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抱一画集『鶯邨画譜』と抱一句集『屠龍之技』(その十七) [『鶯邨画譜』と『屠龍之技』]

その十七 双鶴図

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抱一画集『鶯邨画譜』所収「双鶴図」(「早稲田大学図書館」蔵)
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/chi04/chi04_00954/chi04_00954.html

 「鶴は千年亀は万年」の諺のとおり、「鶴」「亀」は、長寿のシンボルで、「吉祥物」(縁起物)の典型的な画題である。「双鶴(そうかく)図」になると、鶴は、生涯一羽としかつがいにならないとの、貞操を守る理想の夫婦像のシンボルにもなっている。
 これらの吉祥物の「鶴」は、「丹頂(たんちょう)鶴」が馴染み深いが、この双鶴図は、胴体の羽衣の色が鍋についた煤のように見える「鍋(なべ)鶴」である。

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尾形光琳画「群鶴図屏風」六曲一双 紙本金地著色 (フリーア美術館蔵)

 光琳の上記の「群鶴図屏風」は「鍋鶴」で、抱一は、この光琳の群鶴図を念頭に置いての「群鶴図屏風」も制作している。

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酒井抱一画「群鶴図屏風」二曲一双 紙本金地著色 (ウースター美術館蔵)

 もとより、光琳も抱一も、「鍋鶴」だけではなく、「丹頂鶴」を画題にしているのも多い。例えば、下記のアドレスで紹介した、抱一の『絵手鑑』の「八鶴」は「丹頂鶴」で、こちらの方が馴染みやすい「鶴」ということになろう。

https://yahan.blog.so-net.ne.jp/2018-10-07

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瀬戸民吉製「色絵双鶴図小皿」十枚一組 (国立歴史民族博物館蔵)

https://www.rekihaku.ac.jp/outline/publication/rekihaku/110/witness.html

 この小皿は「文政九戌十一月瀬戸民吉製」とあり、文政九年(一八二六)の瀬戸焼(愛知県瀬戸焼き)の一つということになる。この文政九年は、抱一、六十六歳の時で、その六月には、『光琳百図後編』が刊行された年である。
 『鶯邨画譜』が刊行されたのは、文化十四年(一八一七)、五十七歳の時で、その後、十年足らずして、陶器に意匠化されて、抱一ブランドが製品化されているのは特記して置く必要があろう。

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抱一自撰句集『屠龍之技』「東京大学付属図書館蔵」(明治三十一年森鴎外「写本」)
http://rarebook.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/ogai/data/E32_186/0032_m.html

 「花ぬふ(縫ふ)とり(鳥)」の次の前書きの「己巳(きみ・つちのとみ)」は、文化六年(一八〇九)、抱一、四十九歳の時である。「藤塚」は「下谷根岸大塚村」であろう。ここが、「鶯の里」で、それが抱一の号「鶯邨(むら)・おうそん」となっている。
 この四句目は、正月の「鶴」の句である。

  元日の朝寝起すや小田の鶴

 現在の上野の下谷・根岸周辺も、抱一の時代には、下記の広重画にあるとおり、この丹頂鶴を見ることが出来たのであろう。この抱一の句は、「下谷根岸大塚村」に転居しての初めて正月の実景にもとづくものなのかも知れない。
 しかし、冒頭の「双鶴図」の掛幅が、正月の床の間に飾ってあって、その小田の双鶴に「元日の朝寝を起こされた」とする鑑賞の方が、『鶯邨画譜』を有する抱一の句に相応しい感じで無くもない。

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安藤広重画「名所江戸百景」のうち「蓑輪 金杉 三河しま」

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