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芦雪あれこれ(群猿図) [芦雪]

その九 群猿図

群猿図屏風.jpg
「群猿図屏風」(芦雪筆)六曲一双 紙本墨画 各一五九・〇×三六一・〇cm
草堂寺蔵 天明六~七年(一七八六~八七)作

 芦雪は猿を主題にして多くの作品を残している。この「群猿図屏風」は、天明六年(一七八六)から天明七年(一七八七)にかけて南紀に赴いた時のものである。芦雪が南紀へ赴いた経緯について、『紀伊国名所図会熊野篇』に、概略、次のような記述がある。

「無量寺の愚海和尚は本堂再建を果たし、京都の長澤芦雪を伴って帰り、屏風、襖、その他大作を描かせた。愚海は若い頃、応挙と親交があり、一寺を建立した暁には描いてもらう約束をしていた。愚海が寺を中興した当時、応挙は既に一家をなし、多くの弟子を育てる立場だったが、約束を守り、高弟の芦雪に自分の作品を持たせ、寺にとどまらせ、その他の求めにも応じさせた。芦雪も師の命を守って数多(あまた)の作品を残した。草堂寺での話と同様で、無量寺は串本の芦雪寺として有名である。天明六年(一七八六)、芦雪三十三歳のことであった。」 (『もっと知りたい長沢芦雪(金子信久著)』)

この作品は、上記の記述に出て来る草堂寺(白浜・富田)のもので、草堂寺での作品は、無量寺よりも数も多く、注目すべき作品も少なくない。
 さて、この作品の「右隻」には、険しい崖と三角形の岩の頂に一頭の白い猿が座り、「左隻」の水辺の猿の群れを見下ろしている。その「左隻」の猿は、水を飲む猿、蚤を取っているのか腹をいじっている猿、そして、その蚤を取っている猿を見ている猿、そして、左端の猿の背中には子猿がいる。
 この「左隻」に描かれている猿の仕草は、全て、芦雪の師の応挙の世界であり、その「写生図巻」などをモデルにしてのものなのであろう。それに比して、「右隻」の一頭の白い猿は、その応挙の世界を足掛かりにし、独自の世界を切り拓いて行った、芦雪の猿であり、応挙門の中で、独り孤立しがちな芦雪の自画像的な雰囲気すら有している。

芦雪白猿.jpg
群猿図屏風(芦雪筆)の「右隻の部分図」

 さらに、この「右隻」は、中国淅派の影響が色濃く宿されている荒々しい岩山をベースにして、極めて漢画的な写意重視の抽象的な世界を表出しているのに比して、「左隻」は、湿潤且つ温和な水辺に戯れる猿の群れの風景で、師の応挙を踏まえ和画的且つ写実重視の具象的な世界を表出していて、この「右隻」と「左隻」との見事な対比が、この「六曲一双」の見所となる。

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