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「俳誌・ホトトギス」管見(その二) [ホトトギス・虚子]

「ほとゝぎす(創刊号)」(明治三十年・1897/一月号)周辺

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「ほとゝぎす(創刊号)」(明治三十年・1897/一月号)表紙
https://dl.ndl.go.jp/pid/7972113/1/1

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「ほとゝぎす(創刊号)」(明治三十年・1897/一月号)目次
https://dl.ndl.go.jp/pid/7972113/1/2

(目次)

老梅居漫筆 / 鳴雪/p1~2
菫物語 / 半壺生/p3~3
俳諧反故籠 / 獺祭書屋主人/p4~4
俳諧雑誌の發刊を祝して卑見を述ぶ / 五洲生/p5~5
ほととぎすの發刊を祝す / 子規子/p7~7
ほととぎす出づ / 碧梧桐/p8~8
子規の出世を祝す / 飄享/p8~8
極堂詞兄足下 / 空世生/p8~8
ほととぎす發刊祝句/p9~9
當地近頃の俳况 / 駿臺隱士/p9~10
ほととぎすの發刊の辭/p11~12
課題俳句(時雨、千鳥、蒲團) / 子規選/p13~13
課題俳句( 時雨、千鳥、蒲團 ) / 鳴雪選/p22~30
冬季俳句( 混題 )/p31~31
新年俳句( 混題 )/p32~32
河東碧梧桐 / 越智處之助/p33~37

(管見)

一 明治三十年(1897)、虚子、二十三歳。一月、「柳原極堂」が松山で「ほとゝぎす(ホトトギス)」を創刊。発行所は、松山市大字立花町五十番地、当時の極堂の家である。その誌名は「正岡子規」の「子規」の雅号に由来する。表紙は、「下村為山」の筆で「ほとゝき須」と書かれている。

[柳原極堂( やなぎはら-きょくどう)
 1867-1957 明治-昭和時代の俳人,新聞人。
慶応3年2月11日生まれ。正岡子規にまなび,明治30年郷里の松山で「ほとゝぎす」を創刊,翌年同誌を高浜虚子にゆだねる。伊予日日新聞社長などをつとめたのち上京,昭和7年「鶏頭」を創刊,主宰。17年帰郷し,子規の研究と顕彰に専心した。昭和32年10月7日死去。90歳。本名は正之。著作に「友人子規」,句集に「草雲雀」など。](「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)

[下村為山 (しもむら-いざん)
 1865-1949 明治-昭和時代の画家,俳人。
慶応元年5月21日生まれ。明治15年上京して本多錦吉郎,小山正太郎に洋画をまなび,正岡子規と知りあって俳句を研究。俳画家として知られた。昭和24年7月10日死去。85歳。伊予(いよ)(愛媛県)出身。名は純孝。別号に雀廬,冬邨など。作品に「慈悲者之殺生図」など。](「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)

二 「俳諧反故籠 / 獺祭書屋主人/p4~4」の「獺祭書屋主人」は「正岡子規」、「老梅居漫筆 / 鳴雪/p1~2」の「老梅居」は「内藤鳴雪」、「菫物語 / 半壺生/p3~3」の「半壺生」は「高浜虚子」、「ほととぎす出づ / 碧梧桐/p8~8」の「碧梧桐」は「河東碧梧桐」、そして、「子規の出世を祝す / 飄享/p8~8」の「飄享」は「五百木飄亭」の号である。

[正岡子規( まさおか-しき)
 1867-1902 明治時代の俳人,歌人。
慶応3年9月17日生まれ。明治25年日本新聞社入社,紙上で俳句の革新運動を展開。28年以降は病床にあり,30年創刊の「ホトトギス」,31年におこした根岸短歌会に力をそそぎ,短歌の革新と写生俳句・写生文を提唱した。野球の普及にも貢献,平成14年新世紀特別表彰で野球殿堂入り。明治35年9月19日死去。36歳。伊予(いよ)(愛媛県)出身。帝国大学中退。本名は常規(つねのり)。別号に獺祭書屋(だっさいしょおく)主人,竹の里人。著作に句集「寒山落木」,歌集「竹乃里歌」,ほかに「獺祭書屋俳話」「歌よみに与ふる書」「病牀(びょうしょう)六尺」など。](「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)

[内藤鳴雪( ないとう-めいせつ)
 1847-1926 明治-大正時代の俳人。
弘化(こうか)4年4月15日生まれ。伊予(いよ)松山藩士の子。文部省参事官をへて旧藩主設立の常盤会(ときわかい)寄宿舎監督。舎生の正岡子規にまなび,子規没後も日本派の長老として活躍した。大正15年2月20日死去。80歳。江戸出身。本名は素行。別号に南塘,老梅居。句集に「鳴雪句集」,著作に「鳴雪自叙伝」など。](「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)

〔高浜虚子( たかはま-きょし)
 874-1959 明治-昭和時代の俳人,小説家。
明治7年2月22日生まれ。中学時代から正岡子規に師事。明治31年「ホトトギス」をひきつぐ。一時小説や写生文をかいたが大正2年俳句に復帰。客観写生,花鳥諷詠(ふうえい)をといて俳句の伝統擁護につとめた。昭和29年文化勲章受章。芸術院会員。昭和34年4月8日死去。85歳。愛媛県出身。旧姓は池内。本名は清。句集に「虚子句集」「五百句」,小説に「俳諧師」「柿二つ」など。](「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)

[河東碧梧桐 (かわひがし-へきごとう)
 1873-1937 明治-昭和時代前期の俳人。
明治6年2月26日生まれ。高浜虚子とともに正岡子規にまなび,新聞「日本」の俳句欄の選者をひきつぐ。のち新傾向俳句運動をおこし,中塚一碧楼(いっぺきろう)らと「海紅」を創刊,季題と定型にとらわれない自由律俳句にすすむ。大正12年「碧(へき)」,14年「三昧(さんまい)」を創刊。昭和12年2月1日死去。65歳。愛媛県出身。本名は秉五郎(へいごろう)。作品に「碧梧桐句集」,紀行文に「三千里」など。](「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)

[五百木飄亭 (いおき-ひょうてい)
 1871-1937 明治-昭和時代前期のジャーナリスト,俳人。
明治3年12月14日生まれ。22年上京し,同郷の正岡子規らと句作にはげむ。28年日本新聞社にはいり,34年「日本」編集長。昭和3年政教社にうつり,「日本及日本人」を主宰。大アジア主義をとなえた。昭和12年6月14日死去。68歳。伊予(いよ)(愛媛県)出身。俳号は飄亭(ひょうてい)。著作に「飄亭句日記」など。](「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)

ほととぎす發刊祝句.jpg

「ほととぎす發刊祝句/p9~9」
https://dl.ndl.go.jp/pid/7972113/1/7

三 「ほととぎす發刊祝句/p9~9」に、虚子の次の句が収載されている。

 時雨木枯のあれあれて生(あ)れ出しもの(「松山に於て「ほととぎす」を発刊。祝句(明治三十年)」) (「現代俳句の世界一 高浜虚子」所収「慶弔贈答句」)

ほとゝぎ第一号諸新聞表と奥付.jpg

「ほとゝぎ第一号諸新聞表と奥付」
https://dl.ndl.go.jp/pid/7972113/1/22

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