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狩野永納筆「新三十六人歌合画帖」(その十七) [三十六歌仙]

その十七 寂蓮法師と俊恵法師

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狩野永納筆「新三十六歌仙画帖(寂蓮法師)」(東京国立博物館蔵)各22.4×19.0
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0056423

俊恵法師.jpg

狩野永納筆「新三十六歌仙画帖(俊恵法師)」(東京国立博物館蔵)各22.4×19.0
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0056424

左方十六・寂蓮法師
http://www.ikm-art.jp/degitalmuseum/num/001/0010708000.html

 かつらぎやたかまのさくらさきにけり/たつたのおくにかかるしら雲

右方十七・俊恵法師

http://www.ikm-art.jp/degitalmuseum/num/001/0010709000.html

 故郷の板井の清水み草ゐて/月さへすまずなりにける哉


(狩野探幽本)

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2019-12-19

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2019-12-31

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狩野探幽筆「新三十六歌仙画帖(右方十六・寂蓮法師)」(東京国立博物館蔵)各33.5×26.1
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0009427

俊恵.jpg

狩野探幽筆「新三十六歌仙画帖(左方十七・俊恵法師」(東京国立博物館蔵)各33.5×26.1
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0009428

(参考)

フェリス女学院大学蔵『新三十六歌仙画帖』

https://www.library.ferris.ac.jp/lib-sin36/sin36list.html

寂蓮二.jpg

俊恵二.jpg

(周辺メモ)寂蓮( じゃくれん) 生年未詳~建仁二(1202) 俗名:藤原定長 通称:少輔入道

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/jakuren.html

 生年は一説に保延五年(1139)頃とする。藤原氏北家長家流。阿闍梨俊海の息子。母は未詳。おじ俊成の猶子となる。定家は従弟。尊卑分脈によれば、在俗時にもうけた男子が四人いる。
 建仁元年(1201)には和歌所寄人となり、新古今集の撰者に任命される。しかし翌年五月の仙洞影供歌合に参加後まもなく没し、新古今の撰集作業は果せなかった。

「寂蓮は、なほざりならず歌詠みし者なり。あまり案じくだきし程に、たけなどぞいたくは高くはなかりしかども、いざたけある歌詠まむとて、『龍田の奥にかかる白雲』と三躰の歌に詠みたりし、恐ろしかりき。折につけて、きと歌詠み、連歌し、ないし狂歌までも、にはかの事に、故あるやうに詠みし方、真実の堪能と見えき」(後鳥羽院御口伝)。

「今はとてたのむの雁もうちわびぬ朧月夜の明けぼのの空」(新古58)
【通釈】今はもう北の国へ帰らなければならない時だというので、田んぼにいる雁も歎いて鳴いたのだ。朧ろ月の春の夜が明けようとする、曙の空を眺めて…。

「葛城(かづらき)や高間の桜咲きにけり立田の奥にかかる白雲」(新古87)
【通釈】葛城の高間山の桜が咲いたのだった。竜田山の奧の方に、白雲がかかっているのが見える。

「思ひたつ鳥はふる巣もたのむらんなれぬる花のあとの夕暮」(新古154)
【通釈】谷へ帰ろうと思い立った鶯は、昔なじみの巣をあてにできるだろう。馴れ親しんだ花が散ってしまったあとの夕暮――。しかし家を捨てた私は、花のほかに身を寄せる場所もなく、ただ途方に暮れるばかりだ。

「散りにけりあはれうらみの誰(たれ)なれば花の跡とふ春の山風」(新古155)
【通釈】桜は散ってしまったよ。ああ、この恨みを誰のせいにしようとして、花の亡き跡を訪れるのだ、山から吹く春風は。花を散らしたのは、ほかならぬお前ではないか、春風よ。

「暮れてゆく春の湊(みなと)はしらねども霞におつる宇治の柴舟」(新古169)
【通釈】過ぎ去ってゆく春という季節がどこに行き着くのか、それは知らないけれども、柴を積んだ舟は、霞のなか宇治川を下ってゆく。

「鵜かひ舟高瀬さしこすほどなれや結ぼほれゆく篝火の影」(新古252)
【通釈】鵜飼船がちょうど浅瀬を棹さして越えてゆくあたりなのか、乱れて小さくなってゆく篝火の炎よ。

「さびしさはその色としもなかりけり槙(まき)立つ山の秋の夕暮」(新古361)
【通釈】なにが寂しいと言って、目に見えてどこがどうというわけでもないのだった。杉檜が茂り立つ山の、秋の夕暮よ。

「月はなほもらぬ木(こ)の間も住吉の松をつくして秋風ぞ吹く」(新古396)
【通釈】住吉の浜の松林の下にいると、月は出たのに、繁り合う松の梢に遮られて、相変わらず光は木の間を漏れてこない。ただ、すべての松の樹を響かせて秋風が吹いてゆくだけだ。

「野分(のわき)せし小野の草ぶし荒れはてて深山(みやま)にふかきさを鹿の声」(新古439)
【通釈】私が庵を結んでいる深山に、今宵、あわれ深い鹿の声が響いてくる。先日野分が吹いて、草原の寝床が荒れ果ててしまったのだ。

「物思ふ袖より露やならひけむ秋風吹けばたへぬものとは」(新古469)
【通釈】物思いに涙を流す人の袖から学んだのだろうか、露は、秋風が吹けば堪えきれずに散るものだと。

「ひとめ見し野辺のけしきはうら枯れて露のよすがにやどる月かな」(新古488)
【通釈】このあいだ来た時は人がいて、野の花を愛でていた野辺なのだが、秋も深まった今宵来てみると、その有様といえば、草木はうら枯れて、葉の上に置いた露に身を寄せるように、月の光が宿っているばかりだ。

「むら雨(さめ)の露もまだひぬ槙の葉に霧立ちのぼる秋の夕暮」(新古491)
【通釈】秋の夕暮、俄雨が通り過ぎていったあと、その露もまだ乾かない針葉樹の葉群に、霧がたちのぼってゆく。

「かささぎの雲のかけはし秋暮れて夜半(よは)には霜やさえわたるらむ」(新古522)
【通釈】カササギが列なって天の川に渡すという空の橋――秋も終り近くなった今、夜になれば霜が降りて、すっかり冷え冷えとしているだろうなあ。

「かささぎの雲のかけはし秋暮れて夜半(よは)には霜やさえわたるらむ」(新古522)
【通釈】カササギが列なって天の川に渡すという空の橋――秋も終り近くなった今、夜になれば霜が降りて、すっかり冷え冷えとしているだろうなあ。

「ふりそむる今朝だに人の待たれつる深山の里の雪の夕暮」(新古663)
【通釈】雪が降り始めた今朝でさえ、やはり人の訪問が待たれたよ。今、山奥の里の夕暮、雪は深く降り積もり、いっそう人恋しくなった。この雪では、誰も訪ねてなど来るまいけれど。

「老の波こえける身こそあはれなれ今年も今は末の松山」(新古705)
【通釈】寄る年波を越え、老いてしまった我が身があわれだ。今年も歳末になり、「末の松山波も越えなむ」と言うが、このうえまた一年を越えてゆくのだ。

「思ひあれば袖に蛍をつつみても言はばや物をとふ人はなし」(新古1032)
【通釈】昔の歌にあるように、袖に蛍を包んでも、その光は漏れてしまうもの。私の中にも恋の火が燃えているので、胸に包んだ想いを口に出して伝えたいのだ。この気持ちを尋ねてくれる人などいないのだから。

「ありとても逢はぬためしの名取川くちだにはてね瀬々の埋(むも)れ木」(新古1118)
【通釈】生きていても、思いを遂げられない例として浮き名を立てるだけだ。名取川のあちこちの瀬に沈んでいる埋れ木のように、このままひっそりと朽ち果ててしまえ。

「うらみわび待たじ今はの身なれども思ひなれにし夕暮の空」(新古1302)
【通釈】あの人のつれなさを恨み、嘆いて、今はもう待つまいと思う我が身だけれど、夕暮れになると、空を眺めて待つことに馴れきってしまった。

「里は荒れぬ空しき床のあたりまで身はならはしの秋風ぞ吹く」(新古1312)
【通釈】あの人の訪れがさっぱり絶えて、里の我が家は荒れ果ててしまった。むなしく独り寝する床のあたりまで、壁の隙間から秋風が吹き込んで来る――身体の馴れ次第では、気にもならないほどの隙間風が…。

「涙川身もうきぬべき寝覚かなはかなき夢の名残ばかりに」(新古1386)
【通釈】恋しい人を夢に見て、途中で目が覚めた。その儚い名残惜しさに、川のように涙を流し、身体は床の上に浮いてしまいそうだ。なんて辛い寝覚だろう。

「高砂の松も昔になりぬべしなほ行末は秋の夜の月」(新古740)
【通釈】高砂の老松も、いつかは枯れて昔の思い出になってしまうだろう。その後なお、将来にわたって友とすべきは、秋の夜の月だ。

「尋ねきていかにあはれと眺むらん跡なき山の嶺のしら雲」(新古836)
【通釈】遠く高野までたずねて来て、どんなに悲しい思いで山の景色を眺めておられることでしょう。亡き兄上は煙となって空に消え、ただ山の峰には白雲がかかっているばかりです。

「立ち出でてつま木折り来(こ)し片岡のふかき山路となりにけるかな」(新古1634)
【通釈】庵を立ち出ては薪を折って来た丘は、住み始めた頃に比べると、すっかり木深い山道になったものだ。「

「数ならぬ身はなき物になしはてつ誰(た)がためにかは世をも恨みむ」(新古1838)
【通釈】物の数にも入らない我が身は、この世に存在しないものとして棄て果てた。今はもう、誰のために世を恨んだりするだろうか。

「紫の雲路(くもぢ)にさそふ琴の音(ね)にうき世をはらふ嶺の松風」(新古1937)
【通釈】浮世の迷妄の雲を払う峰の松風が吹き、紫雲たなびく天上の道を極楽浄土へと誘う琴の音が響きあう。

「これや此のうき世のほかの春ならむ花のとぼそのあけぼのの空」(新古1938)
【通釈】これこそが、現世とは別世界にあると聞いていた極楽の春なのだろう。美しい浄土の扉を開くと、曙の空に蓮華の花が咲き満ちている。

(周辺メモ)俊恵(しゅんえ) 永久一(1113)~没年未詳 称:大夫公

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/syune.html

 源俊頼の息子。母は木工助橘敦隆の娘。兄の伊勢守俊重、弟の叡山阿闍梨祐盛も千載集ほかに歌を載せる歌人。子には叡山僧頼円がいる(千載集に歌が入集している)。大治四年(1129)、十七歳の時、父と死別。その後、東大寺に入り僧となる。弟子の一人鴨長明の歌論書『無名抄』の随所に俊恵の歌論を窺うことができる。

「春といへば霞みにけりな昨日まで浪まに見えし淡路島山」(新古6)
【通釈】春というので、霞んでしまったなあ。昨日まで波間に見えていた淡路島山よ。

「楸(ひさき)おふる片山かげにしのびつつ吹きけるものを秋の初風」(新古274)
【通釈】楸の生える片山の陰に、人目を忍ぶようにして吹いているのだった、秋の初風は。

「立田山梢まばらになるままにふかくも鹿のそよぐなるかな」(新古451)
【通釈】立田山の山深くでは、紅葉も散り果て、梢と梢の間が広くなったので、鹿がその下を歩くと、深く積もった落葉がサヤサヤ鳴るのが聞こえてくるのであるよ。

「み吉野の山かきくもり雪ふれば麓の里はうちしぐれつつ」(新古588)
【通釈】吉野の山が霞んで見えないほど雪が降り乱れるので、麓の里には繰り返し時雨が降る。

「我が恋は今をかぎりと夕まぐれ荻ふく風の音づれて行く」(新古1308)
【通釈】私の恋は、今がもう堪え得る限度だという、そんな夕暮に、荻を吹く風が音立てて過ぎてゆく。

「神風や玉串の葉をとりかざし内外(うちと)の宮に君をこそ祈れ」(新古1883)
【通釈】伊勢神宮の内宮・外宮で、榊の葉を手に取り、また挿頭にして、大君の栄えを祈るのです。

「かりそめの別れと今日を思へどもいさやまことの旅にもあるらむ」(新古881)
【通釈】一時だけの別れであると今日の別れを思うけれども、さあどうか、まさしく二度と帰ることのない旅なのであろうか。
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