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酒井抱一の「綺麗さび」の世界(二十) [抱一の「綺麗さび」]

その二十 「其角肖像百幅」(抱一筆・賛=其角句)

(再掲)

https://yahan.blog.so-net.ne.jp/2018-01-22

抱一・其角肖像二.jpg

酒井抱一筆「晋子肖像(夜光る画賛)」一幅 紙本墨画 六五・〇×二六・〇

「晋子とは其角のこと。抱一が文化三年の其角百回忌に描いた百幅のうちの一幅。新出作品。『夜光るうめのつぼみや貝の玉』(『類柑子』『五元集』)という其角の句に、略画体で其角の肖像を記した。左下には『晋子肖像百幅之弐』という印章が捺されている。書風はこの時期の抱一の書風と比較すると若干異なり、『光』など其角の奔放な書風に似せた気味がある。其角は先行する俳人肖像集で十徳という羽織や如意とともに表現されてきたが、本作はそれに倣いつつ、ユーモアを漂わせる。」(『別冊太陽 酒井抱一 江戸琳派の粋人』所収「抱一の俳諧(井田太郎稿)」)

 この著者(井田太郎)が、『酒井抱一---俳諧と絵画の織りなす抒情』(岩波新書一七九八)を刊行した(以下、『井田・岩波新書』)。
 この『井田・岩波新書』では、この「其角肖像百幅」について、現在知られている四幅について紹介している。

一 「仏とはさくらの花の月夜かな」が書かれたもの(伊藤松宇旧蔵。所在不明)
二 「お汁粉を還城楽(げんじょうらく)のたもとかな」同上(所在不明)
三 「夜光るうめのつぼみや貝の玉」同上(上記の図)
四 「乙鳥の塵をうごかす柳かな」同上(『井田・岩波新書』執筆中の新出)

 この四について、『井田・岩波新書』では、次のように記述している。

【 ここで書かれた「乙鳥の塵をうごかす柳かな」には、二つの意味がある。第一に、燕が素早い動きで、「柳」の「塵」、すなわち「柳絮(りゅうじょ)」(綿毛に包まれた柳の種子)を動かすという意味。第二、柳がそのしなやかで長い枝で、「乙鳥の塵」、すなわち燕が巣材に使う羽毛類を動かすという意味。 】『井田・岩波新書』

 この「燕が柳の塵を動かす」のか、「柳が燕の塵を動かす」のか、今回の『井田・岩波新書』では、それを「聞句(きくく)」(『去来抄』)として、その「むかし、聞句といふ物あり。それは句の切様、或はてにはのあやを以て聞ゆる句也」とし、この「聞句」(別称、「謎句」仕立て)を「其角・抱一俳諧(連句・俳句・狂句・川柳)」を読み解く「補助線」(「幾何学」の補助線)とし、その「補助線」を補強するための「唱和と反転」(これも「聞句」以上に古来喧しく論議されている)を引いたところに、この『井田・岩波新書』が、これからの「井田・抱一マニュアル(教科書)」としての一翼を担うことであろう。
 そして、次のように続ける。

【 これに対応する抱一句が、第一章で触れた「花びらの山を動かす桜哉」(『句藻』「梶の音」)である。早くに詠まれたこの句は『屠龍之技』「こがねのこま」にも採録され、『江戸続八百韻』では百韻の立句にされており、抱一自身もどうやら気に入っていたとおぼしい。句意は、大きな動きとして、桜の花びらが散れば、桜花爛漫たる山が動くようにみえるというのが第一。微細な動きとして、桜がさらに花弁を落とし、すでにうず高く積もった花弁の山を動かすというのが第二。
 燕の速度ある動きと柳の悠然たる動き、桜の大きな動きと微細な動き、両句ともに、こういった極度に相反する二重の意味をもつ「聞句」である。また、有名な和歌「見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」(『古今和歌集』巻第一)をはじめとし、柳と桜は対にされてきたから、柳を詠む其角に対し、意図的に抱一が桜を選んだと考えられる。抱一句は全く関係のないモティーフを扱いながら、其角句と見事に趣向を重ねているわけで、これは唱和のなかでも反転にほかならないと確認される。 】『井田・岩波新書』

  乙鳥の塵をうごかす柳かな  其角 (『五元集』)
  花びらの山を動かす桜哉   抱一 (『屠龍之技』)

 この両句は、其角の『句兄弟』(其角著・沾徳跋)をマニュアル(教科書)とすると、「其角句=兄句/抱一句=弟句」の「兄弟句」で、其角句の「乙鳥」が抱一句の「花びら」、その「塵」が「山」、そして「柳」が「桜」に「反転」(置き換えている)というのである。
 そして、其角句は「乙鳥が柳の塵を動かすのか/柳が乙鳥の塵を動かすのか」(句意が曖昧=両義的な解釈を許す)、いわゆる「聞句=謎句仕立て」だとし、同様に、抱一句も「花びらが桜の山を動かすのか/桜が花びらの山を動かすのか」(句意が曖昧=両義的な解釈を許す)、いわゆる「聞句=謎句仕立て」というのである。
 さらに、この両句は、「其角句=前句=問い掛け句」、そして「抱一句=後句=付句=答え句」の「唱和」(二句唱和)の関係にあり、抱一は、これらの「其角体験」(其角百回忌に其角肖像百幅制作=これらの其角体験・唱和をとおして抱一俳諧を構築する)を実践しながら、「抱一俳諧」を築き上げていったとする。
 そして、その「抱一俳諧」(抱一の「文事」)が、江戸琳派を構築していった「抱一絵画」(抱一の「絵事」)との、その絶妙な「協奏曲」(「俳諧と絵画の織りなす抒情」)の世界こそ、「『いき』の構造」(哲学者九鬼周三著)の「いき」(「イエスかノーかははっきりせず、どちらにも解釈が揺らぐ状態)の、「いき(粋)の世界」としている。
 さらに、そこに「太平の『もののあわれ』」=本居宣長の「もののあわれ」)を重奏させて、それこそが、「抱一の世界(「画・俳二道の世界」)」と喝破しているのが、今回の『井田・岩波新書』の最終章(まとめ)のようである。

桜楓図屏風・右.jpg

酒井抱一筆「桜・楓図屏風」の右隻(「桜図屏風」)デンバー美術館蔵  六曲一双 紙本金地著色 (各隻)一七五・三×三四・〇㎝ 落款(右隻)「雨庵抱一筆」 印章(各隻)「文詮」朱文円印 「抱弌」朱文方印

 デンバー美術館所蔵となっている、この「桜・楓図屏風」の右隻(「桜図屏風」)は、まさしく、「桜」と「柳」とを主題としたものである。

  乙鳥の塵をうごかす柳かな    其角 (『五元集』)
  花びらの山を動かす桜哉     抱一 (『屠龍之技』)
  見渡せば柳桜をこきまぜて
       都ぞ春の錦なりける  素性法師(『新古今』巻一)   

 其角句と抱一句を「唱和」(抱一句は其角句の「本句取り」)とすると、この二句は、素性法師の「本歌取り」の句ということになる。其角はともかくとして、抱一は、この句に唱和し、それを反転させる際に、間違いなく、この素性法師の古歌が、その反転の要因になっていることは、上記のように並列してみると明瞭になってくる。
 この素性法師の歌には「 花ざかりに京を見やりてよめる」との前書きがある。抱一は、それを「江戸の太平の世を見やりてよめる」と反転しているのかも知れない。

桜楓図屏風・左.jpg

酒井抱一筆「桜・楓図屏風」の左隻(「楓図屏風」)デンバー美術館蔵 → D図
六曲一双 紙本金地著色 (各隻)一七五・三×三四・〇㎝
落款(左隻)「抱一筆」 印章(各隻)「文詮」朱文円印 「抱弌」朱文方印

 デンバー美術館所蔵の「桜・楓図屏風」の左隻(「楓図屏風」)である。

   北山に僧正遍照とたけがりにまかれりけるによめる
  もみぢ葉は袖にこき入れてもていでなむ秋はかぎりと見む人のため
                        素性法師(『新古今』巻五)

 素性法師の父は僧正遍照である。その父の僧正遍照と茸狩りに行ったときの歌である。
「秋はかぎりと見む人のため」の「見む人」というのは、遍照・素性父子と親しい関係にある人であろう。
 ここで、この「桜・楓図屏風」の右隻(「桜図屏風」)と左隻(「楓図屏風」)とが、素性法師の古歌を媒介して、見事に唱和してくる。そして、抱一にとって、この素性法師の歌にある「見む人」とは、この「桜・楓図屏風」(六曲一双)の制作を抱一に依頼した、例えば、最晩年の抱一に制作を依頼した、水戸藩主徳川斉脩などの注文主のことを脳裏に描いていることであろう。

   秋にはたへぬと良経公の御うたにも
  月の鹿ともしの弓や遁れ来て       抱一(『屠龍之技』「椎の木かげ」)

 この抱一の句について、『後鳥羽院』(日本詩人選二〇・筑摩書房)の著書を有する「小説・評論・随筆・翻訳」分野で文化勲章を受章したマルチ文人・丸谷才一の『日本文学史早わかり』(「歌道の盛り」)で、次のように記述している。

【(この抱一句)は、藤原良経ではなく藤原雅経の、「ともしせし端山しげ山しのびきて『秋には耐へぬ』さを鹿の声」を下じきにしている。歌人の名がこんがらかるといふのは、抱一がいちいち本に当たるのではなく、そらで覚えてゐることの反映で、それは同時代の俳人たちのかなり多くに共通する態度であったと見て差支えない。 】(丸谷才一著『日本文学史早わかり』所収「歌道の盛り」)

 そして、その巻末の「日本文学史早わかり(付表)」で、その「個人詩集」の項目の中に、抱一の『屠龍之技』が、『芭蕉句選』『其角「五元集」』『蕪村句集』『しら雄(白雄)句集』『一茶「おらが春」』と並んで登載されている。
 そして、恐らく、この『後鳥羽院』の執筆過程で把握したのであろうが、抱一句の「本歌取り」の句の幾つかについて、その「本歌」ともども列挙されている。
 上記の一句は、その中の一句である。その記述の中で、「抱一がいちいち本に当たるのではなく、そらで覚えてゐることの反映で、それは同時代の俳人たちのかなり多くに共通する態度であったと見て差支えない」というのは、今回の『井田・岩波新書』の「其角体験」(「抱一にとっての其角体験とは、先行作品と唱和しながら、自らの世界を構築するというスタイルを確立させたのではないか」)については、少なくとも、『後鳥羽院』と『日本文学史早わかり』の著者丸谷才一は諸手をあげて「是」とするところであろう。
 そして、今回の『井田・岩波新書』の最終章(第四章)の「太平の『もののあはれ』」の、「もののあはれ」(本居宣長の『石上私淑言』での『見る物聞く事なすわざにふれて情の深く感ずる事」の「もののあはれ」)は、丸谷才一の「歌道の盛り」(本居宣長の『宇比山踏』『拝蘆小船』での「歌道の盛り」)と、期せずして合致したものであろう。
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