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フリーア美術館逍遥(その五) [フリーア美術館]

(その五)抱一「三十六歌仙図屏風」(参考「光琳の『三十六歌仙図屏風』など)

抱一・三十六歌仙.jpg

酒井抱一「三十六歌仙図屏風」紙本金地着色 二曲一双 一五〇・九×一六三・〇cm
フリーア美術館蔵

Thirty-Six Poets
Type Screen (two-panel)
Maker(s) Artist: Sakai Hōitsu 酒井抱一 (1761-1828)
Frame maker: Hara Yoyusai (1772 - 1845)
Historical period(s) Edo period, early 19th century
Medium Ink, color, and gold on paper
Dimension(s) H x W (image): 150.3 × 162.4 cm (59 3/16 × 63 15/16 in)

(留書き)
上記の「Frame maker: Hara Yoyusai」は、この木枠(黒漆で松葉模様が施されている)の作者の「原羊遊斎」のことである。

(「朝日日本歴史人物事典」)

没年:弘化2.12.25(1846.1.22)
生年:明和6(1769)
江戸後期の蒔絵師。江戸神田に住み,通称は久米次郎,更山と号する。その詳しい事績は伝わっていないが,『蒔絵師伝』の記事などによれば,羊遊斎の立場は一個の蒔絵師というよりも工房の主催者に近いものであったらしく,常に権門勢家に出入りし,中山胡民をはじめとする多くの門人を擁して蒔絵作品の制作に当たったという。酒井抱一,鷹見泉石,谷文晁,大田蜀山人,7代目市川団十郎など,当時一流の文化人との交流も,その外向的な性格を物語るものといえよう。羊遊斎,あるいはその一派の作風は,琳派風の装飾性豊かな意匠を,薄肉高蒔絵を基調にした伝統的な蒔絵技法で描き出したもので,その精細かつ華やかな表現は,江戸後期の多彩な蒔絵のなかでも際だって目をひく存在となっている。なお,今日,羊遊斎作と称する作品は,酒井抱一が下絵を描いたとされるものも含めて数多く巷間に伝わっており,いずれも「羊」「羊遊斎」「羊遊斎作」などの銘が記されている。それらの真偽の程は決し難いが,「行年六十一歳/羊遊斎」の箱書を持つ「片輪車蒔絵大棗」(静嘉堂文庫蔵),覆紙の注記から文政4(1821)年の制作と推定される「蔓梅擬目白蒔絵軸盆」(江戸東京博物館蔵)などを一応の基準作とみることができよう。<参考文献>『工芸鏡』

※ この抱一の「三十六歌仙図屏風」(フリーア美術館蔵)は、次の尾形光琳の「三十六歌仙
図屏風」(メナード美術館蔵)を模したものなのである。ところが、抱一には、もう一枚の、「三十六歌仙図屏風」(ブライス・コレクション蔵)がある。

光琳・三十六歌仙.jpg

尾形光琳「三十六歌仙図屏風」紙本金地着色 二曲一双 一六五・五×一八四・〇cm
メナード美術館蔵

抱一・ブライス・コレクション.jpg

酒井抱一「三十六歌仙図屏風」紙本金地着色 二曲一双 一六四・五×一八〇・〇cm
ブライス・コレクション蔵
【光琳画の図様が抱一以降に継承された例として、もっとも遺品が多いのは実はこの三十六歌仙であり、重要な位置を占める。本図は光琳百回忌の展観に出品され、『光琳百図』に掲載されている光琳の二曲一双に基づくもの。歌仙図の長い歴史のなかでも傑出して表情豊かで楽しい群像とした光琳画を、細部までほとんど改変することなく再現した一例である。】(『別冊太陽 酒井抱一 江戸の粋人(仲町啓子監修)所収「作品解説(松尾知子稿)」)

※ 「フリーア美術館蔵」図も、「ブライス・コレクション蔵」図も、抱一個人の作というよ
りも「抱一工房(雨華庵)」の「抱一ブランド品」と解すべきものなのかも知れない。そして、それは、「宗達(号=伊年)と宗達工房(「伊」印)」などのように、絵師(主宰者)とスタッフ(門弟)との共同制作というのは、当時の一つのパターン化したものと理解すべきものなのかも知れない。
 特に、「抱一(絵師=下絵)と羊遊斎(蒔絵師=蒔絵制作)」との、「抱一・羊遊斎のブランド蒔絵」というのは、今に、超一級品としての折紙がつけられている。このことは、「光琳蒔絵」「光琳・乾山の陶器・高級什器」などにも均しく当てはまることなのであろう。

※ ところで、上記の絵図には、「三十六歌仙」(平安時代の三十六人の和歌の名人)と題し
ながら、三十五人しか描かれていないようなのである。実は、高貴なお方が一人居て、そのお方は、几帳(上方の部屋を仕切る幕)の後ろに控えているようなのである。

柿本人麻呂 山部赤人 大伴家持 猿丸大夫 僧正遍昭 在原業平 小野小町 藤原兼輔
紀貫之 凡河内躬恒 紀友則 壬生忠岑 伊勢 藤原興風 藤原敏行 源公忠 源宗于
素性法師 大中臣頼基 坂上是則 源重之 藤原朝忠 藤原敦忠 藤原元真 源信明 
※※斎宮女御 藤原清正 藤原高光 小大君 中務 藤原仲文 清原元輔 大中臣能宣
源順 壬生忠見 平兼盛


斎宮女御.jpg

佐竹本三十六歌仙絵巻の内(上記※※)
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フリーア美術館逍遥(その四) [フリーア美術館]

(その四)光琳「群鶴図屏風」(参考「抱一・其一の『群鶴図屏風』」)

光琳・群鶴図一.jpg

尾形光琳「群鶴図屏風」(六曲一双の内「右隻」) 各一六六・〇×三七一・〇㎝
フリーア美術館蔵

光琳・群鶴図二.jpg

尾形光琳「群鶴図屏風」(六曲一双の内「左隻」) 各一六六・〇×三七一・〇㎝
フリーア美術館蔵

Cranes
Type Screens (six-panel)
Maker(s) Artist: Ogata Kōrin 尾形光琳 (1658-1716)
Historical period(s) Edo period, late 17th-early 18th century
Medium Ink, color, gold, and silver on paper
Dimension(s) H x W (each): 166 x 371 cm (65 3/8 x 146 1/16 in)

(参考)

抱一・群鶴.jpg

酒井抱一「群鶴図屏風」(二曲一双)一四三・五×一四三・三㎝m
ウースター美術館蔵

其一・群鶴一.jpg

鈴木其一「群鶴図屏風」(六曲一双の内「右隻」) 各一六二・五×三五八・八㎝
ブライス・コレクション蔵

其一・群鶴二.jpg

鈴木其一「群鶴図屏風」(六曲一双の内「左隻」) 各一六二・五×三五八・八㎝
ブライス・コレクション蔵

(留書き)
光琳の「群鶴図屏風」(六曲一双)を、抱一が「二曲一双」ものに模して、さらに、其一は抱一のスタイル(「羽」などの「光琳の黒からのグラデ―ション化」を「抱一流の銀と褐色の塗り分け」)で、光琳の「六曲一双」を模している。

其一・群鶴三.jpg

鈴木其一「群鶴図屏風」(二曲一双)各一六四・八×一七五・〇cm
ファインバーグ・コレクション蔵

(留書き)
これは、其一の「二曲一双」ものの「群鶴図屏風」である。これは、画面に「引手跡」が残っていて、当初は「襖絵」であったのを、後に「屏風絵」に改装したもののようである(『鈴木其一 江戸琳派の旗手』所収「作品解説(石田佳也稿)」)
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フリーア美術館逍遥(その三) [フリーア美術館]

(その三)宗達「松島図屏風」

松島一.jpg

宗達「松島図屏風」(右隻) 紙本金地着色 六曲一双 各一五ニ・〇×三五五・七cm

松島二.jpg

宗達「松島図屏風」(左隻) 紙本金地着色 六曲一双 各一五ニ・〇×三五五・七cm

【 六曲一双の長大な画面を使い、右隻に海中に屹立する二つの岩、左隻には磯の浜松と波に洗われる小島を添える。左右の画面は砂浜と波によって連携する。松島は古来名所絵として描かれたが、このような大画面に展開、壮観な装飾画として成功させた宗達の手腕はみごとというべきか。千変万化の波の描写が素晴らしく、海潮音が聞こえてくるようだ。 】
(『もっと知りたい 俵屋宗達 村重寧著』)

(特記事項)「松島」と題されているが、名所松島の風景ではなく、依頼主である豪商谷正安が堺に祥雲寺を建てた記念に自分の道号「海岸」のイメージを絵画化させたものである、という仲町啓子氏の研究がある。(『俵屋宗達 琳派の祖の真実(古田亮著)』)

Waves at Matsushima 松島図屏風
Type Screens (six-panel)
Maker(s) Artist: Tawaraya Sōtatsu 俵屋宗達 (fl. ca. 1600-1643)
Historical period(s) Edo period, 17th century
Medium Ink, color, gold, and silver on paper
Dimension(s) H x W (overall [each]): 166 x 369.9 cm (65 3/8 x 145 5/8 in)

http://archive.asia.si.edu/sotatsu/about-jp.asp

Sōtatsu: Making Waves

俵屋宗達と雅の系譜
会期 2015年10月24日-2016年1月31日
開催場 アーサー M. サックラー美術館
(English version)
日本絵画とデザインに強烈なインパクトをあたえた江戸時代初期の天才絵師・俵屋宗達(1570年頃-1640年頃)。日本国外では初めてとなる大規模な宗達の展覧会が、米国首都ワシントンDCで2015年10月24日-2016年1月31日に開催されます。
世界最大の博物館群として知られるスミソニアンの一部で、アジア美術を専門とするフリーア美術館。国宝級の「松島図屏風」「雲龍図屏風」など、宗達の傑作品を所蔵しています。隣接のサックラー美術館を会場として、世界各国より70点以上の作品を集めて展示し、京都を中心に活躍した宗達の雅な世界を蘇らせます。
きらびやかな金銀泥と極色彩を用い、大胆に抽象化された絵画空間をみせる宗達作品は、日本美術史の中でも際立った存在です。しかし、宗達の生涯は生没年の記録もないほど未だ多くの謎に包まれています。京都の町衆階層の出身であり市井の紙屋の主人であった宗達が、どのような過程を経て上層貴族階級にネットワーク・交流を持ちその洗練されたセンスを取り入れ数多くの斬新なデザインを生み出すに至ったのか、まだ不明な点が多く残されています。
本展覧会では、日本を始めアメリカ・ヨーロッパの著名なコレクションより70点以上の作品を一堂に会し、屏風、扇面、色紙、和歌巻き、掛け軸などの展示を通して宗達を検証します。宗達の作風を追随した江戸時代中後期の作品も含まれ長期に渡る宗達芸術の継承が示唆されます。さらに明治時代以降の画家たちの作品も併せて展示され、時代を超える宗達スタイル伝播の理解においても画期的な企画といえます。
最大の見所である「松島図屏風」と「雲龍図屏風」は、19世紀末にフリーア美術館の創立者チャールズ・L・フリーア(1854-1919)により蒐集されました。先見あるコレクターであったフリーアは、俵屋宗達及び宗達と書画の合作を行った本阿弥光悦 (1558-1637)の名を、海外に知らしめたとされています。フリーアの遺言により所蔵品が館外貸出は禁じられました。本展覧会は門外不出となった宗達代表作品と各国に分散する宗達筆及び宗達派作品が一度に堪能できる絶好の機会です。
本展覧会はスミソニアン研究機構フリーア/サックラー美術館と国際交流基金 (Japan Foundation)の共催により開催されます。2015年秋には展覧会のフル・カラー図録出版が予定されており、執筆者は下記の通りです。
仲町啓子(実践女子大学)奥平俊六(大阪大学)古田亮(東京藝術大学美術館)
野口剛(根津美術館)大田彩(宮内庁三の丸尚三館)
ユキオ・リピット(ハーバード大学)ジェームス・ユーラック(フリーア美術館)

宗達の重要性

17世紀初頭、宗達は扇面や料紙などを手がける京中で話題の紙屋を営んでいましたが、その時期日本の社会は大きな変貌を遂げようとしていました。権力の中心が宮廷・公卿から幕府・武士階級へと移り、彼らは文化エリートの仲間入りをすべく装飾画を求めました。広がる受容層に答え、宗達は独創的な画面構成に実験的な技法を駆使し憧憬の王朝美に新しい時代の息を吹き込みました。
革新的ともいえる宗達のデザインに後世代の画業が加わり、やがて造形芸術における一つの流れとして「琳派」と呼ばれるようになりました。江戸時代後期の画家・尾形光琳(1658-1716)の名の一字に由来していますが、実は光琳よりも以前に宗達および光悦が確立した流れなのです。実際、琳派様式の要である「たらし込み」は、宗達が創案したものです。まだ水気残る地に墨や顔料を再度含ませ、にじみによる偶然の効果をねらった技法です。例えば花びらや水流などのデリケートな描写に予期せぬニュアンスをもたらします。
宗達が日本美術にもたらした影響は過小評価できません。17世紀に宗達を祖とした「琳派」は19世紀末に美術流派として定着し20世紀初頭まで引き継がれ、西洋ではある意味においては日本文化の粋そのものと認識されるようになりました。1913年に東京で初めて宗達を紹介する展覧会が開かれましたが、それは美術界に大きな波紋を投げ新世代の画家たちを深く感化しました。宗達のデザインはまたアール・デコ派、クリムトやマチスなどの西洋の巨匠らの作品にも呼応し、現代の眼にも近世的に映ります。
1615年に本阿弥光悦が徳川家康より京都洛北の鷹峰の土地を拝領し、そこに芸術村を作ったのを琳派発祥の年とすると、2015年は琳派が誕生してから四世紀ということになり、只今日本では文化人たちの間で「琳派400年記念祭」が呼びかけられています。数多くの琳派関連のイベント・シンポジウムなどが企画される中、国際的なコラボレーションにより可能となった本展覧会は、一つのハイライトとなることが期待されます。
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フリーア美術館逍遥(その二) [フリーア美術館]

(その二)宗達「勅撰和歌集『古今集』 花鳥下絵和歌巻」

花鳥下絵一.jpg

花鳥下絵二.jpg


Imperial Anthology, Kokinshu 花鳥下絵和歌巻
Type Handscroll
Maker(s) Artist: Tawaraya Sōtatsu 俵屋宗達 (fl. ca. 1600-1643)
Calligrapher: Hon'ami Kōetsu 本阿弥光悦 (1558-1637)
Historical period(s) Momoyama period, early 1600s
Medium Handscroll; ink, gold, silver, and mica on paper
Dimension(s) H x W (image): 33 x 968.3 cm (13 x 381 1/4 in)

(参考)

www.sotatsukoza.com/menu/sotatsukoza_shiryo4.pdf


【金銀泥鶴下絵三十六歌仙和歌巻について】  

陶芸家、故荒川豊蔵(1894~1985)は、昭和35年(1960)頃、愛知県の旧家で本作品を見出し、購入した。その和歌巻は、うぶな状態であった。しばらくして京都国立博物館に寄託され、のち文化庁の所有を経て、京都国立博物館に配置換えされた。その間、重要文化財に指定された。最初の 図版掲載は、林屋辰三郎ほか編『光悦』(第一法規出版、1964年)においてである。モノクロ図版で、 全図が紹介された。
本紙は厚口の間似合紙(雁皮紙)で、両面には厚く白色具引きが施されている。法量は、幅30・1 糎、長さ1356・0糎。見た目から想像できないほど、重量感がある。下絵は、金銀泥(金や銀の箔を細かく磨り潰し、膠水と練り合わせたもの)を用い、此岸から対 岸へ、海上高く、《鶴鳴き渡る》光景(挿絵・赤人の歌「若の浦に」)が長大に描かれている。
巻首の 金泥を刷いた洲浜は左方に長く伸び、全体の三分の一を占める。この洲浜の内に入る干潟は、鶴の餌場であり、餌を漁っていた鶴たちは、沖から寄せ来る満ち潮の波と音に気づく。数羽の鶴は洲浜 の上空を舞い飛び、やがて鶴は群れとなり、金泥と銀泥を刷いた雲の下へ、やがて雲の上を飛翔し、 海を越え、対岸にたどり着く。
幅三十糎の空間、視点を上下に、近く遠くに移動させ、鶴の躍動感 をみごとに表す。金銀泥の没骨描で鶴の形態を的確に捉え、生命感に溢れる。絵師は、失敗が許 されない、あしらい難い金銀泥を巧みに用い、凄まじいほどの素描力の持ち主である。金銀泥の豊 かなグラデーションの魅力は、白色具引き地から生まれる。  
三十六歌仙の和歌は、鶴の飛翔に添って、揮毫されている。散らし書きは奔放、自在である。和 歌本文の後に「光悦」黒文方印が捺されているが、古歌染筆では慣例として染筆者の署名捺印を 記すことはない。「光悦」印は後に押印されたものであろう。紙背には銀泥で胡蝶文が描かれ、紙継 ぎには「紙師宗二」金泥長方印が捺されている。

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フリーア美術館逍遥(その一) [フリーア美術館]

(その一)宗達「雲竜図屏風」

龍一.jpg

龍二.jpg

Dragons and Clouds
Type Screen (six-panel)
Maker(s) Artist: Tawaraya Sōtatsu 俵屋宗達 (fl. ca. 1600-1643)
Historical period(s) Momoyama or Edo period, 1590-1640
Medium Ink and pink tint on paper
Dimension(s) H x W: 171.5 x 374.6 cm (67 1/2 x 147 1/2 in)

【「雲竜図屏風」俵屋宗達 六曲一双 紙本墨画淡彩 各H x W: 171.5 x 374.6 cm
六曲一双の大画面に波間から姿を現し、対峙する二頭の龍を雄渾な筆致で描く。二頭に反転したような姿態でにらみ合う。龍は周りを黒雲で囲み、塗り残しの白さで表す。左右に躍る二組の波濤の形態は、のちに光琳や抱一の「波図屏風」にそのまま受け継がれている。龍のいかめしい顔にも、どこかゆとりがあってユーモアを覚える。 】(『もっと知りたい 俵屋宗達 村重寧著』)

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