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鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書・宗達画)」周辺(その十六) [光悦・宗達・素庵]

(その十六)H図『鶴下絵和歌巻』(12源宗于)

鶴下絵A-E  F-.jpg

「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」(A図~J図)
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item02.html

鶴下絵和歌巻・H図.jpg

12源宗于(むねゆき)朝臣(H図)
 常盤なる松の緑も春来れば 今一入(ひとしほ)の色増さりけり(「撰」「俊」)
(釈文)常盤なる松濃見ど利も春久れ盤以ま日とし保濃色ま左利介利
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item02.html

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/muneyuki.html

   寛平御時きさいの宮の歌合によめる
ときはなる松のみどりも春来れば今ひとしほの色まさりけり(古今24)

【通釈】常に不変の松の緑も、春が来たので、さらに一際色が濃くなるのだった。
【語釈】◇ひとしほ 原義は、布などを染め汁に一度入れて浸すこと。

源宗于一.jpg

源宗干朝臣/高倉大納言永慶:狩野尚信/慶安元年(1648) 金刀比羅宮宝物館蔵
http://www.konpira.or.jp/museum/houmotsu/treasure_house_2015.html

ときはなる松のみどりも春来れば今ひとしほの色まさりけり(古今24)

(周辺メモ)

高倉永慶(たかくら ながよし)は、江戸時代の公家。高倉家第27代当主。官位は正二位・権大納言。生誕:天正19年12月2日(1592年1月16日) 死没:寛文4年9月5日(1664年10月3日)

源宗于二.jpg

『三十六歌仙』(源宗干)本阿弥光悦書(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288424

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/muneyuki.html

   冬の歌とてよめる
山里は冬ぞさびしさまさりける人めも草もかれぬと思へば(古今315)

【通釈】山里は、冬にこそひときわ寂しさが増さって感じられるのだ。人の訪れも途絶え、草も枯れてしまうことを思うと。
【語釈】◇山里 山にある人里。山の中の里。貴族にとっては京近郊の景勝地に営んだ別荘・山荘を指す場合が多い。◇人め 人を見ること。人が会いに来ること。「め(芽)」は草の縁語。◇かれぬ 「離(か)れぬ」(人目が途絶えてしまう)、「枯れぬ」(草が枯れてしまう)の掛詞。
【補記】「人目も草も」と普通なら並列しないような語を並べて、それを「かれぬ」(「離れぬ」「枯れぬ」)という掛詞の一語で承けたところに面白みがあり、またそれによって人も自然も冬の寂しさのうちに融け合ってしまうような山里の情趣が生れている。なお『宗于集』には「うたあはせに」の詞書がある。

(追記一)舟橋蒔絵硯箱〈本阿弥光悦作〉周辺メモ

舟橋蒔絵硯箱.jpg

総高12.0 蓋高9.1 蓋縦24.3 蓋横23.0 身高4.0 身縦22.6 身横21.1(㎝)
1合 東京国立博物館 東京都台東区上野公園13-9
重文指定年月日:19570618 国宝指定年月日:19670615
独立行政法人国立文化財機構 国宝・重要文化財(美術品)
【中世の意匠を伝統的に受け継いだ蒔絵作品とは異なる洗練された装飾性が見られる。この硯箱では、大胆な器形に草書体の文字を散らし書きにし、書の美しさを発揮している。下絵としての蒔絵が文字と舟橋とよく調和している。こうした器形並びに意匠は大胆かつ斬新で、本阿弥光悦(一五五八-一六三七)の作品としてすぐれた芸術性をよく伝えている。  】

www.emuseum.jp/detail/100195/001/002?word=&d_lang=ja&s_lang=&class=&title=&c_e=®ion=&era=&cptype=&owner=&pos=1&num=1&mode=¢ury=

【書画、工芸のさまざまな分野で天分を発揮し、琳派の祖となった桃山・江戸初期の芸術家、本阿弥光悦(1558-1637)の代表作として有名な硯箱である。蓋を高く山形に盛り上げているのが特徴的である。全体を、角を丸くした方形とし、蓋を身より大きく造った被蓋(かぶせぶた)に造る。身の内部は左に銅製の水滴と瓦硯をはめ込み、右の低い空間を筆置、右端を刀子(とうす)入れとしている。
 箱の全面に金粉を密にまき、波の地文に小舟を並べ、厚い鉛の板で橋を掛け渡す。波は漆で線描きしてから金粉をまく付描(つけがき)で表し、小舟は漆を盛り上げて金粉をまいた薄肉高蒔絵(うすにくたかまきえ)で描いている。
 斬新な意匠の効果をさらに高めているのが、銀の板を切りぬいて散らし書きにした文字である。文字は「東路乃 さ乃ゝ かけて濃三 思 わたる を知人そ なき」と散らされ、『後撰和歌集』源等(みなもとのひとし)の歌「東路の佐野の舟橋かけてのみ思い渡るを知る人ぞなき」から、「舟橋」の字を省略して表している。つまり「舟橋」は箱の意匠から読み取る仕掛けである。
 光悦自らがどの程度関与したかはあきらかでないが、大胆な意匠、高度な技術、古典文学から主題をとるなど、光悦蒔絵といわれるものの中でもっとも彼の特色が表れた作品である。 】

(追記二)樵夫蒔絵硯箱(伝 本阿弥光悦)周辺メモ

樵夫蒔絵硯箱(.jpg

作者 伝 本阿弥光悦 時代 江戸時代(17世紀) サイズ 一具 縦24.2㎝ 横23.0㎝ 総高10.1㎝ MOA美術館蔵 重要文化財
www.moaart.or.jp/?collections=203

【蓋の甲盛りを山形に高く作り、蓋と身の四隅を丸くとったいわゆる袋形の硯箱である。身の内部は、左側に銅製水滴と硯を嵌め込み、右側を筆置きとし、さらに右端には笄(こうがい)形に刳(く)った刀子入れを作る。蓋表には、黒漆の地に粗朶を背負い山路を下る樵夫を、鮑貝・鉛板を用いて大きく表す。蓋裏から身、さらには身の底にかけて、金の平(ひら)蒔絵の土坡(どは)に、同じく鮑貝・鉛板を用いてわらびやたんぽぽを連続的に表し、山路の小景を表現している。樵夫は、謡曲「志賀」に取材した大伴黒主を表したものと考えられる。樵夫の動きを意匠化した描写力や、わらび・たんぽぽを図様化した見事さには、光悦・宗達合作といわれる色紙や和歌巻の金銀泥(きんぎんでい)下絵と共通した趣きがみられる。また、鉛や貝の大胆な用い方や斬新な造形感覚からは、光悦という当代一流の意匠家が、この制作に深くかかわっていることが感じられる。原三渓旧蔵。 】

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