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酒井抱一の「綺麗さび」の世界(二十四) [抱一の「綺麗さび」]

その二十四 抱一筆「月に秋草鶉図屏風」など

月に秋草鶉図屏風.jpg

酒井抱一筆「月に秋草鶉図屏風」二曲一隻 紙本金地著色 一四四・七×一四四・〇㎝
落款「抱一畫於鶯邨書屋」 印章「抱弌之印」朱文重郭方印 「文詮」朱文瓢印 重要美術品 山種美術館蔵 → A図

月に秋草図屏風.jpg

酒井抱一筆「月に秋草図屏風」六曲一双 紙本金地著色 一三九・五×三〇九・〇㎝
落款「雨華菴抱一筆」 印章「文詮」朱文円印 「文詮」朱文瓢印 重要文化財
東京国立博物館寄託(ペンタックス株式会社蔵) → B図

兎に秋草図襖.jpg

酒井抱一筆「兎に秋草図襖」板絵著色 各一六二・五×八四・〇㎝ 三井記念美術館蔵 
→ C図

 この「月に秋草鶉図屏風」(A図)は、『酒井抱一---俳諧と絵画の織りなす抒情(井田太郎著・岩波新書一七九八)』(以下、『井田・岩波新書』)の口絵の冒頭に掲載されているものである。

  野路や空月の中なる女郎花  抱一(『屠龍之技』「第二かぢのおと」)

 この抱一の句は、夏目漱石の「門」の中に出てくる一句である。

【下に萩、桔梗、芒、葛、女郎花を隙間なく描いた上に、真丸な月を銀で出して、其横の空いたところへ、野路や空月の中なる女郎花、其一と題してある。
宗助は膝を突いて銀の色の黒く焦げた辺から、葛の葉の風に裏を返してゐる色の乾いた様から、大福程な大きな丸い朱の輪廓の中に、抱一と行書で書いた落款をつくづくと見て、
父の行きてゐる当時を憶ひ起さずにはゐられなかつた。 】(夏目漱石「門」より)

 これらのことに関して、次のアドレスで、次のように紹介した。

https://yahan.blog.ss-blog.jp/archive/20190108

【上記の「野路や空月の中なる女郎花」は抱一の句で、抱一の高弟・鈴木其一が、その句を書き添えているというのであろう。この抱一の句は、抱一の自撰句集『屠龍之技』の「かぢのおと」に、「野路や空月の中なるおみなへし」の句形で収載されている。俳人でもある夏目漱石は、確かに、抱一の自撰句集『屠龍之技』を熟知していて、そして、上記の抱一の「月に秋草図屏風」類いのものを目にしていたのであろう。】(再掲)

 『井田・岩波新書』では、その「序章」(「画俳二つの世界」)で、その夏目漱石の「門」に出てくる、この抱一句を紹介しながら、この「月に秋草鶉図屏風」(口絵)で、次のように紹介している。

【 レモン型の月は、薄と接する低さである。薄や鶉は、藤原定家の和歌に基づく定家詠十二か月花鳥図の九月に出現する景物である。鶉の描き方は、南宋の画院画家、李安忠の筆と伝える「鶉図」(根津美術館)、それに倣った土佐派・狩野派に通ずるものがある。抱一が描いたとき、これらの要素は念頭にあったろうが、目を凝らせば、この第一扇にも実は女郎花が配されている。先述の句とは約二〇年という時期は隔ててはいるが、やはり武蔵野を舞台とする点では交響してくることになる。 】(『井田・岩波新書』「序章」)

 この「月に秋草鶉図屏風」は、落款に「抱一畫於鶯邨書屋」とあり、文化十四年(一八一七、抱一・五十七歳)以前の作と推定され、そして、この句の『屠龍之技』の章名「かぢのおと(梶の音)」(「梶の音」所収句の下限=寛政四年・一七九二・三十二歳)からすると、この画と句との制作時期の開きは「約二十年」位のスパンがあるということなのであろう。
 そして、この句の句意を理解するためには、その補助線として、「武蔵野は月の入るべき山もなし草より出でて草にこそ入れ」(俗謡・『続古今和歌集』源通方「武蔵野は月の入るべき峯もなし尾花が末にかかる白雲」)を媒介すると、「武蔵野の野道を歩いていくと視界が開け、空に続かんばかり。そこにあるわずか一メートルほどの女郎花が、低い月のなかにあるようにみえる」という句意を紹介している。
 この月(A図)は「上弦の月」で、武蔵野の地平線から空に昇っていく光景であろう。

https://weathernews.jp/s/topics/201802/220075/


上弦の月.jpg

【「月に秋草図」(B図)は、同様(A図と同様)に総金地に秋草を描きながら、一転して曲線を基調とした描写である。ここでは抱一得意の葛が主役をつとめているが、その葉は彩色に変化をもたせて下から輝く金地の効果を巧みに使っている。署名に「雨華庵抱一筆」とあり、抱一が「雨華庵」の庵号を用いた文化十四年五十七歳以降の作品とわかるが、草花が折り重なるところや芒の穂のしなだれるところなど晩年の代表作「夏秋草図屏風」(東京国立博物館蔵)の表現に近い。 】
(『琳派二 花鳥二(紫紅社)』所収「作品解説二三一(奥平俊六稿)」)

 この「月に秋草図」(B図)の月は満月である。「月に秋草図(一幅)」(MOA美術館蔵)「月に秋草図(一幅)」(山種美術館蔵)「月に葛図(一幅)」(萬野美術館蔵)「月夜楓図(一幅)」(静岡県立美術館蔵)「雪月花図(三幅)」(MOA美術館蔵)「月に秋草図扇(一本)」(東京国立博物館蔵)「秋夜月扇(一本)」(太田記念美術館蔵)「月扇(一本)」(太田記念美術館蔵)、これらは、全て満月である。

 次の「兎に秋草図襖」(C図)の月も満月である。

【全面に斜めに薄い板を貼り、重ねて地とした襖に、満月に照らし出された野分の吹き荒れる秋の野を描いている。秋草は左から風に大きく揺らぎ、驚いたように白い兎が飛び出している。草の葉は、墨にわずかに色を加えて地味に描かれ、金泥で葉脈が描き添えられる。月の光を受けたシルエットによる夜の表現がなされているためで、薄の白い穂花、葛の淡いピンクの花、山帰来の赤い実が印象的に色を加えている。斜めに貼られた木の線が強い風を表現し機知的効果をもたらしているが、新しい木地は光も反射する。襖に当たる光の加減によっては、反射した光が、月光のように画面から発せられたに違いない。抑えられた色調と、金や銀とは違った光の反射を楽しむ繊細な美意識、瀟洒な感覚が部屋を覆っていたに違いない。画面には署名は無く「文詮」朱文円印と「文詮」朱文瓢印が捺されている。 】
(『尾形光琳生誕三五〇周年記念 大琳派展 継承と変奏(読売新聞社)』所収「作品解説Ⅳ-18(田沢裕賀稿)」)

光悦・兎扇面図.jpg
 
本阿弥光悦筆「月に兎図扇面」紙本金地著色 一七・三×三六・八㎝ 畠山記念館蔵 
→D図

【扇面を金地と濃淡二色の緑青で分割し、萩と薄そして一羽の白兎を描く。薄い緑は土坡を表わし、金地は月に見立てられている。兎は、この月を見ているのであろうか。
扇面の上下を含んで、組み合わされた四本の孤のバランスは絶妙で、抽象的な空間に月に照らし出された秋の野の光景が呼び込まれている。箔を貼った金地の部分には『新古今和歌集』巻第十二に収められた藤原秀能の恋の歌「袖の上に誰故月はやどるぞと余所になしても人のとへかし」の一首が、萩の花を避けて、太く強調した文字と極細線を織り交ぜながら散らし書きされている。
薄は白で、萩は、葉を緑の絵具、花を白い絵具に淡く赤を重ねて描かれている。兎は、細い墨線で輪郭を取って描かれ、耳と口に朱が入れられている。
単純化された空間の抽象性は、烏山光広の賛が記され、「伊年」印の捺された「蔦の細道図屏風」(京都・相国寺蔵)に通じるものの、細部を意識して描いていく繊細な表現は、面的に量感を作り出していく宗達のたっぷりとした表現とはやや異なるものを感じる。
画面左隅に「光悦」の黒文方印が捺されており、光悦の手になる数少ない絵画作品と考えられる。  】(『尾形光琳生誕三五〇周年記念 大琳派展 継承と変奏(読売新聞社)』所収「作品解説Ⅰ-14(田沢裕賀稿)」)

この作品解説は、『尾形光琳生誕三五〇周年記念 大琳派展 継承と変奏(読売新聞社)』の「二〇〇八年」に開催された図録によるものであるが、それより、三十六年前の「一九七二年」に開催された『創立百年記念特別展 琳派 目録 (東京国立博物館)』の作品解説は下記のとおりである。これからすると、上記の扇面画は、光悦作と解して差し支えなかろう。

【 本阿弥光悦筆「扇面月兎画賛」一幅 紙本墨書 一七・〇×三六・五㎝ 畠山記念館蔵
秋草に兎、扇面という形態の構図を十分に考慮した作品である。緑青をバックに映える白い兎、これに対して大胆にも、金箔の月が画面の三分の一以上を占める。光悦の筆になる和歌は、『新古今集』(巻一二)の藤原秀能の一首で、「袖の上に誰故月ハやどるぞとよそになしても人のとへかし」と読める。左下に、大きな「光悦」の墨方印がある。】(『創立百年記念特別展 琳派 目録 (東京国立博物館)』)

 この光悦画・賛の「月に兎図扇面」の右半分の金箔地が、下弦の月である。抱一の「兎に秋草図襖」(C図)は、「反転」というよりも「変転」(変奏)しているもののように思われる。そして、この「兎に秋草図屏風」は、「月に秋草図」(B図)と同時代の「雨華庵」時代の晩年の作のように思われる。
 そして、これらの大作に先行しての作品が、「鶯邨」時代の「月に秋草鶉図屏風」(A図)と解したい。

富士山図.jpg

酒井抱一筆「富士山図」(『絵手鑑』七十二図中の十九図)各二五・一×一九・七㎝ 
静嘉堂文庫美術館蔵

 この抱一の「富士山図」について、『酒井抱一---俳諧と絵画の織りなす抒情(井田太郎著・岩波新書一七九八)』(以下、『井田・岩波新書』)では、「富士は絹本に塗った群青色の空にシルエットで示され、眩しい朱色の太陽をそえる」(「第三章花開く文雅」「俳趣味と地域色)と、この白富士の右上の朱色の「満月」のようなものを朱色の「太陽」としている。
 ここは、上記の「月に秋草鶉図屏風」(A図)「月に秋草図屏風」(B図)「兎に秋草図襖」(C図)「月に兎図扇面」(D図)に連なる、「武蔵野の果ての雪の白富士と旭日を帯びた『朱の満月』」と解したい。
 そして、それは、抱一のスタート地点「浮世絵時代」の「紅嫌い(色彩を抑制した)」の「松村村雨図」(細見美術館蔵)の「月下の世界への興味」(『井田・岩波新書』「第一章『抱一』になるまで」「月下の世界への興味」)と連なっていると解したい。

  枯枝の梅と見へけり朧月  楓窓杜龍(抱一)(『俳諧尚歯会』)

「朧月によって、枯枝に梅花が咲いているようだと幻視したのか、それとも、朧月が枯枝に咲いた梅花のようであると見立てのか。おそらく、意識的に両方を意味するようにぼかしているのだが、この句もまた月下のモノクロームの幻の世界である。」(『井田・岩波新書』「第一章『抱一』になるまで」「月下の世界への興味」)

 抱一の「綺麗さび」の世界というのは、この両義性の世界、そして、月下の幻想世界からスタートしている。
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