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鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書・宗達画)」周辺(その三十九) [光悦・宗達・素庵]

(その三十九)「鶴下絵和歌巻」R・S図(2-18)

(R図)
鶴下絵和歌巻R 図.jpg
(S図)
鶴下絵和歌巻S図.jpg
2-18 中務  秋風の吹くにつけても訪(と)はぬかな 萩の葉ならば音はしてまし(「俊」)
(釈文)秋可世濃吹尓徒気天も問怒可那お支濃葉なら半を登盤し傳まし
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item02.html

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/nakatuka.html

   平かねきがやうやう離(か)れがたになりにければ、つかはしける
秋風の吹くにつけてもとはぬかな荻の葉ならば音はしてまし(後撰846)

【通釈】私に「飽き」たというのか。秋風が吹くにつけても、あなたは気配さえ見せない。荻の葉ならば音を立てるだろうに。
【語釈】◇平かねき 不詳。中納言平時望の子で大宰大弐となった真材(さねき)の誤かという(後撰和歌集標註)。◇秋風 「飽き」を掛ける。◇荻(をぎ)の葉 荻はイネ科の多年草。夏から秋にかけて上葉を高く伸ばし、秋風にいちはやく反応する葉擦れの音は、秋の到来を告げる風物とされた。◇音はしてまし 音くらいは立てるだろう。「音」は訪問や消息を暗示している。

中務一.jpg
中務/小川坊城中納言俊完:狩野安信/慶安元年(1648)  金刀比羅宮宝物館蔵
http://www.konpira.or.jp/museum/houmotsu/treasure_house_2015.html

秋風の吹くにつけてもとはぬかな荻の葉ならば音はしてまし(後撰846)

中務二.jpg
『三十六歌仙』(中務)本阿弥光悦書(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288424

秋風の吹くにつけてもとはぬかな荻の葉ならば音はしてまし(後撰846)

(追記一)「鹿下絵和歌巻断簡」の「シアトル美術館蔵」周辺(その十四・その十五)

鹿下絵和歌巻・シアトル十四.jpg
「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(シアトル美術館蔵その十四)
下絵和歌巻・シアトル十五.jpg
「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(シアトル美術館蔵その十五)
http://art.seattleartmuseum.org/objects/14261/poem-scroll-with-deer?ctx=947bccb0-1f22-40c6-acef-ab7c81a74c67&idx=1

 上記の絵図の和歌(「その十四」の「三行目」から「その十五」の「三行目まで」は次の一首である。

389  藤原家隆朝臣 [詞書]和哥所哥合に湖辺月といふことを
にほのうみや月の光のうつろへはなみの花にも秋はみえけり
(釈文)和哥所哥合尓湖辺濃月という事を
尓保濃海や月乃光濃う徒ろへ盤波濃華尓も秋盤見え介利

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/ietaka_t.html

   和歌所歌合に、湖辺月といふことを
にほの海や月の光のうつろへば波の花にも秋は見えけり(新古389)

【通釈】琵琶湖の水面に月の光が映れば、秋は無縁と言われた波の花にも、秋の気色は見えるのだった。
【語釈】◇にほの海 琵琶湖の古称。◇波の花 白い波頭を花に見立てた。下記本歌を踏まえる。
【補記】「波の花にぞ秋なかりける」と詠んだ本歌(下記参照)を承けて、月の光によって「波の花」にも秋らしい色は見えると応じた。建永元年(1206)七月十三日和歌所当座歌合(散佚)。
【本歌】文屋康秀「古今集」
草も木も色かはれどもわたつ海の波の花にぞ秋なかりける

(追記二)「鶴下絵和歌巻」と「鹿下絵和歌巻」周辺(メモ)

 「鶴下絵和歌巻」の巻末には、「光悦」の方印が捺されている。そして、「鹿下絵和歌巻」の巻末には、「徳友斎光悦」の署名と花押があり、さらに、「伊年」の円印が捺されている。
 この「伊年」については、下記のアドレスのものを再掲して置きたい。

https://www.kyohaku.go.jp/jp/dictio/kaiga/163.html

(再掲)

【「俵屋」は、高級ブランドとして、当時たいへんな人気を集め、やがて、お寺や朝廷からも注文がくるようになります。その俵屋製とみられる金箔地に草花を描いた襖絵や屏風絵が何点かのこされています。そのなかで最も古く、すぐれた作品として昔から定評(ていひょう)があるのがこの絵。宗達のすぐれた弟子のひとりによって描かれたとみられています。右端の下に、「伊年」と読めるハンコが捺(お)されていますね。これは、俵屋ブランドのマークなのです。】

 この「伊年」(「シアトル美術館蔵その十四」の左端)は、「俵屋ブランド」(「俵屋工房」宗達が主宰とする「俵屋工房」)のマーク、そして、「俵屋」の工房印ということになる。
 この「伊年」は、「イネ」=「稲」の意で「俵屋」の「俵」に通じるとの説もあるようである。また、「俵屋」は、「絵屋」(絵画的作品の制作販売を業とする)の一つで、「金銀泥下絵をはじめ、扇絵や貝絵、灯籠絵や染色下絵、さらに工芸品や建築の彩色など」幅広く生活美術全般を手掛けていたのであろう(『日本の美術№460 光悦と本阿弥流の人々(河野元昭著)』)。
 ここで、光悦(書)と宗達(そして「宗達工房」)(画)とのコラボ(共同制作・協業合作)的な「金銀泥下絵和歌巻」の代表的作品は、次の五点ということになる。

一 四季草花下絵古今集和歌巻(畠山記念館蔵)
「光悦」墨文方印 「伊年」朱文方印 「紙師宗二」長方印
二 鶴下絵三十六歌仙和歌巻(京都国立博物館蔵)
「光悦」墨印方印 「紙師宗二」長方印
三 鹿下絵新古今集和歌巻(「シアトル美術館」他「諸家分藏」)
「徳友斎光悦」(花押) 「伊年」朱文円印
四 蓮下絵百人一首和歌巻(「東京国立博物館」他「諸家分藏」)
「太虚庵光悦」(花押)
五 四季草花千載集和歌巻(「畠山記念館蔵」他「諸家分藏」)
「太虚庵光悦」(花押) 伊年」朱文円印 紙師宗二」長方印

 これらの、「光悦(書)と宗達(そして『宗達工房』)(画)とのコラボ(共同制作・協業合作)的な『「金銀泥下絵和歌巻」の代表的作品(上記『五作品』)」を仲介する者の一人として.「紙師宗二」が浮き彫りとなって来る。
 この「紙師宗二」については、『嵯峨野明月記(辻邦生著)』は「経師屋宗二」でしばしば登場する。

「ある日、同じ町内の経師屋宗二が、放心して歩いているおれ(宗達)に声をかけ、おれが咄嗟に宗二が誰だかわからず「お前、誰/だっけ」と訊ねたことがある。」(「第一の五、扇屋繁昌のこと・・・」)

「経師屋の宗二もその一人で、先代から、扇絵の貼りつけや、屏風の仕上げはすべて宗二の家が引きうけていたので、おれも宗二とは子供の頃から野っ原で遊びもし、御殿の庭に忍びこみをしたものだ。いま憶いだしてみると、すでに子供の頃にそうした癖があったように思うが、宗二は何かを見分けようとするとき、紙でも木ぎれでも、かならず舌先でなめてみるのである。まるでその味を吟味してでもいるように、眼をつぶり、しばらくなめてから、これはどこそこの紙だとか、この木ぎれは何の木だとか言いあてるのだった。そしてそれが不思議によくあたった。のちに、宗二が経師の職をついで、備中や伯耆、美作あたりの紙を扱うようになると、紙を舌先にあてただけで、それがどこの、誰の手ですかれたものか、ぴたりと言いあてるようになり、おれの店にくる紙商人などは『宗二殿の舌にかかると、夏にすいたか、冬にすいたかまでわかるんですからね。かないませんな』と言っていたほどだ。」(「第二の一、京の繁昌の事・・・」)

「宗二の家に色紙を取りにいってもらったことがある。しかし妻が持ちかえ/ってきたのは、私(光悦)が当時好んで用いていた金砂の無地の料紙ではなく、梅や蔦や四季草花をあしらった金泥摺りの料紙だった。それは筆を染めるには、料紙の絵が少しくどく目立ちすぎるような気がした。」(「第二の三、光悦が妻に関する事・・・」)

「角倉与一(素庵)はおれ(宗達)が直接筆をおろした金銀泥の料紙を幾つか欲しいと言った。『いずれそのうち俵屋でつくる料紙全部を買わしていただくことになると思いますが、それはまた宗二(紙師宗二)殿と相談して、話しあっていただくことにします』角倉は鄭重にそう言うと、与三次郎(俵屋の絵師)に送られて出ていった。」(「第二の三、光悦が妻に関する事・・・」)

「本阿弥(光悦)は角倉与一(素庵)からおれ(宗達)の四季花木の料紙を贈られ、和歌集からえらんだ歌をそれに揮毫していて、それが公家や富裕な町衆のあいだで大そうな評判をとったことは、すでにおれ(宗達)のところにも聞こえていた。たしかに宗二(紙師宗二)が本阿弥に呼ばれて、本阿弥好みの意匠をあれこれと聞かされ、それをおれ(宗達)に相談することがよくあった。それはたとえば秋草と半月、叢菊、胡蝶、蜻蛉と流水など本阿弥がのちまで好んだ図柄であって、そういった思いつきの面白さにひかれて、おれもそうした図柄の下絵を何度となく描いてみた。だが、おれがその頃驚かされたのは本阿弥が好みの色紙に筆をおろすと、下絵のなかに漠然と漂っていた優艶な趣が、不思議と、それだけが引きだされたように、くっきりとした輪郭をとって現れてくることだった。」(「第二の三、光悦が妻に関する事・・・」)


 この宗二(経師屋)は、元和元年(一六一五)に、光悦(五十八歳)が徳川家康より洛北鷹が峰の土地を与えられ、以後、そこを本阿弥家の拠点とした時に、宗二もまた、光悦と行動を共にしている。
 これらのことについては、下記のアドレスで触れている。

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2020-03-23

 この光悦の「鷹が峰『芸術・信仰(法華宗))』の里」の開村には、光悦と親交の深い、尾形宗伯(尾形光琳、乾山の祖父)・茶屋四郎次郎などの有力町衆を始め、蒔絵師・土田宗澤、筆屋(筆師)・妙喜、そして、紙屋(紙師・経師)・宗二などの、漆工・陶工・金工・織工などの名工たちが参集し、村の中央に構えた光悦の屋敷を中心に、五十軒以上の家並みが軒を揃えたのである。
 ここには、素庵(角倉家)の名も、宗達(俵屋)の名もない。しかし、光悦の「鷹が峰『芸術・信仰(法華宗))』の里」の開村以後においても、この三者の関係が疎遠になったとか、全く途切れたということではない。
 この光悦村開村の翌年の元和二年(一五一六)、素庵(角倉家)は幕命によって「淀川転運使」(京都の宿次過書奉行の支配下にある淀川の 貨客輸送にあたる事業者)に取り組んでいるが、素庵の依頼により光悦が陰ながら支援している書状(「素庵宛て光悦の消息」)などが今に遺っている(『角倉素庵(林屋辰三郎著)』)。
 さらに、光悦と交友関係にある中院通村(和歌,書道にひいでた「武家伝奏・権大納言」の要職を歴任した公卿)の「中院通村日記」(元和二年三月十三日の条)に、宗達の名が「宮廷人の好みにかなった絵師」として、今にその名を遺している(『日本の美術№31 宗達(千沢楨治著)』)。
 ここで、光悦の「鷹が峰『芸術・信仰(法華宗))』の里」の一画に、紙屋(紙師・経師)・宗二の名があることは、宗二は、宗達・素庵に近い人物というよりは、光悦や本阿弥一族と深い関係にある、謂わ.ば、光悦配下の一人と理解をしたい。
そして、「光悦・宗達・素庵」の三者の関係にあっては、光悦のメッセンジャー(使者・仲介人)のような役割と共に、光悦(書)と宗達(そして「宗達工房」)(画)とのコラボ(共同制作・協業合作)的な「金銀泥下絵和歌巻」の制作にあたっては、コーディネーター(全体の進行・調整役)・光悦のサブ・コーディネーター(副進行・調整役)のような役割を担っていたように理解をしたい。
 嘗て、下記のアドレスで、次のようなイメージ(周辺メモ・仮説)を提示していた。

https://yahantei.blog.ss-blog.jp/2020-02-06

(周辺メモ・仮説・素案) → 『嵯峨野名月記(辻邦生著)』など

プロデューサー(producer) → 本阿弥光悦・角倉素庵
ディレクター(director) →  本阿弥光悦
クリエイター(creator) →  (書)本阿弥光悦・角倉素庵
              (画)俵屋宗達ほか

 これを、修正して、コーディネーター(coordinator)を加え、それを「主(main)・副(sub)」に分け、「紙屋宗二」を加えていきたい。

(周辺メモ・仮説・修正案) → 「金銀泥下絵和歌巻」制作システム(修正素案)

プロデューサー(producer) →(主)本阿弥光悦・(副)角倉素庵
コーディネーター(coordinator)→(主)本阿弥光悦・(副)紙屋宗二
ディレクター(director) →  本阿弥光悦
クリエイター(creator) →  (書)本阿弥光悦・角倉素庵
               (画)俵屋宗達ほか
              (装幀)紙屋宗二ほか

 その上で、「金銀泥下絵和歌巻」の代表的な下記の作品(再掲)の制作は、「徳友斎光悦」時代(「慶長年間」時代→「一・二・三」)と「太虚庵光悦」時代(「元和元年以降」時代→「四・五)との二区分ということになる。

一 四季草花下絵古今集和歌巻(畠山記念館蔵)
「光悦」墨文方印 「伊年」朱文方印 「紙師宗二」長方印
二 鶴下絵三十六歌仙和歌巻(京都国立博物館蔵)
「光悦」墨印方印 「紙師宗二」長方印
三 鹿下絵新古今集和歌巻(「シアトル美術館」他「諸家分藏」)
「徳友斎光悦」(花押) 「伊年」朱文円印
四 蓮下絵百人一首和歌巻(「東京国-立博物館」他「諸家分藏」)
「太虚庵光悦」(花押)
五 四季草花千載集和歌巻(「畠山記念館蔵」他「諸家分藏」)
「太虚庵光悦」(花押) 伊年」朱文円印 紙師宗二」長方印

(参考)「慶長年間の光悦・宗達・素庵・光広・黒雪」関連年譜

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2020-03-30

慶長三年(一五九八)豊臣秀吉没 ★光広(20)細川幽斎に師事(「烏山光広略年譜」))。 光悦(41)、宗達(31?)、素庵(28)、黒雪(32)。
同五年(一六〇〇)光悦(43)このころ嵯峨本「月の歌和歌巻」書くか。関が原戦い。
☆素庵(30)光悦との親交深まる(「角倉素庵年譜」)。
同六年(一六〇一)光悦(44)このころ「鹿下絵和歌巻」書くか。
同七年(一六〇二)宗達(35?)「平家納経」補修、見返し絵を描くか。
同八年(一六〇三)★光広(25)細川幽斎から古今伝授を受ける。徳川家康征夷大将軍となる。
同九年(一六〇四)☆素庵(34)、林蘿山と出会い、惺窩に紹介する。嵯峨本の刊行始まる(「角倉素庵年譜」)。
同十年(一六〇五)宗達「隆達節小歌巻」描くか。黒雪(39?)後藤net庄三郎に謡本を送る。
徳川秀忠将軍となる。
同十一年(一六〇六)光悦(49)「光悦色紙」(11月11日署名あり)。
同十三年(一六〇八)光悦(51)「嵯峨本・伊勢物語」刊行。
同十四年(一六〇九)光悦(52)「嵯峨本・伊勢物語肖聞抄」刊行。★光広(31)勅勘を蒙る(猪熊事件)(「烏山光広略年譜」)。
同十五年(一六一〇)光悦(53)「嵯峨本・方丈記」刊行。
同十七年(一六一二)光悦(55)☆光悦、軽い中風を患うか(「光悦略年譜」)。
同十九年(一六一四)近衛信尹没(50)、角倉了以没(61) 大阪冬の陣。
元和元年(一六一五)光悦(58)家康より洛北鷹が峰の地を与えられ以後に光悦町を営む。古田織部自刃(62)、海北友松没(83)。大阪夏の陣。宗達(48?)、素庵(45)、黒雪(49)、光広(37)。

☆「光悦略年譜」=『光悦 琳派の創始者(河野元昭編)』。「角倉素庵年譜」=『角倉素庵(林屋辰三郎著)』。★「烏山光広略年譜」=(『松永貞徳と烏山光広・略年譜・高梨素子著』)

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鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書・宗達画)」周辺(その三十八) [光悦・宗達・素庵]

(その三十八)「鶴下絵和歌巻」Q・R図(2-17壬生忠見)

(Q図)
鶴下絵和歌巻q図.jpg
(藤原仲文 有明の月の光を待つほどに 我が世のいたく更けにけるかも)
2-17 壬生忠見 焼かずとも草はもえなむ春日野を ただ春の日に任せたらなむ(「撰」「俊」
(釈文)焼須共草盤もえ那無春日野を但ハる濃日尓ま可勢たら南
(R図:前図に続く)
鶴下絵和歌巻R 図.jpg
(「2-17 壬生忠見」・「中務」)
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item02.html

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tadami.html

   題しらず
焼かずとも草はもえなむ春日野をただ春の日にまかせたらなむ(新古78)

【通釈】野焼きをせずとも草はもえるだろう。春日野をただ春の日の光に任せてほしい。
【補記】「もえ」が「燃え」と「萌え」、「ひ」が「日」と「火」の両義を持つことを活かして、若草萌える春の野を焼かないでほしいとの心を詠んだ。同じ歌が源重之の家集にも見える。なお春日野(かすがの)は大和国の歌枕。春日山・若草山の麓の台地。

壬生忠見一.jpg

壬生忠見/小川坊城中納言俊完:狩野安信/慶安元年(1648)  金刀比羅宮宝物館蔵
http://www.konpira.or.jp/museum/houmotsu/treasure_house_2015.html

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tadami.html

   天暦御時歌合
恋すてふわが名はまだき立ちにけり人しれずこそ思ひそめしか(拾遺621)

【通釈】恋をしているという私の評判は、早くも立ってしまった。人知れず、ひそかに思い始めたのに。
【語釈】◇恋すてふ 「てふ」は「といふ」の縮約。◇わが名 私についての評判・噂。◇まだき 早くも。時期が早すぎるのに。◇立ちにけり 表立ってしまった。◇人しれずこそ… このコソ+已然形は逆接。下句が上句にかかる倒置形。◇思ひそめしか 「しか」は過去回想の助動詞「き」の已然形。

壬生忠見二.jpg

『三十六歌仙』(壬生忠見)本阿弥光悦書(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288424

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tadami.html

   天暦御時御屏風に、よどのわたりする人かける所に
いづ方になきてゆくらむ郭公淀のわたりのまだ夜ぶかきに(拾遺113)
【通釈】どちらの方へ啼いて行くというのだろうか、時鳥は。淀の渡りのあたりはまだ深夜で真っ暗なのに。
【語釈】◇淀のわたり 歌枕。山城国の淀川の渡船場。「わたり」には「辺り」の意も掛けるか。

(追記)「鹿下絵和歌巻断簡」の「シアトル美術館蔵」周辺(その十三・その十四)

鹿下絵和歌巻・シアトル十三.jpg
「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(シアトル美術館蔵その十三)
鹿下絵和歌巻・シアトル十四.jpg
「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(シアトル美術館蔵その十四)
http://art.seattleartmuseum.org/objects/14261/poem-scroll-with-deer?ctx=947bccb0-1f22-40c6-acef-ab7c81a74c67&idx=1

 上記の絵図の和歌(「その十三」から「その十四」の「三行目まで」は次の一首である。

388  大宰大弐重家 [詞書]法性寺入道前関白太政大臣家に月哥あまたよみ侍けるに
月みれはおもひそあへぬ山たかみいつれのとしの雪にかあるらん
(釈文)性寺入道前関白太政大臣家尓月哥安ま多よ見侍介る尓 大宰大弐重家
 月見禮半おも日曽安へぬ山高三い徒禮能年濃雪尓可有乱

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/sigeie.html

  法性寺入道前関白太政大臣家に、月の歌あまたよみ侍りけるに
月見れば思ひぞあへぬ山たかみいづれの年の雪にかあるらむ(藤原重家「新古」388)

【通釈】山に射す月の光を見れば、どうしてもそれとは思えない。高い山にあって、万年雪が積もっているので、いつの年に降った雪かと思うのだ。
【語釈】◇思ひぞあへぬ 月光だと思おうとしても、思うことができない。◇いづれの年の雪 和漢朗詠集の「天山不弁何年雪 合浦応迷旧日珠」(天山は弁へず何れの年の雪ぞ。合浦には迷ひぬべし旧日の珠)を踏まえる。白じらと冴える月光を雪に見立てている。
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鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書・宗達画)」周辺(その三十七) [光悦・宗達・素庵]

(その三十七)「鶴下絵和歌巻」P図(2-15 藤原元真)

鶴下絵和歌巻p図.jpg

清原元輔 契りなき互(かたみ)に袖を絞りつつ 末の松山波越さじとは(「俊」)
2-15 藤原元真 あらたまの年を送りて降る雪に 春とも見えぬ今日の空かな(「俊」)
(釈文)荒玉濃年を送天ふる雪尓ハるとも見え怒介ふ濃空哉
藤原仲文 有明の月の光を待つほどに 我が世のいたく更けにけるかも(「撰」「俊」)
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item02.html

あらたまの年を送りて降る雪に春とも見えぬ今日の空かな(「俊成三十六人歌合」八九)

 歌意は、「旧い年を送り、新しい年を迎えたのに、雪が降っているのは、新春とは思えぬ今日の初空であることよ。」
 『王朝秀歌選(樋口芳麻呂校注・岩波文庫)』の校注に、「朱雀院の御屏風絵の歌」とある。

(参考)屏風歌
【 屏風に描かれた絵画にあわせて貼(は)られた色紙形に記された歌。平安時代、唐絵(からえ)屏風に漢詩を添えたのに倣って、倭絵(やまとえ)屏風には歌が付されるようになり、900年代前半(延喜(えんぎ)~天暦(てんりゃく)年間)に、調度品や賀の祝いとしてことに盛行した。絵は主として四季の景物や行事、名所などで、人物が描き添えられるのが普通。歌は画中の人物の心になって詠まれるが、のちには画中人物同士が歌を詠み交わすような趣向も出た。専門歌人が委嘱されて詠むのが普通で、紀貫之(きのつらゆき)、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、伊勢(いせ)などがとくに名高い。[菊地靖彦]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について  】

藤原元真一.jpg

藤原元真/梶井宮盛胤法親王:狩野安信/慶安元年(1648)  金刀比羅宮宝物館蔵
http://www.konpira.or.jp/museum/houmotsu/treasure_house_2015.html

咲きにけり我が山里の卯の花は垣根に消えぬ雪と見るまで(「俊成三十六人歌合」八八)

 歌意は、「卯(ウツギ)の花が見事に咲いている。私の住む山里の、この垣根に残雪が消えないが如くに真っ白な花を咲き誇っている。」
 『王朝秀歌選(樋口芳麻呂校注・岩波文庫)』の校注に、「天徳四年内裏歌合に際して詠んだ」とある。

藤原元真に.jpg

『三十六歌仙』(藤原元真)本阿弥光悦書(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288424

咲きにけり我が山里の卯の花は垣根に消えぬ雪と見るまで(天徳四年内裏歌合)

(追記)「鹿下絵和歌巻断簡」の「シアトル美術館蔵」周辺(その十一)

鹿下絵・シアトル十一.jpg

「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(シアトル美術館蔵その十一)
http://art.seattleartmuseum.org/objects/14261/poem-scroll-with-deer?ctx=947bccb0-1f22-40c6-acef-ab7c81a74c67&idx=1

 上記の絵図の和歌(「その十一」の「一行目から十三行目まで」は次の一首である。

386  法性寺入道前関白太政大臣
風ふけはたまちるはきのしたつゆにはかなくやとる野辺の月かな(「新古今・巻四・秋上」)

(釈文)法性寺入道前関白太政大臣
 風吹盤たま知るハ幾能志多徒ゆ尓ハ可那久やどる野邊濃月哉

 歌意は、「風が吹くと、玉となって散っていく萩の葉の下露に、かりそめにもその影を宿している野辺の月であることよ。」

(参考)法性寺入道前関白太政大臣(artwiki)
【藤原忠通。承徳元年(1097)~長寛二年(1164)藤原氏摂気相続流、関白忠実の息子で母は右大臣源顕房の娘師子。関白太政大臣従一位に至る。保元の乱の際には後白河天皇の関白として、崇徳院側であった父忠実や弟の左大臣頼長と対立した。しばしば自邸に歌合を催している。漢詩をもよくし、また法性寺流の能書で知られる。(百人一首 秀歌集) 】
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鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書・宗達画)」周辺(その三十六) [光悦・宗達・素庵]

(その三十六)「鶴下絵和歌巻」P図(2-14 清原元輔)

鶴下絵和歌巻p図.jpg

2-14 清原元輔 契りなき互(かたみ)に袖を絞りつつ 末の松山波越さじとは(「俊」)
(釈文)ち支里幾那可多見尓袖をし保利徒々須衛乃松山波こ左じとハ
藤原元真 あらたまの年を送りて降る雪に 春とも見えぬ今日の空かな(「俊」)
藤原仲文 有明の月の光を待つほどに 我が世のいたく更けにけるかも(「撰」「俊」)
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item02.html

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/motosuke.html

   心かはりて侍りける女に、人にかはりて
ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは(後拾遺770)

【通釈】約束しましたね。互いに涙で濡れた袖をしぼりながら、末の松山を決して波が越さないように、行末までも心変わりすることは絶対あるまいと。
【語釈】◇ちぎりきな 「ちぎり」は夫婦の約束を交わすこと。「き」はいわゆる過去回想の助動詞「し」の連体形、「な」は相手に確認を求める心をあらわす助詞。◇かたみに 互いに。◇末の松山 古今集巻二十に「みちのくうた」として「君をおきてあだし心を我がもたば末の松山波も越えなん」があることから陸奥国の名所歌枕とされている。比定地としては多賀城付近とする説などがある。◇浪こさじとは 末の松山を波の越すことがないように、心の変わることはあるまいと。初句「契りきな」に返して言う。

清原元輔一.jpg

清原元輔/実相院門跡大僧正義尊:狩野安信/慶安元年(1648)  金刀比羅宮宝物館蔵
http://www.konpira.or.jp/museum/houmotsu/treasure_house_2015.html

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/motosuke.html

   しのびて懸想し侍りける女のもとにつかはしける
音なしの河とぞつひにながれける言はで物おもふ人の涙は(拾遺750)

【通釈】音無の川となって、とうとう流れてしまった。口に出して言わずに恋の悩みをかかえている人の涙は。
【語釈】◇音なしの河 紀伊国の歌枕。恋心を声に出して言わなかったことを暗に含める。◇ながれける 「泣かれける」が掛かる。◇人 詠み手自身を暗に指す。

清原元輔二.jpg

『三十六歌仙』(清原元輔)本阿弥光悦書(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288424

ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは(後拾遺770)

(追記)「鹿下絵和歌巻断簡」の「シアトル美術館蔵」周辺(その十)

鹿下絵・シアトル十.jpg

「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(シアトル美術館蔵その十)
http://art.seattleartmuseum.org/objects/14261/poem-scroll-with-deer?ctx=947bccb0-1f22-40c6-acef-ab7c81a74c67&idx=1

 上記の絵図の和歌(「その十」の「前半一行目から八行目まで」は次の一首である。

385  橘為仲朝臣
あやなくもくもらぬよゐをいとふかなしのふのさとの秋のよの月
(釈文)安や那久天具もらぬよひをいとふ哉し乃ぶ濃里能秋乃夜濃月
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tamenaka.html

   題しらず
あやなくもくもらぬ宵をいとふかな信夫(しのぶ)の里の秋の夜の月(新古385)

【通釈】我ながらおかしなことだ。雲ひとつない宵を厭うなんて。秋の夜、信夫の里の月を眺めながら…。
【語釈】◇あやなくも 「あやなし」は道理に外れた・不合理な。◇信夫の里 旧陸奥国信夫郡。いまの福島市あたり。信夫山がある。「しのぶ(忍ぶ・偲ぶ)」を掛けることが多い。歌枕紀行陸奥国参照。
【補記】普通なら「曇る宵」を厭うのだが、この作者は「曇らぬ宵」を厭うという。雲のかかった月の風情がまさるとしたか。憂鬱な心に月の光が明るすぎたのか。あるいは、晴れがましさに対する羞恥の感情であろうか。
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鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書・宗達画)」周辺(その三十五) [光悦・宗達・素庵]

(その三十五)「鶴下絵和歌巻」O図(2-13 源信明)

鶴下絵和歌巻・O図.jpg

☆ 上部の欄外に加筆してある歌人・和歌
源重之 筑波山端山繁(しげ)山繁けれども 思ひ入るに障らざりけり(「俊」)
2-13 源信明 あたら夜の月と花とを同じくは あはれ知れらむ人に見せばや(「撰」「俊」)
(釈文)安多ら夜能月登華とを於那じ久ハ哀し連らら無人尓見世ハや

https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item02.html

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/saneaki.html

   月のおもしろかりける夜、花をみて
あたら夜の月と花とをおなじくはあはれ知れらむ人に見せばや(後撰103)

【通釈】素晴らしい今宵の月と花とを、どうせなら物の情趣をよく理解している人に見せたいものだ。
【語釈】◇あはれ知れらむ人 もののあわれを知っているだろう人。仮想上の物言いであるため、「知れる」に未来推量の助動詞「む」を付して「知れらむ」と言っている。この「ら」は存続の助動詞「り」の未然形。

源信明一.jpg

信明朝臣/円満院門跡大僧正常尊:狩野安信/慶安元年(1648)  金刀比羅宮宝物館蔵
http://www.konpira.or.jp/museum/houmotsu/treasure_house_2015.html

あたら夜の月と花とをおなじくはあはれ知れらむ人に見せばや(後撰103)

源信明二.jpg

『三十六歌仙』(源信明)本阿弥光悦書(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288424

ほのぼのと有明の月の月影に紅葉吹きおろす山おろしの風(新古591)

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/saneaki.html

   題しらず
ほのぼのと有明の月の月影に紅葉吹きおろす山おろしの風(新古591)

【通釈】薄ぼんやりとした有明の月の光の中、紅葉を吹き下ろす山颪の風よ。
【補記】五・八・五・八・八と、三句も字余りのある珍しい作。『深窓秘抄』『近代秀歌』など多くの秀歌選に採られた、信明の代表作。「これも客観的の歌にて、けしきも淋しく艶なるに、語を畳みかけて調子取りたる処いとめづらかに覚え候」(正岡子規『歌よみに与ふる書』)。



(追記)「鹿下絵和歌巻断簡」の「シアトル美術館蔵」周辺(その八・その九)

鹿下絵シアトル八.jpg
「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(シアトル美術館蔵その八)
鹿下絵シアトル九.jpg
「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(シアトル美術館蔵その九)
http://art.seattleartmuseum.org/objects/14261/poem-scroll-with-deer?ctx=947bccb0-1f22-40c6-acef-ab7c81a74c67&idx=1

 上記の絵図の和歌(「その八」の「前半三行目」から「その九」の「前半五行(前二行は『その八』とダブル)」まで)は次の一首である。

383  堀河院御哥 [詞書]雲間微月といふ事を
しきしまやたかまと山のくもまより光さしそふゆみはりの月
(釈文)雪間微月といふ事を 堀河院御哥
 し支しまやた可まど山濃雲間よ利日可利左し曾ふ弓張の月

https://open.mixi.jp/user/17423779/diary/1966166888

しきしまや高円(たかまと)山の雲まより光さしそふゆみはりの月(新古今383)

「磯城島、そこにたかだかと聳える高円山の雲間から、ほのかに峰に光をあてている弓張月よ。」『新日本古典文学大系 11』p.122
堀河院(ほりかわいん 1079-1107)第七十三代天皇。白河天皇第二皇子。鳥羽天皇の父。
長治二年(1105)、最初の応製百首和歌とされる「堀河百首」奏覧。 金葉集初出。新古今一首。勅撰入集九首。
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鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書・宗達画)」周辺(その三十四) [光悦・宗達・素庵]

(その三十四)「鶴下絵和歌巻」O図(2-12 源重之)

鶴下絵和歌巻・O図.jpg

☆ 上部の欄外に加筆してある歌人・和歌
2-12 源重之 筑波山端山繁(しげ)山繁けれども 思ひ入るに障らざりけり(「俊」)
(釈文)徒くハ山葉山し介山志介々禮登おも日入尓ハさハらざ里介利
源信明 あたら夜の月と花とを同じくは あはれ知れらむ人に見せばや(「撰」「俊」)

https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item02.html

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/sigeyuki.html

   題しらず
つくば山は山しげ山しげけれど思ひ入るにはさはらざりけり(新古1013)

【通釈】筑波山が端山・茂山と繁っていても、人は山の中へ踏み入ってゆく。――そのように、人目がうるさいけれども、だからと言って恋へ踏み入ることに障害となりはしないのだ。
【語釈】◇つくば山 筑波山。常陸国の歌枕。嬥歌(かがひ)で名高いゆえに恋に懸けて詠まれることが多かった。歌枕紀行参照。◇は山しげ山 端山・重山、すなわち里山とその背後に連なる山々。また「葉山・茂山」でもあり、葉の茂る山々。ここまでが「しげけれど」を導く序。◇しげけれど 木の葉が茂っている意から人目が多い意に掛ける。◇思ひ入る 心を深くかける。「入る」は「山」の縁語。

源重之一.jpg

源重之/円満院門跡大僧正常尊:狩野安信/慶安元年(1648)  金刀比羅宮宝物館蔵
http://www.konpira.or.jp/museum/houmotsu/treasure_house_2015.html

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/sigeyuki.html

   冷泉院春宮と申しける時、百首歌たてまつりけるによめる
風をいたみ岩うつ波のおのれのみくだけて物を思ふ頃かな(詞花211)

【通釈】風がひどいので岩に打ち当たる波のように、自分ばかりが千々に心を砕いて思い悩むこの頃であるよ。
【語釈】◇風をいたみ 風が甚だしいので。◇岩うつ波の この句までが「おのれのみくだけて」を言い起こす序。心を動かさない恋人を「岩」に、それでも恋人に思いを寄せる我が身を「波」になぞらえる。◇くだけて物を思ふ 心を千々にして思い悩む。
【補記】『重之集』所載の百首歌の「恋十」に見られる歌。なお『伊勢集』に極めてよく似た歌が収められているが、伝写の過程で重之の歌が紛れ込んだものらしい。

源重之二.jpg

『三十六歌仙』(源重之)本阿弥光悦書(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288424

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/sigeyuki.html

   題しらず
夏刈の玉江の蘆をふみしだき群れゐる鳥のたつ空ぞなき(後拾遺219)

【通釈】夏刈の行なわれた玉江の蘆原では、鳥たちが切株を踏み折って群らがっている――空へ飛び立つこともせず、あてどなく迷うばかりだ。
【語釈】◇夏刈 夏に伸びた草などを刈ること。◇玉江 越前・摂津に同名の歌枕がある。蘆の名所とされた。普通名詞としては「美しい入江」の意になる。◇蘆 イネ科の多年草。秋に穂を出す。因みに、穂の出ないうちは蘆(芦)、穂の出たものは葦と書く(『字通』)。◇たつ空ぞなき 空へ飛び立つどころではない。「空」には「気分」の意がある。

(追記)「鹿下絵和歌巻断簡」の「シアトル美術館蔵」周辺(その七)

鹿下絵シアトル七.jpg

「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(シアトル美術館蔵その七)
http://art.seattleartmuseum.org/objects/14261/poem-scroll-with-deer?ctx=947bccb0-1f22-40c6-acef-ab7c81a74c67&idx=1

 上記の絵図の「三条院御哥」の和歌(後半のもの)は次のとおりである

382  三条院御哥
あしひきの山のあなたにすむ人はまたてや秋の月をみるらん
(釈文)安し日支能山濃安那多尓須無人盤ま多天や秋乃月を見るら無

https://open.mixi.jp/user/17423779/diary/1966152416

「月の出る山の向こう側に住んでいる人は、待つことなく秋の月を見ることであろうか。」『新日本古典文学大系 11』p.122
三条院(さんじょういん 976-1017)第67代天皇。冷泉天皇第二皇子。母は摂政太政大臣藤原兼家長女・贈皇太后超子。花山天皇異母弟。 後拾遺集初出。新古今二首。勅撰入集八首。 小倉百人一首 68 「心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな」
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鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書・宗達画)」周辺(その三十三) [光悦・宗達・素庵]

(その三十三)「鶴下絵和歌巻」O図(2-11源順)

鶴下絵和歌巻・O図.jpg

(壬生忠岑・N図の続き)春立つと言うばかりにやみよ吉野の山も霞みて今朝は見ゆらむ(「撰」「俊」)
大中臣頼基 一節に千世を込めたる杖ならば突くともつきじ君がよはひは(「撰」「俊」)
2-11源順
  水の面に照る月次(なみ)を数ふれば 今宵ぞ秋の最中(もなか)なりける(「撰」「俊」)
(釈文)水濃面尓照月な見を可曽ふ連バ今夜曽秋能も那可成介る
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item02.html

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/sitagou.html

   屏風に、八月十五夜、池ある家に人あそびしたる所
水のおもに照る月なみをかぞふれば今宵ぞ秋のも中なりける(拾遺171)

【通釈】水面に輝く月光の波――月次(つきなみ)をかぞえれば、今宵こそが仲秋の真ん中の夜であったよ。
【語釈】◇月なみ 「波に映る月光」「月次(月の数。月齢)」の両義。◇秋のも中 八月十五日は陰暦では秋の真ん中にあたる。「も中」のモはマの母音交替形。

源順その一.jpg

源順/青蓮院宮尊純親王:狩野安信/慶安元年(1648)  金刀比羅宮宝物館蔵
http://www.konpira.or.jp/museum/houmotsu/treasure_house_2015.html

水のおもに照る月なみをかぞふれば今宵ぞ秋のも中なりける(拾遺171)

源順その二.jpg

『三十六歌仙』(源順)本阿弥光悦書(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288424

水のおもに照る月なみをかぞふれば今宵ぞ秋のも中なりける(拾遺171)

(追記)「鹿下絵和歌巻断簡」の「シアトル美術館蔵」周辺(その五・その六・その七)

鹿下絵シアトル五.jpg
「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(シアトル美術館蔵その五)
鹿下絵シアトル六.jpg
「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(シアトル美術館蔵その六)
鹿下絵シアトル七.jpg
「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(シアトル美術館蔵その七)

http://art.seattleartmuseum.org/objects/14261/poem-scroll-with-deer?ctx=947bccb0-1f22-40c6-acef-ab7c81a74c67&idx=1

 上記の絵図の詞書(「その六」の一行目)と和歌(「その六」の「二行目」から「その七」の「前半三行」)は次のとおりである。

381  円融院御哥 [詞書]題しらす
月かけのはつ秋風とふけゆけは心つくしにものをこそおもへ

(釈文)題しらず 円融院御哥
 月影盤初秋風登更行登心徒久し尓物をこ曽おもへ

https://ameblo.jp/takatanbosatsu/entry-12078857382.html

――静かに夜も更けた。
     初秋の風がそよと吹いて、月もいっそう冴えわたると、
     心も尽き果てるほどのもの思いに耽ることよ…

     「ふけ」…(夜が)更けると、(風が)吹けの掛詞(かけことば)。

作者、円融院(えんゆういん・円融天皇)(959~991)は平安後期、第64代天皇。 村上天皇の第五皇子。 花山天皇に譲位後は朱雀院上皇と称したが985年出家し、円融寺に住し、円融院と称されるようになった。 法名は金剛法。 家集に 『円融院御集』 があり、『新古今集』 には七首入集している。 33歳で早逝した。
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鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書・宗達画)」周辺(その三十二) [光悦・宗達・素庵]

(その三十二)「鶴下絵和歌巻」O図(2-10 大中臣頼基)

鶴下絵和歌巻・O図.jpg
(壬生忠岑・N図の続き)
  春立つと言うばかりにやみよ吉野の 山も霞みて今朝は見ゆらむ(「撰」「俊」)
2-10 大中臣頼基
   一節に千世を込めたる杖ならば 突くともつきじ君がよはひは(「撰」「俊」)
(釈文)日とふし尓千代をこめ多る徒えな連半 徒くとも盡じ君可よハ日盤
源順
  水の面に照る月次(なみ)を数ふれば 今宵ぞ秋の最中(もなか)なりける(「撰」「俊」)
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item02.html

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yorimoto.html

   おなじ賀に、竹のつゑつくりて侍りけるに
ひとふしに千世をこめたる杖なればつくともつきじ君がよはひは(拾遺276)

【通釈】一節ごとに千年の長寿を籠めた杖ですから、いくら突いても皇太后の御寿命は尽きますまい。
【補記】詞書に「おなじ賀」とあるのは、拾遺集の一つ前の歌の詞書を受けたもので、承平四年(934)三月二十六日、醍醐天皇の中宮であった皇太后藤原穏子の五十賀(五十歳を迎えた祝い)を指す。竹杖に事寄せて穏子の長寿を言祝(ことほ)いだ歌である。「千世」の「よ」に竹の「節(よ)」を掛け、「つく」には「突く」「尽く」の両義を掛けて、極めて巧みな賀歌となっており、祝賀の場をさぞかし盛り上げたことであろう。藤原公任が頼基を三十六歌仙に選んだのは、この歌あってのことだったに違いない。

大中臣頼基一.jpg

大中臣頼基朝臣/竹内宮良尚親王:狩野安信/慶安元年(1648)  金刀比羅宮宝物館蔵
http://www.konpira.or.jp/museum/houmotsu/treasure_house_2015.html

ひとふしに千世をこめたる杖なればつくともつきじ君がよはひは(拾遺276)

大中臣頼基二.jpg

『三十六歌仙』(大中臣頼基)本阿弥光悦書(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288424

子の日する野辺に小松を引き連れて帰る山路に鶯ぞ鳴く

https://kusennjyu.exblog.jp/23526523/

大中臣頼基三.jpg

(追記)「鹿下絵和歌巻断簡」の「シアトル美術館蔵」周辺(その三・その四)

鹿下絵・シアトル三.jpg
「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(シアトル美術館蔵その三)
鹿下絵・シアトル四.jpg
「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(シアトル美術館蔵その四)
http://art.seattleartmuseum.org/objects/14261/poem-scroll-with-deer?ctx=947bccb0-1f22-40c6-acef-ab7c81a74c67&idx=1

 上記の絵図の和歌(「その三」の「前半七行目」から「その四」の「前半四行目」)は次の一首である。

380  式子内親王
なかめわひぬ秋よりほかのやともかな野にも山にも月やすむらん

(釈文)式子内親王
 な可め王日怒秋よ利外濃宿も可那野尓も山尓も月や須むら無

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/syokusi.html

   百首歌たてまつりし時、月の歌
ながめわびぬ秋よりほかの宿もがな野にも山にも月やすむらん(新古380)

【通釈】つくづく眺め疲れてしまった。季節が秋でない宿はないものか。野にも山にも月は澄んでいて、どこへも遁れようはないのだろうか。
【語釈】◇ながめわびぬ 「ながむ」はじっとひとところを見たまま物思いに耽ること。「わぶ」は動詞に付いて「~するのに耐えられなくなる」「~する気力を失う」といった意味になる。◇月やすむらん 月は澄んでいるのだろうか。秋は月の光がことさら明澄になるとされた。「すむ」は「住む」と掛詞になり、「宿」の縁語。
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鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書・宗達画)」周辺(その三十一) [光悦・宗達・素庵]

(その三十一)「鶴下絵和歌巻」N図・O図(2-9壬生忠岑)

(N図)
鶴下絵和歌巻N図.jpg
(O図)
鶴下絵和歌巻・O図.jpg

2-8(壬生忠岑・N図・O図)
  春立つと言うばかりにやみよ吉野の 山も霞みて今朝は見ゆらむ(「撰」「俊」)
(釈文)ハ類多津と以ふハ可利尓や見よし野濃山も可須見てけ左ハ見ゆらん
大中臣頼基 一節に千世を込めたる杖ならば突くともつきじ君がよはひは(「撰」「俊」)
源順 水の面に照る月次(なみ)を数ふれば今宵ぞ秋の最中(もなか)なりける(「撰」「俊」)
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item02.html

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tadamine.html

   平貞文が家の歌合に詠み侍りける
春たつといふばかりにやみ吉野の山もかすみて今朝は見ゆらむ(拾遺1)

【通釈】春になったと、そう思うだけで、山深い吉野山もぼんやりと霞んでいかにも春めいて今朝は見えるのだろうか。
【語釈】◇春たつ (暦の上で)春になる。◇吉野の山 奈良県の吉野地方の山々。京都からは南になるが、山深い土地であり、春の訪れは遅い場所と考えられた。その吉野でさえも霞んで見える、ということは、暦通りに、すっかり春になったのだろうか、と言うのである。
【補記】この歌は拾遺集巻頭を飾り、公任『九品和歌』に最高位の「上品上」の例歌とされるなど、古来秀歌中の秀歌として名高い。

壬生忠岑一.jpg

壬生忠岑/竹内宮良尚親王:狩野安信/慶安元年(1648)  金刀比羅宮宝物館蔵
http://www.konpira.or.jp/museum/houmotsu/treasure_house_2015.html

春たつといふばかりにやみ吉野の山もかすみて今朝は見ゆらむ(拾遺1)

壬生忠岑二.jpg

『三十六歌仙』(壬生忠岑)本阿弥光悦書(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288424

春たつといふばかりにやみ吉野の山もかすみて今朝は見ゆらむ(拾遺1)



(追記)「鹿下絵和歌巻断簡」の「シアトル美術館蔵」周辺(その二・その三)

鹿下絵・シアトル二.jpg
「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(シアトル美術館蔵その二)
鹿下絵・シアトル三.jpg
「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(シアトル美術館蔵その三)
http://art.seattleartmuseum.org/objects/14261/poem-scroll-with-deer?ctx=947bccb0-1f22-40c6-acef-ab7c81a74c67&idx=1

 上記の絵図の和歌(「その二」の「前半三行目」から「その三」の「前半六行」まで)は次の一首である。

379  前大僧正慈円 [詞書]百首哥たてまつりし時月哥
いつまてかなみたくもらて月は見し秋まちえても秋そこひしき

(釈文)百首乃哥た天まつ利し時月能哥 前大僧正慈円
以つ満天加涙曇ら天月盤見し秋ま知え傳も秋曽恋し幾

http://www.asahi-net.or.jp/~SG2H-YMST/yamatouta/sennin/jien.html

  百首歌奉りし時、月の歌
いつまでか涙くもらで月は見し秋待ちえても秋ぞ恋しき(新古379)

【通釈】涙に目がくもらないで月を見たのは、いつ頃までのことだったろう。待望の秋を迎えても、さやかな月が見られるはずの、ほんとうの秋が恋しいのだ。
【補記】秋はただでさえ感傷的になる季節であるが、そのうえ境遇の辛さを味わうようになって以来、涙で曇らずに秋の明月を眺めたことがない、ということ。正治二年(1200)、後鳥羽院後度百首。
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鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書・宗達画)」周辺(その三十) [光悦・宗達・素庵]

(その三十)「鶴下絵和歌巻」N図(2-8藤原高光)

鶴下絵和歌巻N図.jpg

小野小町 色見えで移ろふものは世の中の 人の心の花にぞありける(「撰」「俊」)
藤原朝忠 万代(よろづよ)の初めと今日を祈り置きて 今行末は神ぞ知るらむ(「撰」「俊」)
2-8 藤原高光 かくばかり経がたく見ゆる世の中にうらやましくもすめる月かな(「撰」「俊」)
(釈文)可久ハ可利へ可多久見遊る世中尓浦山し久も須める月可那

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/asatada.html

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/takamitu.html

   法師にならむとおもひたち侍りける比、月を見侍りて
かくばかりへがたく見ゆる世の中にうらやましくもすめる月かな(拾遺435)

【通釈】これほどにまで過ごし難く思える世の中にあって、羨ましいことに、清らかに澄みながら悠然と住んでいる月であるなあ。
【語釈】◇うらやましくも 「山」を隠し、出家しての山住いを暗示している。◇すめる 「澄める」「住める」の掛詞。
【補記】家集では詞書「村上の御門かくれさせ給ひての比月を見て」。村上天皇崩御は康保四年(967)年。また『栄花物語』では、異母姉で村上天皇の中宮安子の崩御(康保元年)などを「あはれ」に思った高光が出家する際に詠んだ歌としている。

藤原高光一.jpg

藤原高光/高倉大納言永慶:狩野安信/慶安元年(1648)  金刀比羅宮宝物館蔵
http://www.konpira.or.jp/museum/houmotsu/treasure_house_2015.html

   法師にならむとおもひたち侍りける比、月を見侍りて
かくばかりへがたく見ゆる世の中にうらやましくもすめる月かな(拾遺435)

【通釈】これほどにまで過ごし難く思える世の中にあって、羨ましいことに、清らかに澄みながら悠然と住んでいる月であるなあ。
【語釈】◇うらやましくも 「山」を隠し、出家しての山住いを暗示している。◇すめる 「澄める」「住める」の掛詞。
【補記】家集では詞書「村上の御門かくれさせ給ひての比月を見て」。村上天皇崩御は康保四年(967)年。また『栄花物語』では、異母姉で村上天皇の中宮安子の崩御(康保元年)などを「あはれ」に思った高光が出家する際に詠んだ歌としている。

藤原高光二.jpg

『三十六歌仙』(藤原高光)本阿弥光悦書(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288424

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/takamitu.html

   ひえの山にすみ侍りけるころ、人のたき物をこひて侍りければ、侍り
   けるままにすこしを、梅の花のわづかにちりのこりて侍る枝につけて
   つかはしける
春すぎて散りはてにける梅の花ただかばかりぞ枝にのこれる(拾遺1063)

【通釈】春が過ぎて散り果ててしまった梅の花――ただ香だけが枝に残っています。少しだけ残った梅花香をお贈りいたしましょう。
【語釈】◇ただかばかりぞ たったこれほどばかり。「か」に香を掛け、実際に贈ったのは梅の花でなく梅花香であったことを暗示する。
【補記】拾遺集の作者名は如覚法師。出家して比叡山に住んでいた頃、ある人が薫物を請うたので、僅かに残っていた梅花香を贈った、ということらしい。

(追記)「鹿下絵和歌巻断簡」の「シアトル美術館蔵」周辺(その一)

「鹿下絵和歌巻断簡」の後半部分(三分の一程度)は「シアトル美術館蔵」となっている。そのシアトル美術館蔵の和歌巻断簡に揮毫されている歌数は、次の十二首である。

『新古今和歌集(巻四・秋歌上)』
378  左衛門督通光 [詞書]みなせにて十首哥たてまつりし時
むさし野やゆけとも秋のはてそなきいかなる風かすゑにふくらん
379  前大僧正慈円 [詞書]百首哥たてまつりし時月哥
いつまてかなみたくもらて月は見し秋まちえても秋そこひしき
380  式子内親王
なかめわひぬ秋よりほかのやともかな野にも山にも月やすむらん
381  円融院御哥 [詞書]題しらす
月かけのはつ秋風とふけゆけは心つくしにものをこそおもへ
382  三条院御哥
あしひきの山のあなたにすむ人はまたてや秋の月をみるらん
383  堀河院御哥 [詞書]雲間微月といふ事を
しきしまやたかまと山のくもまより光さしそふゆみはりの月
384  堀河右大臣 [詞書]題しらす
人よりも心のかきりなかめつる月はたれともわかしものゆへ
385  橘為仲朝臣
あやなくもくもらぬよゐをいとふかなしのふのさとの秋のよの月
386  法性寺入道前関白太政大臣
風ふけはたまちるはきのしたつゆにはかなくやとる野辺の月かな
387  従三位頼政
こよひたれすゝふく風を身にしめてよしのゝたけの月をみるらん
388  大宰大弐重家 [詞書]法性寺入道前関白太政大臣家に月哥あまたよみ侍けるに
月みれはおもひそあへぬ山たかみいつれのとしの雪にかあるらん
389  藤原家隆朝臣 [詞書]和哥所哥合に湖辺月といふことを
にほのうみや月の光のうつろへはなみの花にも秋はみえけり

鹿下絵・シアトル一.jpg
「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(シアトル美術館蔵その一)
鹿下絵・シアトル二.jpg
「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(シアトル美術館蔵その二)
http://art.seattleartmuseum.org/objects/14261/poem-scroll-with-deer?ctx=947bccb0-1f22-40c6-acef-ab7c81a74c67&idx=1

 上記の絵図の和歌(「その一」と「その二」の「前半二行」)は次の一首である。

378  左衛門督通光 [詞書]みなせにて十首哥たてまつりし時
むさし野やゆけとも秋のはてそなきいかなる風かすゑにふくらん

(釈文)水無瀬尓天十首濃哥多天まつ利し時 右衛門督通光
 無左し野や行共秋能ハて曾那支 如何成風濃末尓吹ら舞

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/mititeru.html

  水無瀬にて、十首歌たてまつりし時
武蔵野やゆけども秋の果てぞなきいかなる風かすゑに吹くらむ(源通光「新古378」)

【通釈】武蔵野を行けども行けども、秋の景色は果てがなく、あわれ深さも果てがない。野末には、どんな風が吹いているのだろう。
【語釈】◇武蔵野 関東平野西部の台地。薄や萱の茂る広大な原野として詠まれる。◇秋の果てぞなき 武蔵野の果てしなさに掛けて、秋のあわれ深い情趣が尽きないことを言う。◇いかなる風か… 今、風は野を蕭条と吹いているが、まして野末に至れば、どれほど…。「末」には「秋の末」の意が響き、晩秋になれば、との心を読み取ることも可能か。下句秀逸。

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鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書・宗達画)」周辺(その二十九) [光悦・宗達・素庵]

(その二十九)「鶴下絵和歌巻」N図(2-7藤原朝忠)

鶴下絵和歌巻N図.jpg

小野小町 色見えで移ろふものは世の中の 人の心の花にぞありける(「撰」「俊」)
2-7中納言朝忠(藤原朝忠)
  万代(よろづよ)の初めと今日を祈り置きて 今行末は神ぞ知るらむ(「撰」「俊」)
(釈文)満代濃始と今日を以乃里を支天今行末盤神曾可曾へ無
藤原高光 かくばかり経がたく見ゆる世の中にうらやましくもすめる月かな(「撰」「俊」)

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/asatada.html

   天暦御時、斎宮くだり侍りける時の長奉送使にてまかりかへらむとて
万代(よろづよ)のはじめと今日を祈りおきて今行末は神ぞ知るらむ(拾遺263)

【通釈】万代も続く御代の始まりとして、今日が佳き日であらんことを祈っておきましょう。そしてこれから後のことは、ただ神のみぞ知っておりましょうから、神意のままに委ねましょう。
【補記】拾遺集巻五、賀歌巻頭。村上天皇の天暦十一年(957)九月、楽子内親王(村上天皇第六皇女)の伊勢下向の時、長奉送使(斎宮群行の見送りをする勅使)として派遣され、帰京する時の歌。

藤原朝忠一.jpg

中納言朝忠/高倉大納言永慶:狩野安信/慶安元年(1648)  金刀比羅宮宝物館蔵
http://www.konpira.or.jp/museum/houmotsu/treasure_house_2015.html

   天暦御時歌合に
逢ふことのたえてしなくは中々に人をも身をも恨みざらまし(拾遺678)

【通釈】そもそも逢うということが全くないのならば、なまじっか、相手の無情も自分の
境遇も、恨んだりしなかっただろうに。
【語釈】◇逢ふこと 逢って情交を遂げること。◇たえて 下に打消の語を伴って「絶対(…ない)」「全然(…ない)」といった意味になる副詞としての用法。◇中々に むしろ。かえって。「中途半端になるよりは、いっそのこと…」といった気持をあらわす。◇人をも身をも 「人」は恋する相手。「身」は自分。◇うらみざらまし 恨みはしないだろう。「まし」は反実仮想の助動詞と呼ばれ、現実に反する仮定のもとで「こうなっただろう」と仮想する心をあらわす。
【補記】拾遺集の排列からすると恋の初期段階の歌で、上句は「そもそも逢うことが期待できないものであるなら」といった意味合いを帯びる。すなわち「未逢恋」の風情である。ところが『定家八代抄』では恋三の巻にあり、例えば藤原道雅の「今はただ思ひたえなんとばかりを…」などの後に置かれている。このことからすると、定家は「逢不逢恋」(一度逢ったのち何かの事情で逢えなくなった恋)の歌として読んでいたに違いない。宗祇抄をはじめ後世の主たる百人一首注釈書も同様の解釈を取る。

(参考メモ)「狩野安信」周辺

没年:貞享2.9.4(1685.10.1)
生年:慶長18.12.1(1614.1.10)
江戸前期の画家。通称右京進,号永真。狩野孝信の3男として京都に生まれ,宗家の貞信が早世したため,養子となり宗家を継ぐ。寛永年間(1624~44)江戸中橋に屋敷を拝領し,幕府御用絵師となり,中橋狩野家を開いた。江戸城や禁裏などの襖絵制作に参加。寛文2(1662)年法眼となる。兄探幽の画法を踏襲するが,技量は若干劣る。著書『画道要訣』(1680)では「学画」の奨励など狩野家の絵画制作に対する考えを示し,後代に影響を与えた。代表作は大徳寺玉林院の障壁画。「添状留帳」(東京芸大蔵)は鑑定控。<参考文献>田島志一編『東洋美術大観』5巻  (仲町啓子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について

藤原朝忠二.jpg

『三十六歌仙』(藤原朝忠)本阿弥光悦書(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288424

万代(よろづよ)のはじめと今日を祈りおきて今行末は神ぞ知るらむ(拾遺263)

(追記)「鹿下絵和歌巻断簡」の「MOA美術館蔵」の「線描画」周辺

鹿下絵和歌巻・光悦?.jpg

「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(画)俵屋宗達(書)本阿弥光悦(MOA美術館蔵)
三三・五×四二七・五㎝

 この和歌巻断簡の絵図は、『新古今和歌集(巻四・秋歌上)』の下記(参考)の三六二番から三八九番までの二十八首のうちの、次の「曽祢好忠(三七一)・相模(三七二)」の二首が揮毫されているものである。


00371  曽祢好忠
秋風のよそにふきくるをとは山なにの草木かのとけかるへき
(釈文)安支可勢乃よ曽尓吹久類をとハ山何濃久左き可乃ど介可るべ幾
00372  相模
暁のつゆはなみたもとゝまらてうらむる風の声そのこれる
(釈文)暁濃露ハな見多もと々まら天うら無る可世濃聲曽乃こ連る

 この絵図について、「鹿は二、三頭を組み合わせて描く場合が多く、点在する鹿の群をいかに関係づけるかが画面展開上の課題となる。この場面では、視線の持つ力に注目し、後方を見遣る雌鹿によって、進行してきた画面の流れを受けている。この雌鹿は輪郭線で活かす彫塗りで描き、白描風に描く草を食む二頭を左右から包むように配する。いずれにも宗達特有の表現力豊かな線描が大きな効果をあげているが、ことに左右の二頭の優しい背中の線は、鹿のしなやかな姿態と動きをそのままに伝えている。宗達の金銀泥絵において、もっとも叙情性に富む作品である」(『水墨画の巨匠第六巻 宗達・光琳』所収「図版解説32(中部義隆稿)」)との評がある。
 その上で、この絵図について、「『相模』(第40図=左上の鹿の図)にみえる線描主体の一匹などを、光悦の加筆とみる興味深い説がある」(『日本の美術№460 光悦と本阿弥流の人々(河野元昭著)』所収「口絵第四・五図」解説)との指摘もある。

下記(参考)「鹿下絵新古今集和歌巻」の二十八首(その「三六二番から三八九番までの二十八首」)

362  西行法師
こゝろなき身にも哀はしられけりしきたつさはの秋のゆふくれ
363  藤原定家朝臣[詞書]西行法師すゝめて百首哥よませ侍りけるに
見わたせは花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋のゆふくれ
364  藤原雅経 [詞書]五十首哥たてまつりし時
たへてやはおもひありともいかゝせんむくらのやとの秋のゆふくれ
365  宮内卿 [詞書]秋のうたとてよみ侍ける
おもふことさしてそれとはなきものを秋のゆふへを心にそとふ
366  鴨長明
秋風のいたりいたらぬ袖はあらしたゝわれからのつゆのゆふくれ
367  西行法師
おほつかな秋はいかなるゆへのあれはすゝろにものゝかなしかるらん
368 式子内親王
それなからむかしにもあらぬ秋風にいとゝなかめをしつのをたまき
369  藤原長能 [詞書]題しらす
ひくらしのなくゆふくれそうかりけるいつもつきせぬ思なれとも
370  和泉式部
秋くれはときはの山の松風もうつるはかりに身にそしみける
371  曽祢好忠
秋風のよそにふきくるをとは山なにの草木かのとけかるへき
372  相模
暁のつゆはなみたもとゝまらてうらむる風の声そのこれる
373  藤原基俊 [詞書]法性寺入道前関白太政大臣家の哥合に野風
たかまとのゝちのしのはらすゑさはきそゝやこからしけふゝきぬなり
374  右衛門督通具 [詞書]千五百番哥合に
ふかくさのさとの月かけさひしさもすみこしまゝのゝへの秋風
375  皇太后宮大夫俊成女
[詞書]五十首哥たてまつりし時杜間月といふことを
おほあらきのもりの木のまをもりかねて人たのめなる秋のよの月
376  藤原家隆朝臣 [詞書]守覚法親王五十首哥よませ侍けるに
ありあけの月まつやとは(は=の)袖のうへに人たのめなるよゐのいなつま
377  藤原有家朝臣 [詞書]摂政太政大臣家百首哥合に
風わたるあさちかすゑのつゆにたにやとりもはてぬよゐのいなつま
378  左衛門督通光 詞書]みなせにて十首哥たてまつりし時
むさし野やゆけとも秋のはてそなきいかなる風かすゑにふくらん
379  前大僧正慈円 [詞書]百首哥たてまつりし時月哥
いつまてかなみたくもらて月は見し秋まちえても秋そこひしき
380  式子内親王
なかめわひぬ秋よりほかのやともかな野にも山にも月やすむらん
381  円融院御哥 [詞書]題しらす
月かけのはつ秋風とふけゆけは心つくしにものをこそおもへ
382  三条院御哥
あしひきの山のあなたにすむ人はまたてや秋の月をみるらん
383  堀河院御哥 [詞書]雲間微月といふ事を
しきしまやたかまと山のくもまより光さしそふゆみはりの月
384  堀河右大臣 [詞書]題しらす
人よりも心のかきりなかめつる月はたれともわかしものゆへ
385  橘為仲朝臣
あやなくもくもらぬよゐをいとふかなしのふのさとの秋のよの月
386  法性寺入道前関白太政大臣
風ふけはたまちるはきのしたつゆにはかなくやとる野辺の月かな
387  従三位頼政
こよひたれすゝふく風を身にしめてよしのゝたけの月をみるらん
388  大宰大弐重家 [詞書]法性寺入道前関白太政大臣家に月哥あまたよみ侍けるに
月みれはおもひそあへぬ山たかみいつれのとしの雪にかあるらん
389  藤原家隆朝臣 [詞書]和哥所哥合に湖辺月といふことを
にほのうみや月の光のうつろへはなみの花にも秋はみえけり
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鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書・宗達画)」周辺(その二十八) [光悦・宗達・素庵]

鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書・宗達画)」周辺(その二十八)
(その二十八)「鶴下絵和歌巻」N図(2-6 小野小町)

鶴下絵和歌巻N図.jpg

2-6 小野小町 色見えで移ろふものは世の中の 人の心の花にぞありける(「撰」「俊」)
(釈文)色見え天う徒路ふも濃盤世中乃人乃心の華尓曽有介る
中納言朝忠(藤原朝忠) 万代の初めと今日を祈り置きて今行末は神ぞ知るらむ(「撰」「俊」)
藤原高光 かくばかり経がたく見ゆる世の中にうらやましくもすめる月かな(「撰」「俊」)
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item02.html

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/komati.html

   題しらず
色見えでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける(古今797)

【通釈】花は色に見えて変化するものだが、色には見えず、知らぬうちに変化するもの、それは恋仲にあって人の心に咲く花だったのだ
【補記】「世の中」は男女の仲。「心の花」は実のない心を花に喩えた語。謎を掛けるように歌い起こし、下でそれを解くという構成の歌として最初期の例。

小野小町一.jpg

小野小町/青蓮院宮尊純親王:狩野探幽/慶安元年(1648)  金刀比羅宮宝物館蔵
http://www.konpira.or.jp/museum/houmotsu/treasure_house_2015.html

色見えでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける(古今797)

小野小町二.jpg

『三十六歌仙』(小野小町)本阿弥光悦書(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288424

   文屋康秀が三河の掾(ぞう)になりて、
   県見(あがたみ)にはえいでたたじやと、
   いひやれりける返り事によめる
わびぬれば身をうき草の根をたえてさそふ水あらばいなむとぞ思ふ(古今938)

【通釈】侘び暮らしをしていたので、我が身を憂しと思っていたところです。浮草の根が切れて水に流れ去るように、私も誘ってくれる人があるなら、一緒に都を出て行こうと思います。
【語釈】◇うき草 「うき」に「憂き」の意が掛かる。
【補記】国司として三河国に下ることになった文屋康秀から、「私と田舎見物には行けませんか」と戯れに誘われて、その返事として贈った歌。康秀は小町と同じく六歌仙の一人。仁明天皇の国忌の日に詠んだ歌があり、同じ天皇に近侍したと思われる小町とは旧知の間柄だったのだろう。諧謔味を籠めてはいるが、おかしさよりもしみじみとした情感がまさって聞こえる。後世の小町流浪説話のもととなった歌でもある。


(追記)「光悦書宗達下絵和歌巻」周辺(「メモ」その六)

(「鹿下絵新古今集和歌巻」周辺メモ )

3 藤原雅経:たへてやはおもいあり共如何にせむむぐらの宿の秋の夕暮(サントリー美術館蔵)

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2020-04-10

4 宮内卿:おもふ事さしてそれとはなき物を秋のゆうふべを心にぞとふ(五島美術館蔵)

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2020-04-09

5 鴨長明:秋かぜのいたりいたらね袖はあらじ唯我からの露のゆふぐれ(MOA美術館蔵)

鹿下絵和歌巻・鴨長明.jpg

「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(画)俵屋宗達(書)本阿弥光悦(MOA美術館蔵)

(「鴨長明」周辺メモ)

(釈文)秋可勢濃い多利以多らぬ袖盤安らじ唯我可ら濃霧乃遊ふ久れ

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tyoumei.html

   秋の歌とてよみ侍りける
秋風のいたりいたらぬ袖はあらじただ我からの露の夕ぐれ(新古366)

【通釈】袖によって秋風が届いたり届かなかったりすることはあるまい。誰の袖にだって吹くのだ。この露っぽい夕暮、私の袖が露ならぬ涙に濡れるのは、ただ自分の心の悲しさゆえなのだ。
【語釈】◇秋風 「飽き」を掛け、恋人に飽きられたことを暗示。秋の夕暮の寂しさに、片恋の悲しみを重ねている。
【『方丈記』の名文家として日本文学史に不滅の名を留める鴨長明であるが、散文の名作はいずれも最晩年に執筆されたもののようで、生前はもっぱら歌人・楽人として名を馳せていたらしい。後鳥羽院の歌壇に迎えられたのは四十代半ばのことであった。当初、気鋭の新古今歌人たちの「ふつと思ひも寄らぬ事のみ人毎によまれ」ている有り様に当惑する長明であったが、その後急速に新歌風を習得していったものと見える。少年期からの長い歌作の蓄積と、俊恵の歌林苑での修練あってこその素早い会得であったろう。『無名抄』には、自己流によく噛み砕いた彼の幽玄観が窺え、興味深い。しかし、彼が文の道で己の芯の鉱脈を掘り当てたのは、家代々の禰宣職に就く希望を打ち砕かれ、いたたまれなくなって御所歌壇を去り、出家してのちのことであった。そしてそれは、歌人としてではなかったのである。】
【『無名抄(鴨長明)』→「秋の夕暮の空の景色は、色もなく、声もなし。いづくにいかなる趣あるべしとも思えねど、すずろに涙のこぼるるがごとし。これを、心なき者は、さらにいみじと思はず、ただ眼に見ゆる花・紅葉をぞめではべる。」 】

(「鹿下絵新古今集和歌巻」周辺メモ )

【「歌と『鹿』―べたづけの忌避」  鹿が妻恋いのため悲しげに鳴くのは秋である。そこから鹿は秋の季語となり、紅葉や萩とともに描かれるようにもなった。先の崗本天皇の一首も、もちろん秋の雑歌に入れられている。鹿は秋歌二八首を書写する和歌巻の下絵として、きわめてふさわしいことになる。しかも秋歌には、三夕の和歌にみるような夕暮、あるいは月や夜を詠んだものが多いからこの点でも夕暮に鳴く鹿はよく馴染む。
さらに重要なのは、この場合も二八首中に鹿を歌った和歌が一首もないという事実であろう。「心なき」の六首前には、摂政太政大臣の「萩の葉に吹けば嵐の秋なるを待ちける夜半のさおしかの声」があったわけだから、もし光悦がここから書き出したとすれば、べたづけになってしまう。ましてや『新古今和歌集』巻五「秋歌 下」の巻初から始めたとすれば、下絵は歌の絵解き、歌は下絵の説明文になってしまったであろう。「秋歌 下」の巻初から一六首は、これすべて鹿を詠んだ歌だったからである。このような匂づけ的関係にも、光悦と下絵筆者宗達との親密な交流を読み取りたいのである。 】(『日本の美術№460 光悦と本阿弥流の人々(河野元昭著)』)

【(参考)「連歌・連句」の付合(はこび)関連

http://www.basho.jp/ronbun/ronbun_2012_11_03.html

〇連句の付合(運び)の力学の認識について(付く・付かないということ)
「俳諧(連句)は茄子漬の如し、つき過ぎれば酢し。つかざれば生なり。つくとつかざる処に味あり」(根津芦丈)
「連句は付き合った二つの句の間に漂う何物かを各人が味わうものですから、前句と付句があまりピッタリしていては(意味的・論理的に結合されていては)それこそ味も素っ気も出て来ません。・・・発句に対する脇のようなぴったり型の付句ではなく、脇に対する第三のような飛躍型の付句が望ましいのです。」(山地春眠子)
「必然的な因果関係によって案じた句→付け過ぎ(ベタ付け)、偶然的な可能性の高さで案じた句→不即不離、偶然的な可能性の低さで案じた句→付いていない」(大畑健治)
◎要するに、付かず離れず。車間距離ならぬ句間距離の塩梅が連句の付け味の味噌。前二句(前句と打越の句)の醸成する世界から、別の新しい世界を開いていく意識(行為)が「転じ」(連句の付合)ということ。
「むめがゝに」歌仙付合評一覧
初表
1むめがゝにのつと日の出る山路かな 芭蕉(発句 初春)
  (かるみ→おおらかでさらりとした発句)
2 処どころに雉子の啼たつ     野坡(脇 三春)
  (ひびき→発句の「のっと」に「なきたつ」が音調・語感のうえでひびき合う)
3家普請を春のてすきにとり付いて   仝(第三 三春)
  (匂付→雉子の鳴きたつ勇壮で気ぜわしげな気分を、金槌や鋸の音で活気にあふれた普請はじめの心はずむさまで受ける)(変化→発句・脇の山路の景を巧みに山里の人事へと転じた第三らしい展開)
4 上のたよりにあがる米の値    芭蕉(雑(無季))
  (匂付・心付→前句、棟上げの祝いをする農家の景気がよろしきさまに上向きの米相場を付ける)
5宵のうちばらばらとせし月の雲    仝(三秋)
(匂付=移り→前句の物価騰貴の不安の余情の移り)(変化→前句の農家の立場から都会人(江戸町人)の立場へ転換)    】
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