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「鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書・宗達画)」周辺(その十二) [光悦・宗達・素庵]

(その十二)F図『鶴下絵和歌巻』(その一・8藤原敦忠)

鶴下絵A-E  F-.jpg

鶴下絵F図.jpg

8権中納言敦忠(藤原敦忠) 身にしみて思ふ心の年経(ふ)れば 遂に色にも出でぬべきかな(「俊」)
9源公忠朝臣 行きやらで山路暮らしつほととぎす 今一声の聞かまほしさに(「撰」「俊」)
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item02.html

8権中納言敦忠(藤原敦忠) 身にしみて思ふ心の年経(ふ)れば遂に色にも出でぬべきかな(「俊」)

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/atutada.html

8 身にしみて思ふ心の年ふればつひに色にも出でぬべきかな(拾遺633)

【通釈】つくづくと深く思う心が、久しい年を経たので、ついに思い余り、外にあらわれてしまいそうです。

藤原敦忠一.jpg

『三十六歌仙』(藤原敦忠)本阿弥光悦書(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288424

伊勢の海の千尋の浜に拾ふとも今は何てふかひかあるべき(『後撰』927)

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/atutada.html

【通釈】伊勢の海の広大な浜で拾うとしても、今はどんな貝があるというのでしょうか。

藤原敦忠二.jpg

【狩野尚信画・円満院門跡大僧正常尊書「三十六歌仙・藤原敦忠義」金刀比羅宮宝物館蔵 】
http://www.konpira.or.jp/museum/houmotsu/treasure_house_2015.html

逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔は物も思はざりけり(拾遺710)

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/atutada.html

【通釈】逢瀬を遂げた後の、この切ない気持に比べれば、まだ逢うことのなかった昔は、物思いなど無きに等しかったのだ。
【語釈】◇逢ひ見てののちの心 逢って情交を遂げた後の心。◇昔 逢う以前。

(追記一)「新古今抄月詠和歌巻」(整版)関連メモ

嵯峨・新古今断簡.jpg

「新古今抄月詠和歌巻」(巻頭部分)大東急記念文庫蔵 紙本木版 一巻 三五・〇×四八八・二㎝

【具引(ぐび)き地に動植物の模様を雲母摺りした料紙に、一枚板の整版により「新古今和歌集」から選んだ月の和歌九首を印刷する。出版物の「嵯峨本」と光悦の書の世界をつなぐ鑑賞用の手本である。 】(『もっと知りたい 本阿弥光悦 玉蟲敏子他著』)

【83 嵯峨本和歌巻断簡 一幅
薄鈍(うすにび)・黄の具を引いた料紙を継いだこの掛幅は、もと巻子本であった。木版で葛と半月型の山に茂る松を雲母で摺り出した上に、式子内親王の「宵のまにさてもねぬべき月ならば山のはちかき物ハおもハじ」の散らし書きの和歌の世界を模刻する。肉筆には及ばずながらも、光悦芸術の世界をそこに見出すことができる。 】(『創立百年記念特別展 琳派(東京国立博物館編・1972年)』所収「83嵯峨本和歌巻断簡」)

この作品について、『もっと知りたい 本阿弥光悦 玉蟲敏子他著』では、「素庵流とする説もあるけれども、やはり『新古今抄月詠和歌巻』については、散らし書きのリズムや字形から光悦の息がかかっていることは疑えず、従来提唱されてきたように、光悦による版下説を受け入れてよいと判断される」と記述している。

宵のまに
 さても
  ねぬべき
  月ならば
山のは
  ちかき
  物ハ
  おもハじ

更くるまで
 ながむれば
    こそ
  悲しけれ
 思ひも
   いれじ
  秋の
   夜の
     月

 式子内親王の『新古今集巻第四・秋歌上』の二首の「散らし書き」である。

416 宵の間にさてもねぬ(やぬ)べき月ならば山の端近きものは思はじ
417 ふくるまでながむればこそ悲しけれ思ひもいれじ秋の夜の月

 この「嵯峨本和歌巻断簡」には、「光悦・素庵」の他に「宗達」が登場する。

【 素庵と光悦の間にはもう一つ俵屋宗達が加えることによって、はじめてその芸術性が明らかになる。宗達は制作年代の明らかな寛永七年(一六三〇)の「西行法師行状絵師」をはじめとして、作品にも恵まれていたが、その伝記は必ずしも明らかでない。しかし、鷹ヶ峰片岡氏蔵「本阿弥家系図」によると、本阿弥光刹の女子に「タワラヤ宗達室」の註記があって、光悦の従妹の夫という姻戚関係が推測される。(略)
 その料紙としては、多く厚紙の雁皮紙に胡粉を引き、その上に宗達の協力が推定される草花鳥蝶など少なくとも三十六種に及ぶ模様を雲母(きらら)で摺ったもので、その他にも薄様に雲母模様を摺ったものや具引きのみを施したものがあり、この料紙を世に光悦紙と称している。この料紙のなかに、「紙師宗二」の印章を押印したものが見出されて、その制作者が明らかになる。一枚の紙にも捺印したところに、宗二の職人気質というようなものを感じる。
 光悦は、その料紙の上に時には肉筆を走らせたが、嵯峨本では自ら版下を書いた木活字を摺り上げたのである。この光悦の筆は、「筆師妙喜」が制作した。狸毛で短い先の堅い筆で版下にふさわしい筆であったようだ。光悦はのちに鷹ヶ峰に居を定めたとき、「紙師宗二」とともに「筆師妙喜」を伴って村のなかに住まわせた。 】(『角倉素庵・林屋辰三郎著・朝日評伝選19』)

 「絵師宗達」が、「俵屋・扇屋・絵屋」の宗達とするならば、「紙師宗二」は「紙屋」の宗二、「筆師妙喜」は「筆屋」の妙喜ということになり、それぞれが「扇子・紙・筆」などを業とする職人の棟梁でもあったのであろう。
 辻邦生の『嵯峨野名月記』では、この他に、印刷業者の「駿河屋宗仁」や切支丹版の印刷者の「原田アントニオ」などが登場し、さらに、能楽師「観世黒雪」、公家の堂上歌人「烏丸光広」、同じく「中院通勝」などが加わってくる。

 そもそも、光悦が生まれた本阿弥家は、室町時代からの「刀剣の研ぎ・拭い・目利き」を家業して、足利将軍家や天皇家、公家、諸大名と密接なかかわりもっていた京都の名家で、光悦の周辺には、さまざまな「もの作りに携わる町人・職人」等々が出入りしていた。

【 家業の刀に関しても一族の一員と思われる「本阿弥二郎三郎」らの職人が存在するいっぽう、鍔や金象嵌の細工に優れた埋忠明寿(一五五八~一六三一)、明真の親子、茶の湯
釜や梵鐘などの鋳造にかかわる窯や弥右衛門など、金工に携わる棟梁らとも茶の湯などを通じて交流している。さらに、蒔絵師の幸阿弥家の出身とされる徳安、前田家にゆかりある五十嵐太兵衛や五十嵐孫三や、ほかの蒔絵師との交流を示す書状もある。(略)
 そして、書と並んで本阿弥光悦が自ら取り組んだ造形の片翼を担う作陶に関しても、「ちゃわんや吉佐」こと楽常慶(?~一六三五)宛の書状三通が楽美術館に現存し、「たゑもん」なる別の職人に釉掛けと焼成を依頼した書状も残っている。 】(『もっと知りたい 本阿弥光悦 玉蟲敏子他著』)

(追記二)「鷹ヶ峰の光悦」関連メモ(その一)

鷹ケ峰.jpg

(『もっと知りたい 本阿弥光悦 玉蟲敏子他著』)

【 元和元年(一六一五)六月、素庵と嵯峨本の世界をともにした本阿弥光悦は、洛北鷹ヶ峰に移った。それに先立つ大坂夏の陣に、古田織部が家康に謀反を疑われて切腹したが、光悦はこの茶匠の門下である。素庵も同様だが、光悦はいっそう直接的であった。したがって織部の切腹は、少なくとも光悦には何らかの影響を与えたのではないかと考えるのである。
 果して『本阿弥行状記』によると、夏の陣の直後、二条城で家康から板倉伊賀守勝重に「本阿弥光悦は何しとるぞ」と下問があり、勝重が「存命に罷在り、異風者にて京都に居あき申候間、辺土に住居仕度よしを申」と言上したというのは、勝重の好意あるはからいで、家康が、「近江、丹波坏より京都への道に、用心あしく辻切追はぎもする所あるべし、左様の所を広々と取らせ候へ、在所をも可取立者なり」と命じた上意も、実は洛中所払いを意味していたのではないかと思われる。
 いずれにしても、鷹ヶ峰を得た光悦は、ここに二つの意義をもった新しい村を建設した。その一つは、皆法華の浄域の建立であって、嫡子光瑳の才覚による法華の鎮所として常照寺、光悦の母妙秀の菩提寺として妙秀寺、天下の御祈祷および本阿弥先祖の菩提所として光悦寺、それに法華経読誦の寺としての知足庵など四ヵ寺を中心に、法華の門徒をあつめたのである。こうして鷹ヶ峰は、日夜法華題目の巷と化していた。その現世謳歌の雰囲気のなかで、いきいきとした村づくりが進められた。
 もう一つは、芸術的環境の育成であった。この新しい村には光悦の宅を中心に、茶屋四郎次郎、尾形宗伯、土田宗沢、筆屋妙喜などの家々がたち並び、すべて五十五軒である。京都の長者である茶屋四郎次郎も来れば、元禄の二大芸術家光琳、乾山の祖父尾形宗伯もいたのである。光悦はすでに角倉家と協同の嵯峨本出版も終っており、本阿弥本業の刀剣の三業(とぎ、ぬぐい、めきき)は宗家のものであったから、鷹ヶ峰の芸術はけっきょくは書であり茶碗であり、漆器の意匠であったといえる。
 さて、光悦と素庵との交友は、いうまでもなくその後もかわることがなかった。元和元年(一六一五)幕命によって素庵が取り組んだ淀川転運使のしごとにも、光悦は蔭ながら援助を惜しまなかった。 】(『角倉素庵・林屋辰三郎著・朝日評伝選19』)
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