芦雪あれこれ(指頭画) [芦雪]
(その十)芦雪指頭画
草堂寺(南紀白浜・富田)に、芦雪が筆を使わず指によって一気に描いた「栽松・焚経図屏風」(二曲一双・紙本墨画)がある。もともとは、仏間の襖画(東側二面・西側二面)であったが、屏風画に改装されている。
その「左隻」に当たる「栽松図屏風」は、次のとおりである。
「栽松図屏風」(芦雪指画)二曲一隻 紙本墨画 一八五・五×一八〇・〇cm
この「栽松図屏風」は、別名「五祖裁松図屏風」とも称され、禅宗の始祖・達磨から数えて、五世・弘忍(禅師)を象徴的に表現しているものと言われている。左の端に、「芦雪指画」の落款があり、印章の「魚」も指画で描かれている。
この落款が施されているものは、屏風画の「右隻」と「左隻」との別ですると「左隻」ということになろう。
そして、芦雪が、師の名代として南紀(主として、無量寺・草堂寺・成就寺)に訪れるのは、これら禅宗(臨済宗・東福寺の海蔵院を本山とする)と深い関わりがあるのであろう。
同時に、応挙が芦雪を名代として推挙した背景には、芦雪が、こうした「禅画」(禅機図)にも深い理解を有していたことを見抜いていたということが挙げられよう。
「焚経図屏風」(芦雪指画)二曲一隻 紙本墨画 一八五・五×一八〇・〇cm
「左隻」に、禅の悟りの契機を象徴的に表現する「五祖・弘忍の松を植える図」をし、それに対応して、「右隻」には、禅の極意を象徴的表現する「経文を焼いて、不立文字を修する図」を配したということになろう。
「栽松図屏風」の「部分図」
上記は、「栽松図屏風」の人物像の顔の部分を拡大したものだが、これが「指頭画」(指画・指墨=筆のかわりに、手の指の肚(ハラ)や爪(ツメ)に墨をつけて描く水墨画の技法の一つ)なのかと、改めて、芦雪のデッサン力に圧倒される。
そして、指頭画というのは、パフォーマンス(特技を披露する)の見せ場で、「席画」などの公開の席上で、即興的に一気呵成に描いていくのが常で、これらの作品は、そういう環境下で為されたものなのであろう。
この指頭画を得意としたのは、文人画の大成者の池大雅であるが、芦雪の師の応挙や応挙門下で、芦雪以外にこの指頭画を以て、後世に作品を残した例を寡聞にして知らない。
草堂寺(南紀白浜・富田)に、芦雪が筆を使わず指によって一気に描いた「栽松・焚経図屏風」(二曲一双・紙本墨画)がある。もともとは、仏間の襖画(東側二面・西側二面)であったが、屏風画に改装されている。
その「左隻」に当たる「栽松図屏風」は、次のとおりである。
「栽松図屏風」(芦雪指画)二曲一隻 紙本墨画 一八五・五×一八〇・〇cm
この「栽松図屏風」は、別名「五祖裁松図屏風」とも称され、禅宗の始祖・達磨から数えて、五世・弘忍(禅師)を象徴的に表現しているものと言われている。左の端に、「芦雪指画」の落款があり、印章の「魚」も指画で描かれている。
この落款が施されているものは、屏風画の「右隻」と「左隻」との別ですると「左隻」ということになろう。
そして、芦雪が、師の名代として南紀(主として、無量寺・草堂寺・成就寺)に訪れるのは、これら禅宗(臨済宗・東福寺の海蔵院を本山とする)と深い関わりがあるのであろう。
同時に、応挙が芦雪を名代として推挙した背景には、芦雪が、こうした「禅画」(禅機図)にも深い理解を有していたことを見抜いていたということが挙げられよう。
「焚経図屏風」(芦雪指画)二曲一隻 紙本墨画 一八五・五×一八〇・〇cm
「左隻」に、禅の悟りの契機を象徴的に表現する「五祖・弘忍の松を植える図」をし、それに対応して、「右隻」には、禅の極意を象徴的表現する「経文を焼いて、不立文字を修する図」を配したということになろう。
「栽松図屏風」の「部分図」
上記は、「栽松図屏風」の人物像の顔の部分を拡大したものだが、これが「指頭画」(指画・指墨=筆のかわりに、手の指の肚(ハラ)や爪(ツメ)に墨をつけて描く水墨画の技法の一つ)なのかと、改めて、芦雪のデッサン力に圧倒される。
そして、指頭画というのは、パフォーマンス(特技を披露する)の見せ場で、「席画」などの公開の席上で、即興的に一気呵成に描いていくのが常で、これらの作品は、そういう環境下で為されたものなのであろう。
この指頭画を得意としたのは、文人画の大成者の池大雅であるが、芦雪の師の応挙や応挙門下で、芦雪以外にこの指頭画を以て、後世に作品を残した例を寡聞にして知らない。
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