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酒井抱一の「綺麗さび」の世界(二十一) [抱一の「綺麗さび」]

その二十一 「秋夜月扇子」(抱一筆・季鷹賛)

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酒井抱一筆「秋夜月(あきよづき)」扇子 一本 一七・七×五一・〇㎝
太田記念美術館蔵

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酒井抱一筆「秋夜月(あきよづき)」扇子 (拡大図)

【 秋の夜空を紺碧で、月を金で表す。単純ながらも大胆な構図と配色が印象的な扇。印章「抱弌」(朱文方印)・「文詮」(朱文瓢印)の朱色も背景に映える。加茂季鷹(一七五四~一八四一)による和歌は「類なき光を四方にしき島や日本嶋根の秋夜月」。季鷹は京都の歌人で国学者。大田南畝らとも交流し、俗文芸にも接触をもった。抱一の画譜(文化十四年<一八一七>)に序を寄せており、抱一との交流も知られる。裏面には墨書「抱一上人此月を/□□□□/□□□□季鷹に賛をと/頗りにの給ひ/けれは/いなひ/かたくて/筆を/とれるに/なん」があり、季鷹が賛を請われた様子をうかがうことができる。  】(『鴻池コレクション扇絵名品展』所収「作品解説七(赤木美智稿)」)

 この賀茂季鷹(かものすえたか)について、『酒井抱一---俳諧と絵画の織りなす抒情(井田太郎著・岩波新書一七九八)』(以下、『井田・岩波新書』)で、次のように記述している。

【 季鷹は抱一より七歳年長で、抱一の自撰画譜『鶯邨画譜』に序(文化十三年九月)を寄せた国学者・歌人である。しかし、実は文政三年五月まで、抱一は季鷹(雲錦先生)に対面したことはなかった。「錦雲(ママ=雲錦が正しい)先生、江都に有し頃は廿年(はたとせ)の昔にて、予も金馬門に繋がれて、花鳥の交(まじはり)をなさず/季鷹の吾嬬(あづま)下りや初茄子(はつなすび)/ころは五月(さつき)の末にぞ有(あり)ける」(『句藻』「藪鶯」)とあるとおりである。「一富士、二鷹、三茄子」からの連想であるが、富士は「ぬけ」にしてある。季鷹は初対面後の一〇月、『屠龍之技』に新たに序を加え、「抑(そもそも)、我、はやうよりむつびかはせる雨華庵の屠龍君」と述べている。つまり、文政三年以前より両者のあいだに文通があったことがわかる。  】(『井田・新書』)

 ここで紹介されている『鶯邨画譜』の「序」(賀茂季鷹)などについて、下記のアドレスで触れている。ここに再掲をして置きたい。

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2019-03-03

(再掲)

ここでは、この『鶯邨画譜』の、抱一と親しく交流のあった国学者加茂季鷹と、漢詩人中井敬義の、その「序」を掲載しておくことに止めたい(なお、『鶯邨画譜』は、初版と後刷本とがあり、早稲田図書館蔵本は後刷本で、この「序」は付せられていない)。

①序文(加茂季鷹)

大方ゑかく人、くれ竹の世に其名きこえたる上手、其いと多かる中にも、百とせばかりむかし、光琳法橋ときこえしハ、倭もろこし乃おかしき所々をとり並べことそぎたる中に、力を入てみやびかなるおもむきせしもむねと書あらはし筒、其頃此道にならぶ人は多なかりけり、こゝに等覚院抱一君ハ弓を袋にをさめて画に世を乃がれたまひ、かの法橋のあとをしたひてかき出たまへるが、山乃たゝずまい、水のこゝろばへは、いふもさらなり、鳥、化物、はふむしなどハ、さながらたましひ有てうごき出ぬべき心ちなんせられける、とりたてかくこ乃み給ふ事あらたまのとし月つもらざりせば、いかでかくは物しき給ふべき、されば彼法橋もなかなかに及びかたかめりとさへ見侍るハ、藍を出しあゐの藍より青してふためしならむかし、あまりあやしきまで見めでつゝたくもえあらで、いさゝかゝきしるし侍る也、あなめでたあなめでた

②序文(中井敬義)

此一帖は抱一上人ねん翁の、いとまことに画なしぬへるものにして、いたり深くやことなきすとハ、けにたとふへきかたなしかし、上人早うより世の塵を厭ひて、おくまりたる山陰に庵し候て、ひたすら水艸のきく傳を慰めにてかき籠り給へるを、あたらしきことにおもひて、こゝろよせきこゆる人は、あなかちにまいり給はむ、くひておのかしゝ迺心やりにとてかき捨たまへる原繪なとこひ閲(み)ゆるも、あまたありぬ契のもとなり、ためしなき上手にておはすうへに、からくにのふるきおきてをまなへり、我国のミやひたる跡をとめて、ひろくまねひ、ふかく習ひとなぬへき、尤なほさりの墨かきたき世の人とはいとことなり、そもそも三乗の法をときて聖人の御果を絵かき給ふとて、かしこの傳にもありとか法の属にして画をし覚すきたまへる、さるいはれあることになん、おのれ此本をうちひらき見より、上人のらうしねんに走しらす事にならひて其侭に気韻高かりけると、かたかた尊きことおほえて世のひとゝきのやさしきも忘れて、此はしつかたをふとけかしつせるは、感すこゝろの深きよりと、人も又見ゆるしなん也

(『江戸名作画帖全集六(駸々堂)』所収「図版解説・資料」)

  類なき光を四方にしき島や日本嶋根の秋夜月  (賀茂季鷹)

 抱一にとって、季鷹は、京都の「国学者・歌人」の、その書簡にあるとおり「雲錦先生」(「雲錦は庵号で抱一の七歳年長)なのである。この雲錦先生は、抱一の画賛に登場する江戸派の歌人(国学者)の双璧の、加藤(橘)千蔭(二十六歳年長)と村田春海(十五歳年長)と知己で、季鷹と抱一との関係は、抱一と親交の深い千蔭と春海とが介在していることであろう。
 また、季鷹は、狂歌にも精通して居り、抱一の狂歌の師の一人・大田南畝(狂歌名=四方赤良、十二歳年長)などの狂歌連とのネットワークも介在しているとことであろう。

  敷島のやまと心を人とはば朝日ににほふ山ざくら花 (本居宣長)

 「大和魂」の代名詞にもなっている、この歌の作者・本居宣長(国学者・歌人、抱一より三十一歳年長)は、抱一と直接的な関係は何もない。しかし、抱一と深い親交に結ばれている江戸派の歌人(国学者)の「加藤千蔭・村田春海」は、賀茂真淵(国学者・歌人)の「県門(けんもん)」であり、宣長もまた後に真淵門(県門)に入っており、京都の季鷹(真淵と関係の深い賀茂神社の祠官)共々、真淵の「県居(あがたい)派」の歌人と解して差し支えなかろう。
 
  類なき光を四方にしき島や日本嶋根の秋夜月    (賀茂季鷹)
  敷島のやまと心を人とはば朝日ににほふ山ざくら花 (本居宣長)

 この季鷹の歌は、宣長の「本歌取り」の一首と、これまた、解して差支えなかろう。

季鷹・掛幅.jpg

 月  類なき 光を四方に 敷しまや
    日本島嶋根の 秋の夜の月     季鷹

http://www.suguki-narita.com/blog/2016/09/tiyuusyunomeigetu.html

 これは上記のアドレスで紹介されている季鷹の掛幅である。これに対応する宣長の掛幅は次のものであろう。

宣長像.jpg

「本居宣長六十一歳自画自賛像」(『本居宣長(小林秀雄著・新潮社)』所収「口絵」→表)
【(右上の賛)古連(これ)は宣長六十一寛政乃(の)二登(と)せと/いふ年能(の)秋八月尓(に)手都可(づか)らう都(つ)し/多流(たる)おの可(が)ゝ(か)多(た)那(な)里(り)
(左上の賛)筆能(の)都(つ)い天(で)尓(に)/志(し)き嶋のやま登(と)許(ご)ゝ(こ)路(ろ)を人登(と)ハ(は)ゝ(ば)/朝日尓(に)ゝ(に)ほふ山佐久(ざく)ら花  】(『本居宣長(小林秀雄著・新潮社)』所収「口絵」→裏)

 この『本居宣長(小林秀雄著・新潮社)』の冒頭の章(一)に、「(駅まで見送った折口信夫が小林秀雄に)『小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ、では、さよなら』と言われた」という一節がある。
 この折口信夫の小林秀雄への遺言のようなメッセージ「本居さんはね、やはり源氏ですよ」の「源氏」は、『源氏物語』で、折口信夫の、このメッセージは「もののあはれ」(『見る物聞く事なすわざにふれて情(ココロ)の深く感ずる事」』=『石上私淑言(いそのかみのささめごと)』)こそ、「敷島(日本)のやまと心(大和心)」ということが、そのメッセージの意であったようなのである。

 『井田・岩波新書』の最終章(第四章)のタイトルは「太平の『もののあはれ』」で、この「もののあはれ」は、抱一の最高傑作の一つ「夏秋草図屏風」(別称「風雨草花図」・国立博物館蔵・重要文化財)を主題とし、それは、表の「風神雷神図屏風」(光琳作)の「晴れやかさ」に対し、裏の「『うつろう先』の『一抹の不穏な空気』」が漂い、それは、「本居宣長が主張した『もののあはれ』にも近接した空気である」としている。
 抱一の絵画作品などで、本居宣長(上記の「本居宣長六十一歳自画自賛像」など画技にも長けている)に関するものは寡聞にして知らない。しかし、宣長が「もののあはれ」を見て取った『源氏物語』とその作者「紫式部」に関しては、下記のアドレスなどで、しばしば遭遇している。

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2018-11-18

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2019-04-21

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2019-06-05

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2019-06-11

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2019-06-16

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2019-07-21

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2019-07-30

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2019-08-06

 ここで、冒頭の「秋夜月(あきよづき)」扇子(抱一筆・季鷹賛)に戻って、その「作品解説」の「抱一上人此月を/□□□□/□□□□季鷹に賛をと/頗りにの給ひ/けれは/いなひ/かたくて/筆を/とれるに/なん」とに遭遇すると、これは、賛をした季鷹ではなく、抱一その人が、季鷹に賛を請い、そして、それを秘蔵していたものと解したい。

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