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川原慶賀の世界(その十九) [川原慶賀の世界]

(その十九)「川原慶賀の長崎歳時記(その十一)「雪見」周辺

雪見(A図)(「フイッセル・コレクション」).jpg

●作品名:雪見(A図)(「フイッセル・コレクション」)
●Title:Snowscape
●分類/classification:年中行事、冬/Annual events
●形状・形態/form:絹本彩色、めくり/painting on silk, sheet
●所蔵館:ライデン国立民族学博物館 National Museum of Ethnology, Leiden

『 (雪見)
 雪景色を観賞すること。大雪は豊作の前兆といわれ、積雪地帯では雪害に苦しんだが、一般には喜ばれた。そのこととの関連は明確でないが、宮廷や幕府では雪見の宴などが開かれた。延暦(えんりゃく)年間(782~806)からは初雪が降ると、群臣が参内(さんだい)して初雪見参(げんざん)が始まり、貞観(じょうがん)(859~877)のころからは雪見の宴を開く風もおこった。11世紀には白河(しらかわ)院が雪見の御幸(みゆき)をされ、後深草(ごふかくさ)帝の1251年(建長3)には後嵯峨(ごさが)上皇が船に乗って雪見をされた。鎌倉時代には幕府も雪見の宴を開き、室町、江戸に続く。芭蕉(ばしょう)の「いざ行かん雪見にころぶところまで」の句は有名で、風雅の徒が腰に瓢箪(ひょうたん)をぶら下げ、あるいは座敷の中で雪見酒の杯(さかずき)を傾ける。東京では上野、向島(むこうじま)、浅草公園などが雪見の場所とされ、隅田川には雪見船も出た。なお、障子の下半分が持ち上げられるようにつくり、ガラスをはめ込んだものなどを雪見障子、略して雪見という。[井之口章次]』
≪小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)≫

 次の「冨嶽三十六景《礫川雪の旦》」(葛飾北斎画)メトロポリタン美術館蔵(B図)は、その「初摺り」の「青」(ブルー)を基調としたもの、そして、「冨嶽三十六景《礫川雪の且(旦)》」(葛飾北斎画)東京富士美術館蔵(C図)は、「追加10図刊行以降の版」の「墨摺り」の「茶」(ダーク・ブラウン)系統の仕上がりとなっている。

「冨嶽三十六景《礫川雪の旦》」(葛飾北斎画)B図.jpg

「冨嶽三十六景《礫川雪の旦》」(葛飾北斎画)メトロポリタン美術館蔵(B図)
https://radonna.biz/blog/yukimi/

「冨嶽三十六景《礫川雪の旦》」(葛飾北斎画)C図.jpg

「冨嶽三十六景《礫川雪の且(旦)》」(葛飾北斎画)東京富士美術館蔵(C図)
(ふがくさんじゅうろっけい こいしかわゆきのあした)
木版画(木版多色刷)
葛飾北斎 (1760-1849)
天保元−天保3年(1830-32)頃
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/253089
『(解説)
礫川とは現在の文京区小石川あたりのこと。タイトルが示すように、夜半に雪の降った翌朝に、雪見、富士見を楽しむ人々の光景。富士上空には三羽の鳥が描かれている。初摺りの版は青く明けてきた朝の景が描かれるが、この版は、富士の背景が夕日に変えられているのは摺り師の趣向であろうか。主板も墨摺りで摺られており、追加10図刊行以降の版であろう。』(「文化遺産オンライン」)

 「フイッセル・コレクション」の「長崎歳時記(年中行事)」シリーズものも、この「北斎」(そして「北斎工房」)特有の「青」(ブルー)を基調とした作品が多いが、その中で、
この「青」(ブルー)を基調のものではなく、より多く、「北斎の娘・応為(お栄)」好みの
「陰影の深い」、「墨摺りの『茶』(ダーク・ブラウン)」系統のものが散りばめられている。
 それらの典型的なものが、下記のアドレスで紹介した「節分、豆まき」(D図)」ということになる。

 https://yahan.blog.ss-blog.jp/2022-09-27

(再掲)

「節分、豆まき」(F図).jpg

「節分、豆まき」(D図)
https://publicdomainr.net/mizue-6-0001867-llaytf/
「豆撒き(節分)」 紙本著色 30.5×39.5 ライデン国立民族学博物館蔵(「フイッセル・コレクション」)
Bean-scattering in February (to ward off evil spring)
(『鎖国の窓を開く:出島絵師 川原慶賀展(西武美術館)』所収「出品目録№3」)

『 節分の行事については現在においてほとんどかわるところはないようである。長崎歳時記に、
 家内のともし火を悉く消し、いりたる豆は二合にても三合にても一升ますに入れ、年男とて、あるじ右の豆を持て恵方棚、神棚に向ひ至極小声をして福は内と三遍となへ、夫より大声にて鬼は外と唱ふ、家の一間ごとにうち廻り庭におり外をさして打出す。』(『鎖国の窓を開く:出島絵師 川原慶賀展(西武美術館)』所収「主要作品解説」)

 この「節分、豆まき」(F図)は、『鎖国の窓を開く:出島絵師 川原慶賀展(西武美術館)』によると、「フイッセル・コレクション」所蔵のもので、「シーボルト・コレクション」所蔵の「節分、豆まき(B図)」(紙本墨画)や「節分、豆まき(C図)」(絹本着色)の先行的な作品と思われる。そして、葛飾応為の「吉原格子先之図(D図)」との関連ですると、この「フイッセル・コレクション」や「ブロムホフ・コレクション」所蔵の作品の方が、「応為と慶賀」との関係をより直接的に位置づけているもののように思われる。

葛飾応為筆「吉原格子先之図」(D図).jpg

葛飾応為筆「吉原格子先之図」(「太田記念美術館」蔵) (D図)
紙本著色一幅 26.3×39.8㎝ 文政~安政(1818~1860)頃
http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/collection/list05

〖 吉原遊廓の妓楼、和泉屋の張見世の様子を描く。時はすでに夜。提灯が無くては足元もおぼつかないほどの真っ暗闇だが、格子の中の張見世は、まるで別世界のように赤々と明るく輝き、遊女たちはきらびやかな色彩に身を包まれている。馴染みの客が来たのだろうか、一人の遊女が格子のそばまで近寄って言葉を交わしているが、その姿は黒いシルエットとなり、表情を読み取ることができない。 光と影、明と暗を強調した応為の創意工夫に満ちた作品で、代表作に数えられる逸品。なお、画中の3つの提灯に、それぞれ「応」「為」「栄」の文字が隠し落款として記されており、応為の真筆と確認できる。〗(「太田記念美術館」)

川原慶賀筆「青楼」(E図).jpg

川原慶賀筆「青楼」紙本著色 25.3×49.2 ライデン国立民族学博物館蔵(「ブロムホフ・コレクション」) The Nagasaki gay quarter (E図)
(『鎖国の窓を開く:出島絵師 川原慶賀展(西武美術館)』所収「出品目録№87」)

『 あかあかと明かりのついた遊郭を、通りに視点を置いて描いている。格子越しに見える内部、それを表からのぞいてひやかす客たち、二階には三味を弾かせ太鼓を叩いて陽気に騒ぐ客、提燈を持って通りを行き交う人々、そば屋、これらの人々が生き生きと描写されている。そして、本図で最も注意すべきことは、夜の人工的な光の錯綜を見事に捉えていることである。室内はろうそくの明かりで照らし出され、その室内の光は外にもれて通りの人々が持つ提燈の光とともに複雑な影を地面に作り出している。
 妓楼格子先を表した図は多く見ることができるが、本図ほど光と影を意識して描かれたものはないのではなかろうか。その点だけでも、本図を描いた慶賀を日本の近代絵画の先駆者として位置づけることができるであろう。(兼重護稿)』(『鎖国の窓を開く:出島絵師 川原慶賀展(西武美術館)』所収「主要作品解説」)

(以下、略)

(参考)「『北斎・応為」・『抱一・其一』そして『慶賀』』の「雪・月・花」周辺

『北斎・応為」の「雪・月・花」(F図).png

『北斎・応為」の「雪・月・花」(F図)
左図(雪)=「冨嶽三十六景《礫川雪の且(旦)》」(葛飾北斎画)(東京富士美術館蔵)
中図(月)=「月下砧打ち美人図」(葛飾応為画)(東京国立博物館蔵)
右図(花)=「夜桜美人図」(葛飾応為画)(メナード美術館蔵)

「月下砧打美人図」(げっか きぬたうち びじんず) 紙本著色・一幅 113.4×31.1 款記「應為栄女筆」/「應」白文方印
『 満月に照らされ女性が砧を打つ場面。月夜に砧を打つ図は白居易の詩「聞夜砧」に由来し、夫を思いながら砧を打つ妻の情愛を象徴的に表す。後述の作品と比べて色彩が抑制的で癖が少ないことから、比較的早期の作品か。なお、本図の落款部分は後人が一度削り取ろうとして途中でやめたような痕跡があり、ある時所蔵していた人物が新たに北斎の落款を入れて売ろうと企図していたと想像される。』(「ウィキペディア」)

「春夜美人図」(しゅんや びじんず)または「夜桜美人図」(よざくら びじんず)
紙本著色・一幅 88.8x34.5 無款 
『 無款だが、北斎派風の女性描写や、明暗の付け方、灯籠などの細部の描写が他の応為作品と共通することから、応為筆だとほぼ認められている作品。元禄時代に活躍した女流歌人・秋色女を描いた作品だと考えられる。』(「ウィキペディア」)

『抱一』の「雪・月・花」.png

『抱一』の「雪・月・花」(酒井抱一画「富峯・吉野花・武蔵野月」)個人蔵(G図)
左図(月)=「武蔵野月」(絹本着色・三幅対) 各175.0×41.7㎝
中図(雪)=「富峯」(絹本着色・三幅対) 各175.0×41.7㎝
右図(花)=「吉野花」(絹本着色・三幅対)各175.0×41.7㎝

『 雪をかぶった富士を中心に、武蔵野の月と吉野の桜を脇幅に、雪月花と名所の三幅対とした江戸らしい吉祥画がある。表具部分も描いた描表装で、抱一のそれは大変珍しい。モノトーンの雪の松、桜、秋草と、画面を横切る大らかな気分の構図であると同時に、松葉の中心に金泥、萩に銀泥を添え、桜花の蕾から満開までの各様態を優しくとらえるなど細部は凝っている。其一の箱書が具わる。文晁にもこの三名所のほぼ同図様の作例がある。』(『酒井抱一と江戸琳派の全貌(求龍社)』所収「図版№116解説(松尾知子稿)」)

『其一』の「雪・月・花」.png

『其一』の「雪・月・花」(鈴木其一画「雪月花三美人図」)静嘉堂文庫美術館蔵(H図)  
左図(雪)=吉原三浦屋の名妓「薄曇」(絹本着色・三幅対) 各96.40×32.2㎝
中図(月)=吉原三浦屋の名妓「高尾」(絹本着色・三幅対) 各96.40×32.2㎝
右図(花)=吉原三浦屋の名妓「長門」(絹本着色・三幅対) 各96.40×32.2㎝

『 雪月花に、新吉原三浦屋お抱えの薄雲、高尾、長門の三名妓を見立て、寛文美人図の様式で描くという、趣向を凝らした作品である。上部の色紙型や短冊には抱一の手で俳句が記されている。高尾と薄雲の姿には、文政八年刊の『花街漫録』の挿絵に其一が写した花明国蔵の『高尾図』『薄雲図』という菱川印のある古画を参照している。背後に企画者関係者など多くの意向が感じられ、同じ頃の作とすると、其一としてかなり早い時期の大変な力作である。』(『酒井抱一と江戸琳派の全貌(求龍社)』所収「図版№300解説(松尾知子稿)」)

 この、「雪月花三美人図」(鈴木其一画)周辺については、下記のアドレスなどで紹介している。

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2019-07-30

(右図)なかれゐる身に似わしき花筏  長門
(中図)猪にたかれて萩の一夜かな  たか尾
(左図)初雪や誰か誠もひとつよき   薄雲

『慶賀』の『雪・月・花』.png

『慶賀』の「雪・月・花」(川原慶賀画「花見」「月見」「雪見」)ライデン国立民族学博物館蔵(I図)
左図「花見」(「ブロムホフ・コレクション」) 絹本著色・めくり 30.2×46.6㎝
中図「月見」(「ブロムホフ・コレクション」) 絹本著色・めくり 26.5×38.0㎝
右図「雪見」(「フイッセル・コレクション」) 絹本著色・めくり 30.2×44.7㎝

「牛若丸弁慶自画賛」.jpg

『牛若丸弁慶自画賛』(蕪村画・賛)一幅 紙本淡彩 48.6×26.0㎝ 逸翁美術館蔵
(『逸翁美術館名品展―蕪村と呉春―(サントリー美術館刊)』)


1023 雪月花つゐ(ひ)に三世のちぎりかな 紫狐庵写

 「雪月花」は「雑」(「春・夏・秋・冬」以外)の句となる。白楽天「雪月花時最憶君(雪月花ノ時最モ君ヲ憶ウ)」(白氏長慶集巻8)の詩句により四季の自然美を愛する風流をいう。
「三世のちぎり」は、主従の縁の、「過去・現在・未来」にわたること。「これ又三世の奇縁の始め、今より後は主従ぞと」(謡曲・橋弁慶)を踏まえている。句意は、「四季の風流の遊びをともにするうちに、ついに、主従の約を結ぶことになった。」(『蕪村全集一』所収「頭注・尾形仂稿」)
 この蕪村の句は、安永元年(一七二二)、蕪村(夜半亭二世)、五十七歳の頃の作である(「紫狐庵」号は、安永元年~六年)。この年、高井几董(後の「夜半亭三世」)は『其雪影』(蕪村七部集の第一)を刊行し、その「序」は蕪村が草した。
『蕪村全集一』所収「頭注・尾形仂稿」では、「几董が俳諧を解する熊三(几董の弟子)を僕にしたことを模したものか」としているが、これを「見立替え」(先に見立てたものを取りやめて、後から見立てたものと取り替えること。特に、遊客が前に選んだ遊女をやめて、後から定めた遊女と替えること。見立て直し)すると、この『牛若丸弁慶自画賛』(蕪村画・賛)の、この「牛若丸」は、「高井几董」(蕪村の後継者)で、その後ろの「弁慶」が、その師匠たる「蕪村」(夜半亭二世・紫狐庵)その人ということになる。
 これらのことを、「『北斎・応為」の「雪・月・花」(F図)』に当てはめると、「応為=牛若丸」、そして、「弁慶=北斎」ということになる。
 同様に、「『其一』の「雪・月・花」(鈴木其一画「雪月花三美人図」)静嘉堂文庫美術館蔵(H図)」は、その師筋に当たる「『抱一』の「雪・月・花」(酒井抱一画「富峯・吉野花・武蔵野月」)個人蔵(G図)」とは、「其一=牛若丸」、そして、「抱一=弁慶」という見立てになってくる。
 ここで、「『慶賀』の『雪・月・花』(川原慶賀画「花見」「月見」「雪見」)ライデン国立民族学博物館蔵(I図)」、その「牛若丸=慶賀」とすると、この「弁慶=石崎融思・シーボルト・フイッセル・ブロムホフ」と、「シーボルト・フイッセル・ブロムホフ」の、その注文主の「オランダ商館」の面々を前面に出して置きたい。
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middrinn

白楽天の「雪月花時最憶君」は「雪月花」ではなく「君」が主で、
だから、『和漢朗詠集』も「交友」に分類したようですよ(^_^;)
by middrinn (2022-10-19 18:32) 

yahantei

久しぶりです。「コロナ引き籠り」患者にとって、「ポチとご教示」は感謝です。「和歌」の世界にも慣れました。『和漢朗詠集』にも手をひろげていきたいと思います。慶賀の「掛取り」の句で、「北斎の川柳」(掛取り)関連を、どこかにアップしたと思って、過去のデータを「あれかこれか」していましたら、誤記やら何やら、少しずつ、整理したいと、その作業が難儀です。そのうちにお邪魔します。
by yahantei (2022-10-20 07:48) 

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