風とした」の、その孤邨の作は次のとおりである。

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池田孤邨筆「千鳥群図」(酒井抱一筆「波図屏風」(二曲一隻・MIHO MUSEUM)裏面)

 この池田孤邨より五歳年長の、抱一の一番弟子の鈴木其一には、次の「松に波濤図屏風」がある。

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鈴木其一筆「松に波濤図屏風」(二曲一隻 紙本墨画 一六八・〇×一九・五㎝ 個人蔵)
【 近年関西で発見された其一には珍しい水墨画の大作である。紙は焼けが強く全面に淡褐色に変色しているものの、墨は当初の潤いを保つかのようであり、光が当たると鈍い輝きを放つ。画面の左右のそれぞれの端に丸い引き手跡が残っているため、もとは襖であったと思われる。向かって右側の画面右上、松の生える岩礁に隠れるように、「噲々其一」の署名と「祝琳斎」(朱文大円印)が捺される。書体は「三十六歌仙・檜図屏風」(作品41)に近しく、「噲」のうち第六画以降が崩れて「専」の草書のように、「其」が「サ」と「人」を足したように見える。天保六年(一八三五)という作品41の箱書に従うなら、本作もまた同時期の制作と考えられる。
画面右上から緩やかな対角線上に、松の生える岩礁、海中に横たわる巨岩と小岩が、滲みを効かせた濃墨によって描かれる。もっとも本作の主題は、これらのモチーフの間を縫うように流れるダイナミックな波の動きそれ自体にあるだろう。複雑かつ明晰な水流表現は、其一より一世代前に京都で活躍した円山応挙によって創始された大画面の波濤図に近しい。「噲々」落款時代の壮年における積極的な応挙学習の一端を物語る貴重な作例である。 】
(『鈴木其一 江戸琳派の旗手』所収「作品解説45(久保佐知恵稿)」)
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