SSブログ

蕭白の「群仙図屏風」(その七) [蕭白]

(その七)「群仙図屏風」(蕭白筆)の「右隻」の「鉄拐」「龍」「呂洞宝」「霊芝」

龍.jpg
「群仙図屏風」(蕭白筆)の「右隻」の「鉄拐」「龍」「呂洞宝」「霊芝」

 この右側の鉄製の杖を片手に、もう一方の手を真上に挙げて、この左側の龍に乗っている青い着物の来た「呂洞寶(リョドウヒン)」と思われる人物に、何やら語り掛けている人物は、「鉄拐仙人(テッカイセンニン)」のようである。
 この鉄拐は、「左隻」の左側に登場する「西王母(セイオウボ)」に師事して、東華教主に封じられ、鉄丈(杖)を授けられたという。その鉄丈を投げると龍になり、それに乗って昇天したといわれている。
 この左側の主役のような「呂洞寶」は、『三国志』に登場する武将の「関羽」と肩を並べるほどの主神(主仙人)として夙に挙げ奉られているが、ここでは、師の「鍾離権(ショウリケン)」から不老長寿の秘薬「龍虎金丹(リュウコキンタン)」の仙術を授かったという、その逸話を主題にしているようである・
 即ち、この「呂洞寶」の片手に持っている「霊芝(レイシ)が、不老長寿の秘薬「龍虎金丹」と深く関わるものなのであろう。
 その「霊芝」を象徴化するように、「呂洞寶」がまとっている青い着物も、その「霊芝」の紋様をし、そして、「呂洞寶」と「龍」とを取り巻いている風の渦巻きの「風紋」も、どうやら、その「霊芝」の紋様なのである。
 即ち、この画面のメインテーマは、不老長寿の秘薬「龍虎金丹」の「霊芝」であり、それが、この絵図の右側に描かれている名医「董奉(トホウ)」と結びつくのであろう。
 さらに付け加えるならば、この「右隻」中の、「龍」も「虎」も、そして、「鳳凰」すら、生来の力がない様で、それも、この「霊芝」を要求しているということであろうか。
 様々なドラマが、この「右隻」だけでも、壮大に展開して行くが、それは、「左隻」と一体となって来ると、これは無限大の、空前絶後のものへと展開して行く。そして、その壮絶なドラマ化のうちに、蕭白の根っ子となる「遊び心(こころ)」が見えて来る。

呂洞寶.jpg





コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

蕭白の「群仙図屏風」(その六) [蕭白]

その六)「群仙図屏風」(蕭白筆)の「右隻」の「董奉」「虎」と「簫史」「鳳凰」

鳳凰.jpg
「群仙図屏風」(蕭白筆)の「右隻」(部分図・「董奉」「虎」と「簫史」「鳳凰)

 この「群仙群図屏風」(六曲一双)の「右隻(六曲一隻)」の右からの「第一扇(面)・第二扇(面)」(部分図)だけでも、優れた、曽我蕭白の「群仙図」ということになろう。
 「明と暗」とのコントラストの、暗の右側(第一扇)には、髭を風に吹かさせての、「貧しい患者からは治療費の代わりに杏の苗を受け取ったという『神仙伝』中の名医「董奉(トホウ)」その人が描かれている。
 それを暗示するのは、この明の左側(第二扇)の、白一色の感のある「鳳凰」にウィンクしているような、白虎ならず、名医の「董奉」に仕えて、その「杏林(キョウリン)」を見守りしている、何やら「虎」らしきものが描かれている。
 この「虎」らしきものの視線は、この「右隻」の「第六扇(面)」に描かれている「黒龍」ではなく(「青龍」と「白虎」との対比ではなく)、「白い翼の鳳凰(白鳳凰)」に注がれている。
 この鳳凰は、伝説上の瑞鳥で百鳥の王とされ、太平の象徴でもある。古来、宇治平等院鳳凰堂など様々な装飾などに使用されている。また、「龍」「鳳凰」「麒麟」「亀」は、「吉祥」(縁起物)の吉を招く「四霊」とされている。
 因みに、「四神」は「(青)龍」「朱雀=鳳凰」「(黄)龍=麒麟」「(白)虎」、「五獣」は「四神+玄武(亀蛇)=黒」、「五龍」は「青龍・朱龍・黄龍・白龍・黒龍」、そして、「鳳凰」にも、「赤を鳳(ホウ)、黄を鵷雛(エンスウ)、青を鸞(ラン)、紫を鸑鷟(ガクサク)、白を鴻鵠(コウコク)、朱雀(スザク)=鳳凰から生まれ邪を焼き尽くす炎の神鳥」と細分化されるらしい。
 さて、この鳳凰を随えている、赤い服をまとって、赤ら顔の、簫(竹で作った笛のような楽器)を吹いている人物は、簫史という簫の名手で、「鳳凰」(太平楽の象徴)を天から呼び寄せたという仙人なのであろう。
 蕭白は、この簫史について、別に「簫史吹簫図屏風」(「塞翁飼馬・簫史吹簫図屏風」の左隻)を制作しており、それらのモチーフを、ここにも応用しているのであろう。
 この「右隻」の「簫史(朱)と鳳凰(白)」とが、その「右隻」のメインであるばかりでなく、「群仙屏風図」(六曲一双)全体のメインのような色調・コントラストが感じられる。
しかし、その脇の名医「董奉」の眼は、隣の簫史や鳳凰ではなく、遥か彼方の「龍・呂洞寶」、そして、呂洞寶の手にある「霊芝(レイシ)」(幻の霊薬)に注がれている。
 すなわち、全体のテーマは、「不老不死・長寿のお祝い」(男嗣誕生・健康・富貴・長生・家運隆盛等々)で、この「右隻」の圧巻は、龍と呂洞宝を取り巻く、渦巻き状の「疾風怒涛」(特に「疾風」)の紋様が、「霊芝」をイメージしているところに在るように思われる。

三重・簫史.jpg
「塞翁飼馬・簫史吹簫図屏風」(蕭白筆・紙本墨画・六曲一双・三重県立美術館蔵)の「右隻・簫史吹簫図屏風・一五五×三三八cm」



コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

蕭白の「群仙図屏風」(その五) [蕭白]

(その五)「群仙図屏風」(蕭白筆)の「左隻」の「西王母」と「蝦蟇仙人」

西王母.jpg
「群仙図屏風」(蕭白筆)の「左隻」(部分図・西王母と蝦蟇仙人)

 『無頼の画家 曽我蕭白(狩野博幸・横尾忠則著)』では、「美女の耳そうじでニンマリの蝦蟇仙人」とか「誰となく秋波送る西王母……もう収拾がつきません」とかの、何やら怪しげな文言が列挙されている。
 しかし、大名家である京極家の、男嗣出生にまつわる、「祝い品」(「鯉幟・武者幟」の類い)の美術装飾品的作品と解して、その視点からすると、ここに描かれている「西王母(セイオウボ)」は、長寿の神様で、その「西王母」の前に描かれている桃は、不老不死の実の「仙桃(セントウ)」、そして、その「仙桃」の傍らの「穿山甲(センザンコウ)」(体の外部に松毬のような鱗を持つ珍獣)は「魔除け」と、全て、「吉祥画(キッショウガ)」(縁起物の画)のモチーフということになろう。
 同様に、右下の、「蝦蟇仙人(ガマセンニン)=劉海蟾(リュウカイセン)」は、不老不死の術を修めた仙人で、その背に居る蝦蟇は、三本足の白い蝦蟇の「青蛙神(セイアジン)」で、この青蛙神が訪れると幸運・金運に恵まれるなどの伝承がある。
 この「左隻」は、「不老不死・長寿の祝い」がメインテーマとすると、「唐子たちの笑い」「和靖先生の笑い」「左茲の笑い」、そして、耳そうじをされての「蝦蟇仙人の笑い」、それを見ている「西王母の笑い」と、「笑う門には福来る」がサブテーマという雰囲気である。

美大・右隻.jpg
「群仙図屏風」(蕭白筆・二曲一双・東京芸大美術館蔵)の「右隻」



コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

蕭白の「群仙図屏風」(その四) [蕭白]

(その四)「群仙図屏風」(蕭白筆)の「左隻」の「左茲」と「鯉」と「鶴」

唐子.jpg
「群仙図屏風」(蕭白筆)の「左隻」(部分図・左茲と鯉と鶴)

 この左側に描かれている「左茲(サジ)」は、右側の「和靖先生」が「先生」とすると、どうにも、眼光の鋭い、そして、手に「鯉」(出生魚)を掴んでいることから、「唐子を選抜する」ところの、謂わば、「人買い」のような悪相の仙人のような雰囲気である。
「左茲」が活躍するのは、「神仙伝」というよりも、戦国時代の『三国志』上に登場する妖術使いの名手である。この詩人の「和靖先生」から、妖術使いの「左茲」への、黄色い「鶴」と白い「鶴」(「平和」のシンボル)を介してのバトンタッチは、「和靖先生」(「平和」の時代)から「左茲」(「戦国」の時代)への変遷を物語っているのか知れない。
 しかし、実は、蕭白には、同じ画題の「群仙図屏風」(二曲一双・東京芸大美術館蔵)があり、その左隻には、「葛玄」(カツゲン、左茲の一番弟子)が、鯉を呼び寄せている図が描かれている。そして、その脇に、「黄安」(コウアン、亀仙人)が「亀」を両手にしているのである。
 とすると、この「和靖先生」のペットの「鶴」は、「鶴は千年、亀は万年」の「長寿の鶴」を意味し、「鯉」は「男児の出生と健康」を祝ってのものなのかも知れない。何故、「左茲」とか「葛玄」が出て来るかというと、「左茲」が「葛玄」に「霍山(カクザン)に登って九転丹(仙丹=不老不死あるいは仙術を得るという仙薬)を作るよ」との逸話の、これまた、「不老不死」の「長寿」の祝いと関係するのかも知れない。
 すなわち、何とも、蕭白の代表的な奇想画とされている「群仙屏風図」(六曲一双)は、
大名家である京極家伝来の作品とされ、中国の「神仙伝」逸話を主題にしての、京極家の、男嗣出生にまつわる、「祝い品」(「鯉幟・武者幟」の類い)の美術装飾品的作品と解するのが妥当なのかも知れない。

美校・左隻.jpg
「群仙図屏風」(蕭白筆・二曲一双・東京芸大美術館蔵)の「左隻」


コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

蕭白の「群仙図屏風」(その三) [蕭白]

(その三)「群仙図屏風」(蕭白筆)の「左隻」の「林和靖」と「唐子」

唐子.jpg
「群仙図屏風」(蕭白筆)の「左隻」(部分図・林和靖と唐子)

 中央の唐子を抱いている立身像の男性が、「林和靖(リンナセイ・リンワセイ)」である。名が逋(ホ)、字が君復(クンプク)、号が和靖先生(ワセイセンセイ)、中国・宋代の詩人である。生涯独身で、「梅妻鶴子」(梅は妻で、鶴は子である)と、「梅」と「鶴」とをこよなく愛した。鶴は和靖先生のメッセンジャーでもあった。
 寺の子供たちに、「もし遠くから来るお客さんが急用の場合、鶴を空に飛ばして下さい。飛んだ鶴を見るとすぐに船で帰りますから」と、「朋(トモ)遠方より来たる、また楽しからずや」、その後に続く、「人知らずして慍(ウラ)みず、また君子ならずや」の、中国の知識人・士大夫(シタイフ)の典型的な仙人なのである。
 この和靖先生を「ニヤケ顔」とか、この「唐子」達を「ヘンナ顔のオンパレード」とかと鑑賞しているものも散見するが、これは、紛れもなく、「和靖先生」の「先生」の「在るべき姿」と、その「先生」に純真無垢なるままの信頼を置いている、「唐子・寺子たち(生徒たち)」との、これほど、象徴的な画像は、なかなか、お目に掛かれない。
 この「群仙図屏風」(蕭白筆)の「左隻」(部分図)の、ここに焦点を当てただけでも、蕭白という画人は、例えば、同時代の京都の画人達の、「若冲・蕪村・大雅・応挙・芦雪・呉春」等々に比して、それらを時に「アザケリ・ヤユ」し、そして、縦横無尽に「ホントウノモノヲカキタイ」ということに徹した一人ということを実感する。

コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

蕭白の「群仙図屏風」(その二) [蕭白]

(その二) 「群仙図屏風」(蕭白筆)の「左隻」

左隻1.jpg
「群仙図屏風」(蕭白筆)の「左隻」文化庁蔵(一七二・〇×三七八・〇cm)

 蕪村の同時代の「奇想画の旗手」の曽我蕭白は、全く「文人画の旗手」の与謝蕪村と、全く異次元の、画人かというと、そうではないのである。その根っこにある、「伝統に対して革新」、そして、その「革新に対して、更なる、新しい息吹」ということには、この両者とを見比べると時、当時の、「蕪村・蕭白、そして、若冲」等々の、熱気溢れった、「芸術家の、飽くなき追及して止まない、病的なほどの熱気」を、ひっし、ひっしと実感するのである。
 さて、この蕭白の「左隻」の、左上の落款は「式部太輔蛇足軒暉珏入道十世曾我左近次郎蕭白暉雄筆」と、何とも仰々しい「遊び心」が満喫しているサインなのである。そのサインの右側の透けた団扇をかざしている女性が、「西王母(セイオウボ)」で、その西王母の前に、不老不死の実の「仙桃(セントウ)」が置かれている。その仙桃を食べようとしている動物が、松毬のような鱗を持った「穿山甲(センザンコウ)」である。
 その穿山甲を見ている女性は、西王母の侍女で、何やら盆の上に小さな桃の実のようなものを載せて持っている。その右側に、「蝦蟇仙人(ガマセンニン)が、「蝦蟇(ガマ)」を肩に載せている。それだけではなく、隣の女性に、「耳かき」をさせている。
 画面中央の「鯉(コイ)」を掴んでいる人物は「左茲(サジ)」で、「三国志」で活躍する妖術使いの名手である。何やら背に「遁甲天書」の巻物などを携えている。
白い「鶴(ツル)」と黄色い「鶴(ツル)」は、隣の「唐子(カラコ)」の一人を抱っこし、数人の唐子を引き連れての「林和靖(リンナセイ)」と「左茲(サジ)」とを取り持つ「吉鳥(キツチョウ)」なのであろう。
 どうにも、この「唐子(カラコ)」は、屈託がなく、そして、逞しく、さながら、当時の、京都画壇の、「応挙・蕭白・若冲・蕪村」等々の、その幼なかりし頃の、イメージすら抱かせるのである。
 そして、蕪村の「十二神仙図押絵貼屏風」(六曲一双)の、その「左隻」は、これらの蕭白の「唐子」の、それぞれが、それぞれに到達した、その「老仙」の姿のようにも思われる。

左隻2.jpg
「十二神仙図押絵貼屏風」(蕪村筆)の「左隻」(一二九・六×三二六・四cm)


コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

蕭白の「群仙図屏風」(その一) [蕭白]

その一 「群仙図屏風」(蕭白筆)の「右隻」

右隻1.jpg
「群仙図屏風」(蕭白筆)の「右隻」文化庁蔵(一七二・〇×三七八・〇cm)

 「奇想画の旗手」の曽我蕭白は、享保十五年(一七三〇)生まれ、享保元年(一七一六)生まれの与謝蕪村よりも年少であるが、亡くなったのは、天明元年(一七八一)で、天明三年(一七八三)没の蕪村よりも早く亡くなっている。
 この二人は、同時代の、そして、共に、京都を舞台にしての、その『平安人物誌』上で名を馳せている画人(画家)ということになろう。
 全く、異質の世界の画人であるが、共に、正統(主流派)に対しての異端(少数派)の画人であったことは、歩調を一にしている。
 この蕭白の、奇想画の典型たる「群仙図屏風」(六曲一双)の「右隻」は、右上の落款「従四位下曾我兵庫頭暉祐朝臣 十世孫蛇足軒蕭白左近次郎 曾我暉雄行年三十五歳筆」とあり、明和元年(一七六四)、蕭白、三十五歳時の作である。
 ここに描かれている仙人たちは、右側の落款の下の人物は、瓢箪と巻物を持っていて、三国時代の呉の医師「董奉(トウホウ)」と言われているが、「麻衣子(マイシ)」あるいは「扁鵲(ヘンジャク)」との別人説もある。その足元には「虎(トラ)」が居る。
 その左脇の赤い服の赤ら顔の人物は、春秋時代の簫(竹で作った笛のような楽器)の名手の「簫史(ショウシ)」で、その膝元には、白い羽の「鳳凰(ホウオウ)」が描かれている。
 その左脇の手を挙げている人物は、「鉄拐仙人(テッカイセンニン)」。隋代の李玄(鉄拐は幼名)で、口から気を吐いて分身を出す術を使う。足が悪いため、鉄製の杖を持っている。
 左側の「龍」に乗っている人物は、「呂洞寶(リョドウヒン)」。八仙(道教の代表的な八人の仙人)の筆頭格で、民を救う神仙として絶大な人気を誇る。鉢から龍を出して乗りこなす仙人の「陳楠(チンナン)」という説もある。
 さて、蕪村にも、その丹後時代(三十九歳~四十二歳)に、「十二神仙図押絵貼屏風」(六曲一双)があり、その「右隻」には、「鉄拐仙人」や「「呂洞寶」らしき人物が描かれている。

右隻1.jpg
「十二神仙図押絵貼屏風」(蕪村筆)の「右隻」(一二九・六×三二六・四cm)


コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー