雨華庵の四季(その十三) [雨華庵の四季]
その十三「秋(四)」
酒井抱一筆『四季花鳥図巻(上=春夏・下=秋冬)』「秋(四)」東京国立博物館蔵
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0035824
同上:部分拡大図
右側に三種類の菊(白とピンク掛かった厚物の菊と白の御紋章菊」)、そして左側には小さな野菊(青紫色の「嫁菜」)が咲いている。その間に、刈萱や薄が右側の白菊の方に靡き、落葉(楓の紅葉と銀杏の黄葉)も描かれている。そして、この絵図のメインの左側の楓の木に大きく啄木鳥が描かれ、その楓の紅葉した枝が右側の白菊に呼応しているように描かれている。
菊(三秋・「白菊・黄菊・一重菊・八重菊・大菊・中菊・小菊・厚物咲・初菊・乱菊・懸崖菊・菊の宿・菊の友・籬の菊)「秋を代表する花として四君子(梅竹蘭菊)の一つでもある。江戸時代になって観賞用としての菊作りが盛んになる。香りよく見ても美しい。」
菊の香や奈良には古き仏達 芭蕉 「杉風宛書簡」
菊の花咲くや石屋の石の間 芭蕉 「翁草」
琴箱や古物店の背戸の菊 芭蕉 「住吉物語」
白菊の目にたてゝ見る塵もなし 芭蕉 「笈日記」
黄菊白菊其の外の名はなくもなが 嵐雪 「其袋」
手燭して色失へる黄菊かな 蕪村 「夜半叟句集」
あるほどの菊抛げ入れよ棺の中 漱石 「漱石全集」
御空より発止と鵙や菊日和 茅舎 「川端茅舎句集」
野菊(仲秋・「紺菊・野紺菊・竜脳菊・油菊」)「山野に咲く菊の総称。色もさまざまで、野路菊は白、油菊は黄、野紺菊は淡い紫、海辺に咲く白い浜菊も美しい。」
撫子の暑さ忘るる野菊かな 芭蕉 「旅館日記」
名もしらぬ小草花咲く野菊かな 素堂 「嚝野句集」
重箱に花なき時の野菊哉 其角 「句兄弟」
朝見えて痩たる岸の野菊哉 支考 「其便」
なつかしきしをにがもとの野菊哉 蕪村 「蕪村句集」
足元に日のおちかかる野菊かな 一茶 「文化句帖」
湯壷から首丈出せば野菊かな 漱石 「漱石全集」
刈萱(仲秋・「雌刈萱・雄刈萱」)「メガルカヤとオガルカヤ(スズメカルカヤ)があり、カルカヤは二種の総称。昔は屋根を葺くために用いられた。イネ科の多年草で日本各地の山野に自生する。高さは一メートル前後。」
刈萱は淋しけれども何とやら 重頼 「藤枝集」
かるかやや滝より奥のひと在所 蒼虬 「蒼虬翁句集」
芒(三秋・「薄・糸薄・鬼薄・芒原・むら薄・薄の糸・薄野・乱れ草・縞薄」)「月見のおそなえとして秋の代表的な植物。秋の七草のひとつでもある。」
糸薄蛇にまかれてねまりけり 芭蕉 「句解参考」
何ごともまねき果たるすゝき哉 芭蕉 「続深川集」
行く秋の四五日弱るすすきかな 丈草 「猿蓑」
一雨のしめり渡らぬ薄かな 支考 「西の雲」
山は暮て野は黄昏の薄哉 蕪村 「蕪村句集」
夕闇を静まりかへるすすきかな 暁台 「暁台句集」
猪追ふや芒を走る夜の声 一茶 「句帖」
取り留むる命も細き薄かな 漱石 「漱石全集」
楓(晩秋・「かへるで・山紅葉/・かへで紅葉」)「楓は色づく樹々の中で特に美しく代表的なもの。その葉の形が蛙の手に似ていることから古くは「かえるで」とも。」
楓橋は知らず眠さは詩の心 支考 「東西夜話」
紅楓深し南し西す水の隈 几菫 「井華集」
紅葉かつ散る(晩秋・「色葉散る・木の葉かつ散る」)「紅葉しながら、ちりゆく紅葉のこと。」
かつ散りて御簾に掃かるる栬(もみぢ)かな 其角 「続虚栗」
銀杏黄葉(晩秋・「いちょうもみじ・いてふもみぢ」)「銀杏が色づくこと。日を浴びて黄落するさまは荘厳でさえある。」
いてふ葉や止まる水も黄に照す 嘯山 「葎亭句集」
北は黄にいてふぞ見ゆる大徳寺 召波 「春泥句集」
啄木鳥(三秋・「けら・赤げら・青げら・小げら・山げら」「小げら、赤げら、青げらなどキツツキ科の鳥の総称。餌を採るときの木を叩く音と、目立つ色彩が、晩秋の雑木林などで印
象的。」
木啄の入りまはりけりやぶの松 丈草 「有磯海」
木つつきのつつき登るや蔦の間 浪化 「柿表紙」
手斧打つ音も木ぶかし啄木鳥 蕪村 「明和八年句稿」
木つつきの死ねとて敲く柱かな 一茶 「文化句帖」
啄木鳥の月に驚く木の間かな 樗堂 「萍窓集」
『十二か月花鳥図(抱一筆)』十二月「檜に啄木鳥図」(「宮内庁三の丸尚蔵館蔵=宮内庁本」)
【絹本着色 十二幅 (一~四、九~十二月 各一四〇・二×四九・三cm) (五~八月 各一三九・五×五〇・五cm) 文政六年(一八二三) 】
(『酒井抱一と江戸琳派の全貌(求龍堂刊)』)
同上:部分拡大図
【 宮内庁本の「十二か月花鳥図」の冬「十二月」に描かれた花鳥は「檜に藪柑子」そしてあしらい(注・俳諧用語「会釈」)の鳥は「啄木鳥」である。このうち「檜」も「藪柑子」も冬の季語とされるので「十二月」の「花」として扱われることは問題はない。 だが「啄木鳥」は基本的には秋の季語とされている。(中略)俳諧的感覚としてみれば季語性の「ずれ」が生じているのである。玉蟲氏(注・「酒井抱一の”新”十二か月花鳥図をめぐってー花鳥画の衣更えの季節」の筆者)は、抱一の花鳥画において、このような「ずれ」が生じた理由を、「(抱一画では)主要画材は色彩、構成上きわだたせるために、その素材の季節があまり重視されなかった」ためだと考察している。(中略)俳人抱一でさえも、その個々の素材の季語性を無視する姿勢を 時代的に広重に先んじてすでに持っていた、という点である。またこれを言い換えれば、抱一も広重も、対象とする題材が狙っていた季語という慣習(コンヴェンション)をもはや重視せず、自らが描こうとする題材、すなわち「花」と「鳥」それ自体に対する興味を、明らかに強く意識しているということなのである。 】
(『江戸の花鳥画 今橋理子著 講談社学術文庫』所収「浮世絵花鳥版画の詩学」)
上記のことに関連して、次のことを特記して置きたい。
一 抱一の『四季花鳥図巻』では、例えば、「松虫・鈴虫の音色」とか、「水引草を靡かせる微かな風音・茅や薄を靡かせるやや強い風音」など「音の世界」を描こうとする意図が感知される。ここで、啄木鳥を大きく描いたのも、その「音の世界」への誘いであろう。
二 と同時に、ここで、抱一が、啄木鳥を大きく描いたのは、季語性重視の、「紅葉かつ散る」(晩秋の季語)の、「啄木鳥の木を叩く音」が「楓の紅葉(朱)の一葉と銀杏の黄葉(黄)の一葉を散らす」を描きたいという、その意図の一端を暗示しているものと解したい。
三 『十二か月花鳥図(抱一筆)』十二月「檜に啄木鳥図」の啄木鳥は、「留鳥(季節による移動をせず一年中同一地域にすむ鳥)」でこの図でいくと、「雪」(晩冬)「藪柑子」(三冬)との取り合わせで「冬の啄木鳥」ということになる。抱一自身としては、「季語性の『ずれ』」というよりも、ここでも「啄木鳥の木を叩く音」が根元の「雪」を払って、赤い「藪柑子の実」を覗かせているという意を含んでいるように解して置きたい(抱一が「檜」を冬の季語と解しているかどうかは否定的に解したい)。
酒井抱一筆『四季花鳥図巻(上=春夏・下=秋冬)』「秋(四)」東京国立博物館蔵
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0035824
同上:部分拡大図
右側に三種類の菊(白とピンク掛かった厚物の菊と白の御紋章菊」)、そして左側には小さな野菊(青紫色の「嫁菜」)が咲いている。その間に、刈萱や薄が右側の白菊の方に靡き、落葉(楓の紅葉と銀杏の黄葉)も描かれている。そして、この絵図のメインの左側の楓の木に大きく啄木鳥が描かれ、その楓の紅葉した枝が右側の白菊に呼応しているように描かれている。
菊(三秋・「白菊・黄菊・一重菊・八重菊・大菊・中菊・小菊・厚物咲・初菊・乱菊・懸崖菊・菊の宿・菊の友・籬の菊)「秋を代表する花として四君子(梅竹蘭菊)の一つでもある。江戸時代になって観賞用としての菊作りが盛んになる。香りよく見ても美しい。」
菊の香や奈良には古き仏達 芭蕉 「杉風宛書簡」
菊の花咲くや石屋の石の間 芭蕉 「翁草」
琴箱や古物店の背戸の菊 芭蕉 「住吉物語」
白菊の目にたてゝ見る塵もなし 芭蕉 「笈日記」
黄菊白菊其の外の名はなくもなが 嵐雪 「其袋」
手燭して色失へる黄菊かな 蕪村 「夜半叟句集」
あるほどの菊抛げ入れよ棺の中 漱石 「漱石全集」
御空より発止と鵙や菊日和 茅舎 「川端茅舎句集」
野菊(仲秋・「紺菊・野紺菊・竜脳菊・油菊」)「山野に咲く菊の総称。色もさまざまで、野路菊は白、油菊は黄、野紺菊は淡い紫、海辺に咲く白い浜菊も美しい。」
撫子の暑さ忘るる野菊かな 芭蕉 「旅館日記」
名もしらぬ小草花咲く野菊かな 素堂 「嚝野句集」
重箱に花なき時の野菊哉 其角 「句兄弟」
朝見えて痩たる岸の野菊哉 支考 「其便」
なつかしきしをにがもとの野菊哉 蕪村 「蕪村句集」
足元に日のおちかかる野菊かな 一茶 「文化句帖」
湯壷から首丈出せば野菊かな 漱石 「漱石全集」
刈萱(仲秋・「雌刈萱・雄刈萱」)「メガルカヤとオガルカヤ(スズメカルカヤ)があり、カルカヤは二種の総称。昔は屋根を葺くために用いられた。イネ科の多年草で日本各地の山野に自生する。高さは一メートル前後。」
刈萱は淋しけれども何とやら 重頼 「藤枝集」
かるかやや滝より奥のひと在所 蒼虬 「蒼虬翁句集」
芒(三秋・「薄・糸薄・鬼薄・芒原・むら薄・薄の糸・薄野・乱れ草・縞薄」)「月見のおそなえとして秋の代表的な植物。秋の七草のひとつでもある。」
糸薄蛇にまかれてねまりけり 芭蕉 「句解参考」
何ごともまねき果たるすゝき哉 芭蕉 「続深川集」
行く秋の四五日弱るすすきかな 丈草 「猿蓑」
一雨のしめり渡らぬ薄かな 支考 「西の雲」
山は暮て野は黄昏の薄哉 蕪村 「蕪村句集」
夕闇を静まりかへるすすきかな 暁台 「暁台句集」
猪追ふや芒を走る夜の声 一茶 「句帖」
取り留むる命も細き薄かな 漱石 「漱石全集」
楓(晩秋・「かへるで・山紅葉/・かへで紅葉」)「楓は色づく樹々の中で特に美しく代表的なもの。その葉の形が蛙の手に似ていることから古くは「かえるで」とも。」
楓橋は知らず眠さは詩の心 支考 「東西夜話」
紅楓深し南し西す水の隈 几菫 「井華集」
紅葉かつ散る(晩秋・「色葉散る・木の葉かつ散る」)「紅葉しながら、ちりゆく紅葉のこと。」
かつ散りて御簾に掃かるる栬(もみぢ)かな 其角 「続虚栗」
銀杏黄葉(晩秋・「いちょうもみじ・いてふもみぢ」)「銀杏が色づくこと。日を浴びて黄落するさまは荘厳でさえある。」
いてふ葉や止まる水も黄に照す 嘯山 「葎亭句集」
北は黄にいてふぞ見ゆる大徳寺 召波 「春泥句集」
啄木鳥(三秋・「けら・赤げら・青げら・小げら・山げら」「小げら、赤げら、青げらなどキツツキ科の鳥の総称。餌を採るときの木を叩く音と、目立つ色彩が、晩秋の雑木林などで印
象的。」
木啄の入りまはりけりやぶの松 丈草 「有磯海」
木つつきのつつき登るや蔦の間 浪化 「柿表紙」
手斧打つ音も木ぶかし啄木鳥 蕪村 「明和八年句稿」
木つつきの死ねとて敲く柱かな 一茶 「文化句帖」
啄木鳥の月に驚く木の間かな 樗堂 「萍窓集」
『十二か月花鳥図(抱一筆)』十二月「檜に啄木鳥図」(「宮内庁三の丸尚蔵館蔵=宮内庁本」)
【絹本着色 十二幅 (一~四、九~十二月 各一四〇・二×四九・三cm) (五~八月 各一三九・五×五〇・五cm) 文政六年(一八二三) 】
(『酒井抱一と江戸琳派の全貌(求龍堂刊)』)
同上:部分拡大図
【 宮内庁本の「十二か月花鳥図」の冬「十二月」に描かれた花鳥は「檜に藪柑子」そしてあしらい(注・俳諧用語「会釈」)の鳥は「啄木鳥」である。このうち「檜」も「藪柑子」も冬の季語とされるので「十二月」の「花」として扱われることは問題はない。 だが「啄木鳥」は基本的には秋の季語とされている。(中略)俳諧的感覚としてみれば季語性の「ずれ」が生じているのである。玉蟲氏(注・「酒井抱一の”新”十二か月花鳥図をめぐってー花鳥画の衣更えの季節」の筆者)は、抱一の花鳥画において、このような「ずれ」が生じた理由を、「(抱一画では)主要画材は色彩、構成上きわだたせるために、その素材の季節があまり重視されなかった」ためだと考察している。(中略)俳人抱一でさえも、その個々の素材の季語性を無視する姿勢を 時代的に広重に先んじてすでに持っていた、という点である。またこれを言い換えれば、抱一も広重も、対象とする題材が狙っていた季語という慣習(コンヴェンション)をもはや重視せず、自らが描こうとする題材、すなわち「花」と「鳥」それ自体に対する興味を、明らかに強く意識しているということなのである。 】
(『江戸の花鳥画 今橋理子著 講談社学術文庫』所収「浮世絵花鳥版画の詩学」)
上記のことに関連して、次のことを特記して置きたい。
一 抱一の『四季花鳥図巻』では、例えば、「松虫・鈴虫の音色」とか、「水引草を靡かせる微かな風音・茅や薄を靡かせるやや強い風音」など「音の世界」を描こうとする意図が感知される。ここで、啄木鳥を大きく描いたのも、その「音の世界」への誘いであろう。
二 と同時に、ここで、抱一が、啄木鳥を大きく描いたのは、季語性重視の、「紅葉かつ散る」(晩秋の季語)の、「啄木鳥の木を叩く音」が「楓の紅葉(朱)の一葉と銀杏の黄葉(黄)の一葉を散らす」を描きたいという、その意図の一端を暗示しているものと解したい。
三 『十二か月花鳥図(抱一筆)』十二月「檜に啄木鳥図」の啄木鳥は、「留鳥(季節による移動をせず一年中同一地域にすむ鳥)」でこの図でいくと、「雪」(晩冬)「藪柑子」(三冬)との取り合わせで「冬の啄木鳥」ということになる。抱一自身としては、「季語性の『ずれ』」というよりも、ここでも「啄木鳥の木を叩く音」が根元の「雪」を払って、赤い「藪柑子の実」を覗かせているという意を含んでいるように解して置きたい(抱一が「檜」を冬の季語と解しているかどうかは否定的に解したい)。
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