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川原慶賀の世界(その二十四) [川原慶賀の世界]

(その二十四)「川原慶賀の唐蘭館絵巻(蘭館図)」周辺

唐蘭館絵巻(蘭館図)蘭船入港図.jpg

「唐蘭館絵巻(蘭館図)・一 蘭船入港図」(長崎歴史文化博物館蔵) 22.5×35.2㎝
『(全体:一~十) 紙本 着彩 巻装 27.5×515.5㎝ 一図ごとに黒線で枠取りした枠内に独立的に『一~十図』が描かれている。この『一 蘭船入港図』は、そのトップで、屋上の展望台の上で商館長らしい男が望遠鏡ではるか遠い港の入り口を覗いている。』(『シーボルトと町絵師慶賀(兼重護著)』p170)

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2022-08-26

(再掲)

http://www.nmhc.jp/collection.html

【 出島オランダ商館医シーボルトの専属絵師として活躍した川原慶賀の作品は、その多くが西洋へ伝えられ、ニッポンを海外に紹介しました。慶賀の作品は、日本の風景や生活、動植物などを写実的に描いており、当時の状況を知ることができる貴重な資料です。】(「長崎歴史文化博物館」)

http://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/hakken0611/index1.html

【 蘭船を眺めるのはシーボルト?
 待ちに待った蘭船の到来! 屋上の展望台の上で入港してくる蘭船を望遠鏡で覗き込んでいるのは、商館長だろうか? 実はこの男性の背後に子どもを抱いた日本人女性がいることから、この望遠鏡を覗いているのはシーボルトで、日本人女性はお滝、子どもがお稲ではないかといわれている作品だ。慶賀が描いた作品だから、それもあり得るかもしれない?】
(「発見!長崎の歩き方」)

二 蘭船荷揚げ図.jpg

「唐蘭館絵巻(蘭館図)・二 蘭船荷揚げ図」(長崎歴史文化博物館蔵) 22.5×35.6㎝
『画面左端に出島の西端、船着き場と荷揚げ門が見える。出島内にはオランダ国旗、三色旗
がひるがえっている。右側港内に蘭船が停泊し、小さな舟が何艘も集まり、荷を積んで船着き場を往復している。』

三 商品入札図.jpg

「唐蘭館絵巻(蘭館図)・三 商品入札図」(長崎歴史文化博物館蔵) 22.5×35.6㎝
『出島内の倉前で、青白縞の布の日除けの下で、向かい合わせにに並んだ日本人商人たち(およそ四十人)が品々を手に取ったり、帳面に何やら書き込んだりしている。数人の役人と帽子を被った三人の蘭人がこれを見つめている。』

四 商品計量図.jpg

「唐蘭館絵巻(蘭館図)・四 商品計量図」(長崎歴史文化博物館蔵) 22.3×35.5㎝
『荷揚げ門傍らの出島内広場における商品計量の場面である。』

五 倉前図.jpg

「唐蘭館絵巻(蘭館図)・五 倉前図」(長崎歴史文化博物館蔵) 22.3×35.5㎝
『納められた荷を倉から出し。商館員、役人立会いの下に中身を検めている。』

六 動物園図.jpg

「唐蘭館絵巻(蘭館図)・六 動物園図」(長崎歴史文化博物館蔵) 21.9×35.5㎝
『出島内にあった動物飼育場の図である。

七 調理室図.jpg

「唐蘭館絵巻(蘭館図)・七 調理室図」(長崎歴史文化博物館蔵) 22.3×34.8㎝
『調理室図。豚の屠殺から肉の調整までの工程を一図にまとめている。』

八 宴会図.jpg

「唐蘭館絵巻(蘭館図)・八 宴会図」(長崎歴史文化博物館蔵) 22.4×35.3㎝
『蘭館内における商館員の宴会の光景である。』

九 玉突き図.jpg

「唐蘭館絵巻(蘭館図)・九 玉突き図」(長崎歴史文化博物館蔵) 22.3×36.2㎝
『玉突き図。三人の蘭人がプレーしている。』

十 蘭船出航図.jpg

「唐蘭館絵巻(蘭館図)・十 蘭船出航図」(長崎歴史文化博物館蔵) 24.2×35.9㎝
枠外左下隅に落款「種美」 白字半円印「田口之印」 朱字半円印「慶賀」
『十艘の引き舟に引かれて港を出て行く蘭船が描かれている。船側から別れの礼砲を撃ったのであろう。硝煙が立ち込めている。』(『シーボルトと町絵師慶賀(兼重護著)』p175)

 これらの「唐蘭館絵巻」に関連して、下記のアドレスの「出島出入絵師ならではの写実的作品」と題して、次のように紹介している。

http://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/hakken0611/index2.html

【 慶賀の作品で最も目にする機会が多いのが、『唐蘭館絵巻』。慶賀が生きた時代の長崎は、出島、唐人屋敷を擁したまさに長崎の貿易時代。出島や唐館(唐人屋敷)の暮らしぶり、貿易船の入港風景など、ある一瞬を捉えたスナップ写真的な写実的風景画は、出島出入絵師である慶賀しか描けなかったものだろう。
 ところで、ライデン国立民族学博物館の日本部絵画収集品は、ブロンホフ(商館長)、フィッセル(商館員)、シーボルト(商館医)によって収集されたものが中心で、なかでも慶賀の作品がその大部分を占めているという。それらを主題別に分けると“1長崎歳時記 2人の一生 3職人尽し 4生活風俗点景 5神社、仏閣 6日本の風景 7図譜”に分類することができ、全て“日本人の研究”という同一の課題に取り組んだものだという。
 時代的にいうと、ブロンホフ、フィッセル、シーボルトの順。“人の一生”を例にあげ3シリーズを比較すると、ブロンホフ・シリーズの特徴は、1つ1つの事象の描写は説明的でわかりやすいが、人物の描写などは平面的、明暗法による立体表現に欠けているなど、近代的な意味での写実とはいいがたいという。一方、フィッセルのシリーズは、他のシリーズと比べ、すべて落ち着いた色調で整えられた彩色においても、本シリーズにのみ「慶賀」の朱印が捺されていることからも、慶賀が1点1点を1つの絵画作品として描こうとした意気込みが感じられ、最も完成度が高いといわれている。
 そしてシーボルトのシリーズは、構図的にもほぼ同一のため、このフィッセルのシリーズを慶賀自身が写したものと推測されている。しかし、明暗法による立体的表現を意識した陰つけなど、彩色によって大きな違いが見られるという。このヨーロッパ的な明暗法は、おそらくシーボルトの助手兼絵師として渡来したオランダ人デ・フィレニューフェの影響だったと考えられているそうだ。ともあれ、これら同一主題の慶賀作品を比較してわかることは、慶賀の写実的描写の進展には、シーボルトの指導が大きく影響していることだ。】(「『ナガジン」発見!長崎の歩き方」)

 ここに付け加えたいことは、前回(その二十二)で紹介した「『唐館蘭館図絵巻』(Views of the Chinese and Dutch Factories in Nagasaki) /石崎融思筆/1801年(享和元年)」に、さらに、次のような、慶賀の師・石崎融思筆の、水墨画の山水画風の「長崎港図」も遺されているということである。

「長崎港図」石崎融思筆.gif

「長崎港図」/石崎融思筆 (1768-1846)/ 江戸時代/18-19世紀/巻子装,紙本着色/ 31.4×128.0/ 1巻/東京藝術大学大学美術館蔵
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/235140
『落款「嶺道人石融思」/印章「鳳嶺」朱文円印・「融思士斎」白文方印。巻末 吉邨迂斎 跋』
(「文化遺産オンライン」)

 川原慶賀にも、シーボルトの書き込みによると、「日本画家登与助が2分15秒で描いた」という、ライデン国立民族学博物館の収蔵庫から発見された「山水図」二点がある(『幕末の”日本”を伝えるシーボルトの絵師 川原慶賀展』図録「142山水図・143山水図)」)。

川原慶賀山水図.jpg

(『幕末の”日本”を伝えるシーボルトの絵師 川原慶賀展』図録「142山水図・143山水図)」)
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